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2020年7月11日土曜日

前意識、識閾下の状態とは異なる、前頭前皮質や頭頂皮質のグローバル・ワークスペース・システムからは「切り離されたパターン」の無意識が存在する。脳幹に限定される呼吸をコントロールする発火パターンなどである。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

切り離されたパターンの無意識

【前意識、識閾下の状態とは異なる、前頭前皮質や頭頂皮質のグローバル・ワークスペース・システムからは「切り離されたパターン」の無意識が存在する。脳幹に限定される呼吸をコントロールする発火パターンなどである。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

 「前意識と識閾下の区別が、無意識の分類のすべてではない。呼吸を考えてみよう。私たちの一生のあらゆる瞬間に、脳の奥深くの脳幹で生成され心筋に送られる、調和のとれたニューロンの発火パターンによって、生命を維持する呼吸のリズムが形作られる。このリズムは、巧妙なフィードバックループによって血中の酸素と二酸化炭素のレベルに合わせられる。この高度な神経装置は、完全に無意識のうちに作用する。なぜそう言えるのか? その際のニューロンの発火は、非常に強く時間的に引き延ばされる。したがって識閾下の作用ではない。しかしいくらそれに注意を集中しても、それを意識化することはできない。よって前意識の作用でもない。われわれの分類では、このケースは無意識の作用の三番目のカテゴリー、「切り離されたパターン」を構成する。呼吸をコントロールする発火パターンは脳幹に限定され、前頭前皮質や頭頂皮質のグローバル・ワークスペース・システムからは切り離されている。
 意識されるためには、細胞集成体内の情報は、前頭前皮質やその関連領域に存在するワークスペースのニューロンに伝達されねばならない。ところが呼吸のデータは、脳幹のニューロンに閉じ込められている。したがって血中の二酸化炭素濃度を告知するニューロンの発火パターンは、他の皮質領域には伝わらないので、私たちはその情報に気づかない。このように、機能が特化した神経回路の多くは、非常に深く埋め込まれているため、気づきに達するのに必要な結合を欠く。おもしろいことに、それに気づく唯一の方法は、別の感覚様式を介することだ。たとえば私たちは、胸の動きに注意を向けると、間接的に呼吸の様態に気づく。
 私たちの誰もが、自分の身体は自分でコントロールしているかのように感じるが、ニューロンが発する無数のシグナルが、高次の皮質領域から切り離された状態で、気づきに達することなく、つねに脳のモジュール間を行き交っている。卒中患者には、その状況が悪化した状態に置かれている者もいる。白質で構成される経路の損傷は、特定の感覚や認知システムを切り離し、突如として意識にアクセスできないようにする場合がある。顕著な例の一つに、二つの大脳半球を結ぶ神経線維の巨大な束、脳梁が、卒中によって損傷を受けると発症する離断症候群がある。この症状を抱える患者は、自身の運動制御に対する気づきを完全に喪失する場合がある。さらには、自分の左手の動きを否認して、「それは勝手に動いている」「私にはコントロールできない」などとコメントすることもある。この現象は、左手を動かす指令が右半球に由来するのに対し、言葉によるコメントは左半球によって形成されることから生じる。これら二つのシステムがひとたび切り離されると、患者の脳には、二つの損なわれたワークスペースが別個に存在するようになり、互いに他方が持つ情報に気づけない状態に陥るのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第5章 意識を理論化する,紀伊國屋書店(2015),pp.269-271,高橋洋(訳))
(索引:)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々のシナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)
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2020年6月16日火曜日

無意識の精神機能が、持続時間500ms以上で意識化されるとする仮説は、意識と無意識が脳の同一領域で生ずることを示唆する。ただし、機能が複数の段階、複数の脳の領域と関係する場合は、事情はもっと複雑である。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

意識と無意識

【無意識の精神機能が、持続時間500ms以上で意識化されるとする仮説は、意識と無意識が脳の同一領域で生ずることを示唆する。ただし、機能が複数の段階、複数の脳の領域と関係する場合は、事情はもっと複雑である。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】

 「(11) それでは、無意識と意識機能は、脳のどの部分において発生するのでしょうか? これら二つの異なる側面を持つ精神機能に、それぞれ個別の場所があるのでしょうか? タイム-オン理論は、無意識および意識機能はどちらも《同じ脳の領域》の同じニューロン群によって、媒介されていることを示唆しています。もし、二つの機能間の移行が単に、アウェアネスを生み出す類似した神経細胞活動の長い持続時間によって生じるのであるならば、それぞれについて異なるニューロンの存在を仮定する必要はなくなります。当然、脳活動は一つ以上の段階または領域が意識的な精神プロセスの媒介に関与しているため、こうした領域のうちあるものは、無意識機能の場合には異なる可能性があります。このような場合には、タイム-オン(持続時間)制御のある単独の領域が、無意識と意識機能の識別を示す唯一のものにはならないでしょう。しかしそれでもなお、タイム-オン(持続時間)の特性は依然として、脳のなかのどの領域にあろうと作動し、識別するための制御因子となり得るのです。
 盲視現象(ワイスクランツ(1986年)参照)によって、意識と無意識機能にはそれぞれ独立した経路と脳構造がある可能性が提示されました。大脳皮質の一次活性領域に損傷のある人間の患者は盲目です。つまり破壊された領域には、通常なら存在する、意識を伴う外部視野がないのです。それでもなお、このような患者は、ただ強制選択すればよいと言われた場合には、正しく視覚野にある物体を指し示すことができるのです。この場合、被験者はその物体を見た自覚がないと報告します。
 無意識の盲視行為は、意識を伴う視覚の脳内のネットワーク領域(一次視覚野はその必要不可欠な一部ですが)とは違う場所で起こります。しかし、別の説では、一次視覚皮質の外部にある構造のどこか、たとえば二次視覚野のどこかに、意識・無意識両方の視覚機能が「宿っている」とします。すると、一次視覚野の機能というのは、この二次視覚野への入力を反復的に発火して与えるということになり、その結果その領域(二次視覚野)での発火の持続時間が増加し、視覚反応にアウェアネスが加わるということになります。その場合、一次視覚野が機能していなければ、その効果は発揮されません。
 では、一次視覚野(V1)がなくても人は自覚のある知覚を持てるのでしょうか? バーバー他(1993年)は彼の非常に興味深い研究の中で、これが可能であることを主張しました。彼らは、交通事故による損傷によって、V1領域を完全に失った患者を研究しました。この患者は、破壊されたV1領域に対応する半視野が、典型的な失明を示していました。それにもかかわらず、「彼は視覚刺激の動きの方向を弁別することができました。また彼は、視覚刺激の性質と動きの検出両方について自覚があったことも、口頭での報告によって示しました。」
 いずれによ、「V1がなくても意識を伴った視覚の知覚は可能である」というバーバーらによる結論は、私たちのタイム-オン理論を排除しません。視覚刺激に反応すると活動の増加を示すV5の領域は、十分に長い活動の持続時間の恩恵をこうむると、視覚の《アウェアネス》を生み出すことができるのかもしれません。実際、バーバーら(1993年)は、なかり長い時間の間、視覚刺激を反復的に加えていました。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第3章 無意識的/意識的な精神機能,岩波書店(2005),pp.138-140,下條信輔(訳))
(索引:)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

ベンジャミン・リベット(1916-2007)
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2020年5月15日金曜日

感情や意図の共感能力と、現実に発生する残虐行為との矛盾の解決には、意識的、顕在的な問題を意識以前の潜在的な観点から理解し、局地的に作用しがちな共感が、他文化理解の基盤でもあることを解明する必要がある。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

意識と無意識、局地的と普遍的

【感情や意図の共感能力と、現実に発生する残虐行為との矛盾の解決には、意識的、顕在的な問題を意識以前の潜在的な観点から理解し、局地的に作用しがちな共感が、他文化理解の基盤でもあることを解明する必要がある。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

(2.3)(2.4)追加。

(1)問題:人は感情や意図を共有し合える能力を持っているにもかかわらず、なぜ残虐にもなれるのか。
  人は感情や意図を共有し合える能力を持っているにもかかわらず、現実に発生する残虐行為を解決するには、科学的な事実と制度・政策との関係、人間の生物学的組成と社会性、自由意志の問題の解明が必要である。(マルコ・イアコボーニ(1960-))
 (1.1)感情や意図の共有
  感情や意図を共有し合えるという能力は、人と人とを意識以前の基本的なレベルで互いに深く結びつけ、人間の社会的行動の根本的な出発点でもある。
 (1.2)残虐行為が存在するという事実
(2)仮説
 (2.1)科学的な事実と、制度・政策との関係の問題、人間の生物学的組成、社会性と自由意志の問題
  共感を促進するのと同じ神経生物学的メカニズムが、特定の環境や背景のものでは共感的行動と正反対の行動を生じさせている可能性があるが、科学的な事実と制度・政策との関係の問題と、人間の生物学的組成、社会性と自由意志の問題が絡み、解決を難しくしている。
  (2.1.1)暴力的な映像による模倣暴力の事例
    暴力的な映像による模倣暴力の存在は、実験で検証されている。攻撃的な行動は、未就学児でも青年期でも、性別、生来の性格、人種によらず一貫して観察される。実際の社会においても、因果関係が実証されている。(マルコ・イアコボーニ(1960-))
  (2.1.2)科学的な事実と、制度・政策との関係の問題
   (a)これを解明するためには、科学的な事実を、社会全般の幸福を促進するための政策策定に反映させる制度的な仕組みが必要だが、そのような体制にはなっていない。
   (b)規制すべきかどうかの問題。言論の自由との絡みがある。
   (c)規制すべきかどうかの問題。市場と金銭的利害との絡みがある。
  (2.1.3)人間の生物学的組成、社会性と自由意志の問題
   (a)社会性と人間の自由意志の関係
    人間の最大の成功ではないかとも思える私たちの社会性が、一方では私たちの個としての自主性を制限する要因でもあることを示唆している。これは長きにわたって信じられてきた概念に対する重大な修正である。
   (b)人間の生物学的組成と自由意志の関係
    一方、人間はその生物学的組成を乗り越えて、自らの考えを社会の掟を通じて自らを定義できるとする見方がある。

 (2.2)顕在的、計画的、意識的レベルと潜在的、反射的、意識以前のレベルの問題
  社会を形成する計画的で意識的な対話を、潜在的レベルの共感で基礎づけて理解することが、問題解決の鍵である。
  (2.2.1)顕在的、計画的、意識的レベル
    社会は明らかに、顕在的で、計画的で、意識的な対話の上に築かれる。
  (2.2.2)潜在的、反射的、意識以前のレベル
   (a)ミラーニューロンは前運動ニューロンであり、したがって私たちが意識して行う行動とはほとんど関係がない。潜在的で、反射的な、意識以前の現象である。
   (b)道徳の基盤は、人から「動かされる」こと、すなわち共感である。

 (2.3)局地的に作用する共感が、同時に他文化を理解する基盤でもある
  (2.3.1)共感の局地性
   (a)ミラーリングと模倣の強力な効果は、きわめて局地的である。
   (b)そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。
   (c)地域伝統の模倣が、個人の強力な形成要因として強く強調されている。そして、人々は集団の伝統を引き継ぐ者になる。
  (2.3.2)普遍的な共感性の可能性
   (a)私たちをつなぎあわせる神経生物学的機構が存在する。
   (b)神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。
   (c)ただし、宗教的または政治的な信念体系は、大きな影響力を持ち、真の異文化間の出会いを難しくしている。

 「理解と共感を促す神経生物学上の根本的な原動力が、その有益な効果を損なわれている第二の要因は、この神経生物学上の原動力が最もよく働く「レベル」にある。前にも述べたようにミラーニューロンは前運動ニューロンであり、したがって私たちが意識して行う行動とはほとんど関係がない。実際、カメレオン効果のようなミラーリング行動は、潜在的で、反射的な、意識以前の行動と思われる。一方、社会は明らかに、顕在的で、計画的で、意識的な対話の上に築かれる。潜在的な心理過程と顕在的な心理過程はめったに相互作用しない。むしろ分離するぐらいだ。しかし神経科学によるミラーニューロンの発見は、意識的なレベルでの他人の理解に対し、意識以前の神経生物学的なミラーリングのメカニズムがあることを明らかにしてしまった。この本が論争に巻き込まれるなら本望である。人はミラーリングの神経機構がどう働いているかを直感的に理解しているように見える。この研究のことを話すと、相手はみな――少なくも私の経験では――わかってくれる。自分がすでに意識以前のレベルで「知って」いることを、ようやく明確に言葉にできたのだ。」(中略)「誰か別の人を見ているときに心の中で動きを調整しようとすれば、その心の中で身体接触のようなものが起こる。人は「動かされる」ことが共感の基盤であり、ひいては道徳の基盤でもあると《直感的に》知っているらしい。この人間の共感的な性質をもっと顕在的なレベルで理解することが、いずれ社会を形成する計画的で意識的な対話の要因になってくれることを祈るばかりだ。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.329-330,塩原通緒(訳))
(索引:)
 「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:意識,無意識,共感能力,残虐行為,他文化理解)

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)


(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

マルコ・イアコボーニ(1960-)
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2020年5月14日木曜日

意識化されない無数の感覚刺激の中から、意味のある情報をふるい分ける機能の一部として、意識化に必要な持続時間条件があり、また「注意」による選択の仕組みが存在する。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

意識のフィルター機能

【意識化されない無数の感覚刺激の中から、意味のある情報をふるい分ける機能の一部として、意識化に必要な持続時間条件があり、また「注意」による選択の仕組みが存在する。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】

ふるい分けされた、ごく一部の感覚入力が意識化される
 無数の感覚刺激が意識化されたら、無意味な騒音を抱え込みすぎることになる。意識はふるい分けの機能によって、一度にごく少数の事象や問題に集中することが可能になる。
 (1)意識化されない感覚入力をふるい分けるための仕組み
  (a)意識化に必要な持続時間条件
  (b)注意の機能
   おそらく注意のメカニズムが、与えられた選択された反応を、意識を引き出すために、十分に長い時間持続させる。
   参考:意識を伴わない感覚信号の検出、精神機能、ニューロン活動が存在し、活動の持続時間が500ms以上になると意識的な機能となる。持続時間の延長には、「注意」による選択が関与しているらしい(仮説)。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))
 (2)意識化されない無数の感覚刺激
  脳には、1秒間に何千回もの感覚入力が到達しているが、意識化されない。

 「(8) 意識経験のタイム-オン(持続時間)の必要条件は、どの時点においても意識経験を制限する「フィルター機能」の機能を果たすことができます。1秒間に何千回も脳に到達する感覚入力のうち、意識的なアウェアネスを生み出すことができるものはほとんどないことは明らかです。しかし、これらの感覚入力が、無意識に、重大な脳と心の反応へとつながる可能性があります。フランスの哲学者アンリ・ベルグソンは、感覚入力への意識を伴う反応が人間自身を圧倒しないように、脳はほとんどの感覚入力を意識化することからブロックすることができると提唱しました。現在の私たちの実験的な発見によって、このブロッキングを達成する生理学的なメカニズムが明らかにできるでしょう。
 つまり、私たちは次のように提案したいのです。大部分の感覚入力は適切な脳神経細胞が十分な長さのタイム-オン(持続時間)にわたって活動し続けていないため、それらの感覚入力は無意識のままになるのではないでしょうか。おそらく注意のメカニズムが、与えられた選択された反応を、アウェアネスを引き出すために十分に長い時間持続されるのでしょう。しかし、明らかに、注意そのものはアウェアネスのメカニズムには十分なものではありません。このように、アウェアネスのためのタイム-オン(持続時間)の必要条件は、アウェアネスに未だ至らない感覚入力をスクリーニングするためのメカニズムの一部でもあります。
 入力のスクリーニングまたはフィルタリングによって、意識的なアウェアネスが混乱することを避けられ、一度にごく少数の事象や問題に集中することが可能になるのです。もしあなたがすべての感覚入力に気づくようになったとしたら、意識事象の無意味な騒音を抱え込みすぎることになるでしょう。おそらくある種の精神障害は、アウェアネスに必要な脳活動の持続時間の異常な減少によって、このようなフィルターメカニズムが適切に働かないことを反映しているのでしょう。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第3章 無意識的/意識的な精神機能,岩波書店(2005),pp.134-135,下條信輔(訳))
(索引:無意識,意識,精神機能,フィルター機能)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

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2018年11月22日木曜日

集中的な注意,延長意識,中核意識,情動,低いレベルの注意,覚醒,精神分析的無意識,意識化されないイメージ,イメージ化以前のニューラル・パターン,ニューラル・パターン以前の獲得された傾性とその改編,生得的傾性。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

集中的な注意から無意識への系列

【集中的な注意,延長意識,中核意識,情動,低いレベルの注意,覚醒,精神分析的無意識,意識化されないイメージ,イメージ化以前のニューラル・パターン,ニューラル・パターン以前の獲得された傾性とその改編,生得的傾性。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

(7)、(8)追加記載。

(1)集中的な注意
 ・集中的な注意は、意識が生まれてから生じる。
(2)延長意識:「わたし」という自己感を授け、過去と未来を自覚させる。
 ・言語、記憶、理性は、延長意識の上に成立する。
(3)中核意識:「いま」と「ここ」についての自己感を授けている。
 ・中核意識は、言語、記憶、理性、注意、ワーキング・メモリがなくても成立する。
 ・統合的、統一的な心的風景を生み出すことそのものが、意識ではない。統合的、統一的なのは、有機体の単一性の結果である。
 ・意識のプロセスのいくつかの側面を、脳の特定の部位やシステムの作用と関係づけることができる。
(4)情動
 ・意識と情動は、分離できない。
 ・意識に障害が起こると、情動にも障害が起こる。
(5)低いレベルの注意
 ・生得的な低いレベルの注意は、意識に先行して存在する。
 ・注意は、意識にとって必要なものだが、十分なものではない。注意と意識とは異なる。
(6)覚醒
 ・正常な意識がなくても、人は覚醒と注意を維持できる。
(参照: 意識に関する諸事実:(a)特定脳部位との関係付け。(b)意識、低いレベルの注意、覚醒。(c)意識と情動の非分離性。(d)中核意識、延長意識の区別。(e)中核意識の成立条件。(f)統合的な心的風景について。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(7)精神分析的無意識
 自伝的記憶を支えている神経システムにそのルーツがある。
(8)中核意識においても延長意識においても認識されず、非意識的なままとどまっている大量のプロセスとコンテンツ。
 (8.1)意識化されないイメージ
  われわれが注意を向けていない、完全に形成されたすべてのイメージ。
 (8.2)イメージ以前のニューラル・パターン
  決してイメージにはならない全てのニューラル・パターン。
 (8.3)ニューラル・パターン以前の獲得された傾性
  経験をとおして獲得されるが、休眠したままで、恐らく明示的ニューラル・パターンにはならない全ての傾性。
 (8.4)獲得された傾性の改編
  そのような傾性の静かなる改編の全てと、それら全ての静かなる再ネットワーク化。
 (8.5)生得的傾性
  自然が生得的、ホメオスタシス的傾性の中に具現化した、すべての隠れたる知恵とノウハウ。

「精神分析的無意識の世界は自伝的記憶を支えている神経システムにそのルーツがあり、ふつう精神分析は、自伝的記憶の中の複雑に絡み合った心理学的結びつきを調べる手段とみなされている。しかし、必然的にその世界は、私がいま概略を述べた他の種類の結びつきとも関係している。
 われわれの文化の中で言われてきた狭い意味での「無意識」は、中核意識においても延長意識においても認識されず、非意識的なままとどまっている大量のプロセスとコンテンツのうちの、ほんの一部でしかない。実際、「認識されていない」もののリストは仰天するほどである。どんなものがそれに含まれるかを考えると、
(1) われわれが注意を向けていない完全に形成されたすべてのイメージ。
(2) けっしてイメージにはならないすべてのニューラル・パターン。
(3) 経験をとおして獲得されるが、休眠したままで、おそらく明示的ニューラル・パターンにはならないすべての傾性。
(4) そのような傾性の静かなる改編のすべてと、それらすべての静かなる再ネットワーク化――たぶん明示的に認識されない。
(5) 自然が生得的、ホメオスタシス的傾性の中に具現化した、すべての隠れたる知恵とノウハウ。 われわれがいかにわずかしか認識していないかに驚かされる。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第3部 意識の神経学、第7章 延長意識とアイデンティティ、pp.280-281、講談社(2003)、田中三彦(訳))
(索引:精神分析的無意識,意識化されないイメージ,イメージ化以前のニューラル・パターン,ニューラル・パターン以前の獲得された傾性とその改編,生得的傾性。)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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2018年11月18日日曜日

精神とは、主観的な意識経験と、無意識の心理的機能の両方を含んだ、脳の全体的な特性であるという定義が有効である。無意識機能も、意識と類似の記述によって、臨床上の経験とも整合的な理論記述が可能となる。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

無意識は精神事象か?

【精神とは、主観的な意識経験と、無意識の心理的機能の両方を含んだ、脳の全体的な特性であるという定義が有効である。無意識機能も、意識と類似の記述によって、臨床上の経験とも整合的な理論記述が可能となる。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】

(1)無意識的な「精神事象」は、存在しないという考え方。
 (1.1)無意識的な機能は、特定のニューロン活動だけを伴うと考える。
 (1.2)ただしニューロン活動は、別の意識的な考えや感情に影響を与えることができる。
(2)無意識的な「精神事象」も、存在するという考え方。
 (2.1)無意識のニューロン活動
  アウェアネスがない以外は、質的に意識プロセスによく似ており、精神的特性と見てもよい機能属性を持ったニューロン活動が存在する。また、皮質活動の持続時間が最大0.5秒間ほど長引けば、無意識機能にアウェアネスを付加することができる。
 (2.2)無意識の機能
  無意識は、意識機能と基本的なところが似通って見える方法で、心理学的な課題を処理する。例えば、無意識ではあっても、経験を表象していると考えられる事象がある。また例えば、認知的で想像力に富んだ意思決定的なプロセスが、意識的である機能よりも、しばしばより独創的に、無意識的に進行する。
 (2.3)意識過程の機能の言語で記述された無意識理論の有効性
  機能的な記述をする場合にも、より単純で、生産的な記述が可能で、より想像力に富んだ予測も可能となり、臨床上の経験とも整合性があるように見える。

 「ここまでの中で、何が「心」であり、何が「精神的」なプロセスであるのかという議論を私は避けてきました。この話題についての非常に込み入った議論を、多くの場合哲学者の文献で見つけることができるでしょう。一介の実験神経学者として、私はこうした概念についての私たちの報告可能な見方や感情とも一致した、シンプルで直接的なアプローチをとることにしています。辞書を引くと、「心」の定義には人間の知性だけではなく、性癖や衝動といった情動プロセスの意味合いも含まれていることがわかります。
 かたや、「精神的」とは単に「心」の機能を示す形容詞であるとされています。このように、「心」の意味には意識経験も含まれますが、この定義にあてはまる無意識の機能もそこから除外することはできません。すると、「心」というのは、主観的な意識経験と無意識の心理的機能の両方を含んだ、脳の全体的な特性であるという定義が有効だと考えられます。
 しかし、このような意見に強く反対する者もいます。哲学者であるジョン・サール(1993年、156頁)は、「精神」は主観的な意識経験にのみあてはめるべきだ、と主張しています。無意識的な機能は他の何か、つまり無意識の精神事象を誘発する必要性なしに、特定のニューロン活動だけを伴うものであると彼は主張しています。その一方で彼は、このような活動が、それに続く意識的な考え、感情、そして行動に影響を与えることができることを認めています。
 それならばなぜ、私たちは無意識の心理的に重大なプロセスを、「精神的」プロセスと考えなければならないのでしょうか? そうした考えを受け入れる場合、私たちは、アウェアネスがない以外はある意味、質的に意識プロセスによく似た属性を、無意識プロセスに分け与えていることになります。(精神的または非精神的に無意識であるという)どちらの意見も、まだ立証されていない仮説です。しかし、無意識を精神的な特性と見る、それも無意識的機能のよく知られている特性を最も十分に説明できるような精神的特性と見るべき根拠がいくつかあるのです。また、こうした機能を扱うための、憶測にすぎないかもしれないがより想像力に富んだ予想図も得られるのです。
 無意識の機能は、アウェアネスがないこと以外は、意識機能と基本的なところが似通って見える方法で心理学的な課題を処理します。無意識の機能は、経験を表象し得るのです(キールストローム(1993年))。認知的で想像力に富んだ、そして意思決定的なプロセスはすべて、意識的である機能よりもしばしばより独創的に、無意識的に進行することができるのです。サールの意見とは反対に、こうした種類の無意識の心理的に重要な機能は、意識機能と同様に、ニューロンプロセスの《先験的な》知識によって説明、または予言することができません。さらに、無意識のプロセスを「精神機能」と考え、意識ある精神機能と関連はあるけれども、アウェアネスを伴わない現象であるとみなしたほうが、より単純、かつ生産的で、臨床上の経験とも、よりつじつまが合っているように見えます。(結局のところ、定義というのは、当該の問題について生産的な思考を推進するという限りにおいてのみ有益なのです。)皮質活動の持続時間が最大0.5秒間ほど長引けば、無意識機能にアウェアネスを付加することができるのです(次の節を参照)。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第3章 無意識的/意識的な精神機能,岩波書店(2005),pp.115-117,下條信輔(訳))
(索引:無意識,精神,意識)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

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2018年9月8日土曜日

意識に現われる思想、感情、意志は、意識に登る前の互いに抵抗し合う諸衝動一切により決まる、その瞬間における、ある総体的状態である。意識は、無意識における出来事の最終項、その徴候、一つの記号である。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))

意識は無意識の徴候、記号

【意識に現われる思想、感情、意志は、意識に登る前の互いに抵抗し合う諸衝動一切により決まる、その瞬間における、ある総体的状態である。意識は、無意識における出来事の最終項、その徴候、一つの記号である。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))】

(1)ある思想が、直接ある思想の原因であるように見えるのは、見かけに過ぎない。すなわち「意志」を、何か単純な実体であると考えることは、一つの欺瞞的な具象化である。

時刻1 思想1⇒意志1
 │  │
 ↓  ↓
時刻2 思想2⇒意志2

(2)諸感情、諸思想等々の、意識に現われ出てくる諸系列や諸継起は、意識に登る前の本来的な出来事の連鎖の最終項であり、その徴候である。
(3)思想、感情、意志は、互いに抵抗し合う諸衝動一切の、支配と服従の瞬間的な権力確定の結果としての、ある総体的状態である。
(4)ある思想に引き続き現れる思想は、諸衝動の総体的な権力状況が転移した結果を示す、一つの記号である。

時刻1 衝動11⇔衝動12
 │  ↓↑  ↓↑ ⇒感情1⇒思想1⇒意志1
 ↓ 衝動13⇔衝動14
時刻2 衝動21⇔衝動22
    ↓↑  ↓↑ ⇒感情2⇒思想2⇒意志2
   衝動23⇔衝動24


 「意識にのぼってくるすべてのものは、なんらかの連鎖の最終項であり、一つの終末である。或る思想が直接或る別の思想の原因であるなどということは、見かけ上のことにすぎない。本来的な連結された出来事は私たちの意識の《下方で》起こる。諸感情、諸思想等々の、現われ出てくる諸系列や諸継起は、この本来的な出来事の《徴候》なのだ! ―――あらゆる思想の下にはなんらかの情動がひそんでいる。あらゆる思想、あらゆる感情、あらゆる意志は、或る特定の情動から生まれたものでは《なく》て、或る《総体的状態》であり、意識全体の或る全表面であって、私たちを構成している諸衝動一切の、―――それゆえ、ちょうどそのとき支配している衝動、ならびにこの衝動に服従あるいは抵抗している諸衝動の、瞬時的な権力確定からその結果として生ずる。すぐ次の思想は、いかに総体的な権力状況がその間に転移したかを示す一つの記号である。
「意志」―――一つの欺瞞的な具象化。」
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『遺稿集・生成の無垢』Ⅰ認識論/自然哲学/人間学 二五〇、ニーチェ全集 別巻4 生成の無垢(下)、pp.148-149、[原佑・吉沢伝三郎・1994])
(索引:意識,無意識,思想,感情,意志,衝動)

生成の無垢〈下〉―ニーチェ全集〈別巻4〉 (ちくま学芸文庫)


(出典:wikipedia
フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「精神も徳も、これまでに百重にもみずからの力を試み、道に迷った。そうだ、人間は一つの試みであった。ああ、多くの無知と迷いが、われわれの身において身体と化しているのだ!
 幾千年の理性だけではなく―――幾千年の狂気もまた、われわれの身において突発する。継承者たることは、危険である。
 今なおわれわれは、一歩また一歩、偶然という巨人と戦っている。そして、これまでのところなお不条理、無意味が、全人類を支配していた。
 きみたちの精神きみたちの徳とが、きみたちによって新しく定立されんことを! それゆえ、きみたちは戦う者であるべきだ! それゆえ、きみたちは創造する者であるべきだ!
 認識しつつ身体はみずからを浄化する。認識をもって試みつつ身体はみずからを高める。認識する者にとって、一切の衝動は聖化される。高められた者にとって、魂は悦ばしくなる。
 医者よ、きみ自身を救え。そうすれば、さらにきみの患者をも救うことになるだろう。自分で自分をいやす者、そういう者を目の当たり見ることこそが、きみの患者にとって最善の救いであらんことを。
 いまだ決して歩み行かれたことのない千の小道がある。生の千の健康があり、生の千の隠れた島々がある。人間と人間の大地とは、依然として汲みつくされておらず、また発見されていない。
 目を覚ましていよ、そして耳を傾けよ、きみら孤独な者たちよ! 未来から、風がひめやかな羽ばたきをして吹いてくる。そして、さとい耳に、よい知らせが告げられる。
 きみら今日の孤独者たちよ、きみら脱退者たちよ、きみたちはいつの日か一つの民族となるであろう。―――そして、この民族からして、超人が〔生ずるであろう〕。
 まことに、大地はいずれ治癒の場所となるであろう! じじつ大地の周辺には、早くも或る新しい香気が漂っている。治癒にききめのある香気が、―――また或る新しい希望が〔漂っている〕!」
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『このようにツァラトゥストラは語った』第一部、(二二)贈与する徳について、二、ニーチェ全集9 ツァラトゥストラ(上)、pp.138-140、[吉沢伝三郎・1994])

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2017年12月26日火曜日

およそ意識のうちに現われるすべてのものは、潜勢的に存在している精神の能力が、作用として発現することで、意識されるものである。したがって、決して意識することができないなら、それは潜勢的にも存在しない。(ルネ・デカルト(1596-1650))

無意識とは何か?

【およそ意識のうちに現われるすべてのものは、潜勢的に存在している精神の能力が、作用として発現することで、意識されるものである。したがって、決して意識することができないなら、それは潜勢的にも存在しない。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 意識に現われるすべてのものは、精神の働き、言うなら精神の作用を、意識していると言える。また、すべての作用に対応して、われわれの精神の能力あるいは力能が、存在していると言える。しかし、能力あるいは力能については、言わば潜勢的に存在しており、われわれがある能力を使用しようとする場合に、ただちに、現実的に意識されるようなものなのである。したがって、決して意識することができないなら、それは潜勢的にも精神のうちには存在しない。
 「われわれのうちには、われわれのうちにそれがあるのと同じその瞬間にわれわれがそれを意識することがないようないかなる思惟も、ありえないのです。ですから、私は、精神は嬰児の身体に入りこむやすぐさま、思惟しはじめ、と同時に、自らの思惟を自らに意識する、ということを疑いません。そうした思惟の形象[ども]は記憶に刻みつけられることはありませんから、後になってからその事物を精神が、想起することはありませんが、よしそうだとしてもです。しかしながら、銘記すべきは、われわれの精神の働き、言うなら作用をこそ、われわれは常に現実的に意識しているということ、〔しかし〕われわれの精神の能力あるいは力能については、潜勢的にというならばともかく、常に[現実的に意識している]というわけではなく、すなわち、われわれが或る能力を使用しようとする場合には、その能力が精神のうちにあるとするならば、ただちに、われわれはそれを現実的に意識するというようになっているということです。だからこそ、その能力が精神のうちにあることを、われわれは、それについて意識することができないならば、否定することができるのです。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『省察 第四答弁』デカルト著作集[二]、pp.295-296、[廣田昌義・1993])


デカルト著作集(全4巻)



ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

ルネ・デカルト(1596-1650)
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精神のうちには、精神が意識してはいない多くのものがありうるのではないか。(アントワーヌ・アルノー(1612-1694))

無意識

【精神のうちには、精神が意識してはいない多くのものがありうるのではないか。(アントワーヌ・アルノー(1612-1694))】
 「書き落としたことをひとつ付け加えておきます。尊敬すべき著者が確実であると断定なさっていること、すなわち、「思惟する事物としての、彼[デカルト]のうちには、彼が意識していないものは、何ものもありはしない。」ということは、虚偽であると私には思えるのです。と申しますのも、思惟する事物としての彼[という言葉]によって、著者は、身体と区別されている限りにおいての、彼の精神だけを知解しているのです。ですが、精神のうちには、精神が意識してはいない多くのものがありうることを、分からない人がいるでしょうか? 胎児の精神は、思惟する力を有していますが、それを意識してはいないのです。これに類する多くのことは省くことにいたします。」
(アントワーヌ・アルノー(1612-1694)『省察 第四反論』デカルト著作集[二]、p.260、[廣田昌義・1993])
(索引:無意識)

デカルト著作集(全4巻)



アントワーヌ・アルノー(1612-1694)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
アントワーヌ・アルノー(1612-1694)


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