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2021年11月19日金曜日

意識のハードプロブレムとは、いったい何を解決すればよいのか?

意識のハードプロブレムとは、いったい何を解決すればよいのか?

《改訂履歴》
2021/11/19 意識のハードプロブレムとは、いったい何を解決すればよいのか? 第1版


《概要》
 本論においては、何々主義と表現されるような、互いに対立する各論を並立して記述することはしない。本論では一つのある主張をするが、自らの主張を明確化する目的でのみ、何々主義を取上げ、批判する。 そもそも哲学は、真理の追究を目的とするものであって、互いに対立する主義や信念が並立 しているのが、通常の状態だとは考えない。
 もちろん、難しい問題では、様々な見解が並立するのは当然ではあろうが、本論のテーマに限って言えば、何が問題なのかは明確である。これが、本論の主張である。 
 本論では、意識のハードプロブレムがなぜ解決困難に感じられるのかの理由を明確に記述することで、まず、問題の根本的な所在を明らかにする。 そのうえで、意識の問題というのは、別の問題━━例えば、感覚も経験も直接にはできない物質や宇宙の根源を探究する問題━━と比べて、より困難というわけではなく、むしろ人間にとってはアプローチしやすい問題であることを主張する。
《目次》
(1)存在の全構造の俯瞰(目次のみ)
(2)二元論(心身二元論)
(2.1)二元論の主張
(2.1.1)心の世界
(2.1.2)物質の世界
(2.1.3)心の世界は物質の世界には還元できない
(2.2)二元論の誤り
(2.3)相互作用説
(2.3.1)相互作用説の主張
(2.3.2)相互作用説の誤り
(2.4)心身並行説
(2.4.1)心身並行説の主張
(2.4.2)心身並行説の評価
(2.5)随伴現象説
(2.5.1)随伴現象説の主張
(2.5.2)随伴現象説の評価
(3)物理主義
(3.1)物理主義の主張
(3.2)物理主義が忘れてしまいやすい事実
(3.2.1)法則
(3.2.2)モデルとしての対象
(3.2.3)物理学が世界の真理を記述していると誤って理解される理由
(3.3)還元主義的物理主義
(3.3.1)心脳一元論
(3.4)非還元主義的物理主義
(3.5)性質二元論(非還元主義、非創発主義)
(3.5.1)性質二元論の主張
(3.5.2)性質二元論の誤り
(3.5.3)哲学的ゾンビ、ゾンビ論法、思考可能性論法
(3.5.4)ゾンビ論法、想像可能性論法の誤り
(3.5.5)ゾンビ論法へのア・ポステリオリな必然性からの反論
(3.5.6)ゾンビ論法へのア・ポステリオリな必然性からの反論の誤り
(3.5.7)メアリーの部屋(フランク・ジャクソン(1943-))
(3.5.8)メアリーの部屋の解釈
(3.6)創発的物理主義
(3.6.1)創発的物理主義の主張
(3.6.2)創発的物理主義に関する注意事項
(3.7)消去主義的唯物論
(3.7.1)消去主義的唯物論の主張
(3.7.2)消去主義的唯物論の誤り
(4)意識のハードプロブレムは、何を解決すればよいのか
(4.1)現実の対象の完全な記述
(4.2)意識の理解における物理主義の問題点
(4.2.1)モデルとしての意識の理解
(4.2.2)一滴の水そのものとしての自己意識
(4.3)意識のハードプロブレムとは何か、なぜ、解決が困難に思われるのか
(4.3.1)人間という事態の特殊性に起因する科学の原理的限界と意識の十全性の対照
(4.3.2)クオリアと絶対的一人称性の不可分性(鈴木敏昭(1950-))
(4.3.3)科学の基盤である経験が、まさに説明されるべき対象であるという循環性
(4.3.4)検証対象となる意識現象が、本人にしか経験できないという事態
(4.4)意識のハードプロブレムは、何を解決すればよいのか
(4.4.1)心の世界の現象と心の世界に内在する原理の解明
(4.4.2)物質世界の一部である身体の科学的な解明
(4.4.3)同時に物質世界の現象でもある心の世界の現象と科学の諸法則との無矛盾性
(4.4.4)心の世界と物質世界が属する、心とは独立の存在との無矛盾性
(4.4.5)心の世界の現象と身体の仮説的な対応関係の解明

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(1)存在の全構造の俯瞰(目次のみ)
(a)私は存在する。
(a.a)私は存在する。
(a.b)私以外のものが存在する。
(a.c)存在そのものがその本質に属するようなあるものが存在する。
(a.d)私における、精神と身体の概念。
(a.e)他者は存在する。
(a.f)他者における精神と身体の概念。
(a.g)実体的紐帯は存在する。
(a.h)言語、論理、数学、科学の本質。
(a.i)科学による全宇宙の記述。
(a.j)科学による身体と精神の記述。
(g)実体的紐帯は存在する。(内部からの記述)
(g.h)言語、論理、数学、科学の本質。
(g.i)科学による全宇宙の記述。
(g.j)科学による身体と精神の記述。
(c)存在そのものがその本質に属するようなあるものが存在する。(外部からの記述)
(c.i)科学による全宇宙の記述。
(c.j)科学による身体と精神の記述。
(c.a)私は存在する。
(c.d)私における、精神と身体の概念。
(c.e)他者は存在する。
(c.f)他者における精神と身体の概念。
(c.g)実体的紐帯は存在する。
(c.h)言語、論理、数学、科学の本質。

(2)二元論(心身二元論)
(2.1)二元論の主張
(2.1.1)心の世界
 私の存在と実体的紐帯の存在、その中で生じる全ての現象は、心の中の現象として記述 可能で、現象を支配している法則も、その中において記述可能である。
(2.1.2)物質の世界
 物質の世界は、科学によって記述可能である。
(2.1.3)心の世界は物質の世界には還元できない
 心の世界と物質の世界は、それぞれ独自の法則を持ち、心の世界の法則を物質の世界へ 還元することはできない。

(2.2)二元論の誤り
 二元論の主張のうち、心の世界は物質の世界には還元できないとする主張が、誤りであ る。心の世界の現象の記述、現象の諸法則も、私や他者、実体的紐帯の存在が、この全宇宙の 構成要素であるならば、宇宙を支配している法則に従うであろう。これは、科学の方法論の問 題である。ただし、「還元」の意味が問題である。

(2.3)相互作用説
(2.3.1)相互作用説の主張
 物質の世界は、心の世界に作用を及ぼす。心の世界は、物質の世界に作用を及ぼす。
(2.3.2)相互作用説の誤り
 正しくは、次の通りである。
 物質の世界の一部は、心の世界に対応する。心の世界は全て、そのままで同時に、物質 の世界の現象でもある。

(2.4)心身並行説
(2.4.1)心身並行説の主張
 身体を含む物質は、物質のみと相互作用を行う。心は、心のみと相互作用を行う。各世 界は、それぞれ独自の法則を持つ。
(2.4.2)心身並行説の評価
 心身並行説の主張自体は正しいが、この主張にとどまり、心の世界の現象全てが、その ままで物質世界での現象でもあると理解しないならば誤りである。また、心の世界の諸法則 も、物質の世界の法則に由来するものであり、解明を要するものだと理解されなければ、誤り である。これは、科学の方法の問題である。

(2.5)随伴現象説
(2.5.1)随伴現象説の主張
 身体を含む物質は、物質のみと相互作用を行う。心の世界は、物質的な現象に随伴する 現象である。
(2.5.2)随伴現象説の評価
 随伴する現象が、心の世界と物質の世界の仮説的な対応関係と理解されるならば、随伴 現象説の主張自体は正しい。しかし、この主張にとどまり、心の世界が物質的な現象に何ら影 響を与え得ないと考えるなら、誤りである。

(3)物理主義
(3.1)物理主義の主張
 現在のところ、物理学だけがこの宇宙の根源的な真理の一面をつかんでいる。全てのもの が、この宇宙の構成物だとすれば、全ては宇宙の法則に支配されているはずで、究極的には物 理学が人間の精神も含めて全てを説明する基礎となる。
(3.2)物理主義が忘れてしまいやすい事実
(3.2.1)法則
 私たちが真理を知っていると思っているのは、ほとんど法則のみである。真理とは何 か。それは法則のみではない。
(3.2.2)モデルとしての対象
 実際に対象が理解されているように思われる場合であっても、全て例外なく、概念に よって対象をモデル化して、モデルについての法則が知られているだけである。
(3.2.3)物理学が世界の真理を記述していると誤って理解される理由
「物理学は数学的である。しかしそれは私達が物理的な世界について非常によく知って いるためではなく、むしろほんの少ししか知らないためである - 私達が発見しうるのは世界 の持つ数学的な性質のみである。物理的世界は、その時空間の構造のある抽象的な特徴と関 わってのみ知られうる - そうした特長は、心の世界に関して、その内在的な特徴に関して何 か違いがあるのか、またはないのか、を示すのに十分ではない。」(バートランド・ラッセル (1872-1970) 『Human knowledge: It's Scope and Limits』(1948年))(参考:哲学的ゾンビ(wikipedia))

(3.3)還元主義的物理主義
 モデルに適用される法則は、より基礎的な法則、究極的には物理法則に還元される。

(3.3.1)心脳一元論
(a)心脳一元論の主張
 大脳におけるニューロンの電気的活動に随伴して意識が生じる。
(b)心脳一元論は、不十分な理論である
 脳ではなく、身体全体を考慮すべきである。

(c)培養槽の中の脳
(参考:培養槽の中の脳(wikipedia))
(d)培養槽の中の脳は、意識を再現できない
(b)の理由により、意識は再現できない。

(3.4)非還元主義的物理主義
(a)モデルに適用される法則は、より基礎的な法則、究極的には物理法則に還元されると は限らない。ただし、心的状態は、物理的状態に付随する。「付随性」は関数的な依存関係を あらわしている。つまり、物理的なものに変化がないかぎり、心的なものにも変化がない。 (参考:心の哲学(wikipedia)付随性(wikipedia))
(b)非還元主義的物理主義は、科学の方法として誤りである。仮説としてある法則が定立 される場合であっても、それをより基礎的な法則で説明しようとすることは、科学の原動力で ある。

(3.5)性質二元論(非還元主義、非創発主義)
(3.5.1)性質二元論の主張
 この世界に存在する実体は一種類だが、それは心的な性質と物理的な性質という二つの 性質を持っている。そして、二つの異なる性質に関して、一方を他方に還元することができな い。また、一方から他方が創発することもできない。(参考:性質二元論(wikipedia))
(3.5.2)性質二元論の誤り
 性質二元論が、非還元主義である限りにおいて、非還元主義と同じ誤りを犯している。また、実体は 一つで、物理的な性質と心的な性質を持つとするのは正しいが、性質がこの二つに限定される とするのは、誤りである。説明されるべき、様々な性質の階層が存在する。すなわち、還元主 義的な性質多元論の方がより真実をとらえている。

(3.5.3)哲学的ゾンビ、ゾンビ論法、思考可能性論法
(a)我々の世界には意識体験がある。
(b)物理的には我々の世界と同一でありながら、我々の世界の意識に関する肯定的な事 実が成り立たない、論理的に可能な世界が存在する。
(c)したがって意識に関する事実は、物理的事実とはまた別の、われわれの世界に関す る更なる事実である。
(d)ゆえに唯物論は偽である。(参考:哲学的ゾンビ(wikipedia))
(3.5.4)ゾンビ論法、想像可能性論法の誤り
 (b)の哲学的ゾンビの存在が「論理的に可能」であるという前提が、間違っている。理 由は、「(4.1)現実の対象の完全な記述」に記載した。論理的に構成されるような「物理 的に同一」なものは存在しない。「物理的に同一」の意味が、論理的な構成ではなく存在その ものとして同一物ならば、それは意識を持つ。すなわち、ゾンビは存在しない。

(3.5.5)ゾンビ論法へのア・ポステリオリな必然性からの反論
 科学的な知識が進むことで、哲学的ゾンビの存在が「論理的に可能」であるという前提 が、間違っていることが、論理的に証明できる。
(3.5.6)ゾンビ論法へのア・ポステリオリな必然性からの反論の誤り
 間違っている理由は、「(4.1)現実の対象の完全な記述」の記載の通りである。

(3.5.7)メアリーの部屋(フランク・ジャクソン(1943-))
(a)メアリーはなんらかの事情により、白黒の色しか経験できない環境に生活してい る。
(b)彼女は、色を見るということに関しての物理的過程、生理学的過程を全てを、完全 に理解している。
(c)彼女が、実際に色を経験したとき、何が起こるだろうか。彼女はなにかを学ぶだろ うか?
(d)メアリーが新しいことを学ぶのは、紛れもなく明らかである。
(e)彼女の以前の知識は、不完全だったと言わざるをえない。
(f)すべての物理情報で事足りることはなく、物理主義は誤っているのである。(フラン ク・ジャクソン(1943-))(参考:メアリーの部屋(wikipedia) )
(3.5.8)メアリーの部屋の解釈
 最後の結論が、誤りである。それ以外の主張は、正しい。「(4.2)意識の理解におけ る物理主義の問題点」の記載を参照せよ。

(3.6)創発的物理主義
(3.6.1)創発的物理主義の主張
(a)物質が複雑に組織化されると意識が創発される。
(b)創発主義
「経験的現象は創発的現象である。意識の諸性質、経験の諸性質は、まったくの完全 な非意識的、非経験的現象からの創発的性質である。物理的素材そのものは、その基本的なあ り方においてまったくの非意識的、非経験的現象である。ところが、物理的素材が一定の仕方 で結びつくと、経験的現象が「創発する」。」(ゲーレン・ストローソン(1952-))(出典:山 口尚真の物理主義の含意――ゲーレン・ストローソン「実在論的な一元論」 (大厩諒訳、『現代思想 特集=汎心論』、2020年6月号))

(3.6.2)創発的物理主義に関する注意事項
(a)創発的物理主義については、次の点に注意が必要である。創発という言葉で、現象 を検証する意識現象と、それを説明する科学的概念との混同しないこと。創発という言葉で、 科学的な説明への試みがなされないならば、非還元主義的物理主義と同じ誤りに陥る。
(b)創発主義の誤り
「XからYが創発することが本当に真である場合、YはXに、しかもXだけに、ある意味 では全面的に依存しなければならない。それゆえYの全特性は、理解可能な仕方でXにさかのぼ ることができる(ここで「理解可能」とは、認識論的ではなく形而上学的な概念である)。創 発は、それ以上説明されないナマの事実ではありえない。」(ゲーレン・ストローソン(1952- ))(出典:山口尚真の物理主義の含意――ゲーレン・ストローソン「実在論的な一元論」 (大厩諒訳、『現代思想 特集=汎心論』、2020年6月号))

(3.7)消去主義的唯物論
(3.7.1)消去主義的唯物論の主張
 還元主義的物理主義と同じであるが、意識現象を記述する概念が誤りであり、科学的な 概念によって消去されるはずだと主張する。
(3.7.2)消去主義的唯物論の誤り
 消去主義的唯物論は、科学の方法として誤りである。意識現象を記述する概念はそれ自 体、客観的な概念かどうか検証できるし、また、最終的な解明のための基礎として重要であ り、消去されるべきものではない。

《目次》
(4)意識のハードプロブレムは、何を解決すればよいのか
(4.1)現実の対象の完全な記述
(4.2)意識の理解における物理主義の問題点
(4.2.1)モデルとしての意識の理解
(4.2.2)一滴の水そのものとしての自己意識
(4.3)意識のハードプロブレムとは何か、なぜ、解決が困難に思われるのか
(4.3.1)人間という事態の特殊性に起因する科学の原理的限界と意識の十全性の対照
(4.3.2)クオリアと絶対的一人称性の不可分性(鈴木敏昭(1950-))
(4.3.3)科学の基盤である経験が、まさに説明されるべき対象であるという循環性
(4.3.4)検証対象となる意識現象が、本人にしか経験できないという事態
(4.4)意識のハードプロブレムは、何を解決すればよいのか
(4.4.1)心の世界の現象と心の世界に内在する原理の解明
(4.4.2)物質世界の一部である身体の科学的な解明
(4.4.3)同時に物質世界の現象でもある心の世界の現象と科学の諸法則との無矛盾性
(4.4.4)心の世界と物質世界が属する、心とは独立の存在との無矛盾性
(4.4.5)心の世界の現象と身体の仮説的な対応関係の解明


(4)意識のハードプロブレムは、何を解決すればよいのか
(4.1)現実の対象の完全な記述
 モデルでない真実の対象の記述は可能かどうか。眼の前の現実の対象については、一滴の 水と言えども、完全な記述は不可能である。一滴の水の完全な記述には、一滴の水そのものの 存在が必要である。
(a)ラッセルによる説明
「私達が直接に経験する心的事象である場合を除いて、物理的な事象の内在的な性質に ついて、私達は何も知らない。(バートランド・ラッセル(1872-1970)『Mind and Matter』(1956年)(参考:哲学的ゾンビ(wikipedia))
(b)同じ真理を表現するライプニッツの命題 (i) 経験的事実を表すどの命題も、理性によっては完全には証明され得ない。理性が把握できる経 験的事実とは、真なる偶然的命題である。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッ ツ(1646-1716))
(ii)すべての現実存在命題は、真なる偶然的命題である。 現実存在命題の証明は、無限個の個体の完備概念を含み、決して完了した証明には達し得な い。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

(4.2)意識の理解における物理主義の問題点
(4.2.1)モデルとしての意識の理解
 意識についても、モデルとしての対象としてしか理解できない。
(4.2.2)一滴の水そのものとしての自己意識
(a)ところが、説明されるべき意識の現実は、まさに一滴の水そのものである自己意識 として経験されている。
(b)真の物理主義のテーゼ
「経験は実在的な具体的現象であり、いかなる実在的な具体的現象も物理的であ る。」(ゲーレン・ストローソン(1952-))(出典:山口尚真の 物理主義の含意――ゲーレン・ストローソン「実在論的な一元論」(大厩諒訳、『現代思想 特 集=汎心論』、2020年6月号))

(4.3)意識のハードプロブレムとは何か、なぜ、解決が困難に思われるのか
(4.3.1)人間という事態の特殊性に起因する科学の原理的限界と意識の十全性の対照
(a)モデルを使って理解するしかないという科学の本質と、現に体験される自己意識と の対照が、意識の解明を不可能なほど困難なものと感じさせる。これは、人間という事態の結 果である。
(4.3.2)クオリアと絶対的一人称性の不可分性(鈴木敏昭(1950-))
「クオリアの「謎」の解明とは、単に感覚という主観がいかに成立するのかだけでな く、その主観の「絶対的一「人」称」性の「謎」の解明なのである。」(出典:鈴木敏昭 (1950-)クオリアの絶対的一人称性の謎(鈴木敏昭,2016))
(4.3.3)科学の基盤である経験が、まさに説明されるべき対象であるという循環性
 科学的知識の基礎であるはずの感覚経験が、科学によって基礎づけられていないという 事態が存在しており、この循環性が問題の解決を困難に感じさせる。
「日常生活で得た身のまわりの世界に関する知識も、科学的な方法、実験によって得た 知識も、すべて直接の感覚に依存している。それにもかかわらず、自然科学の発見によってよ たらされた外界に関する描像やモデルには、感覚的性質がまったくかけている。」(エルヴィ ン・シュレディンガー(1887-1961))『精神と物質』「第六章:感覚的性質の不思議」 (1958年)、中村量空[訳](1987年) ISBN 4-87502-305-7 (参考:意識のハードプロブレム(wikipedia))

(4.3.4)検証対象となる意識現象が、本人にしか経験できないという事態
(i)逆転クオリア
 同じ赤色に相当する周波数の光を受け取っている異なる人間は、同じ質感を経験して いるのか?ひょっとすると全く違う質感を経験しているのではないか?(参考:逆転クオリア(wikipedia))
(ii)全ての人は、自分の感覚の経験しか持てない。ゆえに、直接検証することはできな い。

(4.4)意識のハードプロブレムは、何を解決すればよいのか
(4.4.1)心の世界の現象と心の世界に内在する原理の解明
 心は、心のみと相互作用を行う。心の世界の法則に従う。
(a)「人間という事態の特殊性に起因する科学の原理的限界」は、意識の問題に固有の 問題ではなく、例外なく科学全てが持っている特性である。

(4.4.2)物質世界の一部である身体の科学的な解明
 身体を含む物質は、物質のみと相互作用を行う。物質の世界の法則に従う。

(4.4.3)同時に物質世界の現象でもある心の世界の現象と科学の諸法則との無矛盾性
 心の世界の現象は全て、そのままで同時に、物質の世界の現象でもある。
(a)実験や観測の対象としての意識経験
 科学の方法は、実験や観測による検証または反証を基礎としている。これは、意識の 科学においても同じである。物質の科学においては、様々な実験装置や観測装置の設計と実装 が不可欠である。しかし、意識においては、個人に与えられている意識現象は完全で十全なも のであり、誤り得ない、そのままで同時に、物質の世界における現象としても与えられている ものである。この意味では、科学という営みにおいては、その問題の解決にとって有利な側面 と言える。
(b)科学の基礎にある意識経験
 物質の科学における実験、観測に比べて、意識現象が主観的で、曖昧なものであると いう印象は、誤りである。科学の基盤である実験や観測を支えている感覚経験自体が、科学的 に解明されているものではないという事態は、物質の科学においても、意識の科学において も、まったく同様の事態なのである。
(c)科学的な方法とは何かということ
 科学的に解明されていない意識経験に基礎を置く科学的方法が、なぜ確固とした客観 性を持っているかのごとく感じられるのかは、他者の存在、実体的紐帯の存在、言語、論理、 数学、科学という人間の営みの理解によって、解明できる。

(4.4.4)心の世界と物質世界が属する、心とは独立の存在との無矛盾性
 心の世界は、物質の世界の一部であり、心の世界の諸法則は、物質の世界の諸法則に由 来する。

(4.4.5)心の世界の現象と身体の仮説的な対応関係の解明
 物質の世界の一部である身体は、心の世界との仮説的な対応関係を持つ。これは、人間 の科学という営みにおいて現在採用されている方法論の問題である。この意味においてなら、 心の世界は、物質的な現象に随伴する現象であると表現してもよい。

(a)心の世界は、科学的な実験の工夫により、間接的に検証することができる。類似の 問題としては、感覚や知覚の異常の検知。正常なものとしての錯覚の検知。内観は、言語によ る報告で検証可能である。

(b) 気づきのない行動と、気づきのある行動が存在する。気づきのある行動は、被験者の内観報告 を基礎に判断できる。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

錯視を用いて意識的知覚を研究する利点。
(a)コンシャスアクセスに焦点を絞ること。
(b)種々のトリックを用いた意識の自由な操作。
(c)主観的な報告を、純粋な科学データとして扱うこと。錯視は非常に主観的なもので、見ている本人しか経験できない。それにもかかわらず、結果 は何度でも再現でき、誰にも同種の経験が得られる。

(c)クオリアの変化に相関する神経活動の同定(意識の神経相関)
 双安定錯視は、入力刺激としては一定にも関わらず、クオリアが時間を追って変化す る。そのような状況で、被験者に何が意識にのぼっているかを正確に刻一刻と報告してもらう ことで、クオリアの変化に相関して変化するような神経活動を同定することが可能である。 (出典:クオリア(脳科学事典))

(d)意識的なアクセス、報告のない実験の工夫が必要
 被験者に報告させるタイプの実験では、意識的なアクセスのメカニズム、報告のメカ ニズムが明らかになるだけで、クオリアがどのように脳活動から生じてくるのかを理解するに は、妨げになるのではないか、という問題が指摘されてきている。アクセスできない、もしく は普段はアクセスしないような意識の内容もクオリアの一部であると考えるのであれば、アク セスの影響を意図的に排除するような実験パラダイムの設計が必要である。(出典:クオリア(脳科学事典))



 
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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