2022年2月28日月曜日

西洋の知的伝統として、創造的だが混沌をはらんだ衝動、欲望、感情を制御するのが理性とされてきた。ヒュー ムは、合理性は規範や価値とは区別され、理性は目的・価値の手段と明確に述べた。官僚制は手段である。目的は何か。市場は事実なのか。ある価値が合理性を僭称しているのではないか。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))

合理性の観念をめぐって

西洋の知的伝統として、創造的だが混沌をはらんだ衝動、欲望、感情を制御するのが理性とされてきた。ヒュー ムは、合理性は規範や価値とは区別され、理性は目的・価値の手段と明確に述べた。官僚制は手段である。目的は何か。市場は事実なのか。ある価値が合理性を僭称しているのではないか。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))




「西洋の知的伝統の傾向として、人間の理性の力は、なによりもまず、わたしたちの低劣な 衝動を制約する方法とみなされてきた。この想定はすでにプラトンやアリストテレスのうちに みいだしうるが、魂についての古典理論がキリスト教やイスラームに応用されたとき、きわ だって強化された。そう、わたしたちはだれも創造性と想像力の力能を有しているのとおなじ く、動物じみた欲動と感情を抱えている。しかし、これらの衝動は[総じて]究極的には混沌 としたものであり反社会的なものである。個人においてであろうが政治的共同体においてであ ろうが、理性とは、わたしたちの低劣な本性を、それがカオスや相互破壊にいたりつくすこと のないようたえずチェックし、その潜在的に暴力的なエネルギーを抑圧し、水路づけし、封じ 込めるものである。それはモラルの力なのである。政治的共同体とか合理的秩序の場を意味す る、ポリス polis[都市国家]という言葉が、たとえば、「礼儀正しさ(politeness)」 や「警察(polis)」とおなじ語源を共有しているのは、このためである。その結果、また、 この伝統にはつねにある感覚が潜伏することになった。わたしたちの創造性にかかわるもろも ろの力能には、少なくともどこかしら、悪魔的ななにかがあるにちがいない、と。  ここまで述べてきたような、官僚制ポピュリズムの登場は、このような合理性の観念の――あ たらしい理念への――完全な反転である。そのあたらしい理念については、デヴィッド・ヒュー ムによる要約がもっともよく知られている。「理性は感情の奴隷であり、奴隷でのみなければ ならない」。この観点からすれば、合理性はモラリティとはなんの関係もない。それは純粋に 技術的事象である。道具であり、機会であり、それ自身は合理的に評価することはできな諸目 標を、最大に効果的に達成する方法を推論する手段なのである。理性は、わたしたちになにを 望むべきかを指示することはできない。それが指示することができるのは、ただ、わたしたち の望むものを獲得する最良の方法のみである。  どちらの見方にせよ、理性はいずれにしても、創造性、欲望、ないし感情の外部にある。か たや、そうした感情を制約するように作用し、かたや、促進するように働く、という点で異な るわけだ。  この論理をもっとも遠くまでつきつめたのが、経済学というあたらしい学問分野であるとい えよう。しかしその論理の根は、市場のみならず、少なくともそれと同程度には、官僚制にあ る(そして想起しなければならないのは、ほとんどの経済学者があれこれの大規模な官僚組織 のお雇いであるということであり、これまでもつねにそうであったことである)、手段と目的 のあいだ、事実と価値のあいだに厳密な区別をつけることができるという発想そのものが、官 僚制的心性の産物なのである。というのも、官僚制とは、ことをなす手段を、それがなんのた めになされたのかということから完全に切り離されたものとして扱う、最初のそしてただひと つの社会的制度だからである。このようにして、官僚制は事実上、長期にわたって、世界人口 の少なくとも大多数の日常意識に埋め込まれてきたのだ。  しかし同時に、合理性についてのもっと古い考え方が、完全に消え去ったわけではない。反 対に、この二つの考え方は、ほとんど完全に矛盾するにもかかわらず――たえず摩擦を起こしつつではあるものの――共存している。その結果、わたしたちの合理性についての観念そのものが 奇妙にも一貫性を欠いたものとなったのである。この言葉の意味がいったいどのようなものと 想定されているのか、まったくもってあきらかではない。ときにそれは手段である。ときにそ れは目的である。ときにそれはモラリティとはなんの関係もない。ときにそれは正しいこと、 善であることの本質そのものである。ときにそれは問題解決の方法である。そきにそれは、す べてのありうる問題への解決そのものである。」
 (デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『官僚制のユートピア』,3 規則のユートピア、あ るいは、つまるところ、なぜわたしたちは官僚制を愛しているのか,pp.232-233,以文社 (2017),酒井隆史(訳),芳賀達彦(訳),森田和樹(訳))


官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則 [ デヴィッド・グレーバー ]

デヴィッド・グレーバー
(1961-2020)








官僚制は支配者にとって不可欠であるだけでなく、非統治者にとっても利点がある。それは現金取引に似ており、魂がない。他面では、それらはともに単純で予測可能、そして少なくとも特定の文脈内部では、万人を多かれ少なかれ同等に扱う。また、複雑で疲弊を招くような解釈労働も不要である。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))

非人格的な官僚制の利点

官僚制は支配者にとって不可欠であるだけでなく、非統治者にとっても利点がある。それは現金取引に似ており、魂がない。他面では、それらはともに単純で予測可能、そして少なくとも特定の文脈内部では、万人を多かれ少なかれ同等に扱う。また、複雑で疲弊を招くような解釈労働も不要である。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))





(a)非人格的な官僚制的諸関係は現金取引に似ている
 官僚制的手続きの放つ魅力についてのもっともシンプルな説明は、その非人格性によるものである。 冷血で非人格的な官僚制的諸関係は、現金取引にそっくりであり、ともに似たような利点と欠 点をもっている。
(b)魂がないが予測可能で平等である
 官僚制にも現金取引にも魂がない。他面では、それらはともに単純で予測可能、そして少なくとも特定の文脈内部では、万人を多かれ少なかれ同等に扱う。官僚制は、複雑で疲弊を招くような解釈労働を、どちらの側にも求めることはない。



「二番目にありうる説明は、官僚制は支配者にとって不可欠であるだけでなく、官僚制に よって管理される者たちにとってもまごくことなき魅力がある、というものである。官僚制の 効率性についてのヴェーバーによる奇妙な称賛について、ここで同意する必要はない。官僚制 的手続きの放つ魅力についてのもっともシンプルな説明は、その非人格性によるものである。 冷血で非人格的な官僚制的諸関係は、現金取引にそっくりであり、ともに似たような利点と欠 点をもっている。一面では、それらはともに魂がない。他面では、それらはともに単純で予測 可能、そして少なくとも特定の文脈内部では、万人を多かれ少なかれ同等に扱う。いずれにせ よ、万物が魂であるような世界で暮らしたいと、だれが望むであろうか? 官僚制は、本書の 第1章でえがきだしたような、複雑で疲弊を招くような解釈労働を、どちらの側にも求めるこ とはない。あるいは、少なくとも、官僚制はそのような人間関係の可能性だけは提示している のである。たとえば、じぶんのお金をカウンターにおけば、それだけでじぶんの服装をレジ係 がどうみているか、おもいわずらう必要はないし、写真付きのIDカードを提示すれば、どうし て同性愛をテーマとした18世紀のブリテンの詩をどうしても読みたいのか説明する必要もな い。これが魅力のひとつであることは、まちがいない。実際、この問題をじっくりと考えてみ るならば、たとえわたしたちがユートピア的な共同体社会を設立しえたとしても、非人格的 (あえていえば官僚制的)制度がいっさい不要となる、などということを想像することはむず かしい。それは、まさに以上の理由からなのである。ひとつ、はっきりとした事例をあげてみ よう。どうしても必要な臓器移植のため、非人格的抽選システムや順番待ちリストにやきもき することは疎外や苦悩の種であろう。だが、比較的良好の心臓や腎臓のかぎられたプールを配 分する方法として、これ以上に非人格的ではない方法を想像することも困難なのである。」 

(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『官僚制のユートピア』,3 規則のユートピア、あ るいは、つまるところ、なぜわたしたちは官僚制を愛しているのか,pp.215-216,以文社 (2017),酒井隆史(訳),芳賀達彦(訳),森田和樹(訳))

官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則 [ デヴィッド・グレーバー ]




デヴィッド・グレーバー
(1961-2020)






官僚制は、重大な情報へのアクセスを独占し、「職務上の秘密」として知識や意図を秘匿することによって非統治者からの批判を回避し、優位性を高める。官僚制が議会に対立する場合、議会が自分自身の手段を用いて利害関係者たちから専門的知識を得ようとするあらゆる企てに対し挑戦する。(マックス・ヴェーバー(1864-1920))

官僚制は知識や意図を秘匿する

官僚制は、重大な情報へのアクセスを独占し、「職務上の秘密」として知識や意図を秘匿することによって非統治者からの批判を回避し、優位性を高める。官僚制が議会に対立する場合、議会が自分自身の手段を用いて利害関係者たちから専門的知識を得ようとするあらゆる企てに対し挑戦する。(マックス・ヴェーバー(1864-1920))
























(a)知識や意図の秘密保持によって批判を回避し優位性を高める
 いかなる官僚制も、その知識や意図の秘密保持という手段によってかような職業的ヴェテランの優越性をいっそう高めようとする。官僚制的行政は、その傾向からすれば、つねに、公開禁止をもってする行政である。官僚制はできるだけその知識と行為を批判からかくまうものである......。
(b)「職務上の秘密」の熱狂的な擁護
  この「職務上の秘密」という概念は官僚制独自の発明にかかるもので、事の性質上それの許される領域外では、純即物的に首肯しがたいこの態度ほど、官僚制が熱狂的に擁護するものは他にない。
(c)権力本能からする議会への対抗
 官僚制が議会に対立するばあい、それは、確実な権力本能から、議会が自分自身の手段(......)を用いて利害関係者たちから専門的知識を得ようとするあらゆる企てに対 し挑戦する......。





「官僚制たるもの、いったん形成されるや、権力行使につとめる人間にはかれがなにをしよ うとしているのかにかかわらず、ただちに必要不可欠のものになるであろう。[官僚制を通し て権力行使する]その主要な方法は、つねに重大な情報へのアクセスを独占することによるも のである。この点について、ヴェーバーは、長い引用に値する。  『いかなる官僚制も、その知識や意図の秘密保持という手段によってかような職業的ヴェテ ランの優越性をいっそう高めようとする。官僚制的行政は、その傾向からすれば、つねに、公 開禁止をもってする行政である。官僚制はできるだけその知識と行為を批判からかくまうもの である......。  この「職務上の秘密」という概念は官僚制独自の発明にかかるもので、事の性質上それのゆ るされる領域外では、純即物的に首肯しがたいこの態度ほど、官僚制が熱狂的に擁護するもの はほかにない。官僚制が議会に対立するばあい、それは、確実な権力本能から、議会が自分自 身の手段(......)を用いて利害関係者たちから専門的知識をえようとするあらゆるくわだてに対 し挑戦する......。』」
 (デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『官僚制のユートピア』,3 規則のユートピア、あ るいは、つまるところ、なぜわたしたちは官僚制を愛しているのか,p.213,以文社(2017),酒 井隆史(訳),芳賀達彦(訳),森田和樹(訳))

官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則 [ デヴィッド・グレーバー ]




デヴィッド・グレーバー
(1961-2020)






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