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2019年3月31日日曜日

有害なものを避け幸福を願う欲求だけでなく、他の諸欲求や感情も道徳論にかかわっている:完全性への欲求、秩序と調和への愛、良心の感情、愛することへの愛、個人の尊厳の感情、廉恥心など。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

道徳と人間の諸欲求、諸感情

【有害なものを避け幸福を願う欲求だけでなく、他の諸欲求や感情も道徳論にかかわっている:完全性への欲求、秩序と調和への愛、良心の感情、愛することへの愛、個人の尊厳の感情、廉恥心など。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】

(1)人間が持つ欲求、感情、傾向性
 (a)有害なものを避け、幸福を願う欲求
 (b)人間が持っている、その他さまざまな欲求と感情
  (b.1)完全性への欲求:あらゆる理想的目的をそれ自体として追求すること
  (b.2)あらゆる事物における秩序、適合、調和や、それらが目的にかなっていることへの愛
  (b.3)良心の感情:是認したり非難したりする感情
  (b.4)愛することへの愛:同情的な支持を必要とすること、また賞賛、崇敬する対象を必要とすること
  (b.5)個人の尊厳:他者の意見とは無関係に、自分自身について感じる高揚の感情
  (b.6)廉恥心:他者の意見とは無関係に、自分自身について感じる堕落の感情
  (b.7)芸術家の情熱である美への愛
  (b.8)私たちの意思を実現させる力への愛
  (b.9)運動や活動、行為への愛
(2)ベンサムの考え
 (2.1)有害なものを避け、幸福を願う欲求(a)は、それ自体として望ましい唯一のものである。
 (2.2)上記の目的を実現するものが、望ましい、正しいものである。
 (2.3)これらは、人類だけでなく、感覚を持つあらゆる存在についても当てはまる。
 (2.4)人間が持っている、その他さまざまな欲求と感情(b)は、それ自体としては善でも悪でもなく、それらが有害な行為を引き起こす限りにおいて、道徳論者や立法者の関心の対象となる。
 (2.5)人間が持っている、その他さまざまな欲求と感情(b)に対して、人があるものに対して快や不快を感じるべきだとか、感じるべきでないとか言ったりすることは、他人が侵害できない個々人独自の感性に対する不当で専制的な干渉である。
(3)ミルの考え
 (3.1) 義務や正・不正を基礎づけるものは、特定の情念や感情ではなく、経験や理論に基づく理性による判断であり、議論に開かれている。道徳論と感情は、経験と知性に伴い進歩し、教育や統治により陶冶される。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))
 (3.2)有害なものを避け、幸福を願う欲求(a)だけでなく、その他の欲求や感情(b)も、何が望ましいのかに関する理性による判断の要素ともなり得るし、経験や理論に基づく理性による判断を推進させている人間の諸動機の一つともなっている。

 「彼が見落としているのは、厳密な意味での人間本性の道徳的部分――完全性への欲求や是認したり非難したりする良心という感情――だけではない。彼は他のあらゆる理想的目的をそれ自体として追求することを人間本性に関する事実としてほとんど認識していない。廉恥心や個人の尊厳――すなわち他者の意見とは無関係に、あるいはそれに反抗して作用する個人の高揚や堕落の感情、芸術家の情熱である《美》への愛、あらゆる事物における《秩序》、適合、調和やそれらが目的にかなっていることへの愛、他の人間に対する力という狭い意味の力ではなく、私たちの意思を実現させる力である抽象的な《力》への愛、運動や活動に対する渇望であって、それと反対のものである安楽への愛にほとんど劣らない影響を人間の生に及ぼす信条である《行為》への愛。これらの人間本性の有力な構成要素のうちどれも「行為の動機」の中に位置を占める価値があると考えられていないし、これらのうちベンサムの著作のどこかでその存在を認知されていないものはおそらくひとつもないだろうが、そうした認知に立脚している結論はひとつもない。もっとも複雑な存在である人間も彼の目にはきわめて単純な存在に映っている。共感という項目においてすら、彼の理解はより複雑な形態をとっているその感情――《愛すること》への愛、すなわち同情的な支持や賞賛したり崇敬したりする対象を必要とすること――までは及んでいない。仮に彼が人間本性のうちのより深遠な感情のいずれかについて熟考したとしても、それは単に奇特な趣向とみなされ、それが引き起こすかもしれない行為のうち有害なものを禁じる以外には、道徳論者も立法者も関心を示すことがないようなものとみなされた。人があるものに対して快を感じるべきだとか感じるべきでないとか、別のものに対して不快に思うべきだと言ったりすることは、政治的支配者の場合と同じように、道徳論者の場合にも専制的行為であると彼には思われた。
 (偏狭で感情的な敵対者がこのような場合にしがちなように)人間本性に関するこの描写がベンサム自身を模写したものであると推測するとしたら、また、彼が動機表から除いた人間性の構成要素のすべてが彼の脳中に欠けていたと推定するとしたら、それは彼に対してきわめて不当であろう。徳に対して彼が若い頃に抱いていた感情の並外れた強さは、すでにみたように、彼のあらゆる思索の発端となったものであったし、道徳、とりわけ正義に関する気高い感覚が彼のあらゆる思索を導き、そこに浸透している。しかし、人類(というよりむしろ感覚をもつあらゆる存在)の幸福を、それ自体として望ましい唯一のものとして、あるいはそれ以外のあらゆるものを望ましいものにする唯一のものとして想定することを若い頃から習慣としてきたために、彼は自分の中に見出したあらゆる私欲のない感情を人類の幸福を願う感情と混同していた。それは、宗教的著述家たちの幾人かが、おそらく人間にはこれ以上できないほどの強さで徳をそれ自体として愛していたが、習慣的にその徳に対する愛を地獄に対する恐怖心と混同したのと同じであった。しかし、長い間にわたる慣習によっていつも同じ方向に作用するようになっている感情を相互に区別するためには、ベンサムがもっていた以上の繊細さが必要とされただろう。彼は想像力を欠いていたので、この区別が十分に分かりやすい場合でも、他者の心の中にあるこの区別を読み取ることができなかった。
 それゆえに、このような重大な見落としをしているという点に関しては、彼から受けた知的恩恵の大きさゆえに彼の弟子とみなされてきている才能ある人々のうちで、彼にしたがう人は誰もいなかった。彼らは功利性の理論について、また正・不正の一つの判断基準として道徳感覚を認めることを拒否するということについては、彼に従っていたかもしれない。しかし、そのようなものとしての道徳感覚は否定しながら、彼らはハートリとともにそれを人間本性における一つの事実として是認し、それに説明を与え、その法則を確定しようと努めてきた。私たちの本性のこの部分を過小評価していたとして彼らを非難することも、それを思索の後方へ押しやりがちであるとして彼らを非難することも正当ではない。この基本的な誤りの何らかの影響が彼らにまで及んでいるとしても、それは迂回的に、ベンサムの理論の他の部分が彼らの精神に与えた結果としてである。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『ベンサム』,集録本:『功利主義論集』,pp.128-130,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:完全性への欲求,秩序と調和への愛,良心の感情,愛することへの愛,個人の尊厳の感情,廉恥心)

功利主義論集 (近代社会思想コレクション05)


(出典:wikipedia
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)

ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)
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