義務や正・不正を基礎づけるもの
【義務や正・不正を基礎づけるものは、特定の情念や感情ではなく、経験や理論に基づく理性による判断であり、議論に開かれている。道徳論と感情は、経験と知性に伴い進歩し、教育や統治により陶冶される。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】(1)利害関心がもたらす偏見や、情念が存在する。
(2)「義務」とは何か、何が「正しく」何が「不正」なのかに関する、私たちの考えが存在する。
(3)(1)偏見や情念と、(2)義務は一致しているとは限らない。
(4)義務の起源や性質に関する、以下の二つの考え方があるが、(a)は誤っており(b)が真実である。
(a)私たちには、「道徳感情」と言いうるような感覚が存在し、この感覚によって何が正しく、何が不正なのかを判定することができる。
(a.1)その感覚を私心なく抱いている人にとっては、それが感覚である限りにおいて真実であり、(1)の偏見や情念と区別できるものは何もない。
(a.2)その感覚が自分の都合に合っている人は、その感覚を「普遍的な本性の法則」であると主張することができる。
(b)何が正しく、何が不正なのかの問題は、議論に開かれている問題であり、他のあらゆる理論と同じように、証拠なしに受け入れられたり不注意に選別されたりするようなものではない。
(b.1)ある見解が受け入れられるかどうかは、理性による判断である。
(5)以上から、どのように考えどのように感じる「べき」なのかという問題が生じ、人類の見解や感情を、教育や統治を通じて陶冶していくということが、意義を持つ。
(5.1)道徳論は、不変なものではなく、人類の経験がより信頼に値するものとなり増大していくことで、知性とともに進歩していくものである。
(5.2)倫理問題に取り組む唯一の方法は、既存の格率を是正したり、現に抱かれている感情の歪みを正したりすることを目的とした、教育や統治である。
「道徳感情の教育を任されている人々にとって、道徳感情の起源や性質に関する正しい見解が重要性をもっていることは言うまでもない。道徳論が不変的な理論体系なのか進歩的な理論体系なのかは、道徳感覚の理論の真偽にかかっていると言えるだろう。
もし何が正しく何が不正であるのかを判定する感覚が人間に与えられているということが真実だとしたら、人間の道徳判断や道徳感情には改善の余地がなくなり、とどまるべきところにとどまっていることになる。
人類一般は自分たちの義務という主題についてどのように考えどのように感じる《べき》なのかという問題は、偏見をもたらす利害関心や情念がないとしたら、人間が今どのように考えどのように感じるかを観察することによって決定されなければならない。
それゆえ、教育や統治を通じて主に自分たちで人類の見解や感情を形成することを今まで行なってきた人々にとって、これは注目すべき理論である。この理論体系に基づけば、一般的な偏見はそれに私心なく囚われている人々によって、あるいはそれが自分の都合に合っている人々によって、どのような時にも私たちの普遍的な本性の法則にまで高められることになるだろう。
それに対して、功利性の理論によれば、私たちの義務とは何かという問題は、他のあらゆる問題と同じく議論に開かれている問題である。道徳理論は他のあらゆる理論と同じように、証拠なしに受け入れられたり不注意に選別されたりするようなものではない。他のあらゆる問題と同じように、ある見解がどれほど受け入れられていても、その見解にではなく涵養された理性による判断に訴えるのである。
人間の知性の弱さや私たちの本性におけるその他の欠点は、他のあらゆる関心事の場合と同じように、私たちが道徳について正しく判断を下そうとする場合に障害になると考えられている。
他のあらゆる問題に関するのと同じように、この問題に関する私たちの見解では、経験がより信頼に値するものとなり増大していくことで知性が進歩し、人類の状態が変化していくことで行為の規則を変更することが必要となるにつれて、大きく変わっていくことが予想される。
それゆえ、この問題はきわめて重要なものである。そして、既存の格率を是正したり現に抱かれている感情の歪みを正したりすることを《目的とした》、倫理問題に取り組む唯一の方法が抗議の声によってかき消されないようにすることは、人類のもっとも重要な利益に深く関係している。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『セジウィックの論説』,集録本:『功利主義論集』,pp.72-73,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:義務,正・不正,情念,感情,道徳論)
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(出典:wikipedia)
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(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)
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