2019年9月8日日曜日

良い統治の一条件として、社会を構成する人々の資質のうち活動的資質の例:権利や利益を自ら守り、害悪からの防衛能力を持ち、単に他者に依存するのではなく、自立した個人として他者と協力すること。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

国民の活動的資質

【良い統治の一条件として、社会を構成する人々の資質のうち活動的資質の例:権利や利益を自ら守り、害悪からの防衛能力を持ち、単に他者に依存するのではなく、自立した個人として他者と協力すること。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】

(4.3)追記。

良い統治とは何か
(1)統治とは、人間の行う行為に他ならない。
 (a)統治担当者
 (b)統治担当者を選ぶ人々
 (c)統治担当者が責任を負っている人々
 (d)以上の人々すべてに、意見によって影響を与え牽制を加える人々

(2)良い統治体制を選択する諸条件
  良い統治体制を選択するための諸条件は、(a)体制を維持できる国民の最低限の資質、(b)進歩の障害を克服できること、(c)既存の良いものを壊さないこと、(d)次の次の段階を考えること。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))
 (a)体制を維持できる国民の最低限の資質
  統治体制を維持できる基礎的な資質が、国民にあること。
 (b)進歩の障害を克服するできること
  その国民の欠点や短所の中で、進歩に直接的な障害となるものを見分け、その障害を乗り越えるために必要なものを、国民に与える傾向が最も強い統治形態を、選択する。
 (c)既存の良いものを壊さないこと
  改善や進歩を目的とする場合、既に手に入れているものに損害を与えないようにする。
 (d)次の次の段階を考えること
  一国民を進歩の次の段階に前進させるのに最も効果的な統治形態でも、さらにその次の段階に対して、障害となる、あるいは、国民を明らかに不適合にしてしまうのであれば、その統治形態は、やはりきわめて不適当なものである。

(3)統治体制が、国民自身の徳と知性を育成し、促進する特性を持っていること。
  統治体制が、国民自身の徳と知性を育成する特性を持っていることが、最も重要である。この特性を持つ体制は、、国民を育成し、国民によって維持、発展させられ、諸々の優れた資質を統治機構へと組織化できる。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))
 (a)国民の徳と知性を育成できる統治体制
  この特性が満たされている統治体制は、他のあらゆる点でも最善である可能性が十分にある。なぜなら、国民の徳と知性が良い統治を維持、発展させ、良い統治がさらに国民の徳と知性を促進するという良い循環が生まれるからである。

(4)社会を構成する人々に、徳と知性があること。
 (4.1)道徳的資質
  自分勝手な自己利益だけを各人が重要視して、社会全般の利益でもあるような自分の利益には注目したり関心を持ったりしないならば、よい統治は望みえない。
 (4.2)知的資質
  人々が、無知蒙昧や有害な偏見の寄せ集めに過ぎないならば、よい統治は望みえない。
 (4.3)活動的資質
  被治者の高い資質は、統治機構を動かす駆動力を与える。
  (a)どの人間の権利や利益にしても、なおざりにされるのを確実に防止できるのは、当人がそれらの権利や利益を守ることができ、また、つねに守ろうという気持ちを持っている場合に限られる。
  (b)他者の手による害悪からの防護が確実になるのは、もっぱら、自己防衛の能力を持ち、その能力を行使することに比例する。
  (c)自然との闘いで高度な成功が確実になるのは、もっぱら、他者が自分のためにしてくれる物事に頼るのではなく、自立して自分から個人として、あるいは他者と協力してできる物事を頼りにすることに比例する。

(5)継続的進歩を真に確保する唯一のものである諸々の影響力の対立を維持すること。
 (a)社会全般の繁栄は、それを促進するために動員される個人の活力の量や多様性に比例して高度になり広汎になる。
 (b)いったん確立したものが神聖化されれば、改善への障壁となる。
 (c)才能と道徳感情において最も卓越した人々が、保護されること。
 (d)社会的に権威のある意見や道徳観であっても、自由な批判が許され、いっそう優れた意見や道徳観への進歩の道が閉ざされないこと。

(6)統治機構それ自体が高い質を持っていること。
  国民全体の徳と知性を育成することと共に重要なことは、社会成員のうちの優れた資質を、統治機構に組織化することである。代議制は、最も賢明な社会成員の資質に、統治のための大きな影響力を与える方法である。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))
 統治機構が、一定時点に現存する諸々の優れた資質を活用し、それらの資質を正しい目的のための手段としている。
 (a)集団的事業のために、個々の社会成員に現存する優れた資質の一定部分を組織化する。
 (b)代議制は、社会に現存している平均水準の知性と誠実さを、最も賢明な社会成員の個々の知性や徳とともに、統治体制に集約する方法である。
 (c)代議制は、最も賢明な社会成員の資質に、統治のための大きな影響力を与える方法である。

 「言うまでもないが、理想の上での最善の統治形態が意味するのは、文明のどんな状態でも実施可能であるとか実施に適している統治形態ということではなく、実施可能で実施に適している環境において、現時点でも将来的にも最大限の有益な結果をもたらす統治形態である。全面的に民主政的な統治体制は、こうした性格のものだとあらゆる面から主張できる唯一の政体である。それは、政体の優秀性を二つの部門に分ける観点から見て、どちらの部門でも優秀である。他のどんな政体と比べても、現時点でのよい統治という点でまさっているし、また、いっそうすぐれた高度な形の国民性を促進する。
 現時点での有益な結果という点でまさっているのは、二つの原理によってである。いずれも、人間生活に関して成立可能なあらゆる一般命題と同程度に、普遍的な真理であって普遍的に適用可能である。第一の原理は、どの人間の権利や利益にしても、なおざりにされるのを確実に防止できるのは、当人がそれらの権利や利益を守ることができ、また、つねに守ろうという気持ちを持っている場合に限られる、ということである。第二の原理は、社会全般の繁栄はそれを促進するために動員される個人の活力の量や多様性に比例して高度になり広汎になる、ということである。
 ここでの応用に合わせて、より具体的にこれら二つの命題を述べ直すとこうなる。他者の手による害悪からの防護が確実になるのは、もっぱら、自己《防衛》の能力を持ちその能力を行使することに比例する。また、自然との闘いで高度な成功が確実になるのは、もっぱら、他者が自分のためにしてくれる物事に頼るのではなく《自立して》自分から個人としてあるいは他者と協力してできる物事を頼りにすることに比例する。
 各人は自分の権利と利益の唯一確実な守り手であるという第一の命題は、思慮の基本原則の一つであり、自分のことを自分でできるあらゆる個人が、どんなことに関心を持つにしても、暗黙のうちに行動原則としているものである。たしかに、多くの人々は、これが政治原則になっている場合は大いに嫌悪し、すべての行動を利己的なものとみなす理論だと非難することに賛同する。それに対してはこう答えてよいだろう。人間は概して他者よりも自分を優先し、縁遠い人々よりも身近な人々を優先する、ということが真理でなくなるときはいつでも、それ以降は、共産主義が実行可能となるばかりでなく、唯一擁護可能な社会形態にもなるのであり、その時点が到来すれば間違いなく実現されるだろう。私自身としては、すべての行動が利己的だとは考えていないので、人類のエリートの間でなら現在ですら共産主義は実行可能であり、人類の他の部分でも実行可能となっていくかもしれない、と認めるのは困難ではない。しかしこの見解は、自己利益が概して優勢だとする理論を非難しつつ既存制度を擁護する人々には、必ずしも人気があるわけではない。とすると、こうした人々は〔利己性の克服を前提としている共産主義を非現実的と批判しているのだから〕実際には、大方の人間の配慮は他人よりも自分を優先させている、と信じているのではと考えたくなる。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『代議制統治論』,第3章 理想の上で最善の統治形態は代議制統治である,pp.50-52,岩波書店(2019),関口正司(訳))
(索引:良い統治,活動的資質)

代議制統治論


(出典:wikipedia
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)

ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)
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