2018年1月13日土曜日

外部感覚だけでなく、それがより広い範囲の身体に影響を与えて生じた共通感覚もまた、記憶され、想像力の対象となる。(ルネ・デカルト(1596-1650))

共通感覚の記憶

【外部感覚だけでなく、それがより広い範囲の身体に影響を与えて生じた共通感覚もまた、記憶され、想像力の対象となる。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 ある特定の外部感覚の原因となった身体の能動が、より広い範囲の身体に影響を与えて生じた共通感覚もまた、外部感覚と同じように、身体に印象づけられ、これらの印象は外部感覚がなくても、それら自体だけでも形や観念を生じさせる(想像力)ようなものとして、身体に把持されている(記憶)。
 「第三に、共通感覚もまた、外部感覚からして物体の助けを借らずにただ自体だけで到来するところのこれら形または観念をば、あたかも印章が蝋に印するごとくに、想像または想像力(phantasia vel imaginatio)の中へ印象づける働きをする、と考うべきである。そして、この想像は、現実の身体部分であって、それのさまざまな部分は、互いに区別された多くの形を受け容れるだけの大きさをもっており、通常それらの形を長く把持する――この時それは記憶と呼ばれる――と考うべきである。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、p.75、[野田又夫・1974])
(索引:共通感覚、想像力、記憶)

精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)



ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

ルネ・デカルト(1596-1650)
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ある特定の外部感覚は、その原因となる身体の能動が、より広い範囲の身体に影響を与え、これら身体の能動を精神において受動する共通感覚を生じる。(ルネ・デカルト(1596-1650))

共通感覚

【ある特定の外部感覚は、その原因となる身体の能動が、より広い範囲の身体に影響を与え、これら身体の能動を精神において受動する共通感覚を生じる。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 「第二に、外部感覚が対象によって動かされる時、それが受け取る形は、身体の或る他の部分すなわち共通感覚(sensus communis)と呼ばれる部分へ、同一瞬間に、かつその際何か実在的なものが一方から他方へ移り行くことなしに、移される、と考うべきである。あたかも、今私が字を書いている時、各々の文字が紙上に記されると同じ瞬間に、ペンの下部が動かされるのみならず、この部分のいかに小さな運動でも必ず同時にペンの全体にも及び、しかして、一端から他端へ何か実在的なものが移り行くのでないことが分かっているにも拘わらず、その運動のすべての差異はペンの上部によってもまた空中に描かれる、ということを私が理解するようなものである。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、p.74、[野田又夫・1974])
(索引:共通感覚、外部感覚)



精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)



ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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対象に注意を向けるのは能動であるにしても、外部感覚は精神の受動である。(ルネ・デカルト(1596-1650))

外部感覚

【対象に注意を向けるのは能動であるにしても、外部感覚は精神の受動である。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 「そこで第一にこう考うべきである、あらゆる外部感覚は、それらが身体の部分である限りにおいては、たとえそれらを対象に向けるのは能動(actio)すなわち場所的運動によるにしても、それらが本来の意味で「感覚する」(sentire)のはただ受動(passio)による、しかも蝋が印章から形(figura)を受け取るごとくする、と。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、p.73、[野田又夫・1974])
(索引:外部感覚)


精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)



ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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想像が、多数のさまざまな運動の原因となる。(ルネ・デカルト(1596-1650))

想像と運動

【想像が、多数のさまざまな運動の原因となる。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 「第四に、運動力或いは神経そのものも、みずからの源を脳髄に有し、ここに宿れる想像によってさまざまに動かされる――あたかも共通感覚が外部感覚によって動かされまたはペンの全体が下部によって動かされるように――と考うべきである。しかしてこの例はまた、いかようにして想像が、神経における多数の運動の原因たりうるか――この時想像の中にはこれらの運動の像が印せられているのでなく、何か他の像があってさような運動を起こすのである――をも、明らかにする。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、p.75、[野田又夫・1974])
(索引:行動、想像)

精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)



ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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意志のひとつとして、身体において終結する能動がある。(ルネ・デカルト(1596-1650))

行動

【意志のひとつとして、身体において終結する能動がある。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
「第二は、身体において終結する能動で、たとえば、散歩をする意志を持つことだけで脚が動き歩行がなされる場合。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『情念論』第一部 一八、p.21、[谷川多佳子・2008])
(索引:行動)

情念論 (岩波文庫)




ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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問題となっている対象を表わす抽象化された記号を、紙の上の諸項として表現する。次に紙の上で、記号をもって解決を見出すことで、当初の問題の解を得る。(ルネ・デカルト(1596-1650))

紙の上の能動

【問題となっている対象を表わす抽象化された記号を、紙の上の諸項として表現する。次に紙の上で、記号をもって解決を見出すことで、当初の問題の解を得る。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 いまや、紙に書き留めておくことのできるものは、記憶に委ねない。われわれは、問題の諸項を、最初に示された通りに書き込む。次いで、それらの項がいかなる仕方で抽象されたか、いかなる記号によって表示されているか、を書く。かくしてこの記号を以って解決を見出した後、われわれはその解決を、容易に、記憶の助力を少しも借らずして、始め問題となっていた特殊な主体に適用しうるであろう。
 「今や一般的に、絶えざる注意を必要とせずかつ紙に書きとめておくことのできる事物は、決して記憶に委ねないように、注意すべきである。すなわち、不必要な記憶の努力が、われらの精神の一部を、現前の対象の認識からはずれさせることのないようにすべきなのである。そして一覧表を作るべきである。――これへわれわれは、問題の諸項を、最初に示された通りに書き込む。次いで、それらの項がいかなる仕方で抽象されたか、いかなる記号によって表示されているか、を書く。かくしてこの記号を以って解決を見出した後、われわれはその解決を、容易に、記憶の助力を少しも借らずして、始め問題となっていた特殊な主体に適用しうるであろう。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一六、pp.127-128、[野田又夫・1974])
(索引:紙の上の諸項、記憶、抽象、記号)

精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)



ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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未だ、量子論が提示した新たな世界像は、正しく理解されているとは言い難い。新しい人文科学のための枠組み作りのために、自然科学と人文科学、両方の要素を学ぶことが必要である。(ロバート・P・クリース(1953-))

ソーカル事件

【未だ、量子論が提示した新たな世界像は、正しく理解されているとは言い難い。新しい人文科学のための枠組み作りのために、自然科学と人文科学、両方の要素を学ぶことが必要である。(ロバート・P・クリース(1953-))】
 かつて、ニュートン物理学の成功が、いわゆる「近代性」と呼ぶのがふさわしいような、科学的で工業的な文化の基礎的な考え方を醸成した。しかし、量子論が提示した新たな世界像は、未だ一般の人々には、正確に理解されるに至っていないように思われる。むしろ、ソーカル事件において露呈したように、科学を理解していない者や、反科学的な立場の者が、恣意的にその言葉を使用し、状況を混乱させている。これからの私たちには、新しい人文科学のための枠組み作りのために、自然科学と人文科学、両方の要素を学ぶことが必要である。
 「量子論の用語とイメージを理解し、その面白さを味わう――ことは、今日において教養人である条件のひとつだ。そのためには、自然科学と人文科学、両方の要素を学ぶことが必要である。そのような教育を可能にするためには、伝統的な学問分野の境界をいくつも越えることが必然的に伴うが、現代世界の教育はじつにもつれた状態にある。量子のモーメントと正面から向き合うには、二一世紀の人文科学のための新しい枠組み作りが不可欠なのだ。
 第1章で、歴史家のベティー・ダブスとマーガレット・ジェイコブの「ニュートン的モーメント」は「現在、ほとんどの西洋人と、一部の非西洋人が暮らしている、物質的かつ精神的で、工業的で科学的な宇宙、すなわち、『近代性』と呼ぶのがふさわしいもの」を提供したという言葉を引用した。だがこの宇宙は、少しずつ変化しつつある。そのあとにやってくるものを記述する正しい方法はどこにあるのか? よく使われる「ポストモダン」という言葉は、種々雑多な人々がいろいろな意味であまりに無造作に使っているので、私たちは好きではない。それにこの言葉は、第8章でも見たが、あの名高いソーカル事件が露呈したように、科学を理解していない者や反科学的な立場の者も好んで使っているのにも辟易する。今の科学が、このポスト・ニュートン的文化の宇宙の枠組みに密に織り込まれていることは明らかで、これと取り組みたいと望むものはみな、この事実を直視しなければならない。ニュートン的モーメントの次にやってくるものを記述する正しい言葉は「量子のモーメント」なのだろうか? 私たちは学生たちにこう問いかける。」
(ロバート・P・クリース(1953-)&アルフレッド・シャーフ・ゴールドハーバー『量子モーメント』(日本語書籍名『世界でもっとも美しい量子物理の物語』)結び 新しいモーメント、pp.431-432、日経BP(2017)、吉田三知世(訳))
(索引:フルーツルーパリー、ソーカル事件)


世界でもっとも美しい量子物理の物語――量子のモーメント



(出典:wikimedia
ロバート・P・クリース(1953)
Robert P. Crease
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フルーツルーパリー(fruitloopery)とは、意味もわからず偉ぶって科学用語を持ち出して、間違った使い方をしているのを指す。広告、自己啓発本、アマチュア哲学、似非科学に現われる。(ロバート・P・クリース(1953-))

フルーツルーパリー

【フルーツルーパリー(fruitloopery)とは、意味もわからず偉ぶって科学用語を持ち出して、間違った使い方をしているのを指す。広告、自己啓発本、アマチュア哲学、似非科学に現われる。(ロバート・P・クリース(1953-))】
 フルーツルーパリー(fruitloopery)とは、意味もわからず偉ぶって科学用語を持ち出して、間違った使い方をしているのを指す。広告、自己啓発本、アマチュア哲学、似非科学に現われ、「量子(クォンタ)」、「タキオン」、「振動(波動)エネルギー」、「再構成水」などの言葉が、しばしば使われる。
 「イギリスの科学雑誌、《ニュー・サイエンティスト》は、意味もわからず偉ぶって科学用語を持ち出して、間違った使い方をしているのを指して「フルーツルーパリー(fruitloopery)」と呼ぶ。そもそもこの言葉は、妙な比喩として使われ始めた。「フルーツループ」とは、一九六六年にケロッグ社が販売を始めた朝食用シリアルで、フルーツのような香りがする色とりどりの小さなリング状のシリアルだ。」(中略)「「フルーツルーパリー」は、広告のなかで科学が、検証不可能なかたちで使われたり、前後関係から完全に外れた使われたりする様子を指して、《ニュー・サイエンティスト》が独自に使う用語となった。フルーツルーパリーの可能性を見わける指標としては、「量子(クォンタ)」、「タキオン」、「振動(波動)エネルギー」、あるいは、「再構成水」などの言葉があり、これらが組み合わされている場合は特にあやしい。私たちの講義では、意味をさらに拡張し、広告のみならず、自己啓発本、アマチュア哲学、似非科学に現われる、偉ぶっているくせに間違っている科学用語を指すのに、この「フルーツルーパリー」という用語を使う。
 物理学は、文化のなかで高い地位を占めているため、ほかの分野よりも「フルーツルーパリー」を刺激することが多い。あなたがペテン師で、何かを売り込もうとしているとき、それを物理学に結びつければ、それは深遠で信頼性が高いと思わせることができる。」
(ロバート・P・クリース(1953-)&アルフレッド・シャーフ・ゴールドハーバー『量子モーメント』(日本語書籍名『世界でもっとも美しい量子物理の物語』)第8章 ずたずたになったリアリティ、pp.261-262、日経BP(2017)、吉田三知世(訳))
(索引:フルーツルーパリー)


世界でもっとも美しい量子物理の物語――量子のモーメント



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標準模型:強い相互作用、弱い相互作用、電磁相互作用の3つの基本的な相互作用を記述するための理論である標準模型の予測は、これまでことごとく実証されている。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

標準模型

【標準模型:強い相互作用、弱い相互作用、電磁相互作用の3つの基本的な相互作用を記述するための理論である標準模型の予測は、これまでことごとく実証されている。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))】
 強い相互作用、弱い相互作用、電磁相互作用の3つの基本的な相互作用を記述するための理論である標準模型の予測はことごとく実証されていった。素粒子をめぐる数々の物理学的実験は、今日までの三〇年以上にわたり、つねに標準理論の正しさを裏づけてきた。直近の例としては、二〇一三年に世界中を騒がせた、ヒッグス粒子の発見が挙げられる。
 「はじめのうち、標準模型は学者たちから、あまりまともに相手にされていなかった。標準模型には、どこか間に合わせの理論といった風情があったからである。この理論は、一般相対性理論や、マクスウェルとディラックの方程式が備えていた、透きとおるような単純さとは無縁だった。しかし、大方の予想に反して、標準模型の予測はことごとく実証されていった。素粒子をめぐる数々の物理学的実験は、今日までの三〇年以上にわたり、つねに標準理論の正しさを裏づけてきた。なかでも重要なのが、カルロ・ルッビア率いるイタリア人チームによる、Z粒子とW粒子の発見である。ルッビアはこの業績のために、一九八四年にノーベル賞を受賞している。直近の例としては、二〇一三年に世界中を騒がせた、ヒッグス粒子の発見が挙げられる。ヒッグス粒子は、理論を機能させるために導入された標準模型の場のひとつであり、やや作為的な存在と見なされていた。しかし、ヒッグス粒子は実際に観測され、まさしく標準模型が予測したとおりの性質を備えていた(ちなみに、この粒子を「神の粒子」と呼ぶ向きもあるが、それはあまりにばかばかしい呼称である)。このとおり、量子力学の領域において構築された「標準模型」は、その素朴で飾り気ない名称にもかかわらず、華々しい大勝利を収めてきた。」
(カルロ・ロヴェッリ(1956)『現実は私たちに現われているようなものではない』(日本語名『すごい物理学講義』)第2部 革命の始まり、第4章 量子――複雑奇怪な現実の幕開け、pp.128-129、河出書房新社(2017)、竹内薫(監訳)、栗原俊秀(訳))


すごい物理学講義


カルロ・ロヴェッリ(1956-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
カルロ・ロヴェッリ(1956-)
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現在の状況としては、量子力学にもとづく素粒子の標準模型と、一般相対性理論に基づく宇宙論的標準模型に反するような実験、観測結果は、未だ発見されていない。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

量子力学と一般相対論

【現在の状況としては、量子力学にもとづく素粒子の標準模型と、一般相対性理論に基づく宇宙論的標準模型に反するような実験、観測結果は、未だ発見されていない。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))】
 ヒッグス粒子の発見は、量子力学にもとづく素粒子の標準模型を支持する確固たる証拠である。また、人工衛星プランクの測定データは、一般相対性理論に基づく宇宙論的標準模型に反するようなデータを、何ももたらさなかった。一方、超ひも理論が予言する超対称性粒子は、未だ発見されていない。これが、現在の状況である。
 「本書で紹介してきた理論のほかに、現在もっとも盛んに研究されているのは、いわゆる「超ひも理論」である。ジュネーヴに拠点を置くCERN(欧州原子核研究機構)は、LHC(大型ハドロン衝突型加速器)と呼ばれる新型の素粒子加速器を擁している。超ひも理論の分野(またはその関連分野)の研究に取り組んでいる物理学者の大部分は、LHCが実用化されるなり、超ひも理論が要請する未発見の粒子、つまり超対称性粒子が観測されるだろうと想定していた。超ひも理論が成り立つためには、この粒子の存在が確認されなければならず、そのため「ひも論者」たちは、超対称性粒子の発見を期待していたのである。一方のループ量子重力理論は、超対称性粒子が存在しなくとも問題なく成立する。こうしたわけで「ループ論者」たちはむしろ、この粒子は見つからないだろうと予測していた。
 LHCが稼働してから現在にいたるまで、超対称性粒子は観測されていない。この結果は、多くの研究者に深い失望をもたらすところとなった。二〇一三年にヒッグス粒子の存在が確認されたときの大騒ぎが、この失望をなおのこと際立たせている。超対称性粒子は、多くのひも論者が想定していたエネルギーの範囲内には存在していなかった。もちろんこれは、決定的な証拠ではない。わたしたちはまだ、決定的な答えからは遠く離れた場所にいる。しかしわたしには、二つの選択肢を前にした自然が、ループ論者に有利となるささやかな兆候を提供してくれたように思えてならない。
 素粒子物理学の分野において、二〇一三年に得られた重要な実験結果には、以下の二つが挙げられる。一つ目は、ジュネーヴのCERNでヒッグス粒子が確認されたことであり、この報せは世界中のマスメディアを賑わせた。二つ目は人工衛星プランクの測定データであり、それは二〇一三年にまとまった形で公開された。この二つが、自然が最近になってわたしたちに与えてくれた兆候である。
 この二つの結果のあいだには共通点がある。それはつまり、どちらもまったく驚きに値しない結果だったということである。ヒッグス粒子の発見は、量子力学にもとづく素粒子の標準模型を支持する確固たる証拠である。今回の発見は、三〇年前に発表された予測の正しさを裏づけている。「プランク」の測定結果は、宇宙項を加えた一般相対性理論にもとづく、宇宙論的標準模型を支持する確固たる証拠である。二つの結果は、最先端の技術と、莫大な費用と、多くの科学者の尽力のもとに得られたものである。ところがわたしたちは、二つの結果を前にして、あらかじめ抱いていた宇宙の発展経過のイメージを強化しただけだった。そこには何の驚きもなかった。むしろ、こうした驚きの欠如こそが、驚嘆に値するものだった。なぜなら、多くの研究者は驚きを待ち構えていたのだから。物理学者がCERNに期待していたのは、ヒッグス粒子ではなく超対称性粒子だった。物理学者の多くは、プランクの観測データと宇宙論的標準模型のあいだに、何らかの不一致が生じるものと期待していた。そうした不一致が、代替となるなんらかの宇宙論を、一般相対性理論にかわる新たな理論を提示してくれるのではないかと期待していた。
 現実は違った。自然がわたしたちに告げた内容はシンプルだった。「一般相対性理論と量子力学は正しい。量子力学の分野において、標準模型は正しい」。これですべてだった。」
(カルロ・ロヴェッリ(1956-)『現実は私たちに現われているようなものではない』(日本語名『すごい物理学講義』)第4部 空間と時間を超えて、第9章 実験による裏づけとは?、pp.210-212、河出書房新社(2017)、竹内薫(監訳)、栗原俊秀(訳))


すごい物理学講義


カルロ・ロヴェッリ(1956-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
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