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2018年6月7日木曜日

自由のいろいろな意味:(a)精神の不完全性からの自由、(b)必然に対立する精神の自由、(c)権利上の自由、(d)事実上の自由、(e)身体の自由(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

自由の意味

【自由のいろいろな意味:(a)精神の不完全性からの自由、(b)必然に対立する精神の自由、(c)権利上の自由、(d)事実上の自由、(e)身体の自由(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
(a) 精神の不完全性からの自由(情念への隷属からの自由)
(a.1) 強烈な情念に囚われているときには、必要とされる熟考をもって意志することができない。すなわち、情念に隷属しており、ある種の内的な強要と強制がある。
(a.2) 情念を超えて、知性による熟考と意志を働かせることができるとき、その程度に応じて情念から自由である。
(b) 必然に対立する精神の自由(自由意志)
(b.1) 知性が提示する、確実で間違いない最も強い諸理由に対してさえも、意志が偶然的であるのを妨げない。すなわち、知性は絶対的で言わば形而上学的な必然性を意志の働きに与えるわけではない。
(b.2) 知性は「確実で間違いのない仕方であっても、強いずに傾ける」。そして、意志が選択する。
 他にも、次のような自由の概念がある。
(c) 権利上の自由
 政治制度において、為すことが許されているという意味での自由。
(d) 事実上の自由
 権利上の自由の有無とは別に、意志する事柄を実際に為す力能があるという意味での自由。一般的に言えば、より多くの手段をもつ者が、意志する事柄をより自由に為す。
(e) 身体の自由
 身体が拘束されていたり、病気になったりしておらず、意志どおりに動かすことができるという意味での自由。
 「自由という名辞は甚だ曖昧です。権利上の自由もあれば事実上の自由もあります。権利上の見地からすれば、奴隷は自由ではないし、臣下が全面的に自由であるわけではないけれども、貧しき者も富める者と同程度に自由ではあるのです。事実上の自由は、意志する[欲する]事柄を為す力能ないし然るべく意志する[欲する]力能に存します。あなたが語っているのは為す自由で、それには程度と多様性があります。一般的に言えば、より多くの手段をもつ者が、意志する[欲する]事柄をより自由に為すのです。しかし自由は個別的には、私たちの思うままにできるのが常であるような諸事物の使用、特に私たちの身体の使用について理解されています。ですから、牢獄や病気は、私たちが意志して通常与えうる運動を身体や四肢に与えるのを妨げ、私たちの自由を奪い取るのです。そういうわけで、囚人は自由でないし、麻痺患者は自分の四肢を自由に使用できないのです。意志する自由はさらに二つの異なった意味に解されています。ひとつは、精神の不完全性ないし隷属に対立させる場合の自由。この不完全性ないし隷属は強要とか強制ではあるけれども、情念に由来するものがそうであるように内的なものです。もうひとつの意味は、自由を必然に対立させる場合に生じます。第一の意味では、ストア派の人々は賢者のみが自由だと言っていました。それに実際、強烈な情念にとらわれているときには、人は自由な精神をもっていません。そういうときは、然るべく意志すること、つまり必要とされる熟考をもって意志することができないからです。かくて、神のみが完全に自由であり、被造的精神は情念を超えている程度に応じて自由であるにすぎません。したがって、この自由はまさしく私たちの知性に関わっているのです。しかし、必然に対立する精神の自由は、知性と区別される限りでの裸の意志に関わっています。これが自由意志と呼ばれ、次のことに存します。すなわち、知性が意志に提示する最も強い諸理由ないし刻印でさえ意志の働きが偶然的であるのを妨げず、絶対的でいわば形而上学的な必然性を意志の働きに与えるわけではないと認めることです。確実で間違いのない仕方であっても、強いずに傾けるという仕方で、表象と理由が優位を占めるに応じて、知性は意志を決定しうる、と私が日頃から言っているのも、今述べたような意味においてです。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『人間知性新論』第二部・第二一章[八]、ライプニッツ著作集4、pp.199-201、[谷川多佳子・福島清紀・岡部英男・1993])
(索引:自由の意味)

認識論『人間知性新論』 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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