命題集 ルネ・デカルト(1596-1650) (3)情念論
7.情念論
・
・
・
《目次》
7.1〈驚き〉
7.1.1〈驚き〉の過剰としての〈恐怖〉
7.1.2 大きいものへの〈驚き〉:〈重視〉
7.1.3 小さいものへの〈驚き〉:〈軽視〉
7.1.4 〈善〉または〈悪〉をなしうる自由な原因への〈重視〉:〈崇敬〉
7.1.5 〈善〉または〈悪〉をなしうる自由な原因への〈軽視〉:〈軽蔑〉
※ 〈善〉〈悪〉については、後述する。
7.2〈快〉と〈嫌悪〉
7.2.1〈美〉と〈美への愛〉(快)
7.2.2〈醜〉と〈醜への憎しみ〉(嫌悪)
7.2.3〈広義の美〉と〈美への愛〉(快)
7.2.4〈広義の醜〉と〈醜への憎しみ〉(嫌悪)
7.2.5〈善〉と〈善への愛〉
7.2.6〈悪〉と〈悪への憎しみ〉
7.3 わたしたちの状況・行為、他の人たちの状況・行為による〈善〉〈悪〉の感受
7.3.1 わたしたちの現在の状況による〈善〉と〈悪〉の感受:〈喜び〉〈悲しみ〉
7.3.2 わたしたちの未来による〈善〉と〈悪〉の感受:〈欲望〉
7.3.3 わたしたち自身によって過去なされた行為による〈善〉と〈悪〉の感受:〈内的自己満足〉〈後悔〉
7.3.4 わたしたち自身によって過去なされた行為や現在のわたしたちに関する、他の人たちの意見による〈善〉と〈悪〉の感受:〈誇り〉〈恥〉
7.3.5 他の人たちによってなされた行為による〈善〉と〈悪〉の感受:〈好意〉〈感謝〉〈憤慨〉〈怒り〉
7.3.6 他の人たちの現在の状況や未来に生じる状況による〈善〉と〈悪〉の感受:〈喜び〉〈うらやみ〉〈笑いと嘲り〉〈憐れみ〉
7.3.7 その他の〈善〉と〈悪〉の感受:〈倦怠〉〈いやけ〉〈心残り〉〈爽快〉
7.4 〈善〉〈悪〉〈美〉〈醜〉と、情念の関係
7.5 真なる〈善〉〈悪〉、偽なる〈善〉〈悪〉にもとづく情念
7.6 さまざまな〈愛〉による〈美〉〈広義の美〉〈善〉の感受
7.6.1 〈美〉と〈美への愛〉(快) (再掲)
7.6.2 〈広義の美〉と〈美への愛〉(快) (再掲)
7.6.3 〈善〉と〈善への愛〉 (再掲)
7.6.4〈欲情の愛〉〈好意の愛〉による〈美〉〈広義の美〉〈善〉の感受。
7.6.5〈所有への愛〉〈対象そのものへの愛〉による〈美〉〈広義の美〉〈善〉の感受。
7.6.6〈愛着〉〈友愛〉〈献身〉による〈美〉〈広義の美〉〈善〉の感受。
7.7 欲望論
7.7.1 わたしたちの未来による〈善〉と〈悪〉の感受:〈欲望〉 (再掲)
7.7.2〈欲望〉の種類
7.7.3 〈安心〉〈希望〉〈不安〉〈執着〉〈絶望〉〈恐怖〉
7.8 自由意志論
7.9 徳
7.9.1 欲望は、真なる認識に従っているか
7.9.2 私たちに依存しないもの
7.9.3 私たちにのみ依存するもの、自由意志
7.9.4 意思決定に付随する情念:〈不決断〉〈大胆〉〈勇気〉〈対抗心〉〈臆病〉〈恐怖〉
7.9.5 過去の意思決定に付随する情念:〈良心の悔恨〉
7.9.6 徳とは何か?
7.9.7 徳に伴う情念、知的な〈喜び〉〈高邁〉
7.9.8 〈高邁〉の情念をもつ人々の関係
7.9.9 〈高邁〉とは異なる〈高慢〉、正反対の〈卑屈〉
7.1〈驚き〉
・
7.1.1〈驚き〉の過剰としての〈恐怖〉
7.1.2 大きいものへの〈驚き〉:〈重視〉
7.1.3 小さいものへの〈驚き〉:〈軽視〉
・
7.1.4 〈善〉または〈悪〉をなしうる自由な原因への〈重視〉:〈崇敬〉
7.1.5 〈善〉または〈悪〉をなしうる自由な原因への〈軽視〉:〈軽蔑〉
・
※ 〈善〉〈悪〉については、後述する。
・
※ 〈愛〉〈献身〉については、後述する。
7.2〈快〉と〈嫌悪〉
・
7.2.1〈美〉と〈美への愛〉(快)
視覚で与えられた対象に「快」を感じるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それが〈美〉であり、この快の情動を、〈美への愛〉という。快を感じさせるすべてのものが〈美〉であるわけではない。「それらはふつう、真理性がより少ない。したがって、あらゆる情念のうちで、最も欺くもの、最も注意深く控えるべきものは、これらの情念である。」情動と〈美〉とのこの関係性は、以下、情動と〈醜〉、〈善〉、〈悪〉との関係においても同様である。快と嫌悪の情念は、他の種類の愛や憎しみより、通例いっそう強烈であることだ。なぜなら、感覚が表象して精神にやってくるものは、理性が表象するものよりも強く精神を刺激するからである。
7.2.2〈醜〉と〈醜への憎しみ〉(嫌悪)
視覚で与えられた対象に「嫌悪」ないし「嫌忌」を感じるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。
7.2.3〈広義の美〉と〈美への愛〉(快)
※〈特殊感覚〉のうち聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚、〈表在性感覚〉(皮膚の触覚、圧覚、痛覚、温覚)、〈深部感覚〉(筋、腱、骨膜、関節の感覚)、〈内臓感覚〉(空腹感、満腹感、口渇感、悪心、尿意、便意、内臓痛など)、「精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想」によって、快の情動がもたらされる場合。
7.2.4〈広義の醜〉と〈醜への憎しみ〉(嫌悪)
※7.2.3と同様。
7.2.5〈善〉と〈善への愛〉
意志に依存するいっさいの想像、思考や理性がとらえた対象に「快」を感じるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それが〈善〉であり、この快の情動を、〈善への愛〉という。快を感じさせるすべてのものが〈善〉であるわけではない。
7.2.6〈悪〉と〈悪への憎しみ〉
意志に依存するいっさいの想像、思考や理性がとらえた対象に「嫌悪」ないし「嫌忌」を感じるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。
7.3わたしたちの状況・行為、他の人たちの状況・行為による〈善〉〈悪〉の感受
7.3.1 わたしたちの現在の状況による〈善〉と〈悪〉の感受:〈喜び〉〈悲しみ〉
・
わたしたちの現在の状況が「喜び」を感じさせるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。また、「悲しみ」を感じさせるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。
7.3.2 わたしたちの未来による〈善〉と〈悪〉の感受:〈欲望〉
・
わたしたち自身の現在の状況が、「喜び」を感じさせるとき、未来においてもそれを保存しようと「欲望」されるとき、そこには、私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。(善の保存の欲望)
わたしたち自身の現在の状況が、「悲しみ」を感じさせるとき、未来においてはそれを無くそうと「欲望」されるとき、そこには、私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。(悪の不在の欲望、改善の欲望)
わたしたち自身の予測される未来が、避けるべき未来として「欲望」されるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。(悪の回避の欲望)
わたしたち自身のめざすべき未来が、新たな未来の獲得として「欲望」されるとき、このめざすべき未来には私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。(善の獲得の欲望)
7.3.3 わたしたち自身によって過去なされた行為による〈善〉と〈悪〉の感受:〈内的自己満足〉〈後悔〉
・
意志に依存する想像、思考や理性がとらえた、わたしたち自身によって過去なされたことが、「内的自己満足」を感じさせるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。また、わたしたち自身によって過去なされたことが、「後悔」を感じさせるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。
7.3.4 わたしたち自身によって過去なされた行為や現在のわたしたちに関する、他の人たちの意見による〈善〉と〈悪〉の感受:〈誇り〉〈恥〉
・
わたしたち自身によって過去なされたことについての、または現在のわたしたち自身についての、他の人たちが持ちうる意見を考えるときに「誇り」を感じさせるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。また、他の人たちが持ちうる意見を考えるときに「恥」を感じさせるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。
・
7.3.5 他の人たちによってなされた行為による〈善〉と〈悪〉の感受:〈好意〉〈感謝〉〈憤慨〉〈怒り〉
・
・
意志に依存する想像、思考や理性がとらえた、他の人たちによってなされた行為が、「好意」を感じさせるとき、またその行為がわたしたちに対してなされ「感謝」を感じさせるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。
意志に依存する想像、思考や理性がとらえた、他の人たちによってなされた行為が、「憤慨」を感じさせるとき、またその行為がわたしたちに対してなされ「怒り」を感じさせるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。
・
7.3.6 他の人たちの現在の状況や未来に生じる状況による〈善〉と〈悪〉の感受:〈喜び〉〈うらやみ〉〈笑いと嘲り〉〈憐れみ〉
・
他の人たちの現在の状況や未来に生じる状況が「喜び」や「うらやみ」を感じさせるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。この〈善〉が、その人たちにふさわしいか、ふさわしくないかに応じて、「喜び」または「うらやみ」を感じる。
また、「笑いと嘲り」や「憐れみ」を感じさせるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。この〈悪〉が、その人たちにふさわしいか、ふさわしくないかに応じて、「笑いと嘲り」または「憐れみ」を感じる。
7.3.7 その他の〈善〉と〈悪〉の感受:〈倦怠〉〈いやけ〉〈心残り〉〈爽快〉
・
7.4〈善〉〈悪〉〈美〉〈醜〉と、情念の関係
・
・

(出典:wikipedia)
・
7.5 真なる〈善〉〈悪〉、偽なる〈善〉〈悪〉にもとづく情念
・
7.5.1 真なる〈善〉への〈愛〉〈喜び〉〈欲望〉〈内的自己満足〉〈誇り〉〈好意〉〈感謝〉〈喜び〉〈うらやみ〉、真なる〈美〉による〈快〉
・
7.5.2 真なる〈悪〉への〈憎しみ〉〈悲しみ〉〈欲望〉〈後悔〉〈恥〉〈憤慨〉〈怒り〉〈笑いと嘲り〉〈憐れみ〉、真なる〈醜〉による〈嫌悪〉
・
・
7.5.3 偽なる〈善〉への〈愛〉〈喜び〉〈欲望〉〈内的自己満足〉〈誇り〉〈好意〉〈感謝〉〈喜び〉〈うらやみ〉、偽なる〈美〉による〈快〉
・
・
7.5.4 偽なる〈悪〉への〈憎しみ〉〈悲しみ〉〈欲望〉〈後悔〉〈恥〉〈憤慨〉〈怒り〉〈笑いと嘲り〉〈憐れみ〉、偽なる〈醜〉による〈嫌悪〉
7.6 さまざまな〈愛〉による〈美〉〈広義の美〉〈善〉の感受
7.6.1〈美〉と〈美への愛〉(快) (再掲)
視覚で与えられた対象に「快」を感じるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それが〈美〉であり、この快の情動を、〈美への愛〉という。
7.6.2〈広義の美〉と〈美への愛〉(快) (再掲)
※〈特殊感覚〉のうち聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚、〈表在性感覚〉(皮膚の触覚、圧覚、痛覚、温覚)、〈深部感覚〉(筋、腱、骨膜、関節の感覚)、〈内臓感覚〉(空腹感、満腹感、口渇感、悪心、尿意、便意、内臓痛など)、「精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想」によって、快の情動がもたらされる場合。
7.6.3〈善〉と〈善への愛〉 (再掲)
意志に依存するいっさいの想像、思考や理性がとらえた対象に「快」を感じるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それが〈善〉であり、この快の情動を、〈善への愛〉という。
7.6.4〈欲情の愛〉〈好意の愛〉による〈美〉〈広義の美〉〈善〉の感受。
・
ある対象に「欲望」を感じるとき、それは、私たちの本性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈美〉〈広義の美〉〈善〉であり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。
ある対象に「好意」を感じ、その対象のために〈善〉を意志することを促されるとき、それは、私たちの本性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈善〉であり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。
7.6.5〈所有への愛〉〈対象そのものへの愛〉による〈美〉〈広義の美〉〈善〉の感受。
・
ある対象を「所有したい」と感じるとき、それは、私たちの本性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈美〉〈広義の美〉〈善〉であり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。例として、野心家が求める栄誉、主銭奴が求める金銭、酒飲みが求める酒、獣的な者が求める女。
ある対象を第二の自己自身と考えて、その対象にとっての〈善〉を自分の〈善〉のごとく求めるとき、あるいはそれ以上の気遣いをもって求めるとき、それは、私たちの本性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈善〉であり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。例として、有徳な人にとっての友人、よき父にとっての子供たち。
7.6.6〈愛着〉〈友愛〉〈献身〉による〈美〉〈広義の美〉〈善〉の感受。
・
ある対象に「愛着」を感じるとき、それは、自分以下に評価されている、私たちの本性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈美〉〈広義の美〉〈善〉であり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。例として、一つの花、一羽の鳥、一頭の馬。
ある対象に「友愛」を感じるとき、それは、自分と同等に評価されている、私たちの本性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈善〉であり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。例として、自分が真にけだかく高邁な精神を持つと考え、また仮に、相手が不完全であると考えても、その相手に対してきわめて完全な友愛を持ちえないことはない。
ある対象に「献身」を感じるとき、それは、自分よりも高く評価されている、私たちの本性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈善〉であり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。例として、神に対して、ある国に対して、ある個人に対して、ある君主に対して、ある都市に対して。
7.7 欲望論
7.7.1 わたしたちの未来による〈善〉と〈悪〉の感受:〈欲望〉 (再掲)
・
わたしたち自身の現在の状況が、「喜び」を感じさせるとき、未来においてもそれを保存しようと「欲望」されるとき、そこには、私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。(善の保存の欲望)
わたしたち自身の現在の状況が、「悲しみ」を感じさせるとき、未来においてはそれを無くそうと「欲望」されるとき、そこには、私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。(悪の不在の欲望、改善の欲望)
わたしたち自身の予測される未来が、避けるべき未来として「欲望」されるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。(悪の回避の欲望)
わたしたち自身のめざすべき未来が、新たな未来の獲得として「欲望」されるとき、このめざすべき未来には私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。(善の獲得の欲望)
7.7.2 〈欲望〉の種類
・
7.7.3 〈安心〉〈希望〉〈不安〉〈執着〉〈絶望〉〈恐怖〉
・
・不安の過剰が〈恐怖〉の一種
7.8 自由意志論
・
・
・
・
・
7.9 徳
7.9.1 欲望は、真なる認識に従っているか
・
7.9.2 私たちに依存しないもの
・
・
7.9.3 私たちにのみ依存するもの、自由意志
・
7.9.4 意思決定に付随する情念:〈不決断〉〈大胆〉〈勇気〉〈対抗心〉〈臆病〉〈恐怖〉
・
・
・
・
7.9.5 過去の意思決定に付随する情念:〈良心の悔恨〉
・
7.9.6 徳とは何か?
・
・
・
・
7.9.7 徳に伴う情念、知的な〈喜び〉〈高邁〉
・
・
・
7.9.8 〈高邁〉の情念をもつ人々の関係
・
7.9.9 〈高邁〉とは異なる〈高慢〉、正反対の〈卑屈〉
・
・
![]() (出典:wikipedia) |
「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」 (ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964]) |
哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
2.私は存在する
3.私でないものが、存在する
4.精神と身体
5.私(精神)のなかに見出されるもの
哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (2)認識論
6.認識論
6.1 認識するわれわれ
6.2 認識さるべき物自身
哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (3)情念論
7.情念論
7.1〈驚き〉
7.2〈快〉と〈嫌悪〉
7.3 わたしたちの状況・行為、他の人たちの状況・行為による〈善〉〈悪〉の感受
7.4 〈善〉〈悪〉〈美〉〈醜〉と、情念の関係
7.5 真なる〈善〉〈悪〉、偽なる〈善〉〈悪〉にもとづく情念
7.6 さまざまな〈愛〉による〈美〉〈広義の美〉〈善〉の感受
7.7 欲望論
7.8 自由意志論
7.9 徳
ルネ・デカルト(1596-1650)
デカルトの関連書籍(amazon)

検索(デカルト)
検索(デカルト ac.jp)
