2026年8月16日日曜日

013必ずわかる難問題9

   ★013必ずわかる難問題9

  

  (7)を追加します。


★(1)主観的な意識は、時空におけるイベントであるとしてみる。


★(2)イベントが生成されるには、なんらかのマクロ系の「モナド」が存在していなければならない。


★(3)「総じて主観というものが存在しうるためには、なんらかの持久するものが現存していなくてはならない〔そして同様に多くの同等性と類似性が現存していなくてはならない〕。」(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『遺稿集・生成の無垢』Ⅰ認識論/自然哲学/人間学 六三、ニーチェ全集 別巻4 生成の無垢(下)、pp.49-50、[原佑・吉沢伝三郎・1994])


★(4)マクロ系の存在は、ある特定の状態を構成する無数のミクロ状態から生成される。


★(5)「精神的なものはあくまで《身体》の記号とみなされるべきなのだ!」


★「いくらかでも身体について―――いかに多くの組織がそこでは同時に働いているか、いかに多くのことがたがいに助けあったり背きあったりするかたちで行なわれているか、いかに多くの繊細さが調停等々のはたらきのうちに現存するかを―――思い浮かべた者は、一切の意識が、これに比較すれば、何か貧しくて狭いものであり、いかなる精神も、ここで成就されうるでもあろう精神的なことには、近似的にしか充分ではなく、そしておそらくはまた、最も賢明な道徳の教師や立法者も、もろもろの義務や権利の戦いのこの活発な営みのただなかでは、おのれが無骨で初心者めいていると感じざるをえないことだろうと、判断するであろう。」(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『遺稿集・生成の無垢』Ⅱ道徳哲学 七二九、ニーチェ全集 別巻4 生成の無垢(下)、pp.358-359、[原佑・吉沢伝三郎・1994]


★(6)「意識にのぼってくるすべてのものは、なんらかの連鎖の最終項であり、一つの終末である。」


★「或る思想が直接或る別の思想の原因であるなどということは、見かけ上のことにすぎない。本来的な連結された出来事は私たちの意識の《下方で》起こる。諸感情、諸思想等々の、現われ出てくる諸系列や諸継起は、この本来的な出来事の《徴候》なのだ! ―――あらゆる思想の下にはなんらかの情動がひそんでいる。あらゆる思想、あらゆる感情、あらゆる意志は、或る特定の情動から生まれたものでは《なく》て、或る《総体的状態》であり、意識全体の或る全表面であって、私たちを構成している諸衝動一切の、―――それゆえ、ちょうどそのとき支配している衝動、ならびにこの衝動に服従あるいは抵抗している諸衝動の、瞬時的な権力確定からその結果として生ずる。すぐ次の思想は、いかに総体的な権力状況がその間に転移したかを示す一つの記号である。「意志」―――一つの欺瞞的な具象化。」(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『遺稿集・生成の無垢』Ⅰ認識論/自然哲学/人間学 二五〇、ニーチェ全集 別巻4 生成の無垢(下)、pp.148-149、[原佑・吉沢伝三郎・1994]


★(7)《諸事物が私たちの琴線に触れるのだが、そこから旋律をつくり出すのは私たちなのだ》

★「私たちは、他の諸事物が私たちに影響をおよぼすさい、《受動的》であるのでは《なく》、むしろ即座に私たちは私たちの力をそれに対抗させる。《諸事物が私たちの琴線に触れるのだが、そこから旋律をつくり出すのは私たちなのだ》。」(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『遺稿集・生成の無垢』Ⅰ認識論/自然哲学/人間学 一九、ニーチェ全集 別巻4 生成の無垢(下)、p.21、[原佑・吉沢伝三郎・1994]

https://sententiarum2.blogspot.com/2018/09/1844-1900_9.html


★「これらの「実際の」自然情景、それは《原始的人類》の《詩作》であり《絵画》なのだ、―――当時は人々は、諸事物のうちへ何かを《置き入れて見る》ことによって以外には、詩作し絵を描くすべをまだ知らなかったのである。《そしてこの遺産を》私たちは相続したのだ。―――この崇高な線、悲嘆的偉大さのこの感情、激動する海のこの感情は、すべて私たちの祖先たちによって《仮構された》のである。この確固として明確に《見ること》一般は!」(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『遺稿集・生成の無垢』Ⅳ宗教/キリスト教 九三一、ニーチェ全集 別巻4 生成の無垢(下)、p.500、[原佑・吉沢伝三郎・1994])

https://sententiarum2.blogspot.com/2018/09/1844-1900_12.html


012必ずわかる難問題8

 



1. 記事のテーマ


「命令されたから従う」のか、「義務があるから従う」のか?

法哲学の巨星 H.L.A.ハート(『法の概念』)が解明する、強制力(せざるを得なかった)と社会的責務(責務を負っていた)の根本的相違。



2. 何が問題なのか(問いかけ)


「強盗に拳銃を突きつけられて財布を渡すこと」と「法律に従って税金を払うこと」、あるいは「国を守るために兵役につくこと」の違いは一体どこにあるのでしょうか?


もし「従わなければ不利益を被るからやる」という点だけを見るならば、国家の法律も強盗の脅迫も、本質的には同じ「暴力による強制」に過ぎないことになってしまいます。


私たちが日常的に口にする「〜せざるを得なかった」という切迫した心理状態と、法や道徳が私たちに求める「〜する責務を負っていた」という規範。

この二つの間には、どのような決定的な線引きが存在しているのでしょうか?



3. 解答の概要(何が驚くべきことなのか)

【解答の概要】

法哲学者ハートは、「〜せざるを得なかった(was obliged to)」と「〜する責務を負っていた(had an obligation)」を明確に区別します。


「〜せざるを得なかった」とは、強盗の威嚇のように「従わなければ害悪が及ぶ」という心理的恐怖や動機に基づく記述であり、通常「実際に金を渡した」という行動を伴います。


対して「〜する責務を負っていた」は、本人の心理(恐怖の有無や逃げ切れるという確信)や、実際にその行動をとったか否かとは【無関係】に成り立ちます。たとえ捕まらないと確信して兵役を拒否したとしても、「責務を負っていた」という真実性は失われません。


【なぜ、それが驚くべきことなのか】

それは、法や義務を「命令と制裁への恐怖」という単純なモデル(いわゆる「強盗モデル」)

で説明しようとしてきた従来の法思想を根底から覆したからです。


法律に従うということは、単に強者に脅されて平伏することではありません。

社会のメンバーが共通の「基準」として受け入れている「社会的ルール」が存在するからこそ、人は恐怖や個人的損得を超えて「責務」を負うことができる――。

法律の本質が「恐怖による威嚇」ではなく「ルールによる客観的な枠組み」にあることを解き明かした点に、この論理の目覚ましい洞察があります。



4. 用語集(ここで勉強できること)


※重要な用語から順に掲載しています。


1. 責務・義務(Obligation / Duty)

   特定の「社会的ルール」が存在することを前提とし、本人の心理状態(恐怖や確信)や実際の行動の有無に関わらず、個人に対して客観的に行動を要求する規範的概念。


2. せざるをえない状態(Being Obliged)

   害悪の回避や威嚇に対する恐怖など、特定の心理的動機・信念によって行動を強いられている状態。主に行為者の心理的・事実的な状況を説明する言葉。


3. 社会的ルール(Social Rule)

   単なる人々の習慣(癖や傾向)とは異なり、集団内での規則的な行為と、それを正しい行動基準として認め、相互に要求し批判し合う規範的な態度が結合した仕組み。


4. 規範的言語(Normative Language)

   「〜すべきである(should)」「〜しなければならない(must)」「〜するのが当然である (ought)」など、単なる事実の記述ではなく、客観的な行動基準を示し、要求・批判・

   承認を行うために用いられる言葉の体系。


5. 強盗モデル(Gunman Situation)

   「拳銃で脅して金を奪う強盗」の状況。法を単なる「威嚇による命令の集積」とみなす従来型の法理論(法命令説)の欠陥を浮き彫りにするための思考実験。

https://sententiarum2.blogspot.com/2018/10/1907-1992_19.html


人気の記事(年間)

人気の記事(全期間)

ランキング

ランキング


哲学・思想ランキング



FC2