★013必ずわかる難問題9
(7)を追加します。
★(1)主観的な意識は、時空におけるイベントであるとしてみる。
★(2)イベントが生成されるには、なんらかのマクロ系の「モナド」が存在していなければならない。
★(3)「総じて主観というものが存在しうるためには、なんらかの持久するものが現存していなくてはならない〔そして同様に多くの同等性と類似性が現存していなくてはならない〕。」(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『遺稿集・生成の無垢』Ⅰ認識論/自然哲学/人間学 六三、ニーチェ全集 別巻4 生成の無垢(下)、pp.49-50、[原佑・吉沢伝三郎・1994])
★(4)マクロ系の存在は、ある特定の状態を構成する無数のミクロ状態から生成される。
★(5)「精神的なものはあくまで《身体》の記号とみなされるべきなのだ!」
★「いくらかでも身体について―――いかに多くの組織がそこでは同時に働いているか、いかに多くのことがたがいに助けあったり背きあったりするかたちで行なわれているか、いかに多くの繊細さが調停等々のはたらきのうちに現存するかを―――思い浮かべた者は、一切の意識が、これに比較すれば、何か貧しくて狭いものであり、いかなる精神も、ここで成就されうるでもあろう精神的なことには、近似的にしか充分ではなく、そしておそらくはまた、最も賢明な道徳の教師や立法者も、もろもろの義務や権利の戦いのこの活発な営みのただなかでは、おのれが無骨で初心者めいていると感じざるをえないことだろうと、判断するであろう。」(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『遺稿集・生成の無垢』Ⅱ道徳哲学 七二九、ニーチェ全集 別巻4 生成の無垢(下)、pp.358-359、[原佑・吉沢伝三郎・1994]
★(6)「意識にのぼってくるすべてのものは、なんらかの連鎖の最終項であり、一つの終末である。」
★「或る思想が直接或る別の思想の原因であるなどということは、見かけ上のことにすぎない。本来的な連結された出来事は私たちの意識の《下方で》起こる。諸感情、諸思想等々の、現われ出てくる諸系列や諸継起は、この本来的な出来事の《徴候》なのだ! ―――あらゆる思想の下にはなんらかの情動がひそんでいる。あらゆる思想、あらゆる感情、あらゆる意志は、或る特定の情動から生まれたものでは《なく》て、或る《総体的状態》であり、意識全体の或る全表面であって、私たちを構成している諸衝動一切の、―――それゆえ、ちょうどそのとき支配している衝動、ならびにこの衝動に服従あるいは抵抗している諸衝動の、瞬時的な権力確定からその結果として生ずる。すぐ次の思想は、いかに総体的な権力状況がその間に転移したかを示す一つの記号である。「意志」―――一つの欺瞞的な具象化。」(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『遺稿集・生成の無垢』Ⅰ認識論/自然哲学/人間学 二五〇、ニーチェ全集 別巻4 生成の無垢(下)、pp.148-149、[原佑・吉沢伝三郎・1994]
★(7)《諸事物が私たちの琴線に触れるのだが、そこから旋律をつくり出すのは私たちなのだ》
★「私たちは、他の諸事物が私たちに影響をおよぼすさい、《受動的》であるのでは《なく》、むしろ即座に私たちは私たちの力をそれに対抗させる。《諸事物が私たちの琴線に触れるのだが、そこから旋律をつくり出すのは私たちなのだ》。」(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『遺稿集・生成の無垢』Ⅰ認識論/自然哲学/人間学 一九、ニーチェ全集 別巻4 生成の無垢(下)、p.21、[原佑・吉沢伝三郎・1994]
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★「これらの「実際の」自然情景、それは《原始的人類》の《詩作》であり《絵画》なのだ、―――当時は人々は、諸事物のうちへ何かを《置き入れて見る》ことによって以外には、詩作し絵を描くすべをまだ知らなかったのである。《そしてこの遺産を》私たちは相続したのだ。―――この崇高な線、悲嘆的偉大さのこの感情、激動する海のこの感情は、すべて私たちの祖先たちによって《仮構された》のである。この確固として明確に《見ること》一般は!」(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『遺稿集・生成の無垢』Ⅳ宗教/キリスト教 九三一、ニーチェ全集 別巻4 生成の無垢(下)、p.500、[原佑・吉沢伝三郎・1994])
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