1. 記事のテーマ
「命令されたから従う」のか、「義務があるから従う」のか?
法哲学の巨星 H.L.A.ハート(『法の概念』)が解明する、強制力(せざるを得なかった)と社会的責務(責務を負っていた)の根本的相違。
2. 何が問題なのか(問いかけ)
「強盗に拳銃を突きつけられて財布を渡すこと」と「法律に従って税金を払うこと」、あるいは「国を守るために兵役につくこと」の違いは一体どこにあるのでしょうか?
もし「従わなければ不利益を被るからやる」という点だけを見るならば、国家の法律も強盗の脅迫も、本質的には同じ「暴力による強制」に過ぎないことになってしまいます。
私たちが日常的に口にする「〜せざるを得なかった」という切迫した心理状態と、法や道徳が私たちに求める「〜する責務を負っていた」という規範。
この二つの間には、どのような決定的な線引きが存在しているのでしょうか?
3. 解答の概要(何が驚くべきことなのか)
【解答の概要】
法哲学者ハートは、「〜せざるを得なかった(was obliged to)」と「〜する責務を負っていた(had an obligation)」を明確に区別します。
「〜せざるを得なかった」とは、強盗の威嚇のように「従わなければ害悪が及ぶ」という心理的恐怖や動機に基づく記述であり、通常「実際に金を渡した」という行動を伴います。
対して「〜する責務を負っていた」は、本人の心理(恐怖の有無や逃げ切れるという確信)や、実際にその行動をとったか否かとは【無関係】に成り立ちます。たとえ捕まらないと確信して兵役を拒否したとしても、「責務を負っていた」という真実性は失われません。
【なぜ、それが驚くべきことなのか】
それは、法や義務を「命令と制裁への恐怖」という単純なモデル(いわゆる「強盗モデル」)
で説明しようとしてきた従来の法思想を根底から覆したからです。
法律に従うということは、単に強者に脅されて平伏することではありません。
社会のメンバーが共通の「基準」として受け入れている「社会的ルール」が存在するからこそ、人は恐怖や個人的損得を超えて「責務」を負うことができる――。
法律の本質が「恐怖による威嚇」ではなく「ルールによる客観的な枠組み」にあることを解き明かした点に、この論理の目覚ましい洞察があります。
4. 用語集(ここで勉強できること)
※重要な用語から順に掲載しています。
1. 責務・義務(Obligation / Duty)
特定の「社会的ルール」が存在することを前提とし、本人の心理状態(恐怖や確信)や実際の行動の有無に関わらず、個人に対して客観的に行動を要求する規範的概念。
2. せざるをえない状態(Being Obliged)
害悪の回避や威嚇に対する恐怖など、特定の心理的動機・信念によって行動を強いられている状態。主に行為者の心理的・事実的な状況を説明する言葉。
3. 社会的ルール(Social Rule)
単なる人々の習慣(癖や傾向)とは異なり、集団内での規則的な行為と、それを正しい行動基準として認め、相互に要求し批判し合う規範的な態度が結合した仕組み。
4. 規範的言語(Normative Language)
「〜すべきである(should)」「〜しなければならない(must)」「〜するのが当然である (ought)」など、単なる事実の記述ではなく、客観的な行動基準を示し、要求・批判・
承認を行うために用いられる言葉の体系。
5. 強盗モデル(Gunman Situation)
「拳銃で脅して金を奪う強盗」の状況。法を単なる「威嚇による命令の集積」とみなす従来型の法理論(法命令説)の欠陥を浮き彫りにするための思考実験。
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