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2021年11月14日日曜日

痕跡とは何か。その一つは、何かが動くのをやめ、エネルギーが熱に劣化する不可逆的な過程に伴うものだ。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

痕跡とは何か

痕跡とは何か。その一つは、何かが動くのをやめ、エネルギーが熱に劣化する不可逆的な過程に伴うものだ。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

「過去にエントロピーが低かったという事実から、ある重大な事実が導かれる。過去と未来 の違いにとってきわめて重要で、至るところにある事実――それは、過去が現在のなかに痕跡を 残すということだ。  痕跡は、どこにでもある。月のクレーターは、過去の衝突を物語っている。化石は、はるか 昔に生きていた生物の形を教えてくれる。望遠鏡は、遠く離れた銀河がかつてどのようであっ たかを見せてくれる。書籍はわたしたちの過去の歴史を語り、わたしたちの脳には、記憶が ぎっしり詰まっている。  過去の痕跡があるのに未来の痕跡が存在しないのは、ひとえに過去のエントロピーが低かっ たからだ。ほかに理由はない。なぜなら過去と未来の差を生み出すものは、かつてエントロピーが低かったという事実以外にないからだ。  痕跡に残すには、何かが止まる、つまり動くのをやめる必要がある。ところがこれは非可逆 的な過程で、エネルギーが熱へと劣化するときに限って起きる。こうしてコンピュータは熱を 持ち、頭は熱を持ち、月に落ちた隕石は月を熱し、ベネディクト修道院の中世初期の羽根ペン までが、文字が書かれるページを少しだけ温める。熱が存在しない世界では、すべてがしなや かに弾み、なんの痕跡も残らない。  過去の痕跡が豊富だからこそ、「過去は定まっている」というお馴染みの感覚が生じる。未 来に関しては、そのような痕跡がいっさいないので、「未来は定まっていない」と感じる。痕 跡が存在するおかげで、わたしたちの脳は過去の出来事の広範な地図を作り出すことができ る。だが、未来の出来事の地図は作れない。この事実から、自分たちはこの世界で自由に動け る、たとえ過去には働きかけられなくても、さまざまな未来のどれかを選ぶことができる、と いう印象が生まれる。」

(カルロ・ロヴェッリ(1956-),『時間の順序』,日本語書籍名『時間は存在しない』,第3部 時間の源へ,第11章 対称性から生じるもの,pp.163-164,NHK出版(2019),冨永星(訳)) 








時間は存在しない [ カルロ・ロヴェッリ ]




この世界のエントロピーの低い部分aと他の部分bとの関係をみると、低い部分の「痕跡」を他の部分に見つけることができる。aは原因と呼ばれbは結果と呼ばれる。aは過去と呼ばれbは現在と呼ばれる。痕跡は記憶であり、過去は定まったものと感知させる。痕跡とは何か?それは、人間が見るものだ。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

因果関係とは何か

この世界のエントロピーの低い部分aと他の部分bとの関係をみると、低い部分の「痕跡」を他の部分に見つけることができる。aは原因と呼ばれbは結果と呼ばれる。aは過去と呼ばれbは現在と呼ばれる。痕跡は記憶であり、過去は定まったものと感知させる。痕跡とは何か?それは、人間が見るものだ。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

 「そうはいっても、記憶や因果、流れや「定まった過去と不確かな未来」といったものは、 ある統計的な事実、すなわち宇宙の過去の状態としてありそうになるものがあるという事実が もたらす結果にわたしたちが与えた名前でしかない。  原因や記憶や痕跡、さらには何百年何千年にもわたる人間の歴史のみならず、何十億年にわ たる壮大な宇宙の物語においても展開されてきたこの世界の成り立ちの歴史、これらすべてが はるか昔の事物の配置が「特殊」だったという事実から生じた結果にすぎないのである。  そのうえ「特殊」というのは相対的な単語で、あくまで一つの視点にとって「特殊」なの だ。あるぼやけに関して特殊なのであって、そのぼやけは問題の物理系とこの世界の残りの部 分との相互作用によって定まる。したがって因果や記憶や痕跡やこの世界自体の出来事の歴史もまた、視点がもたらす結果でしかないのかもしれない。ちょうど天空の回転が、この世界で のわたしたちの特殊な視点がもたらす結果であるように......。こうして非情にも、時間の研究は わたしたちを自分自身に引き戻す。わたしたちはついに、己と向き合ることになるのだ。」

  (カルロ・ロヴェッリ(1956-),『時間の順序』,日本語書籍名『時間は存在しない』,第3部 時間の源へ,第11章 対称性から生じるもの,p.166,NHK出版(2019),冨永星(訳))






時間は存在しない [ カルロ・ロヴェッリ ]






2020年7月11日土曜日

識閾下での認知処理、前意識、意識、自発的行動の全ては、機能と一体化した潜在的な神経結合により遂行され、同時に、潜在的な結合へと再組織化、記憶化される。記憶の一部は、近似的な発火パターンが再構築され、想起される。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

潜在的な結合

【識閾下での認知処理、前意識、意識、自発的行動の全ては、機能と一体化した潜在的な神経結合により遂行され、同時に、潜在的な結合へと再組織化、記憶化される。記憶の一部は、近似的な発火パターンが再構築され、想起される。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

潜在的な結合
 (1)誕生前に形成されるシナプス結合
  生まれる前ですら、ニューロンは外界を統計的にサンプリングし、それに神経結合を適合させている。
 (2)記憶として存在するシナプス結合と学習された無意識の直感
  数百兆の単位で人の脳内に存在する皮質シナプスは、私たちの全生涯の眠った記憶を含む。とりわけ環境に対する脳の適応の最盛期をなす生後数年間は、毎日何百万ものシナプスが形成されたり、破壊されたりしている。
  (a)視覚処理のための記憶
   低次の視覚野では、皮質結合は、隣接する直線がいかに結びついて対象物の輪郭を構成するかについて、統計情報を編集する。
  (b)聴覚の記憶
   聴覚では、音のパターンに関する暗黙の知識が蓄えられる。
  (c)運動の記憶
   ピアノの練習を何年も続けると、これらの領域の灰白質の密度に検知可能な変化が生じるが、これは、シナプスの密度、樹状突起の大きさ、白質の構造、ニューロンを支えるグリア細胞の変化に起因すると考えられる。
  (d)エピソード記憶
   海馬には、いつどこで誰と一緒にいるときに、どのようなできごとが起こったかに関して、シナプスによってエピソード記憶が集められる。
 (3)記憶の意識化は、かつて存在した活性化パターンの近似的な再構築
  (a)記憶の知恵を直接取り出すことはできない。なぜなら、そのフォーマットは、意識的思考を支援するニューロンの発火パターンとはまったく違うからである。
  (b)想起するためには、記憶は眠った状態から活性化された状態へと変換されねばならない。記憶の想起に際して、シナプスは正確に発火パターンが再現されるように促す。

《概念図》

  環境
┌──│───────────────┐
│  │    潜在的な結合(無意識)│
│┌─│───┐           │
││ ↓   │           │
││感覚データ←機能と一体化した記憶 │
││記憶←──────記憶      │
││ │   │           │
││ ↓   │           │
││識閾下での←機能と一体化した記憶 │
││認知処理 →記憶化        │
││ │   │           │
││ ↓   │           │
││前意識  ←機能と一体化した記憶 │
││ │   →記憶化        │
││ ↓   │           │
││意識   ←機能と一体化した記憶 │
││自発的行動→記憶化        │
│└─────┘           │
└──────────────────┘

 「最後になるが、無意識の知識の五つ目のカテゴリーは、潜在的な結合という形態で、神経系に伏在する。ワークスペース理論によれば、脳全体にわたって活性化された細胞集成体が形成された場合にのみ、私たちはニューロンの発火パターンに気づく。とはいえ莫大な量の情報が、静的なシナプス結合に蓄えられている。生まれる前ですら、ニューロンは外界を統計的にサンプリングし、それに神経結合を適合させている。数百兆の単位で人の脳内に存在する皮質シナプスは、私たちの全生涯の眠った記憶を含む。とりわけ環境に対する脳の適応の最盛期をなす生後数年間は、毎日何百万ものシナプスが形成されたり、破壊されたりしている。こうした各シナプスには、シナプス前細胞と後細胞の発火の可能性に関して〔刺激をつたえるニューロンをシナプス前細胞、受け取るニューロンをシナプス後細胞という〕、ごくわずかずつ統計的な情報が保たれているのだ。
 このような結合の力によって、脳のいたる所で、学習された無意識の直感が支えられている。低次の視覚野では、皮質結合は、隣接する直線がいかに結びついて対象物の輪郭を構成するかについて、統計情報を編集する。聴覚・運動野では、音のパターンに関する暗黙の知識が蓄えられる。ピアノの練習を何年も続けると、これらの領域の灰白質の密度に検知可能な変化が生じるが、これは、シナプスの密度、樹状突起の大きさ、白質の構造、ニューロンを支えるグリア細胞の変化に起因すると考えられる。また、海馬(側頭葉の下に位置するカールした組織)には、いつどこで誰と一緒にいるときに、どのようなできごとが起こったかに関して、シナプスによってエピソード記憶が集められる。
 私たちの記憶は、何年間も眠ったままでいられる。その内容は、複数のシナプス・スパインに圧縮して分配される。このシナプスの知恵を直接取り出すことはできない。なぜなら、そのフォーマットは、意識的思考を支援するニューロンの発火パターンとはまったく違うからだ。想起するためには、記憶は眠った状態から活性化された状態へと変換されねばならない。記憶の想起に際して、シナプスは正確に発火パターンが再現されるように促す。この働きがなければ、私たちは過去のできごとを思い出せない。記憶の意識化とは、過去に経験した意識の瞬間の再現、つまりかつて存在した活性化パターンの近似的な再構築なのだ。脳画像法が示すところでは、記憶は、過去のできごとを意識に再現する前に、前頭前皮質、およびそれと相互結合する帯状回に広がる、ニューロンの明示的な活動パターンにまず変換されなければならない。過去を想起する際に生じる、遠隔の皮質領域をまたがる再活性化は、われわれが想起するワークスペース理論の予想に完全に合致する。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第5章 意識を理論化する,紀伊國屋書店(2015),pp.273-274,高橋洋(訳))
(索引:潜在的な結合,記憶)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々のシナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)
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2020年6月9日火曜日

8.環境への迅速な対応のため、感情記憶は無意識的な過程を介して生成され機能する。合理的な思考と言語も、感情記憶の基礎の上に構築されており、認知能力は、感情によって活性化され、複雑かつ繊細になっていく。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

合理的な意思決定

【環境への迅速な対応のため、感情記憶は無意識的な過程を介して生成され機能する。合理的な思考と言語も、感情記憶の基礎の上に構築されており、認知能力は、感情によって活性化され、複雑かつ繊細になっていく。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】

(1.9)追記。

(1)人類の歴史
 (1.1)社会性と集団が無ければ生存できなかった
 (1.2)感情能力が強化されることで社会性が獲得された
 (1.3)社会性を強化するための、感情能力に依存する6つの仕組み
 (1.4)その1:感情エネルギーの動員と経路づけ
 (1.5)その2:対面反応の調整
 (1.6)その3:裁可
  (1.6.1)否定的裁可
   (1.6.1.1)怒りの表出
   (1.6.1.2)恐怖の喚起
   (1.6.1.3)否定的裁可の効果
   (1.6.1.4)否定的裁可の離反的効果
  (1.6.2)否定的裁可の内在化、恥と罪の感情
  (1.6.3)記憶による感情の持続化、激情化と肯定的感情の発展
   (1.6.3.1)記憶による感情の持続化と激情化
   (1.6.3.2)肯定的感情の必要性
  (1.6.4)肯定的裁可の内在化、誇りの感情
  (1.6.5)自己像の形成と自尊心の感情の誕生
  (1.6.6)悲しみなどの否定的感情の役割
   (1.6.6.1)恥や後悔などの感情と動機づけ
   (1.6.6.2)他者の悲しみの感知と連帯
 (1.7)その4:道徳的記号化
 (1.8)その5:資源評価と資源交換
 (1.9)その6:合理的意思決定
  (1.9.1)記憶
   (1.9.1.1)無意識的な感情記憶
    (a)危険に対してただちに反応するためには、もしその危険が繰り返し起こりそうであるなら、適切な感情反応を瞬時に送信できる経験を、皮質下辺縁系に貯蔵する。
    (b)新皮質を通るループを迂回する。
   (1.9.1.2)意識的な記憶
    (a)すべての期待を新皮質経由にすると時間がかかり、身体反応を起こす感情中枢の起動が遅れてしまう。危険な状況下で、貴重な時間を失うことは適合度を減じることになる。
    (b)新皮質からの制御システムは、皮質下辺縁系を補完する。
  (1.9.2)思考と行為
   (a)合理的思考と言語は、無意識的な感情記憶の能力の上に構築されている。
   (b)その結果、個人はなぜそのような決定をしてしまったのか、なぜそのように行動したのかを理解するのにとまどうことがしばしばある。
   (c)しかし合理的な思考は、具体的な経験と感情、情動と結合されないならば、活性化しない。
   (d)情動の拡がりが大きいほど、認知能力は複雑かつ繊細になっていく。

 「ここでもう一度、わたしの考えを繰り返しておこう。しばしば人間のもっとも卓越した特徴――合理的思考と言語――とみなされているものは、われわれのもっとも特有な特徴のもう一つ――非常に感情的であるわれわれの能力――の上に構築されたのだ。

ここでのわたしの要点は、記憶と思考は思考に経験、感情に情動をぴったり付ける能力なしには活性化しないだろうということである。

そして情動の拡がりが大きいほど、認知能力は複雑かつ繊細になっていくのである。

 とはいえ、思考と行為を導く記憶のすべてが意識的ではない。脳は感情記憶を皮質下に貯蔵できることがわかっている。すなわち、意識的な思考と評価が起こるのは新皮質の外部においてである(Le Doux 1996)。

選択が原始哺乳類の適合度をどのように強化したかを考えれば、このことは一目瞭然である。危険に対してただちに反応するためには、もし繰り返し起こりそうであるなら、適切な感情反応を瞬時に送信できる経験を皮質下辺縁系に貯蔵するために新皮質(もしそれが大きくなければ)を通るループを迂回するのが有用である。

すべての期待を新皮質経由にすると時間がかかり、身体反応を起こす感情中枢の起動が遅れてしまう。

そして、危険な状況下で、貴重な時間を失うことは適合度を減じることになる。

この種の皮質下の記憶系はヒト科の認知能力の拡張によって取り代えられはしなかった。むしろ原基的な皮質下の感情記憶系は新皮質からの制御システムによって補完された。

その結果、人間は新皮質に貯蔵された意識的記憶によって、あるいは中間的記憶(数年程度)を貯蔵する新皮質と統合される皮質下海馬と遷移性皮質によって、つき動かされて決定したり行動したりするのではなく、むしろ感情記憶を新皮質の直接的な関係の外部に貯蔵する、他の皮質下辺縁系によって押しだされる身体反応の影響下でしばしば意思決定は行われる。

事実、個人はなぜそのような決定をしてしまったのか、なぜそのように行動したのかを理解するのにとまどうことがしばしばある。

その答えは皮質下の感情記憶システムが皮質によって制御される系と交絡しているからである。

ゆえに、合理性はしばしば感情価との混合であり、その一部は、もし必要ならば、自己に接合され、そしてそれ以外は完全な自意識の外部にとどまっている。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第2章 選択力と感情の進化、pp.88-89、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:合理的意思決定)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学


(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

ジョナサン・H・ターナー(1942-)
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2020年5月16日土曜日

ミエリン形成グリアが知性や学習に関係があることを示唆する事実:オリゴデンドロサイトの数と脳梁の軸索の数への環境刺激の影響(若いラット,視覚野),脳梁領域への幼少期のネグレクトの影響などがある。(R・ダグラス・フィールズ(19xx-))

ミエリン形成グリア

【ミエリン形成グリアが知性や学習に関係があることを示唆する事実:オリゴデンドロサイトの数と脳梁の軸索の数への環境刺激の影響(若いラット,視覚野),脳梁領域への幼少期のネグレクトの影響などがある。(R・ダグラス・フィールズ(19xx-))】

ミエリン形成グリアが知性や学習に何らかの関係を持ちうる事実
 (a)病気や毒素、感染によるミエリンの損傷は、多くの神経学的な障害を引き起こす。傷害や疾患のあとには、電気的コミュニケーションと機能の回復のために、ミエリンが必ず修復されなくてはならない。
 (b)オリゴデンドロサイト
  刺激の豊かな環境で成育された若いラットの視覚野では、オリゴデンドロサイトの数が27~33パーセントも増加する。その働きは、軸索の周囲を被覆して密閉し、電流の漏出を防ぐことである。
 (c)脳梁の軸索の数
  刺激の豊かな環境で育ったラットでは、脳梁のミエリンで被覆された軸索の数も増加していた。脳梁は、脳の左右両側を連結する軸索の太い束である。
 (d)幼少期のネグレクトの影響など
  幼少期にネグレクトに苦しんだ子供では、脳梁領域が17パーセント減少することが、MRIスキャンによって示されている。なかでも最も意外だったのが、統合失調症やうつ病を含むある種の精神障害を患う人たちの脳スキャンでも、白質の発達が低下していることを明かした最近の発見である。灰白質ではなく、白質である。

 「アストロサイトがニューロンを保護し、そのあらゆる要求に応えるために存在していることは認識されていたものの、それが情報処理や学習に一役買っているかもしれないとまでは、考えが及ばなかった。実験動物におけるアストロサイト数のどんな変化も、血管系の増加が示すのと同じ意味合いしか持たないと受け止められた。すなわち、豊かな環境が提供する精神的刺激の増加によって、ニューロンの要求が増大し、その要求を満たすために支持細胞が応答したにすぎないというのだ。
 とりわけ、ミエリン形成グリアが知性や学習に何らかの関係を持ちうるという発想は、通説からあまりにかけ離れていたので、真剣な考察の対象とはならなかった。神経科学者は、ミエリンの働きを理解していた。つまり、軸索の絶縁だ。電気工学を専攻する学生の大多数が、銅線を包むプラスチック製の絶縁体を研究するエレクトロニクス分野に魅力を感じないように、神経生物学の学生でミエリンに興味を持つ者はほとんどいない。彼らの情熱は、認知や学習、記憶などの秘密を解き明かすことに向けられている。ミエリン研究を行っているのはおもに、脱髄疾患を研究する医学者や生化学者だ。ヒト脳の半分は白質であるため、生化学者が破砕して均質化した脳組織から試験管内へ抽出したものの大半は、ミエリンである。また医師にとっては、ミエリンは間違いなく、常に研究の中心にある。なぜなら、傷害や疾患のあとには、電気的コミュニケーションと機能の回復のために、ミエリンが必ず修復されなくてはならないからだ。病気や毒素、感染によるミエリンの損傷は、多くの神経学的な障害を引き起こすが、情報処理や学習といった脳の中核的な仕組みには、ミエリンは無関係だと考えられていた。これは今なお支配的な見解だが、それも変わりつつある。
 では次に、見捨てられていた手がかりを順にたどってみよう。40年も前から、刺激の豊かな環境で成育された若いラットの視覚野では、オリゴデンドロサイトの数が27~33パーセントも増加することが知られていた。この奇妙な発見は、どうも辻褄が合わない。なにしろ、オリゴデンドロサイトはニューロンの情報処理に何の関係もないのだ。その働きは、軸索の周囲を被覆して密閉し、電流の漏出を防ぐことだけである。オリゴデンドロサイトは、シナプスとも、樹状突起とも、ニューロンの細胞体とも関連がない。
 この手がかりは、突拍子もなく感じられるかもしれないが、証拠はこれだけではない。裏付けはほかにもあるのだ。この奇妙な現象は、視覚野のグリアに限定されたものではなく、刺激の豊かな環境で育ったラットでは、脳梁のミエリンで被覆された軸索の数も増加していた。脳梁は、第11章で論じたとおり、脳の左右両側を連結する軸索の太い束だ。この脳梁を介する大脳半球間の連絡は、私たちの脳のデュアルプロセッサーを、単一の連動システムに統合するために欠かせない。ではなぜ、豊かな環境で成育された動物では、私たちの左右の脳を連結するこのケーブルを包んでいる絶縁体が増加し、この絶縁体を形成するオリゴデンドロサイトの集団が3分の1近くも数を増すのだろうか?
 この奇妙な現象は、下位のラット以外でも観察されている。刺激の豊かな環境で養育されたアカゲザルでも、脳梁に通常より多くのミエリンが発現する。この差異はさらに、学習および記憶の試験で、それらのサルの認知能力が向上していることとも相関していた。
 情報処理へのグリアの関与を示唆する同様の手がかりは、次々と現われており、それはヒトを対象とした研究でも同じだ。幼少期にネグレクトに苦しんだ子供では、脳梁領域が17パーセント減少することが、MRIスキャンによって示されている。なかでも最も意外だったのが、統合失調症やうつ病を含むある種の精神障害を患う人たちの脳スキャンでも、白質の発達が低下していることを明かした最近の発見である。精神を病んだ人たち、あるいはネグレクトに遭い、心を育むために必要とされる正常な刺激を奪われた子供たちで、萎縮することが予想される灰白質ではなく、白質が萎縮しているというのだ。」
(R・ダグラス・フィールズ(19xx-),『もうひとつの脳』,第3部 思考と記憶におけるグリア,第15章 シナプスを超えた思考,講談社(2018),pp.480-482,小松佳代子(訳),小西史朗(監訳))
(索引:思考,記憶,グリア,シナプスを超えた思考,ミエリン形成グリア)

もうひとつの脳 ニューロンを支配する陰の主役「グリア細胞」 (ブルーバックス)


(出典:R. Douglas Fields Home Page
R・ダグラス・フィールズ(19xx-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「アストロサイトは、脳の広大な領域を受け持っている。一個のオリゴデンドロサイトは、多数の軸索を被覆している。ミクログリアは、脳内の広い範囲を自由に動き回る。アストロサイトは一個で、10万個ものシナプスを包み込むことができる。」(中略)「グリアが利用する細胞間コミュニケーションの化学的シグナルは、広く拡散し、配線で接続されたニューロン結合を超えて働いている。こうした特徴は、点と点をつなぐニューロンのシナプス結合とは根本的に異なる、もっと大きなスケールで脳内の情報処理を制御する能力を、グリアに授けている。このような高いレベルの監督能力はおそらく、情報処理や認知にとって大きな意義を持っているのだろう。」(中略)「アストロサイトは、ニューロンのすべての活動を傍受する能力を備えている。そこには、イオン流動から、ニューロンの使用するあらゆる神経伝達物質、さらには神経修飾物質(モジュレーター)、ペプチド、ホルモンまで、神経系の機能を調節するさまざまな物質が網羅されている。グリア間の交信には、神経伝達物質だけでなく、ギャップ結合やグリア伝達物質、そして特筆すべきATPなど、いくつもの通信回線が使われている。」(中略)「アストロサイトは神経活動を感知して、ほかのアストロサイトと交信する。その一方で、オリゴデンドロサイトやミクログリア、さらには血管細胞や免疫細胞とも交信している。グリアは包括的なコミュニケーション・ネットワークの役割を担っており、それによって脳内のあらゆる種類(グリア、ホルモン、免疫、欠陥、そしてニューロン)の情報を、文字どおり連係させている。」
(R・ダグラス・フィールズ(19xx-),『もうひとつの脳』,第3部 思考と記憶におけるグリア,第16章 未来へ向けて――新たな脳,講談社(2018),pp.519-520,小松佳代子(訳),小西史朗(監訳))
(索引:)

R・ダグラス・フィールズ(19xx-)
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検索(R・ダグラス・フィールズ)

ミエリン形成の大部分は、生後5年間のうちに起こるが、その後、成人期に達するまでの間に、大脳皮質の後方から前方に向って緩やかに進行し、最後に、判断や複雑な論理的思考に欠かせない大脳皮質領域に至る。(R・ダグラス・フィールズ(19xx-))

ミエリン形成グリア

【ミエリン形成の大部分は、生後5年間のうちに起こるが、その後、成人期に達するまでの間に、大脳皮質の後方から前方に向って緩やかに進行し、最後に、判断や複雑な論理的思考に欠かせない大脳皮質領域に至る。(R・ダグラス・フィールズ(19xx-))】

ミエリン形成グリア
 (a)ミエリン形成の大部分は、生後5年間のうちに起こる。
 (b)その後、成人期に達するまでの間に、大脳皮質の後方から前方に向って、緩やかな波を描くようにミエリン形成が進行する。
 (c)青年期までは、前脳のミエリン形成はまだ完全ではない。ミエリン形成が最後に完了するこの脳部位は、判断や複雑な論理的思考に欠かせない大脳皮質領域である。

 「ミエリン形成の大部分は、生後5年間のうちに起こるものの、その過程が成人早期まで続くことは、何十年も前から知られていた。これはなぜだろう? ミエリンがたんなる電気的絶縁体にすぎないのならば、なぜ出生前にその仕事が完了していたいのだろうか?
 出生後のヒト脳におけるミエリン形成の進み方には、興味深いパターンがある。完全なミエリン形成が最後に完了する脳領域は、より高次の認知機能にかかわる部分なのである。ヒト脳では、成人期に達するまでの間に、大脳皮質の後方(シャツ襟の位置)から前方(額の位置)に向って、緩やかな波を描くようにミエリン形成が進行する。この波状に進むミエリン形成は、よく知られたティーンエイジャーに特有の衝動的行動の一因かもしれない。青年期までは、前脳のミエリン形成はまだ完全ではない。ミエリン形成が最後に完了するこの脳部位は、判断や複雑な論理的思考に欠かせない大脳皮質領域なのだ。またここは、前頭葉切截術(ロボトミー)で外科医によって断ち切られた部位でもある。ロボトミーを受けた患者は、複雑な決断、計画の立案、あるいは見通しを立てることなどができなくなる。この前脳領域へつながる伝達路の形成が完成していないとすれば、青年たちは、成人脳が複雑な状況下で理性的な意思決定を行うことを可能にしている完全な神経回路を持ち合せていないことになる。
 興味深いことに、多くの社会で個人に完全な法的責任が認められる年齢は、思春期ではなくもう少しあとで、それは偶然にも、前脳のミエリンが完成する時期(20歳前後)とほぼ一致している。つまり、ミエリン形成グリアは、法的責任を認める年齢に生物学的根拠を提供していると言える。」
(R・ダグラス・フィールズ(19xx-),『もうひとつの脳』,第3部 思考と記憶におけるグリア,第15章 シナプスを超えた思考,講談社(2018),pp.476-477,小松佳代子(訳),小西史朗(監訳))
(索引:思考,記憶,グリア,シナプスを超えた思考,ミエリン形成グリア)

もうひとつの脳 ニューロンを支配する陰の主役「グリア細胞」 (ブルーバックス)


(出典:R. Douglas Fields Home Page
R・ダグラス・フィールズ(19xx-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「アストロサイトは、脳の広大な領域を受け持っている。一個のオリゴデンドロサイトは、多数の軸索を被覆している。ミクログリアは、脳内の広い範囲を自由に動き回る。アストロサイトは一個で、10万個ものシナプスを包み込むことができる。」(中略)「グリアが利用する細胞間コミュニケーションの化学的シグナルは、広く拡散し、配線で接続されたニューロン結合を超えて働いている。こうした特徴は、点と点をつなぐニューロンのシナプス結合とは根本的に異なる、もっと大きなスケールで脳内の情報処理を制御する能力を、グリアに授けている。このような高いレベルの監督能力はおそらく、情報処理や認知にとって大きな意義を持っているのだろう。」(中略)「アストロサイトは、ニューロンのすべての活動を傍受する能力を備えている。そこには、イオン流動から、ニューロンの使用するあらゆる神経伝達物質、さらには神経修飾物質(モジュレーター)、ペプチド、ホルモンまで、神経系の機能を調節するさまざまな物質が網羅されている。グリア間の交信には、神経伝達物質だけでなく、ギャップ結合やグリア伝達物質、そして特筆すべきATPなど、いくつもの通信回線が使われている。」(中略)「アストロサイトは神経活動を感知して、ほかのアストロサイトと交信する。その一方で、オリゴデンドロサイトやミクログリア、さらには血管細胞や免疫細胞とも交信している。グリアは包括的なコミュニケーション・ネットワークの役割を担っており、それによって脳内のあらゆる種類(グリア、ホルモン、免疫、欠陥、そしてニューロン)の情報を、文字どおり連係させている。」
(R・ダグラス・フィールズ(19xx-),『もうひとつの脳』,第3部 思考と記憶におけるグリア,第16章 未来へ向けて――新たな脳,講談社(2018),pp.519-520,小松佳代子(訳),小西史朗(監訳))
(索引:)

R・ダグラス・フィールズ(19xx-)
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2020年4月1日水曜日

最広義の「記憶」には、生得的なもの(遺伝子、神経系、免疫系、その他の諸能力)も含まれるし、試行錯誤、問題解決、行為と選択による能動的な学習によって獲得された広大な領域も含まれる。(カール・ポパー(1902-1994))

記憶の種類

【最広義の「記憶」には、生得的なもの(遺伝子、神経系、免疫系、その他の諸能力)も含まれるし、試行錯誤、問題解決、行為と選択による能動的な学習によって獲得された広大な領域も含まれる。(カール・ポパー(1902-1994))】
(1)保持時間に基づく記憶の分類
 (出典:記憶の分類脳科学辞典
 (1.1)心理学
  感覚記憶、短期記憶(保持期間が数十秒程度)、長期記憶
 (1.2)臨床神経学
  即時記憶(情報の記銘後すぐに想起させるもの)
  近時記憶(情報の記銘と想起の間に干渉が介在される)
  遠隔記憶(臨床場面では個人の生活史(冠婚葬祭や旅行など)を尋ねることが多い)
(2)内容に基づく記憶の分類
 (出典:記憶の分類脳科学辞典
 (2.1)陳述記憶(宣言的記憶)
  イメージや言語として意識上に内容を想起でき、その内容を陳述できる。
  (2.1.1)エピソード記憶
    個人が経験した出来事に関する記憶で、例えば、昨日の夕食をどこで誰と何を食べたか、というような記憶に相当する。
   (a)関連:「連続性形成記憶」。アンリ・ベルクソンの《純粋記憶》に関連しているように思われる。すなわち、われわれの経験すべての正しい時間的順序による記録である。(カール・ポパー(1902-1994))

  (2.1.2)意味記憶
    知識に相当し、言語とその意味(概念)、知覚対象の意味や対象間の関係、社会的約束など、世の中に関する組織化された記憶である。
  (例) 試行錯誤、問題解決、あるいは行為と選択による能動的学習(カール・ポパー(1902-1994))
   生得的な、そして獲得した《いかに行動するかの知識》と、背景にある《何であるかの知識》とによって導かれる能動的探究
   (a)新しい推測、新しい理論の作成
   (b)その新しい推測や理論の批判とテスト
   (c)その推測の拒絶と、それがうまくいかないという事実の記録
   (d)もとの推測の修正や新しい推測を用いての(c)から(a)への過程の反復
   (e)新しい推測がうまくいくようだという発見
   (f)補足的なテストを含む、その新しい推測の適用
   (g)その新しい推測の実際的で標準化された、反復的な使用

 (2.2)非陳述記憶(非宣言的記憶)
  意識上に内容を想起できない記憶で、言語などを介してその内容を陳述できない記憶である。
  (2.2.1)手続き記憶
   手続き記憶(運動技能、知覚技能、認知技能など・習慣)は、自転車に乗る方法やパズルの解き方などのように、同じ経験を反復することにより形成される。一般的に記憶が一旦形成されると自動的に機能し、長期間保たれるという特徴を持つ。
  (2.2.2)プライミング
   プライミングとは、以前の経験により、後に経験する対象の同定を促進(あるいは抑制)される現象を指し、直接プライミングと間接プライミングがある。
  (2.2.3)古典的条件付け
   古典的条件付けとは、梅干しを見ると唾液が出るなどのように、経験の繰り返しや訓練により本来は結びついていなかった刺激に対して、新しい反応(行動)が形成される現象をいう。
  (2.2.4)非連合学習
   非連合学習とは、一種類の刺激に関する学習であり、同じ刺激の反復によって反応が減弱したり(慣れ)、増強したり(感作)する現象である。

(3)獲得方法に基づく記憶の分類(カール・ポパー(1902-1994))
 (3.1)生得的な記憶
  (a)遺伝子に暗号化された蛋白質(酵素)合成のプログラム
  (b)生得的神経路の構造
  (c)機能的性格をもった付加的な生得的記憶がある。これは歩いたり話したりすることを学ぶためのさまざまな機能を十分に発達して生得的能力を含むようである。免疫学的記憶もまたここに挙げることができる。
  (d)泳ぎ方、描き方、教え方を学ぶような、成熟とは密接に結びついていない学習のためのその他の生得的能力。
 (3.2)何らかの学習過程を通して獲得される記憶
  (a)無意識的で受動的な学習過程によって獲得される記憶
  (b)意識的で能動的な学習過程によって獲得される記憶
(4)想起の様相に基づく記憶の分類(カール・ポパー(1902-1994))
 (4.1)能動的に随意に想起できる記憶
 (4.2)随意に想起できず、求められなくとも想起されてしまう記憶

 「関連した問題の一般的な展望を得るために、最も広い意味での《記憶》という語に含まれる現象を枚挙するのが有益であると思われる。
 磁化の《経験》に関しての鉄棒、または成長する結晶が示すような《断層》に関しての前有機的《記憶》から始めることもできよう。だが、このような前有機的効果の目録は長いわりに啓発的でない。
(1) 生物の最初の記憶に似た効果は、十中八九、遺伝子(DNAまたはたぶんRNA)に暗号化された蛋白質(酵素)合成のプログラムの維持であることはほとんど間違いない。それは、とりわけ、記憶の誤りの出現(突然変異)と、そのような誤りが持続する傾向を示している。
(2) 生得的神経路は本能、行動の仕方、そして技能からなる一種の記憶を構成するようである。
(3) この構造的または解剖的エングラム(2)に加えて、機能的性格をもった付加的な生得的記憶がある。これは(歩いたり話したりすることを学ぶための)さまざまな機能を十分に発達して生得的能力を含むようである。免疫学的記憶もまたここに挙げることができる。
(4) 泳ぎ方、描き方、教え方を学ぶような、成熟とは密接に結びついていない学習のためのその他の生得的能力。
(5) 何らかの学習過程を通して獲得される記憶
(5.1) 能動的に獲得される (a)意識的に (b)無意識的に
(5.2) 受動的に獲得される (a)意識的に (b)無意識的に
(6) 前述のものと部分的に結びつく、それ以上の区別
(6.1) 随意に思い起こせる
(6.2) 随意に思い起こせない(が、いわば、《期待波》(expectancy waves)として求められなくても起こる)
(6.3) 手の技能とその他の身体的技能(水泳、スキー)
(6.4) 言語で表現された理論
(6.5) 会話、語彙、詩の学習」(中略)「
(7) 連続性形成記憶。これと関連して、いくつかの興味深い理論がある。それは、アンリ・ベルクソン〔1896〕、〔1911〕が(《習慣》と対立させて)《純粋記憶》と呼んだものと関連しているように思われる。すなわち、われわれの経験すべての正しい時間的順序による記録だが、この記録は、ベルクソンによれば、大脳中に、つまりどのような物質中にも記憶されていない。それは純粋に精神的な実体として存在する。(大脳の機能は純粋記憶に対してフィルターとして働き、それがわれわれの注意に侵入しないようにする。)」(中略)「
(8) 試行錯誤、問題解決、あるいは行為と選択による能動的学習の過程については、われわれは少なくとも次のような異なる段階を区別すべきであると思われる。
(8.1) 生得的な、そして獲得した《いかに行動するかの知識》(knowledge how)と、(背景にある)《何であるかの知識》(knowledge that)とによって導かれる能動的探究
(8.2) 新しい推測、新しい理論の作成
(8.3) その新しい推測や理論の批判とテスト
(8.4) その推測の拒絶と、それがうまくいかない(《そうではない》)という事実の記録
(8.5) もとの推測の修正や新しい推測を用いての(8.4)から(8.2)への過程の反復
(8.6) 新しい推測がうまくいくようだという発見
(8.7) 補足的なテストを含む、その新しい推測の適用
(8.8) その新しい推測の実際的で標準化された使用(その採用)
 これらの段階の中で、(8.8)の過程のみが反復という性格をもつ、と私は思っている。」
(カール・ポパー(1902-1994)『自我と脳』第1部、P4章 自我についてのいくつかの論評、41――記憶の種類(上)pp.213-216、思索社(1986)、西脇与作・沢田允茂(訳))
(索引:記憶の種類)

自我と脳


(出典:wikipedia
カール・ポパー(1902-1994)の命題集(Propositions of great philosophers)  「あらゆる合理的討論、つまり、真理探究に奉仕するあらゆる討論の基礎にある原則は、本来、《倫理的な》原則です。そのような原則を3つ述べておきましょう。
 1.可謬性の原則。おそらくわたくしが間違っているのであって、おそらくあなたが正しいのであろう。しかし、われわれ両方がともに間違っているのかもしれない。
 2.合理的討論の原則。われわれは、ある特定の批判可能な理論に対する賛否それぞれの理由を、可能なかぎり非個人的に比較検討しようと欲する。
 3.真理への接近の原則。ことがらに即した討論を通じて、われわれはほとんどいつでも真理に接近しようとする。そして、合意に達することができないときでも、よりよい理解には達する。
 これら3つの原則は、認識論的な、そして同時に倫理的な原則であるという点に気づくことが大切です。というのも、それらは、なんと言っても寛容を合意しているからです。わたくしがあなたから学ぶことができ、そして真理探究のために学ぼうとしているとき、わたくしはあなたに対して寛容であるだけでなく、あなたを潜在的に同等なものとして承認しなければなりません。あらゆる人間が潜在的には統一をもちうるのであり同等の権利をもちうるということが、合理的に討論しようとするわれわれの心構えの前提です。われわれは、討論が合意を導かないときでさえ、討論から多くを学ぶことができるという原則もまた重要です。なぜなら討論は、われわれの立場が抱えている弱点のいくつかを理解させてくれるからです。」
 「わたくしはこの点をさらに、知識人にとっての倫理という例に即して、とりわけ、知的職業の倫理、つまり、科学者、医者、法律家、技術者、建築家、公務員、そして非常に重要なこととしては、政治家にとっての倫理という例に即して、示してみたいと思います。」(中略)「わたくしは、その倫理を以下の12の原則に基礎をおくように提案します。そしてそれらを述べて〔この講演を〕終えたいと思います。
 1.われわれの客観的な推論知は、いつでも《ひとりの》人間が修得できるところをはるかに超えている。それゆえ《いかなる権威も存在しない》。このことは専門領域の内部においてもあてはまる。
 2.《すべての誤りを避けること》は、あるいはそれ自体として回避可能な一切の誤りを避けることは、《不可能である》。」(中略)「
 3.《もちろん、可能なかぎり誤りを避けることは依然としてわれわれの課題である》。しかしながら、まさに誤りを避けるためには、誤りを避けることがいかに難しいことであるか、そして何ぴとにせよ、それに完全に成功するわけではないことをとくに明確に自覚する必要がある。」(中略)「
 4.もっともよく確証された理論のうちにさえ、誤りは潜んでいるかもしれない。」(中略)「
 5.《それゆえ、われわれは誤りに対する態度を変更しなければならない》。われわれの実際上の倫理改革が始まるのは《ここにおいて》である。」(中略)「
 6.新しい原則は、学ぶためには、また可能なかぎり誤りを避けるためには、われわれは《まさに自らの誤りから学ば》ねばならないということである。それゆえ、誤りをもみ消すことは最大の知的犯罪である。
 7.それゆえ、われわれはたえずわれわれの誤りを見張っていなければならない。われわれは、誤りを見出したなら、それを心に刻まねばならない。誤りの根本に達するために、誤りをあらゆる角度から分析しなければならない。
 8.それゆえ、自己批判的な態度と誠実さが義務となる
 9.われわれは、誤りから学ばねばならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせてくれたときには、それを受け入れること、実際、《感謝の念をもって》受け入れることを学ばねばならない。われわれが他者の誤りを明らかにするときは、われわれ自身が彼らが犯したのと同じような誤りを犯したことがあることをいつでも思い出すべきである。」(中略)「
 10.《誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とする(また彼らはわれわれを必要とする)ということ》、とりわけ、異なった環境のもとで異なった理念のもとで育った他の人間を必要とすることが自覚されねばならない。これはまた寛容に通じる。
 11.われわれは、自己批判が最良の批判であること、しかし《他者による批判が必要な》ことを学ばねばならない。それは自己批判と同じくらい良いものである。
 12.合理的な批判は、いつでも特定されたものでなければならない。それは、なぜ特定の言明、特定の仮説が偽と思われるのか、あるいは特定の論証が妥当でないのかについての特定された理由を述べるものでなければならない。それは客観的真理に接近するという理念によって導かれていなければならない。このような意味において、合理的な批判は非個人的なものでなければならない。」
(カール・ポパー(1902-1994),『よりよき世界を求めて』,第3部 最近のものから,第14章 寛容と知的責任,VI~VIII,pp.316-317,319-321,未来社(1995),小河原誠,蔭山泰之,(訳))

カール・ポパー(1902-1994)
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2018年9月13日木曜日

7.快と不快、愛着、反感等々の諸感情は、記憶による諸体験の形成物である。記憶は、強調し省略し、単純化し、圧縮し、対立(格闘)させ、相互形成し、秩序付け、統一体への変形する。諸思想は、最も表面的なものである。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))

快と不快、感情、記憶

【快と不快、愛着、反感等々の諸感情は、記憶による諸体験の形成物である。記憶は、強調し省略し、単純化し、圧縮し、対立(格闘)させ、相互形成し、秩序付け、統一体への変形する。諸思想は、最も表面的なものである。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))】

(1)諸思想は、最も表面的なものである。
(2)快と不快は、諸本能によって規制された諸々の複雑な価値評価の結果である。
(3)愛着、反感等々の諸感情は、既に諸々の統一体が形成されていることの徴候である。私たちの「諸本能」は、記憶による諸体験の形成物である。
(4)記憶過程
 (4.1)個別的な事実として思い起こされ得る極く最近の諸体験は、まだ表面上を漂っている。
 (4.2)多くの諸事例から概念が形成されるときのような、強調と省略がある。
 (4.2)単純化、圧縮、対立(格闘)、相互形成、秩序付け、統一体への変形。

 「記憶に関して学びなおされなくてはならない。

記憶とは、生きいきとして、おのれを秩序づけ、相互に形成しあい、たがいに格闘しあい、単純化作用や、圧縮作用や、多くの統一体への変形作用を行なっているところの、すべての有機的な生命の一切の諸体験の群れなのだ。

概念が多くの諸事例から形成されるのと同様な事情にあるなんらかの内的な《過程》が、すなわち、根本図式を際立たせて常にあらたに強調し、副次的な諸特徴を省略するはたらきが、進行しているにちがいない。

―――或るものがまだ個別的な事実として思い起こされうるかぎり、そのものはまだ溶け込んではいない。ごく最近の諸体験はまだ表面上を漂っているのだ。

愛着、反感等々の諸感情は、すでにもろもろの統一体が形成されていることの徴候である。私たちの「諸本能」はそうして形成物なのだ。

諸思想は最も表面的なものであり、不可解な仕方で生じて現存しているもろもろの価値評価は、いっそう深いところに達している。快と不快は、諸本能によって規制されたもろもろの複雑な価値評価の結果である。」
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『遺稿集・生成の無垢』Ⅰ認識論/自然哲学/人間学 三〇三、ニーチェ全集 別巻4 生成の無垢(下)、pp.172-173、[原佑・吉沢伝三郎・1994])
(索引:快と不快,感情,記憶,価値評価,思想,本能)

生成の無垢〈下〉―ニーチェ全集〈別巻4〉 (ちくま学芸文庫)


(出典:wikipedia
フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「精神も徳も、これまでに百重にもみずからの力を試み、道に迷った。そうだ、人間は一つの試みであった。ああ、多くの無知と迷いが、われわれの身において身体と化しているのだ!
 幾千年の理性だけではなく―――幾千年の狂気もまた、われわれの身において突発する。継承者たることは、危険である。
 今なおわれわれは、一歩また一歩、偶然という巨人と戦っている。そして、これまでのところなお不条理、無意味が、全人類を支配していた。
 きみたちの精神きみたちの徳とが、きみたちによって新しく定立されんことを! それゆえ、きみたちは戦う者であるべきだ! それゆえ、きみたちは創造する者であるべきだ!
 認識しつつ身体はみずからを浄化する。認識をもって試みつつ身体はみずからを高める。認識する者にとって、一切の衝動は聖化される。高められた者にとって、魂は悦ばしくなる。
 医者よ、きみ自身を救え。そうすれば、さらにきみの患者をも救うことになるだろう。自分で自分をいやす者、そういう者を目の当たり見ることこそが、きみの患者にとって最善の救いであらんことを。
 いまだ決して歩み行かれたことのない千の小道がある。生の千の健康があり、生の千の隠れた島々がある。人間と人間の大地とは、依然として汲みつくされておらず、また発見されていない。
 目を覚ましていよ、そして耳を傾けよ、きみら孤独な者たちよ! 未来から、風がひめやかな羽ばたきをして吹いてくる。そして、さとい耳に、よい知らせが告げられる。
 きみら今日の孤独者たちよ、きみら脱退者たちよ、きみたちはいつの日か一つの民族となるであろう。―――そして、この民族からして、超人が〔生ずるであろう〕。
 まことに、大地はいずれ治癒の場所となるであろう! じじつ大地の周辺には、早くも或る新しい香気が漂っている。治癒にききめのある香気が、―――また或る新しい希望が〔漂っている〕!」
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『このようにツァラトゥストラは語った』第一部、(二二)贈与する徳について、二、ニーチェ全集9 ツァラトゥストラ(上)、pp.138-140、[吉沢伝三郎・1994])

フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)
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2018年8月20日月曜日

意識経験を生み出す0.5秒間の脳の活性化は、海馬が媒介する顕在記憶や、非宣言的記憶や潜在記憶と同じものではない。すなわち、意識経験と記憶とは別の現象である。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

意識経験と記憶

【意識経験を生み出す0.5秒間の脳の活性化は、海馬が媒介する顕在記憶や、非宣言的記憶や潜在記憶と同じものではない。すなわち、意識経験と記憶とは別の現象である。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】

(1)宣言記憶、顕在記憶
 意識的な想起や報告が可能で、側頭葉の海馬組織が生成を媒介している。
(2)非宣言的記憶、潜在記憶
 事象についての意識的なアウェアネスがまったくなくても形成され、想起や報告ができない。
(3)両方の海馬構造が損傷した患者の事例
 (3.1)今起こったばかりの出来事について、実際想起できるアウェアネスがまったく無い。
 (3.2)しかしながら、今現在と、自身について自覚する能力を維持している。起こったばかりのことを覚えられない自分の能力の欠陥についても自覚しており、これが生活の質に深刻な損害を与えている、と苦痛さえ訴える。また、潜在的なスキルの学習能力もある。

(b)疑問:アウェアネスに必要な0.5秒間の活動持続時間というのは、単にある事象の短期記憶を生み出すのにかかる時間を反映しているだけではないか。
(c1)可能な仮説1:記憶痕跡の発生そのものが、アウェアネスの「コード」である。
 (c1.1)潜在記憶の生成そのものが、意識経験を生み出しているわけではない。なぜなら、潜在記憶は想起や報告ができないからだ。

          これは想起できない
            ↑
意識的な皮膚感覚    │
 ↑          │
アウェアネスに必要な0.5秒間の活動持続時間
 ↑(これが、潜在記憶そのもの?)
 │
単発の有効な皮膚への刺激パルス

 (c1.2)顕在記憶の生成そのものが、意識経験を生み出しているわけではない。なぜなら、両方の海馬を損傷して顕在記憶を失った患者でも、意識的な経験を確かに持っているからだ。

意識的な皮膚感覚
 ↑
アウェアネスに必要な0.5秒間の活動持続時間
 ↑(これが、顕在記憶そのもの?)
 │
単発の有効な皮膚への刺激パルス

(c2)可能な仮説2:ある事象のアウェアネスは遅延無しに発生するが、それが報告可能になるには、0.5秒間の長さの活性化が必要である。


 「人間の被験者を観察した報告が、アウェアネスを生み出す上での記憶形成の役割について大きな論争を提供します。人間も、それ以外の動物でも、いわゆる宣言記憶、または顕在記憶の形成の媒介機構として、大脳半球の側頭葉の中にある特定の構造が必要になります。こうした種類の記憶は、意識的な想起や報告が可能です。これらは、非宣言的記憶や潜在記憶と区別されています。潜在記憶は、事象についての意識的なアウェアネスがまったくなくても形成されますが、想起や報告ができません。これらは機械的・知的両方のスキルを習得する際に主に機能します。〔訳注=宣言記憶とは命題の形で書けるような知識の記憶を指す。たとえば歴史上の事実についての記憶がそれである。それ以外の記憶を非宣言的記憶といい、手続き記憶やプライミング、条件づけなどがこれに含まれる。手続き記憶とは、自転車の乗り方やチェスのプレーの仕方など、またプライミングとは、一度経験すると後の同じ刺激の処理がより効率的になる効果を指す。〕
 側頭葉の海馬組織は、顕在記憶の生成を媒介するために必要な神経コンポーネントです。片半球の海馬が損傷しても、損なわれていない反対半球の構造が、記憶プロセスを実行できます。しかしもし、両方の海馬構造が損傷すると、その人は新しい顕在記憶を形成する能力の深刻な喪失に陥ります。このような人には、今起こったばかりの出来事について、実際想起できるアウェアネスがまったくありません。ある事象が起こった直後でも、その事象の内容をこの人は語ることができないのです。
 このような喪失は、両方の側頭葉の病的な損傷が原因です。より厳密に言うと、この左右相称の喪失は海馬内のてんかん病巣を除去する外科手術で、間違って健常な海馬部位まで除去してしまった場合に起こりました。この手術ミスが起こった当時は、どちら側の海馬に欠陥があるかを判断するのは難しいことでした。そのため、患者の良いほうの部分を除去してしまい、もう片方の機能していない病巣構造を残してしまったのです。この間違いが、顕在記憶の形成における、海馬構造の役割の発見につながりました。
 ここで、私たちの現在の目的に見合った、以下のような興味深い観察ができます。両方の海馬構造を喪失した人は、事実上、今起こったばかりのどのような事象や感覚像についても、まったく想起可能なアウェアネスがありません(一方、損傷を受ける前に形成された長期記憶は、失われることはありません)。しかしながら、このような人は今現在と、自身について自覚する能力を維持しています。
 このタイプの喪失を持つある患者についての映画を観ると、この人は機敏で話好きです。彼は自分の周囲の環境と、自分をインタヴューしている心理学者をはっきり自覚しています。またさらに彼は、起こったばかりのことを覚えられない自分の能力の欠陥についても自覚しており、これが生活の質に深刻な損害を与えている、と苦痛さえ訴えました。
 この患者は、実際にはすべての記憶機能を喪失したわけではありませんでした。彼はコンピュータの前に座って、スキルを競うゲームの遊び方を覚えることができました。しかし、どのようにそのスキルを覚えたのかは、彼には説明ができませんでした。学習したスキルの記憶は明らかに、潜在タイプであり、海馬構造の機能を必要としません。つまり、これは海馬とはまた別の神経経路の働きであるに違いありません。しかし(当然のことながら)潜在記憶と結びついたアウェアネスはありません。したがって、記憶にはアウェアネスを生み出す役割がある、という主張に潜在記憶を利用することはできないわけです。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第2章 意識を伴う感覚的なアウェアネスに生じる遅延,岩波書店(2005),pp.69-71,下條信輔(訳))
(索引:意識経験,記憶,顕在記憶,潜在記憶)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

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2018年1月13日土曜日

外部感覚だけでなく、それがより広い範囲の身体に影響を与えて生じた共通感覚もまた、記憶され、想像力の対象となる。(ルネ・デカルト(1596-1650))

共通感覚の記憶

【外部感覚だけでなく、それがより広い範囲の身体に影響を与えて生じた共通感覚もまた、記憶され、想像力の対象となる。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 ある特定の外部感覚の原因となった身体の能動が、より広い範囲の身体に影響を与えて生じた共通感覚もまた、外部感覚と同じように、身体に印象づけられ、これらの印象は外部感覚がなくても、それら自体だけでも形や観念を生じさせる(想像力)ようなものとして、身体に把持されている(記憶)。
 「第三に、共通感覚もまた、外部感覚からして物体の助けを借らずにただ自体だけで到来するところのこれら形または観念をば、あたかも印章が蝋に印するごとくに、想像または想像力(phantasia vel imaginatio)の中へ印象づける働きをする、と考うべきである。そして、この想像は、現実の身体部分であって、それのさまざまな部分は、互いに区別された多くの形を受け容れるだけの大きさをもっており、通常それらの形を長く把持する――この時それは記憶と呼ばれる――と考うべきである。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、p.75、[野田又夫・1974])
(索引:共通感覚、想像力、記憶)

精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)



ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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問題となっている対象を表わす抽象化された記号を、紙の上の諸項として表現する。次に紙の上で、記号をもって解決を見出すことで、当初の問題の解を得る。(ルネ・デカルト(1596-1650))

紙の上の能動

【問題となっている対象を表わす抽象化された記号を、紙の上の諸項として表現する。次に紙の上で、記号をもって解決を見出すことで、当初の問題の解を得る。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 いまや、紙に書き留めておくことのできるものは、記憶に委ねない。われわれは、問題の諸項を、最初に示された通りに書き込む。次いで、それらの項がいかなる仕方で抽象されたか、いかなる記号によって表示されているか、を書く。かくしてこの記号を以って解決を見出した後、われわれはその解決を、容易に、記憶の助力を少しも借らずして、始め問題となっていた特殊な主体に適用しうるであろう。
 「今や一般的に、絶えざる注意を必要とせずかつ紙に書きとめておくことのできる事物は、決して記憶に委ねないように、注意すべきである。すなわち、不必要な記憶の努力が、われらの精神の一部を、現前の対象の認識からはずれさせることのないようにすべきなのである。そして一覧表を作るべきである。――これへわれわれは、問題の諸項を、最初に示された通りに書き込む。次いで、それらの項がいかなる仕方で抽象されたか、いかなる記号によって表示されているか、を書く。かくしてこの記号を以って解決を見出した後、われわれはその解決を、容易に、記憶の助力を少しも借らずして、始め問題となっていた特殊な主体に適用しうるであろう。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一六、pp.127-128、[野田又夫・1974])
(索引:紙の上の諸項、記憶、抽象、記号)

精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)



ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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2018年1月12日金曜日

悟性はいかにして、想像力、感覚、記憶から助けられ、あるいは妨げられるか。(ルネ・デカルト(1596-1650))

悟性と想像力

【悟性はいかにして、想像力、感覚、記憶から助けられ、あるいは妨げられるか。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 「さてわれわれがわが内に認めるところ、ただ悟性のみが知識を獲得しうるが、それはまた他の三つの能力、すなわち想像力(imaginatio)・感覚・記憶(memoria)によって、或いは助けられ或いは妨げられうる。そこで、順序正しく、これら三つの能力の一々がいかなる害を与えうるかを考察し、以ってこの害を防ぐべきであり、またいかなる益を与えうるかを考察して、以ってそれらの寄与を残らず用うべきである。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第八、p.56、[野田又夫・1974])
(索引:想像力、悟性、感覚、記憶)

精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)



ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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