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2020年4月9日木曜日

(仮説)ある出来事の発生から、起こり得る別の出来事への推移の過程は因果律に従い、過去・現在・未来の違いは決して幻ではない。しかし全ての出来事が、宇宙全体の包括的で連続的な一つの順序に従って整列可能とは限らない。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

時間の順序

【(仮説)ある出来事の発生から、起こり得る別の出来事への推移の過程は因果律に従い、過去・現在・未来の違いは決して幻ではない。しかし全ての出来事が、宇宙全体の包括的で連続的な一つの順序に従って整列可能とは限らない。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))】
   参考:(量子重力に関する仮説)質量に影響される重力場は揺らいで互いに重ね合わさり、相互作用が起きると持続時間は粒状になり、相互作用した相手との関わりにおいてのみその値が定まる。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))
   参考:(仮説)ある事物と他の事物の間の相互作用によって粒状の持続時間が現れる。この出来事から、起こり得る別の相互作用への推移の過程は、因果律に従う。世界は、出来事のネットワークであるが、現れた時間は、順序づけ可能とは限らない。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

 「自分たちが、宇宙を一筋のきちんとした時間の連続として整列させられないからといって、変化するものがいっさいないとはいえない。単に、さまざまな変化が順序づけられた線に沿って一列に並んでいるわけではない、というだけのことなのだ。この世界の時間の構造はもっと複雑で、さまざまな瞬間がずらずらと一直線につながっているわけではない。でもだからといって、変化が存在しないとか、幻だとはいえない。
 過去と現在と未来の違いは決して幻ではない。それは、この世界の構造なのだ。だがその構造は、現在主義のそれとは違う。出来事同士の時間の関係は思っていたより複雑だが、それでも構造は存在している。親子関係は全体の順序を確定しないが、親子関係が幻だとはいえない。全員がずらっと一列に並んでいないからといって、わたしたちの間にまったく関係がないということにはならないのだ。変化や出来事の発生は、決して幻ではない。ここまででわかったこと、それは、この世界の変化が包括的な順序に従って生じているわけではないという事実だ。
 ではここで、最初の問いに戻るとしよう。「現実」とは何か。何が「存在」しているのか。「この問いは間違っている」というのがその答えだ。この問いはすべてを意味し、何ものをも意味しない。なぜなら「現実」という言葉は曖昧で、意味がたくさんあるからだ。「存在」という言葉に至っては、さらに多くの意味がある。」
(カルロ・ロヴェッリ(1956-),『時間の順序』,日本語書籍名『時間は存在しない』,第2部 時間のない世界,第7章 語法がうまく合っていない,pp.109-110,NHK出版(2019),冨永星(訳))
(索引:時間の順序,過去,現在,未来)

時間は存在しない


カルロ・ロヴェッリ(1956-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
カルロ・ロヴェッリ(1956-)
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2018年6月4日月曜日

生きているこの今という瞬間だけが存在し、君には、唯一これだけが与えられている。君は、いかにそれを大切にし、いつくしまなければならないことか。(マルクス・アウレーリウス(121-180))

生きているこの瞬間

【生きているこの今という瞬間だけが存在し、君には、唯一これだけが与えられている。君は、いかにそれを大切にし、いつくしまなければならないことか。(マルクス・アウレーリウス(121-180))】
 生きているこの今という瞬間を、よくよく考えてみること。君は、いかにそれを大切にし、いつくしまなければならないことか分かるだろう。
(a) 誰であっても、現在生きているこの瞬間、この現在以外の何物をも与えられていない。たとえ君が三千年生きるとしても、いや三万年生きるとしても、現在生きている生涯以外の何物をも失うことはない。
(b) 誰であっても、この今生きている生涯以外の、他のどんな何物をも生きることはない。
(c) この今という瞬間に存在の真実があり、何ものも隠されてはいない。万物は永遠の昔から同じ形をなし、今ここにこうして存在している。したがって、君がこれを百年見ていようと、二百年見ていようと、無限にわたって見ていようと、何の違いもない。
 「たとえ君が三千年生きるとしても、いや三万年生きるとしても、記憶すべきはなんぴとも現在生きている生涯以外の何物をも失うことはないということ、またなんぴとも今失おうとしている生涯以外の何物をも生きることはない、ということである。したがって、もっとも長い一生ももっとも短い一生と同じことになる。なぜなら現在は万人にとって同じものであり、〔したがって我々の失うものも同じである。〕ゆえに失われる時は瞬時にすぎぬように見える。なんぴとも過去や未来を失うことはできない。自分の持っていないものを、どうして奪われることがありえようか。であるから次の二つのことをおぼえていなくてはならない。第一に、万物は永遠の昔から同じ形をなし、同じ周期を反復している、したがってこれを百年見ていようと、二百年見ていようと、無限にわたって見ていようと、なんのちがいもないということ。第二に、もっとも長命のものも、もっとも早死するものも、失うものは同じであるということ。なぜならば人が失いうるものは現在だけなのである。というのは彼が持っているのはこれのみであり、なんぴとも自分の持っていないものを失うことはできないからである。」
(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第二巻、一四、pp.31-32、[神谷美恵子・2007])
(索引:生きているこの瞬間、現在、過去、未来)

自省録 (岩波文庫)



(出典:wikipedia
マルクス・アウレーリウス(121-180)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「波の絶えず砕ける岩頭のごとくあれ。岩は立っている、その周囲に水のうねりはしずかにやすらう。『なんて私は運が悪いんだろう、こんな目にあうとは!』否、その反対だ、むしろ『なんて私は運がいいのだろう。なぜならばこんなことに出会っても、私はなお悲しみもせず、現在におしつぶされもせず、未来を恐れもしていない』である。なぜなら同じようなことは万人に起りうるが、それでもなお悲しまずに誰でもいられるわけではない。それならなぜあのことが不運で、このことが幸運なのであろうか。いずれにしても人間の本性の失敗でないものを人間の不幸と君は呼ぶのか。そして君は人間の本性の意志に反することでないことを人間の本性の失敗であると思うのか。いやその意志というのは君も学んだはずだ。君に起ったことが君の正しくあるのを妨げるだろうか。またひろやかな心を持ち、自制心を持ち、賢く、考え深く、率直であり、謙虚であり、自由であること、その他同様のことを妨げるか。これらの徳が備わると人間の本性は自己の分を全うすることができるのだ。今後なんなりと君を悲しみに誘うことがあったら、つぎの信条をよりどころとするのを忘れるな。曰く『これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶことは幸運である。』」
(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第四巻、四九、p.69、[神谷美恵子・2007])
(索引:波の絶えず砕ける岩頭の喩え)

マルクス・アウレーリウス(121-180)
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