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2019年8月9日金曜日

道徳的な原則は、あらゆる社会的伝統と同様に、意図的な変更を受けない。しかし、法の規定が、現行の道徳を変更したり高めたり、伝統的な慣行を消滅させたり、ある階層の伝統を形成したりすることもある。(ハーバート・ハート(1907-1992))

道徳的な原則の特徴:意図的な変更を受けない

【道徳的な原則は、あらゆる社会的伝統と同様に、意図的な変更を受けない。しかし、法の規定が、現行の道徳を変更したり高めたり、伝統的な慣行を消滅させたり、ある階層の伝統を形成したりすることもある。(ハーバート・ハート(1907-1992))】

(b.2)追記。

一般の行動規則、道徳的な原則、正義の原則の違い。
(1)一般の行動規則:個人の行動に関する一定のルールや原則
(2)道徳的な原則:個人の行為を義務づける道徳に関する一定のルールや原則
 (2.1)在る法に対する批判のすべてが、正義の名においてなされるわけではない。道徳的な原則も、在る法を批判する根拠の一つである。
 (2.2)道徳的な原則は、次の4つの特徴を持つ。
  参照:一般の行動規則から道徳的な原則を区別する4つの特徴がある。(a)重要性、(b)意図的な変更を受けないこと、(c)道徳的犯罪の自発的な性格、(d)道徳的圧力の形態。(ハーバート・ハート(1907-1992))
  (a)重要性
   一般の行動規則から道徳的な原則を区別する4つの特徴がある。まず(a)重要性。(a.1)要求される個人的利益の犠牲の程度、(a.2)社会的圧力の大きさの程度、(a.3)基準が遵守されない場合の影響力の程度。(ハーバート・ハート(1907-1992))
   (a.1)要求される個人的利益の犠牲の程度
    大きい:強力な感情の発現を禁じるために、かなりの個人的利益の犠牲が要求される。
    小さい:あまり大きな犠牲が要求されない。
   (a.2)社会的圧力の大きさの程度
    大きい:個々の場合に基準を遵守させるためだけでなく、社会の全ての者に教育し教え込むための社会的圧力の色々な形態が用いられる。
    小さい:大きな圧力は加えられない。
   (a.3)基準が遵守されない場合の影響力の程度
    大きい:個人の生活に、広範で不愉快な変化が生じるであろうと認識されている。
    小さい:社会生活の他の分野には何ら大きな変化が生じない。

  (b)意図的な変更を受けないこと
   一般の行動規則から道徳的な原則を区別する4つの特徴がある。二つめ(b)道徳的な原則は、あらゆる社会的伝統と同様に、意図的な変更を受けない。しかし、ある事態では現実に、導入、変更、廃止が起こりうる。(ハーバート・ハート(1907-1992))
   (b.1)道徳的な原則は、意図的に導入、変更、廃止することができない。
    (b.1.1)道徳をつくり変更する権限をもった道徳定立機関があるというような考えは、道徳の観念そのものと矛盾するものである。このことは、社会によってまたは時代によって異なるという性質のものではない。
   (b.2)しかし、ある事態では現実に、導入、変更、廃止が起こりうる。ルールはそれが生成し、実行されることによってその地位を獲得し、用いられなくなり、衰退することによってそれを失う。
    (b.2.1)たいていは、定立された法よりも、深く根をおろしている道徳の方が強く、相容れない法と道徳が併存する場合もある。
    (b.2.2)法の規定が、誠実さや人道性の基準を立てる場合があり、現行の道徳を変更したり、高めたりすることもある。
    (b.2.3)法によって禁じられたり罰せられることによって、伝統的な慣行が絶え、消滅することもある。
    (b.2.4)ある法が、ある階層の人々に兵役を課すことによって、その階層に一つの伝統を生み出し、伝統が法よりも長く存続することになるかもしれない。
   (b.3)意図的な変更を受けないという特徴は、どのような社会的伝統に関しても、同様である。
   (b.4)これに対して、法体系は意図的な立法行為により、導入、変更、廃止される。
  (c)道徳的犯罪の自発的な性格
  (d)道徳的圧力の形態
(3)正義の原則:個人の行動にではなく、さまざまな部類の人々の取り扱い方に主としてかかわる道徳の一部である。法や、他の公的ないしは社会的制度を批判する根拠である。
(4)法:実際に在る法


 「道徳や伝統は法のように立法機関の制定行為によって直接変更されるものではないという事実から、それらが他の形の変更をも受けないものであると誤解してはならない。たしかに道徳的ルールや伝統は意図的な選択や定立によって廃止したり変更することはできないけれども、法の定立や廃止がある種の道徳的基準やある種の伝統の変化または衰退の原因の一部になることは十分ありうることである。もしガイ・フォークスの夜祭のような伝統的な慣行が法によって禁じられたり罰せられるということになれば、この慣行は絶え、伝統は消滅するだろう。これに反して、もしある法がある階層の人々に兵役を課すことになれば、これはその階層に一つの伝統を生み出し、それはその法よりも長く存続することになるかもしれない。したがって、法の規定もまた誠実さや人道性の基準を立てる場合があり、これは究極的に現行の道徳を変更したり高めたりすることにもなる。これは反して、道徳上義務的であると考えられる慣行を法によって抑制することが、結局は、その慣行が重要であるという意識とそれゆえにまたその道徳としての地位を失わしめる原因となるのである。しかしたいていの場合、法はこのような深く根をおろしている道徳との戦いには敗れるのであり、その道徳的ルールは道徳が命じるものを禁じる法とならんで生気あふれる活動を続けるのである。
 伝統や道徳が変化する場合、法がその原因となるかもしれないが、その変更の諸形態は立法機関による変更や廃止とは区別されなければならない。というのは、法律の制定によって《法的》地位が獲得されたり失われたりすることはたしかに制定された法律の「法的効果」であると呼ばれるであろうが、これは、制定法が道徳または伝統に対して結果的にもたらす効果のような、偶然的な変化の原因となるものではない。この相異を理解するためには、明白で有効な法の制定が道徳の変更をもたらすかどうかは常に疑うことができるのに対して、明白で有効な法の制定が法を変更したものであることに対して同様の疑いをさしはさむことはできない、という事実を見れば十分であろう。
 道徳または伝統の観念が意図的な制定による変更の観念とは相いれないものであるということは、また、ある体系のある種の法が憲法の制限的条項によって変更を受けないということとも区別されなければならない。このような変更を受けないことは、憲法の改正によって取り除くことができるものであるから、法が法としてもっている地位に不可欠の要素ではない。このように法が立法機関による変更を受けないのとは異なり、道徳や伝統が同様の方法によって変更されえないということは、社会によってまたは時代によって異なるという性質のものではない。そのことは道徳や伝統という言葉の意味に組み込まれているものであって、法の定立が法をつくり変更するのと同様の意味で、道徳をつくり変更する権限をもった道徳定立機関があるというような考えは、道徳の観念そのものと矛盾するものである。特に国際法について考察するようになれば、この体系の欠陥であるとみられることのある立法機関の単なる《事実上の》欠如と、ここで強調したように、道徳的ルールまたは基準は立法行為によってつくられ廃止されるという考えに潜んでいる基本的な矛盾とを区別することが重要であることがわかるようになるであろう。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法の概念』,第8章 正義と道徳,第2節 道徳的および法的責務,pp.192-194,みすず書房(1976),矢崎光圀(監訳),川島慶雄(訳))
(索引:道徳的な原則の特徴,意図的な変更を受けない)

法の概念


(出典:wikipedia
ハーバート・ハート(1907-1992)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「決定的に重要な問題は、新しい理論がベンサムがブラックストーンの理論について行なった次のような批判を回避できるかどうかです。つまりブラックストーンの理論は、裁判官が実定法の背後に実際にある法を発見するという誤った偽装の下で、彼自身の個人的、道徳的、ないし政治的見解に対してすでに「在る法」としての表面的客観性を付与することを可能にするフィクションである、という批判です。すべては、ここでは正当に扱うことができませんでしたが、ドゥオーキン教授が強力かつ緻密に行なっている主張、つまりハード・ケースが生じる時、潜在している法が何であるかについての、同じようにもっともらしくかつ同じように十分根拠のある複数の説明的仮説が出てくることはないであろうという主張に依拠しているのです。これはまだこれから検討されねばならない主張であると思います。
 では要約に移りましょう。法学や哲学の将来に対する私の展望では、まだ終わっていない仕事がたくさんあります。私の国とあなたがたの国の両方で社会政策の実質的諸問題が個人の諸権利の観点から大いに議論されている時点で、われわれは、基本的人権およびそれらの人権と法を通して追求される他の諸価値との関係についての満足のゆく理論を依然として必要としているのです。したがってまた、もしも法理学において実証主義が最終的に葬られるべきであるとするならば、われわれは、すべての法体系にとって、ハード・ケースの解決の予備としての独自の正当化的諸原理群を含む、拡大された法の概念が、裁判官の任務の記述や遂行を曖昧にせず、それに照明を投ずるであろうということの論証を依然として必要としているのです。しかし現在進んでいる研究から判断すれば、われわれがこれらのものの少なくともあるものを手にするであろう見込みは十分あります。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法学・哲学論集』,第2部 アメリカ法理学,5 1776-1976年 哲学の透視図からみた法,pp.178-179,みすず書房(1990),矢崎光圀(監訳),深田三徳(訳))
(索引:)

ハーバート・ハート(1907-1992)
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2019年8月4日日曜日

一般の行動規則から道徳的な原則を区別する4つの特徴がある。二つめ(b)道徳的な原則は、あらゆる社会的伝統と同様に、意図的な変更を受けない。しかし、ある事態では現実に、導入、変更、廃止が起こりうる。(ハーバート・ハート(1907-1992))

道徳的な原則の特徴:意図的な変更を受けない

【一般の行動規則から道徳的な原則を区別する4つの特徴がある。二つめ(b)道徳的な原則は、あらゆる社会的伝統と同様に、意図的な変更を受けない。しかし、ある事態では現実に、導入、変更、廃止が起こりうる。(ハーバート・ハート(1907-1992))】

(b.1)~(b.4)追記。

一般の行動規則、道徳的な原則、正義の原則の違い。
(1)一般の行動規則:個人の行動に関する一定のルールや原則
(2)道徳的な原則:個人の行為を義務づける道徳に関する一定のルールや原則
 (2.1)在る法に対する批判のすべてが、正義の名においてなされるわけではない。道徳的な原則も、在る法を批判する根拠の一つである。
 (2.2)道徳的な原則は、次の4つの特徴を持つ。
  参照:一般の行動規則から道徳的な原則を区別する4つの特徴がある。(a)重要性、(b)意図的な変更を受けないこと、(c)道徳的犯罪の自発的な性格、(d)道徳的圧力の形態。(ハーバート・ハート(1907-1992))
  (a)重要性
   一般の行動規則から道徳的な原則を区別する4つの特徴がある。まず(a)重要性。(a.1)要求される個人的利益の犠牲の程度、(a.2)社会的圧力の大きさの程度、(a.3)基準が遵守されない場合の影響力の程度。(ハーバート・ハート(1907-1992))
   (a.1)要求される個人的利益の犠牲の程度
    大きい:強力な感情の発現を禁じるために、かなりの個人的利益の犠牲が要求される。
    小さい:あまり大きな犠牲が要求されない。
   (a.2)社会的圧力の大きさの程度
    大きい:個々の場合に基準を遵守させるためだけでなく、社会の全ての者に教育し教え込むための社会的圧力の色々な形態が用いられる。
    小さい:大きな圧力は加えられない。
   (a.3)基準が遵守されない場合の影響力の程度
    大きい:個人の生活に、広範で不愉快な変化が生じるであろうと認識されている。
    小さい:社会生活の他の分野には何ら大きな変化が生じない。

  (b)意図的な変更を受けないこと
   (b.1)道徳的な原則は、意図的に導入、変更、廃止することができない。
   (b.2)しかし、ある事態では現実に、導入、変更、廃止が起こりうる。ルールはそれが生成し、実行されることによってその地位を獲得し、用いられなくなり、衰退することによってそれを失う。
   (b.3)意図的な変更を受けないという特徴は、どのような社会的伝統に関しても、同様である。
   (b.4)これに対して、法体系は意図的な立法行為により、導入、変更、廃止される。

  (c)道徳的犯罪の自発的な性格
  (d)道徳的圧力の形態
(3)正義の原則:個人の行動にではなく、さまざまな部類の人々の取り扱い方に主としてかかわる道徳の一部である。法や、他の公的ないしは社会的制度を批判する根拠である。
(4)法:実際に在る法

 「(2)意図的な変更をうけないこと ある法は最高の立法府の権限を制限する成文憲法によって変更されないよう保護されている場合があるけれども、法体系の特質は意図的な立法行為により新しい法的ルールが導入され、古いものは改廃されるというところにある。これと対照的に、道徳的ルールとか原則の場合には、このような方法ではこれを導入、変更、廃止することができない。しかしこのようにすることが「できない」と主張しても、人間が気候を変えることは「できない」という主張と同じように、ある事態では現実にそのことが起こりうることを否定するものではない。そうではなくて、この主張は次のような事実を示しているのである。すなわち、「しかじかの行為は1960年1月1日をもって刑事犯罪とされる」とか、「しかじかの行為は1960年1月1日をもってもはや違法とはされない」ということや、このような陳述を、定立または廃止された法を参照して支持することは十分意味のあることである。ところが、これにくらべて、「しかじかの行為は明日からもはや不道徳ではなくなる」とか、「しかじかの行為は去る1月1日をもって不道徳なものとなった」というような陳述、およびこれらを意図的な定立を参照して支持しようとする試みは、無意味とは言わないまでも驚くべき矛盾となるであろう。というのは、道徳的ルール、原則または基準が、法と同様に、意図的行為によってつくり出されたり変更されてりすることができるものとみなされるべきだということは、個人の生活において道徳が果たしている役割と矛盾するからである。行動の基準は人間の《厳命》fiat によって道徳的地位を与えられたり奪われたりするものではないのである。このことが法について当てはまらないことは定立、廃止というような日常の用法から明らかである。
 道徳哲学の大部分は、道徳のこのような特徴を説明しようとし、道徳は何か「そこにあって」承認されるというたぐいのものであり、人間の意図的な選択によってつくられるものではないということの意味を明らかにすることに腐心しているのである。しかし、この事実それ自体は、それの説明とは異なり、道徳的ルールの特色とされるものではない。なぜなら、道徳のこのような特徴は、それが極めて重要なものであるとしても、それ自体では道徳を社会規範のその他のすべての形態から区別するのに役立たないからであって、その理由は、他の点ではそうでないにしても、この点についてみればどのような社会的伝統でも道徳と似ているということによるのである。つまり、伝統もまた人間の《厳命》によって定立したり廃止したりすることのできないものである。おそらくは偽作であろうが、イギリスのある新しいパブリック・スクールの校長が、来学期のはじめから上級生は一定の服装をすべきであることを本校の伝統とすると発表したという話があるが、それがこっけい味をもつのは、伝統という概念が意図的な定立および選択の概念と理論的にまったく矛盾するからである。ルールはそれが生成し、実行されることによってその伝統としての地位を獲得し、用いられなくなり、衰退することによってそれを失う。そして、このようにゆっくりした、意図的でない過程とは別の方法で導入されたり廃止されるルールは、それによって伝統としての地位を得たり失ったりするということはありえないであろう。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法の概念』,第8章 正義と道徳,第2節 道徳的および法的責務,pp.191-192,みすず書房(1976),矢崎光圀(監訳),川島慶雄(訳))
(索引:道徳的な原則の特徴,意図的な変更を受けない)

法の概念


(出典:wikipedia
ハーバート・ハート(1907-1992)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「決定的に重要な問題は、新しい理論がベンサムがブラックストーンの理論について行なった次のような批判を回避できるかどうかです。つまりブラックストーンの理論は、裁判官が実定法の背後に実際にある法を発見するという誤った偽装の下で、彼自身の個人的、道徳的、ないし政治的見解に対してすでに「在る法」としての表面的客観性を付与することを可能にするフィクションである、という批判です。すべては、ここでは正当に扱うことができませんでしたが、ドゥオーキン教授が強力かつ緻密に行なっている主張、つまりハード・ケースが生じる時、潜在している法が何であるかについての、同じようにもっともらしくかつ同じように十分根拠のある複数の説明的仮説が出てくることはないであろうという主張に依拠しているのです。これはまだこれから検討されねばならない主張であると思います。
 では要約に移りましょう。法学や哲学の将来に対する私の展望では、まだ終わっていない仕事がたくさんあります。私の国とあなたがたの国の両方で社会政策の実質的諸問題が個人の諸権利の観点から大いに議論されている時点で、われわれは、基本的人権およびそれらの人権と法を通して追求される他の諸価値との関係についての満足のゆく理論を依然として必要としているのです。したがってまた、もしも法理学において実証主義が最終的に葬られるべきであるとするならば、われわれは、すべての法体系にとって、ハード・ケースの解決の予備としての独自の正当化的諸原理群を含む、拡大された法の概念が、裁判官の任務の記述や遂行を曖昧にせず、それに照明を投ずるであろうということの論証を依然として必要としているのです。しかし現在進んでいる研究から判断すれば、われわれがこれらのものの少なくともあるものを手にするであろう見込みは十分あります。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法学・哲学論集』,第2部 アメリカ法理学,5 1776-1976年 哲学の透視図からみた法,pp.178-179,みすず書房(1990),矢崎光圀(監訳),深田三徳(訳))
(索引:)

ハーバート・ハート(1907-1992)
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