2018年12月1日土曜日

命題集_ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)

ライプニッツの命題集

《目次》
(1)存在論
(2)認識論
 (2.1)生得的な傾向、態勢、習慣、自然的潜在力
 (2.2)意識されない無数の表象
 (2.3)表出される事物と表出する事物
 (2.4)記号
 (2.5)ア・ポステリオリな真なる観念
 (2.6)真なる観念の3種類の定義
 (2.7)命題の種類
  (2.7.1)真なる必然的命題
  (2.7.2)不可能な命題
  (2.7.3)可能な命題
  (2.7.4)真なる偶然的命題
  (2.7.5)偽なる偶然的命題
 (2.8)普遍的学問と百科全書
  (2.8.1)何が問題なのか
  (2.8.2)普遍的学問の必要性
  (2.8.3)普遍的学問の構成
   (2.8.3.1)個々の学問の構成
   (2.8.3.2)諸学問の間の関係
   (2.8.3.3)諸学問の配列方法
(3)モナド論
 (3.1)実体(モナド)
 (3.2)実体(モナド)の身体
 (3.3)実体(モナド)の精神
 (3.4)実体(モナド)の身体と精神の調和
 (3.5)各実体(モナド)の間の調和
 (3.6)各存在者(モナド)相互の関係
(4)自由意志論
 (4.1)熟慮を経ない行為
 (4.2)熟慮に影響を与える、意識されない微小表象としての情念、慣習、傾向性
 (4.3)真なるものに対する知性の関係
 (4.4)善なるものに対する意志の関係
 (4.5)判断した後に続く行為への努力が、意志の本質である。
 (4.6)全宇宙を支配する法則と、自由意志との関係
  (4.6.1)要約
  (4.6.2)詳細
  (4.6.3)無数の可能的世界から如何にして現実世界が決定されるのか
 (4.7)全宇宙における人間の自由意志の役割



(1)存在論

 (1.1) 命題「私は現実存在する」は、直接的真理であり「公理」とも言える。これは「必然的命題」ではない。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
  (a)「私は現実存在する」という命題は、他のいかなる命題によっても証明されえない命題、すなわち直接的真理であり、究極的な明証性を持っている。
  (b)「公理」をより一般的に、直接的真理もしくは証明できない真理と取れば、「私は現実存在する」という命題は、ひとつの公理であり、私たちの認識の自然的秩序のうちで、最初に知られる陳述のひとつである。
  (c)この命題は「必然的命題」ではない。

 (1.2) 何故、何ものも存在しないのではなく、寧ろあるものが存在するのか。何故他のものでなく、寧ろこのものが存在するのか。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
 何故、何ものも存在しないのではなく、寧ろあるものが存在するのか、というその理由が自然のうちにはある。これは、理由もなしには何ものも生じないというあの大原理の帰結である。同様に、何故他のものでなく、寧ろこのものが存在するのかの理由もまたなければならない。

(2)認識論

 (2.1)生得的な傾向、態勢、習慣、自然的潜在力
   魂には、生得的な傾向、態勢、習慣、自然的潜在力があり、大理石の中の石理が現実的な彫像になるように、現実態となって現れる。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
  魂についての、二つの考え方。私は(b)の立場をとる。なぜなら、数学者たちの言う「共通概念」や必然的真理など、何かしら神的で永遠なものの由来が、外的な感覚や経験のみであるとは思われないからである。
  (a)まだ何も書かれていない書字板(tabula rasa)のように、まったく空白で、魂に記される一切のものは感覚と経験のみに由来する。
  (b) 魂は、もともと多くの概念や知識の諸原理を有しており、外界の対象が機会に応じてのみ、それらを呼び起こす。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
 魂の中の「諸原理」とは何かについての、補足説明である。
 傾向、態勢、習慣、自然的潜在力としてわれわれに生得的なのであって、現実態としてではない。喩えとして、大理石の中に石理(いしめ)を見出し、それが現われるのを妨げているものを削りとり、磨きをかけて仕上げる作業が必要である。こうして、潜在力は、それに対応する何らかの現実態となる。
 感覚に起源をもたない生得的な観念の例。存在、一性、実体、持続、変化、活動、表象、快楽、およびわれわれの知的観念の他の多くの対象。

 (2.2)意識されない無数の表象
   我々の魂の内には、意識表象も反省もされていない無数の表象と、その諸変化が絶えずある。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
  我々の魂の内には、意識表象も反省もされていない無数の表象と、その諸変化が絶えずある。
  (a)微小、多数、単調なことにより意識されない表象
   個々の印象があまりに微小で、多数であり、あるいはあまりに単調で、個別には十分識別できないが、他のものと結びついたときには、印象の効果を発揮して感覚されることがある。
  (b)慣れによって意識されない表象
   慣れによって、その印象に新鮮な魅力がなくなって、我々の注意力や記憶力を喚起するほど十分強力ではなくなり、感覚されなくなることがある。
  (c)意識されない表象の記憶
   注意力が気づくことなく見過ごしていたある表象が、誰かが直ちにその表象について告げ知らせ、例えば今聞いたばかりの音に注意を向けさせるならば、我々はそれを思い起こし、まもなくそれについてある感覚を持っていたことに気づくことがある。

 (2.3)表出される事物と表出する事物

(a)表出される事物:A ⇒ 表出する事物:B
 ├関係1        ├関係1'
 ├関係2        ├関係2'
 │ ・         │ ・
 │ ・         │ ・
 └関係n        └関係n'
 (a.1)表出する事物Bは、表出される事物Aの内にある諸関係に対応する諸関係を、自分のうちに持つ。
 (a.2)表出する事物Bは、表出の基礎をB自らの本性のうちに持っており、音声や文字から成る表出のように、少なくとも部分的には自由裁量によって基礎づけられている。
 (a.3)表出する事物Bは、表出される事物Aと類似していることは必要ではない。
 (a.4)しかし、関係のある種の類比が維持される。
 (参照: 表出とは、表出される事物の内にある諸関係に対応する諸関係を、自分のうちに持つことである。機械の模型が機械を表出する、代数方程式が図形を表出する等。そして、すべての実体は全宇宙を表出する。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))
(b)神     ⇒ 世界そのもの
(c)全宇宙   ⇒ 実体
 │        実体1
 ├関係1     ├関係11'
 ├関係2     ├関係12'
 │ ・      │ ・
 │ ・      │ ・
 └関係n     └関係1n'
          実体2
          ├関係21'
          ├関係22'
          │ ・
          │ ・
          └関係2n'
            ・
            ・
            ・
          実体m
          ├関係m1'
          ├関係m2'
          │ ・
          │ ・
          └関係mn'
 (c.1) すべての実体は、一つの全たき世界、神をうつす鏡、全宇宙をうつす鏡であり、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出している。また、実体は互いに表出することで、力を及ぼし合っている。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
(d)十全な原因 ⇒ 結果の全体
(e)全宇宙   ⇒ 実体(モナド)
 │        身体    ⇒  精神
 ├関係1     ├関係1'     ├関係1"
 ├関係2     ├関係2'     ├関係2"
 │ ・      │ ・      │ ・
 │ ・      │ ・      │ ・
 └関係n     └関係n'     └関係n"
 (e.1) すべて魂の本性は、宇宙を表出するところにある。魂の状態は、「魂の状態と表裏の関係にある肉体の状態」の表出である。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
 (e.2) 魂は自らの法則に従い、身体もまた自らの法則に従う。それでも両者が一致するのは、あらゆる実体のあいだに存する予定調和のためである。なぜなら、どの実体も同じ一つの宇宙の表現なのであるから。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
 (e.3)「各々の行為はその人の心を表現している」。
 (参照: 表出の説明。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))
          精神    ⇒  身体
          ├関係1"     ├関係1'
          ├関係2"     ├関係2'
          │ ・      │ ・
          │ ・      │ ・
          └関係n"     └関係n'
(f)思惟や真理     ⇒ 発言
(g)数         ⇒ 数字
(h)円、その他の図形  ⇒ 代数方程式
(i)立体        ⇒ 平面上の事物の射影図
(j)機械        ⇒ 機械の模型

 (2.4)記号
  (2.4.1)記号の必要性
    新しい記述言語が必要だ。なぜなら、(a)日常言語の曖昧さ、(b)論理の複雑さ、(c)想像力、習慣の影響、(d)詭弁と華麗な装飾。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

  (2.4.2)記号とは
    記号とは、ある事物であって、それによって他の事物の相互関係が表現され、後者よりも容易に扱われるものである。その応用としての、幾何学的記号法について。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
例。
(a)事物         ⇔ 記号
(b)事物におけるある陳述 ⇔ 演算
(c)機械         ⇔ 設計図
(d)物体         ⇔ 平面図
 例えば、平面図における物体のある像の上で、ある幾何学的演算を行ったとするならば、その演算の結果は平面図におけるある点を与えるであろう。そして、それに対応する点を物体において発見する。
(e)幾何学における応用例。
 (e.1)代数方程式で図形を表現する方法
  計算で得られた結果を、図形に表現することが難しいことが多い。
  図形     ⇔ 代数方程式
 (e.2)幾何学的記号法
  図形の点を表わすのに文字を使用し、点と点の関係で図形の特性を文字で表現することによって、さまざまな図形を記号的に表示することができれば、幾何学を驚くほど前進させることになるだろう。
  図形の点   ⇔ 文字
  点と点の関係 ⇔ 文字と文字の関係
  図形     ⇔ 文字の組合せで、記号的に表示する
(f) 論理的な項を数で表現することにより、推論の代わりに計算によって、証明されるべき命題を発見したり、証明したりすることができる。数の有用さは絶大である。確実で扱い易い。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))


 (2.5)ア・ポステリオリな真なる観念
  事物が現実に存在することを経験によって知るとき、その現実存在するもの、現実存在したものは、確かに可能的なのだから、真なる観念と言ってよい。
  (a)それ自身で把握される項
  (b)それ自身で認識される経験的事実
  (c)経験において発見された項
  (d)経験的事実
 (2.6)真なる観念の3種類の定義
  (a)実在的定義
   当の事物が可能的であることがそこから確知される定義。
   (a.1)ある概念を分析して、可能性の既に知られている他の諸概念に分解する。
   (a.2)分解された諸概念には、非両立的なもの、すなわち矛盾が何も無いこと。
   (a.3)完備でない項
    分析により、さらに分解ができる項。
    (a.3.1)完備でない項の相似、共通な名称
     異なる対象A、Bにおいて、それを定義する項が、定義において等しいとき、AとBは、この定義において「相似」であるという。このとき、AとBは「共通な名称」を持つ。
    (a.3.2)完備でない項が可能であることの証明
     完備でないものが可能といわれるためには、二つの相似な事物の一つが現実に存在し、あるいは現実に存在したものであれば、十分である。
   (a.4)完備な項
    これ以上の分解ができない項。
    (a.4.1)完備な項の相似
      仮に、宇宙の別の場所か別の時に、この地球と全ての人々のコピーが存在したとしても、それは別の個体であり、異なる実体である。二つの完備な項は、決して相似にはならない。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
     問い:宇宙の別の場所か別の時に、私たちが住んでいるこの地球と見た目には少しも違わない天体があり、そこに住んでいる人間の各々は、それに対応する私たちの各々と見た目には少しも違わないとしよう。この場合、その人格ないし自我については同一なのか、それとも二つなのか。
     答え:それは、別の個体である。実在的に異なる実体である。別の場所か別の時というだけで、別の実体である。一時的に似ているということは、あるかもしれない。しかし、実体として異なる以上、差異は「機が熟せば姿を現わす」はずである。
    (a.4.2)完備な項が可能であることの証明
     経験以外では認識されない。つまり、それが現実に存在すること、あるいは現実に存在したこと。
   (a.5)ア・プリオリな真なる観念
    概念の分析が、これ以上分解できない第一の可能なものへと還元できたとき、この第一の可能なものがア・プリオリな真なる観念である。
  (b)因果的定義
   事物が生産され得る仕方をわれわれが知解できるような定義。
  (c)名目的定義
   ある事物を他の諸事物から識別するためだけの徴を含む定義。この場合、定義されている事物が可能的であることを、他の所で確定しておく必要がある。
  (参照: 実在的定義と名目的定義の違いは? 因果的定義とは? ア・プリオリな真なる観念とは? ア・ポステリオリな真なる観念とは?(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))
  (参照:完備な項、完備でない項とは? 完備でない項の相似とは?(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))

 (2.7)命題の種類
 (参照: 必然的命題と偶然的命題の違いは? 可能な命題とは? 真なる偶然的命題、偽なる偶然的命題とは?(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))
  (2.7.1)真なる必然的命題
   自同命題に還元される命題、あるいはその対立命題が矛盾命題に還元される命題。
  (a) 問題点:偽なることが証明され得ないものはすべて真であるか、真なることが証明され得ないものはすべて偽であるか、両方とも成立しないものについては一体何であるか?(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
  (2.7.2)不可能な命題
   矛盾命題に還元される命題、あるいはその対立命題が自同命題に還元されるような命題。
  (2.7.3)可能な命題
   それから決して分解において矛盾が生じないであろうことが証明され得る命題。
   (a)分解を継続して、矛盾が生じれば不可能な命題である。もし仮に、分解を継続しても、矛盾が生じないことが証明されれば「可能な命題」である。
  (2.7.4)真なる偶然的命題
   無限に継続される分解を「必要とする」命題。
   (a)経験的事実を表す命題は、可能なだけで真であるとは言えない。
   (b) 経験的事実を表すどの命題も、理性によっては完全には証明され得ない。理性が把握できる経験的事実とは、真なる偶然的命題である。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
   (c) すべての現実存在命題は、真なる偶然的命題である。現実存在命題の証明は、無限個の個体の完備概念を含み、決して完了した証明には達し得ない。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
   (d)真なる偶然的命題は、経験によって、この命題が真であることがあり得ないと証明される可能性がつねに存在する。これが「偶然的」の意味である。
  (2.7.5)偽なる偶然的命題
  経験によって、この命題が真であることがあり得ないと証明された真なる偶然的命題。

 (2.8)普遍的学問と百科全書
  (2.8.1)何が問題なのか
   (a)全知識の膨大さに比べ、一人の人間の人生は短く、また精神的にも弱い。
   (b)情報は、無秩序に増大する。
   (c)重要な命題が埋もれ、発見者の名声も忘却される。
   (参照:命題から虚飾をはぎとり、相互依存の順序と主題の順序に従って配列する幾何学者の方法は、無秩序に増大する情報に対処し、また各命題の発見者の名声を忘却から救う。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))

  (2.8.2)普遍的学問の必要性
   (a)普遍的学問を基礎に、あらゆる有用なものを導き出すために十分な、諸々の「真理」の秩序づけられた集成、すなわち一種の「百科全書」を作成すること。これらは、あらゆる素晴らしい発見や観察が運び込まれうるような公共の宝庫にも等しいものとなるだろう。
   (参照: 理性の諸原理と本源的な諸経験とを含む「普遍的学問」を基礎に集成された、あらゆる有用なものを導き出すための公共の宝庫である「百科全書」が、人類の幸福のために重要である。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))
   (b)このようにして人間は、人類の幸福のために、共同体に希望を託すことができるようになる。
   (c)人間の手中にあるもの、あるいは、所与のものから、人間の知力によっていつか引き出され得るようになるものは何でも、必要なときに、確実な方法により発見できるようになる。
   (参照:「普遍的学問」とは何か。それは、手中にある所与のものから、必要なときには、人間の知力が引き出し得るものは何でも、確実な方法により発見させるようなものである。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))
   (d)また、これによって、何世代にもわたる研究と途方もない費用とを費やして期待し得るよりも、多くの成果が、より少ない年月の間に、より小さな苦労と支出で引き出されることになる。

  (2.8.3)普遍的学問の構成
   (2.8.3.1)個々の学問の構成
    (a)理性の諸原理と、本源的な諸経験を含む。
    (b)命題から虚飾をはぎとり、明白で簡潔な方法で表現する。
    (c)命題を、相互依存と主題の順序に従って、幾何学者の方法で配列する。
   (参照:命題から虚飾をはぎとり、それらを、幾何学者が行なうように、明白で簡潔なしかたで表わす。ついで、それらを、相互依存の順序と主題の順序に従って配列する。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))
   (参照:命題から虚飾をはぎとり、相互依存の順序と主題の順序に従って配列する幾何学者の方法は、無秩序に増大する情報に対処し、また各命題の発見者の名声を忘却から救う。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))
   (2.8.3.2)諸学問の間の関係
     全体体系において上位の学問や普遍学ないしは発見術をもとにして、当該学問の全体を再生できるような公理や経験則を基礎づけることで、全体系が整合する。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

上位の学問の規則
(普遍学ないしは発見術)
(他の学問)
   ↓
経験上の観察事項や精神の所見からなるごくわずかの命題
・この命題を基礎にすれば、この学問全体を再生することができる命題
・この命題を基礎にすれば、教師なしでも学ぶことができるような命題
   ↓
 当該学問の全命題

   (2.8.3.3)諸学問の配列方法
     諸学問の配列:(1)総合的配列、(2)解析的配列、(3)名辞に従う目録の配列。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
    あらゆる学問的真理は、次の三つの主要な方法で配列し、またお互いに結びつける必要がある。ただし、個別的な事実や歴史・言語のことは別にしておく。
    (a)各命題を、数学者が行うように、それが論理的に依存する命題の後に配列する。すなわち、証明の順に並べる。
    (b)各命題を、目的を実現するために役立つ手段を探しやすいように配列する。すなわち、人類の目標である善の獲得や、悪の回避のための手段を、解析して階層的に配列する。
    (c)(a)と(b)の間の記述の重複を避けるために、共通的な名辞の配列を用意して、(a)と(b)を互いに参照させる方法がある。この名辞の配列から、探そうとしている目的の(a)と(b)の命題にたどりつくことができる。その際、共通的な名辞の配列には、以下の二つの方法がある。
     (c.1)人々が共有して使用できる、ある範疇に従って、共通的な名辞を配列する。
     (c.2)アルファベット順に、共通的な名辞を配列する。
     なお、これら三つの方法が、次の三つの学問に対応しているのは興味深い。
    (a)総合的配列、理論的なもの、自然学
    (b)解析的配列、実践的なもの、道徳学
    (c)名辞に従う目録の配列、論証的なもの、論理学

(3)モナド論

 (3.1)実体(モナド)
   この宇宙は、その各々が自らの能動的原理により全宇宙を表出する無数の存在者から構成される。各存在者は、その原理を普遍的な原因から受け取っており、この故に全宇宙の秩序、調和、美がもたらされる。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
  (3.1.1)真の完全なモナド(一般的な至高の原因)は、無数の存在者の集まりである。
  (3.1.2) すべての実体は、一つの全たき世界、神をうつす鏡、全宇宙をうつす鏡であり、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出している。また、実体は互いに表出することで、力を及ぼし合っている。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
  (3.1.3) 不可分の実体は、人間の精神のみではない。精神以外にも数々の形相が存在し、想念によらない他の数々の表出があり、いろいろな差異、程度が見られるにちがいない。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
 (3.2)実体(モナド)の身体
 (3.3)実体(モナド)の精神
  (3.3.1)各実体の表出は、以下の二つのものからなる。
   (a)その各々の存在者を真の「一」にさせる能動的原理、非物質的なもの、魂。
   (b)受動的で有機的身体、物質的なもの。
  (3.3.2)それら個々の魂が表出するものはすべて、ただ自己の本性から引き出されるものであり、他の個々の存在者から直接には影響されない。
  (3.3.3) 全宇宙を表出する魂は、その襞が無限に及んでおり、自分の襞を一挙にすっかり開いてみることはできない。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
 (3.4)実体(モナド)の身体と精神の調和
  (3.4.1) 魂は自らの法則に従い、身体もまた自らの法則に従う。それでも両者が一致するのは、あらゆる実体のあいだに存する予定調和のためである。なぜなら、どの実体も同じ一つの宇宙の表現なのであるから。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
  (3.4.2) すべて魂の本性は、宇宙を表出するところにある。魂の状態は、「魂の状態と表裏の関係にある肉体の状態」の表出である。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
  (3.4.3) 運動における決定の根源的完全性と、魂における自由な決定の根源的完全性とが、いかに両立し、なおかつ魂における決定に、身体が依存するのか。この依存は、形而上学的依存である。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
   (a)自然学的依存は、一方がそれの依存する他方から受けとる直接的影響に存する。たとえば魂は、非意志的活動において、よく考えてみると身体に依存している。
   (b)一方、思考の内には秩序と連結がある。また、善や悪は思考する存在者を強いずに傾かせ、意志による決定は自由である。つまり、選択を伴っている。
   (c)このとき、運動における決定は、そのままで変わらない。
   (d)運動における決定の根源的完全性と、魂における自由な決定の根源的完全性とが、いかに両立し、なおかつ魂における決定に、身体が依存するのか。これは自然学的依存とは異なる。形而上学的依存である。
  (3.4.4) 表象も表象に依存しているものも、機械的な理由によっては説明できない。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

 (3.5)各実体(モナド)の間の調和
  個々の存在者が独立しているにもかかわらず、自然のうちに認められる秩序、調和、美がもたらされるのは、各々の魂が、その本性を、一般的な至高の原因から受け取り、それに依存しているからに他ならない。これが、予定調和である。

 (3.6)各存在者(モナド)相互の関係
   存在者相互の関係には、(a)時空内での表出(b)現前(c)交渉(d)動かしあいがあるが、(e)もっと完全性の高い関係であり、新たな実体を生起させる「実体的紐帯」がある。これが真理の実在性の根拠である。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
 それら個々の魂が表出するものは全て、ただ自己の本性から引き出されるものであり、他の個々の存在者から直接には影響されない。すなわち、「諸モナドは相互に観念的な依存関係を有している」。
  (a)他の存在者は、時間と空間の秩序のなかで表出される。
  (b)他の存在者は、直接的な現前として表出される。
  (c)他の存在者は、交渉として表出される。
  (d)「モナドが相互に動かしあうときには結び付きがある」。
  (e)以上の相互関係の他に、「もっと完全性の高い関係が考えられる。それは、複数の実体から新たな一つの実体を生起させるものである」。すなわち「実体的紐帯」である。
   (e.1) 実体的紐帯は、(a)~(d)に関係だけから成り立つものではない。
   (e.2) 実体的紐帯は、各存在者の他に「一種の新たな実体性を付け加える」。
   (e.3) 新たな実体性は、各存在者に付け加えられるようなものではない。
   (e.4) 新たな実体も一つのモナドであり、これが「真理の実在性」の根拠である。この実体が魂として、結合される各存在者が身体として措定される。身体である諸存在者は、一つの魂である紐帯的実体の支配の下にあり、「それによって一なる有機的身体すなわち一つの自然の機械が作られる」。「それは神の知性の結果であるだけではなく、神の意志の結果でもある」。

(4)自由意志論

 (4.1)熟慮を経ない行為
  熟慮を経ないで、一方の行動よりも他方へ傾くとき、それは必ずしも意識されているとは限らない微小表象の連鎖と協働の結果である。

 (4.2)熟慮に影響を与える、意識されない微小表象としての情念、慣習、傾向性
  行動の傾向性や慣習、情念は、必ずしも意識されない微小表象に由来し、それは意志決定においても「強いずに傾ける」。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
 (a)私たちの熟慮において、多くの感応力を与える慣習や情念でさえ、必ずしも意識されているとは限らない微小な刻印の連鎖に由来している。
 (b)自由意志論における「ビュリダンのロバ」の非決定は、これら必ずしも感じとれない微小表象の刻印を忘れている結果である。しかし、これらの刻印は、「強いずに傾ける」のである。
 (c)精神の不完全性からの自由(情念への隷属からの自由)
  (c.1)強烈な情念に囚われているときには、必要とされる熟考をもって意志することができない。すなわち、情念に隷属しており、ある種の内的な強要と強制がある。
  (c.2)情念を超えて、知性による熟考と意志を働かせることができるとき、その程度に応じて情念から自由である。
 (参照:自由のいろいろな意味:(a)精神の不完全性からの自由、(b)必然に対立する精神の自由、(c)権利上の自由、(d)事実上の自由、(e)身体の自由(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))

 (4.3)真なるものに対する知性の関係
  ある真理についての明晰判明な表象には、その真理の肯定が現実に含まれていて、そのため知性はそれを肯定すべく強いられている。
 (a)ある真理についての明晰判明な表象。

 (4.4)善なるものに対する意志の関係
  ある行為が善であるという判断と、意志の結び付きは、考えられているほど必然的ではない。我々は、何を「意志」の本質と考えるべきであろうか。
  (a)ある行為が「善」であるという表象と判断。
  (b)ある行為をなすという意志決定。
   (b.1)ここにおいて、必然に対立する精神の自由(自由意志)が存在する。
   (b.2)知性が提示する、確実で間違いない最も強い諸理由に対してさえも、意志が偶然的であるのを妨げない。すなわち、知性は絶対的で言わば形而上学的な必然性を意志の働きに与えるわけではない。
   (b.3)知性は「確実で間違いのない仕方であっても、強いずに傾ける」。そして、意志が選択する。
   (参照:自由のいろいろな意味:(a)精神の不完全性からの自由、(b)必然に対立する精神の自由、(c)権利上の自由、(d)事実上の自由、(e)身体の自由(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))
  (c)判断をした後に続く行為への努力。この努力が頂点に達するまでには時間を要する。
   (c.1)行為への努力にかかわる「自由」
    (i)身体の自由
     身体が拘束されていたり、病気になったりしておらず、意志どおりに動かすことができるという意味での自由。
    (ii)権利上の自由
     政治制度において、為すことが許されているという意味での自由。
    (iii)事実上の自由
     権利上の自由の有無とは別に、意志する事柄を実際に為す力能があるという意味での自由。一般的に言えば、より多くの手段をもつ者が、意志する事柄をより自由に為す。
    (参照:自由のいろいろな意味:(a)精神の不完全性からの自由、(b)必然に対立する精神の自由、(c)権利上の自由、(d)事実上の自由、(e)身体の自由(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))
  (d)新たな表象や傾向性が間に入ってきて精神の向きを逸らし、時には反対の判断までさせることになる。その結果、努力は保留状態に置かれたり、変質してしまったりする。
  (e)特に、知性により判断された「善」が、心に訴えかけない不明確な思惟のみによってなされているときは、新たな表象、傾向性、心情が、認識している真理に抵抗し、理性的精神と乖離することになる。

 (4.5)判断した後に続く行為への努力が、意志の本質である。
   意志の本質は、判断をした後に続く行為への努力に存する。この努力が頂点に達するまでの間に、新たな表象や傾向性が介入し、当初の判断を変質させ、理性的精神と心情、意志とが乖離する。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

 (4.6)全宇宙を支配する法則と、自由意志との関係
  この宇宙を支配している法則の諸秩序と、人間の自由意志がいかにして共存し得るのかが問題である。
  (4.6.1)要約
   宇宙のある一定の条件が現実化することで、人間の自由意志が発現し、意志は諸条件に傾けられはするが、強いられないような仕方で、ある選択肢を現実化する。これら全ては、全宇宙を支配する原理・法則に従っており、現実化するものは、原理・法則のもとで許されている無数の可能的な世界のうちの一つである。
  (4.6.2)詳細
   モリナ主義は、以下の(a)(b)(c)を主張する。(参照:モリナ主義とは?(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))その困難と考えられるのは、(d)(e)である。(参照:モリナ主義への反論。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))私は、(a')と考える。このことによって、(d)(e)の困難は、(d')(e')のように解消される。しかしなお(e'')かも知れない。

  (a)この宇宙を支配している法則に則り、可能的なものとして存在している事象。神の「単純叡智の知」、人間はその一端を理性によりうかがい知る。
  (a')可能的なものとして存在している事象は、条件的なものも含めて、無数のすべての可能的な世界が含まれている。(参照:無数の可能的世界とは?(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))
  (b)可能的なもののうち、宇宙の展開において現実に生じる現実的事象。神の「直視の知」、人間も現実的事象として知る。
  (c)モリナ主義の「中知」
   この宇宙において、ある一定の条件が現実化すればそこから生起する条件的事象。神にとっては、直視の知と叡智の知との間の「中知」、人間は自由意志の行使により、これを知る。すなわち、ある一定の条件が現実化すると、人間はその状況では「自由」に為し、しかもその自由意志には「誤用」もあり得る。
  (d)人間の自由意志がそこで発現するという、ある一定の条件が現実化するにしても、この条件の成就自体がやはり、この宇宙の法則によって支配されているだけでなく、この条件において人間の自由意志がいかにして発現するかについても、法則に支配されているはずであり、「行為を条件から切り離そうとしても、それはできないことであろう。」
  (d')ある一定の条件が現実化して自由意志が発現するとき、その意志の決定に影響を与える一連の諸原因は、意志をある選択肢に一層強く傾けるが、意志は「決して強いられてその選択肢をとるのではない」。
  (e)モリナ主義者は、条件から切り離された純粋な自由意志、すなわち「人間の良き資質」そのものが、この宇宙の原理・法則でもあり得ると考えたが、これは全宇宙を支配する統一的な法則という点から、満足できるものではない。
  (e')ある一定の条件が現実化して自由意志が発現し、意志がある選択肢を現実化するとき、これら全ては、全宇宙を支配する原理・法則に従っており、無数の可能的な世界のうちの一つが現実化しているのである。すなわち、「神は、その偶然的未来に存在を与えようと決する前に、それを可能的なものの領域において然るべく見ている」。
  (e'')無数の可能的世界そのものは、人間の意志による決定によって変わるか変わらないには、一切関わらない。しかし、人間の意志による決定は、宇宙の展開における現実に生じる現実的事象を変えているので、もし、現実化する可能的世界が一意に決まるような場合には、意志による決定にもかかわらず、すべては決まっていたと言える。
  (f)ある人は、中知は単純叡智の知に包含されるべきだと考えた。

(a)
宇宙を支配している法則
 │││└→可能な世界1
 ││└─→可能な世界2
 │└──→可能な世界3
 │     ・       (b)
 │     ・   ……─→ 現実的世界
 │     ・
 └───→可能な世界n

(a)
宇宙を支配している法則
 │││└→可能な世界1
 ││└─→可能な世界2
 │└──→可能な世界3
 │     ・   (c)
 │     ・─→一定の条件の現実化
 │     ・   └→自由意志の発現─→現実的世界
 └───→可能な世界n

(a)
宇宙を支配している法則───┐
 │││└→可能な世界1   │(d)
 ││└─→可能な世界2   │
 │└──→可能な世界3   │
 │     ・   (c)  ↓
 │     ・─→一定の条件の現実化
 │     ・   └→自由意志の発現─→現実的世界
 └───→可能な世界n

  (4.6.3)無数の可能的世界から如何にして現実世界が決定されるのか
    無数の可能的世界から、いかにして現実的事象が決まってくるか。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
    全宇宙とその可能的世界を表出し現実存在へ向おうとする無数の存在者を含む全宇宙の、無数の可能的系列から一意の現実的宇宙が決まってくるような、この宇宙を支配する法則が存在する。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

   (a)各存在者は、全宇宙を表出しているが、無数の可能的世界も表出している。
   (b)各存在者の表出は、ただその本性、本質から引き出されており、「本質がそれ自身で現実存在へ向か」おうとする要求、あるいは主張をもっている。
   (c)各存在者は、「同等の権利をもって、本質ないし実在性の量に応じて、あるいはそれらが含んでいる完全性の度に応じて、現実存在へ向かう」。なぜなら、「完全性とは本質の量に他ならないからである」。
   (d)全宇宙とその可能的世界を自らの本質によりそれぞれ表出している無数の存在者を、「精査し、比較し、相互に考量して、完全性もしくは不完全性の程度、強弱、善悪を見積もる」。
   (e)(d)からは現実的事象は、決まらない。さらに、(d)のように無数の存在者を含む宇宙の可能的系列を無数に作り、それぞれを比較する。
   (f)このようにして、(d)においては「個々別々に検討していた可能的なものを、無限の宇宙体系の内に分配し、それぞれを比較する」ことができる。「これらをすべて比較し反省したところからの結果が、すべての可能な体系の中で最善なるものの選択」となり、現実的事象となる。
   (g)それでも、これら全ては「可能なものを超えることがない」。すなわち、この宇宙を支配している法則に基づいている。また、「相互の秩序と本性上の先行性とがあるが、それらは常に一緒に生じているのであり、時間的な先行性はそこにはない」。

全宇宙 ⇒ 実体
 │     実体1
 ├関係1  ├関係11'
 ├関係2  ├関係12'
 │ ・   │ ・
 │ ・   │ ・
 └関係n  ├関係1n'
       ├→可能的世界11────────┐
       ├→可能的世界12───────┐│
       │   ・          ││
       │   ・          ││
       └→可能的世界1n──────┐││
       実体2            │││
       ├関係21'          │││
       ├関係22'          │││
       │ ・           │││
       │ ・           │││
       ├関係2n'          │││
       ├→可能的世界21─────┐│││
       ├→可能的世界22────┐││││
       │   ・       │││││
       │   ・       │││││
       └→可能的世界2n───┐│││││
         ・        ││││││
         ・        ││││││
         ・        ││││││
       実体m         ││││││
       ├関係m1'       ││││││
       ├関係m2'       ││││││
       │ ・        ││││││
       │ ・        ││││││
       ├関係mn'       ││││││
       ├→可能的世界m1──┐││││││
       ├→可能的世界m2─┐│││││││
       │   ・    ││││││││
       │   ・    ││││││││
       └→可能的世界mn┐││││││││
               ↓↓↓↓↓↓↓↓↓
                 現実的世界

 (4.7)全宇宙における人間の自由意志の役割
   人間の自由意志は、人間がなす驚異の原因であり、また同時に、誤りと無秩序の原因でもある。しかしこの無秩序も、この全宇宙の原理とその秩序に従っている。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))
 人間はそれ自身の固有の世界における小さき神のごときものであり、それぞれが自分なりの仕方で支配しているミクロコスモスである。
 (a)人間は、「存在と力と生命と理性」を与えられている。
 (b)人間は、その小さな管轄内でなすがままにさせておかれる。
 (c)「人間に関わるものにおいて見られる無秩序」の理由は、(b)である。
  例えば、ときどき驚異をなし、その技巧はしばしば自然を模倣し、また大きな誤りも犯す。「神はこの小さな神々と(いわば)戯れ、これらを産み出して良かったと思っている。これはちょうど、子供と遊びながら内心でこうさせたいとかこうさせたくないと思っている通りに子供が夢中に取り組んでくれているというようなものである。」
 (d)小さき世界の悪、欠陥、一見歪んでいるものは、より大きな世界から見ると、「大なる世界の美の中に再統合され、無限に完全な宇宙の原理の統一性に何ら背馳することはない。むしろ反対に、悪をより大なる善に役立たせる神の知恵に対して一層大きな賛嘆をもたらすことになる。」

(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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