排中律について
【問題点:偽なることが証明され得ないものはすべて真であるか、真なることが証明され得ないものはすべて偽であるか、両方とも成立しないものについては一体何であるか?(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】「{問題点:偽なることが証明され得ないものはすべて真であるか、真なることが証明され得ないものはすべて偽であるか、両方とも成立しないものについては一体何であるか? 真なるものも偽なるものも少なくとも無限な分解によって常に証明されるというべきである。しかしこの場合命題は偶然的である、即ち真であることまたは偽であることが可能である。そして概念についても同じであって、無限な分解において真であるか偽であるか、即ち現実存在を許容されるべきであるかそうでないか明らかとなる。注意:同じようにして、真なる概念は現実存在であるか、偽なる概念は非現実存在であるか。すべての不可能な概念は偽である。しかし可能な概念のすべてが真であるわけではない。従って存在せず、また存在しないであろうような概念は偽であろう、その種の命題も偽であるのと同じである、etc.もちろん、概念においては現実存在をいっさい考慮しなく、真なる概念は可能な概念と同じであり、偽なる概念は不可能な概念と同じである―――例えば現実に存在するペガサスは語らずともよい―――という決心をすれば話は別となる。}」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『概念と真理の解析についての一般的研究』六六、ライプニッツ著作集1、p.175、[澤口昭聿・1988])
(索引:排中律)
(出典:wikipedia)
「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)
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