一般教養教育の役割
【人は、専門技術の賢明かつ良心的な使用においても、悪用おいても有能であり得る。人間の知性全体における専門技術の位置づけと原理、価値ある諸目的、技術の正しい使用法へと導くのが、一般教養教育である。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】「専門技術をもとうとする人々がその技術を知識の一分野として学ぶか、単なる商売の一手段として学ぶか、あるいはまた、技術を習得した後に、その技術を賢明かつ良心的に使用するか、悪用するかは、彼らがその専門技術を教えられた方法によって決まるのではなく、むしろ、彼らがどんな種類の精神をその技術のなかに吹き込むかによって、つまり、教育制度がいかなる種類の知性と良心を彼らの心に植え付けたかによって決定されるのであります。人間は、弁護士、医師、商人、製造業者である以前に、何よりも人間なのであります。そしてその種の人々を有能でしかも賢明な人間に育て上げれば、後は、彼ら自身の力で有能で賢明な弁護士や医師になることでしょう。専門職に就こうとする人々が大学から学びとるべきものは、専門的知識そのものではなく、その正しい利用法を指示し、専門分野の技術的知識に光を当てて正しい方向に導く「一般教養の光明」をもたらす類のものであります。確かに、人間は、一般教養教育を受けなくとも、有能な弁護士となることはできますが、しかし哲学的な弁護士、つまり、単に詳細な知識を頭に詰め込んで暗記するのではなく、ものごとの原理を追求し、把握しようとする哲学的な弁護士となるためには、一般教養教育が必要となります。このことは、機械工学を含む、他の有用な専門分野すべてについても言えることである。靴屋を職業としている人について言えば、その人を知性溢れた靴職人にするのは、教育であって、靴の製造法の伝達ではないのであります。言い換えますと、教育によって与えられる知的訓練とそれによって刻み込まれた思考習慣とによってであります。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『教育について』,日本語書籍名『ミルの大学教育論』,2 大学教育の任務――一般教養教育の重要性,pp.4-5,お茶の水書房(1983),竹内一誠(訳))
(索引:一般教養教育の役割)
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(出典:wikipedia)
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(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)
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