私は現実存在する
【何故、何ものも存在しないのではなく、寧ろあるものが存在するのか。何故他のものでなく、寧ろこのものが存在するのか。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】何故、何ものも存在しないのではなく、寧ろあるものが存在するのか、というその理由が自然のうちにはある。これは、理由もなしには何ものも生じないというあの大原理の帰結である。同様に、何故他のものでなく、寧ろこのものが存在するのかの理由もまたなければならない。
「一―――何故、なにものも存在しないのではなく、寧ろ或るもの(aliquid)が存在するのか、というその理由(ratio)が自然のうちにはある。これは、理由もなしにはなにものも生じない(nihil fiat sine ratione)というあの大原理の帰結である。同様に、何故他のものでなく、寧ろこのものが存在するのかの理由もまたなければならない。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『二四の命題』一、ライプニッツ著作集8、p.46、[酒井潔・1990])
(索引:私は現実存在する)
(出典:wikipedia)
「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)
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