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2020年6月11日木曜日

12.科学者・技術者は,組織的な仕事に携わることで,個人的な意図がどうであれ,ある特定の社会的な役割を担わされる.その仕事の意味,社会に与える影響がどれほど重大なものであっても,推進力は科学者の純粋で私的な探究心なのである.(高木仁三郎(1938-2000))

探究心と社会的責任

【科学者・技術者は,組織的な仕事に携わることで,個人的な意図がどうであれ,ある特定の社会的な役割を担わされる.その仕事の意味,社会に与える影響がどれほど重大なものであっても,推進力は科学者の純粋で私的な探究心なのである.(高木仁三郎(1938-2000))】

(4)影響の巨大化と研究の私的性格との間の矛盾
 (4.1)研究結果の影響の巨大化
  (a)科学上の発明・発見の影響が、人類全体の歩みを変えかねないほどの影響を持つようなことがある。
 (4.2)一つの構造の中で担わされる役割
  (a)研究は単一目標に向かって組織化され、研究者たちは巨大な機械の一部品・歯車の一コマというべき存在となった。
  (b)科学者の意図がどうであれ、ひとつの構造の中である役割が担わされる。
 (4.3)人間の好奇心、探究心と研究の私的性格
  (a)研究の推進力は「人々を夢中にさせずにはおかない」科学研究の性格に由来する。
  (b)プロジェクトの成否は、研究者個々人のすぐれて私的な研究への没入に多く依存している。そしてその没入は、科学者の視野を狭め、人間としての全体を矮小化してしまう。
  (c)その矮小化は、科学者をいっそう純化した「専門家」に育てあげていく。

 「科学研究という点からみれば、原爆の「成功」を生み出したのは、国家的規模の科学者の集中と豊富な資金であった。さらにその集中を可能にしたものを探れば、フェルトのいう「人々を夢中にさせずにはおかない」科学研究の性格と、ナイーブそのものともいえる科学者たちの目的意識に大いに関係しているように思われる。

 ほかならぬシラードについてもう一度考えてみよう。シラードこそ、原爆の示すであろう破壊性・残忍性にもっとも早くから気づき、ナチスと結びつけて考えていた数少ない人であった。「反ナチズム」としてのマンハッタン計画への関与は、その後、ヒトラー・ドイツの降伏に際して、トルーマン大統領に日本に対する原爆不使用を請願したことにみられるように、きわめて一貫したものであった。そのことに疑う余地はない。

しかし、シラードを原爆へと結びつけたのは、明らかにそのことだけではない。

 いち早く連鎖反応に着目し、「特許」をとり、核分裂が知れるや、ただちにこの現象と連鎖反応を結びつけるべく実験にとりかかったシラードをつき動かしたのは、やはり科学者的な探究心であった。

彼が探究を進めれば進めるほど、一方で彼は「世界が災厄に向かって進む」ことをますます強く認識し、でありながら、ますますその研究に没頭していった。

一見矛盾したようにみえるこの行動は、科学者にとってはごく一般的なものであったろう。いったん開け始めた扉を、開け切る前に「災厄の予感」によって閉じてしまうような自制は、科学と科学者にとってもっとも苦手とするところだ(このことは、「遺伝子工学の時代」を迎えつつある現在、すぐれて教訓的である)。

 マンハッタン計画を転換点として、科学は国家的な営為となり巨大化した。研究は単一目標に向かって組織化され、研究者たちは巨大な機械の一部品・歯車の一コマというべき存在となった。

なおかつ、そのプロジェクトの成否は、研究者個々人のすぐれて私的な研究への没入に多く依存している。そしてその没入は、科学者の視野を狭め、人間としての全体を矮小化してしまう。

逆にまた、その矮小化は、科学者をいっそう純化した「専門家」に育てあげていく。そこに原爆開発がほとんど無批判的に科学者たちに担われた理由をみておくことは、いまという時代にとくに重要だろう。

 私は、その後もパグウォッシュ会議で活躍したシラードの平和主義を疑っていない。だが、問題は個人の評価の問題ではない。シラードの意図がどうであれ、ひとつの構造の中でシラードが担わされ、演じた役割は、原爆づくりの一科学者としてのそれだった。

そのことを個人的に責めているのではない。皆がその意識もなしに非人道的プロジェクトにまきこまれ、没入した、そういうシステムとして、今のその可能性を十分に秘めたシステムとしての科学のとらえなおしが、どうしても必要なはずである。

にもかかわらず、そういった作業が決定的に欠如しているように思える(こういった点検の作業がもちこまれようとすると、科学への中傷として、科学者集団が拒否感を示すことが、議論を不毛にしている)。」

(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第六巻 核の時代/エネルギー』核時代を生きる 第2章 歴史の教訓(一)、pp.55-56)
(索引:)

核の時代・エネルギー (高木仁三郎著作集)


(出典:高木仁三郎の部屋
友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ
 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

高木仁三郎(1938-2000、物理学、核化学)
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認定NPO法人 高木仁三郎市民科学基金|THE TAKAGI FUND for CITIZEN SCIENCE
高木仁三郎の部屋
高木仁三郎の本(amazon)
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高木仁三郎 略歴・業績Who's Whoarsvi.com立命館大学生存学研究センター
原子力市民委員会(2013-)
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11.巨大科学技術は,細分化された専門家を必要とする.しかし全体の結果,意味を考えず担った仕事に無条件に忠誠を誓うことは,倫理的な退廃ではないか.また社会全体の未来に責任を持とうとする人が少なくなっていくとしたら倫理的な危機ではないか.(高木仁三郎(1938-2000))

倫理的な退廃、危機

【巨大科学技術は,細分化された専門家を必要とする.しかし全体の結果,意味を考えず担った仕事に無条件に忠誠を誓うことは,倫理的な退廃ではないか.また社会全体の未来に責任を持とうとする人が少なくなっていくとしたら倫理的な危機ではないか.(高木仁三郎(1938-2000))】

(3.2)追記。

(3)研究の細分化と効率性追求による総合的視点の喪失
 (3.1)全般的な諸傾向
  (a)研究の細分化
   科学の巨大さの度合いに応じて、個人の担う役割がますます細分化されていく。
  (b)科学の歴史、意味、目的を考える教育の軽視
   科学教育も、科学の歴史やその意味を総合的にとらえるといった教育は非効率的なものとされ、個別的な手法や技術をマスターさせることに教育の力点が置かれる。
  (c)総合的視点の喪失
   その結果、研究の全体性やその意味を、十分見通すことができなくなる。
 (3.2)倫理的な退廃、危機であると捉えること
  (3.2.1)個々人にとっての倫理的な退廃
   (a)行政官、管理者、科学技術者、労働者は、個々の側面にかかわる専門家に仕立て上げられる。
   (b)問題の細部に通じ、自分の仕事にほぼ無前提で忠誠を誓うことが、正しいとされる。
   (c)しかし、自分の仕事が果たしている全体の結果、意味するものを考えないことは、倫理的な退廃ではないだろうか。
  (3.2.2)社会全体にとっての倫理的な危機
   (a)もし、社会全体のシステムに対して責任を持とうとする人がなくなっていくとしたら、倫理的に大きな危機といえる。
   (b)ひとりひとりが部分しか見ず、また将来のこと、子供や孫たちの住むべき環境のことを考えないとしたら、社会は確実に生命力を失い、精神的に疲弊していくことだろう。

 「やや、別の観点からしても、巨大科学技術はいま私たちが真剣に考えなくてはならないような倫理上の問題を提出していると思う。

巨大科学技術は、その全体のシステムが巨大化すればするほど、実際にはその個々の側面にかかわる科学技術者・管理者・労働者・行政官を、細分化した専門家に仕立て上げる。

それらの人びとは、問題の細部にのみ通じ、全体のシステムに対しては、ほぼ無前提で忠誠を誓うように仕立て上げられるだろう。そうしない限り、高度の専門性を必要とする無数の部分からなりたつシステムを支えられないからである。

 しかし、そのことは、ひとりひとりの人間の人間としての全体を次第に部分化させ、単一の機能にのみ忠実な人間を生みだしていくのではないだろうか。

ユンクの言う「ホモ・アトミクス」の誕生である。これは個々の人間にとっても、倫理的な退廃を意味しよう。

彼(女)はたとえば、原子炉内の中性子の振舞いについてはいよいよ詳しくなるかもしれない。しかし、ある意味ではそのことと反比例して、彼(女)は、ウラン鉱で働くインディアンたちに思いをめぐらす機会を減らすことだろう。それはひとりの人間としての彼(女)にとっても、不幸なことのはずだ。

 社会全体にとっても、その全体のシステムに対して責任をもとうとする人がなくなっていくのは、倫理的に大きな危機である。ひとりひとりが部分しか見ず、また将来のこと子供や孫たちの住むべき環境のことを考えないとしたら、社会は確実に生命力を失い、精神的に疲弊していくことだろう。

巨大科学は、その管理強化への志向と相まって、必ずこのような倫理的な問題を提出させずにおかない、というのが私の考えである。

 すでにその徴候が顕在化しつつある、と私は考えるのだが、いやそんなことはない、と考える人も多いだろう。

具体的にそうなったところで考えればよい、という反論が返ってくるかもしれない。

しかし、皆が「ホモ・アトミクス」になってしまった段階では、人びとの精神は、もはや自由にそんな問題を議論しえないほどに、衰弱してしまわないだろうか。巨大科学技術と倫理の問題について、大きな議論をおこすべき時は、今をおいてないと思う。」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』プルトニウムの恐怖 第6章 ホモ・アトミクス、pp.269-270)
(索引:倫理的退廃,倫理的危機)

プルートーンの火 (高木仁三郎著作集)


(出典:高木仁三郎の部屋
友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ
 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

高木仁三郎(1938-2000、物理学、核化学)
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10.政治は科学を利用し,都合が悪ければ切り捨てる.いかに名声があり偉大な科学者であっても,国家レベルの政治に影響を与え得た科学者はいなかった.それが可能なのは,普通の人々の幅ひろい運動と世論に支えられた場合だけである.(高木仁三郎(1938-2000))

政治と科学

【政治は科学を利用し,都合が悪ければ切り捨てる.いかに名声があり偉大な科学者であっても,国家レベルの政治に影響を与え得た科学者はいなかった.それが可能なのは,普通の人々の幅ひろい運動と世論に支えられた場合だけである.(高木仁三郎(1938-2000))】

 「バーンスタインの指摘を待つまでもなく、シラードたちが最初に原爆について提言し(「アインシュタインの手紙」)、それが政府にいれられたと信じ、その後もその種の意志の伝達が政府(政治)に対して科学(者)の側から可能だと考えていたら、それはあまりにナイーブにすぎるというものだろう。

 実際問題としても、シラードたちが原爆の不使用を一九四五年五月にトルーマン大統領に請願したとき、請願は簡単に無視された。バーンスタインはいう。

 「そして当初から、ローズヴェルトとかれの側近は、原爆が正当な兵器であり、それが開発できる場合には使用されるであろうということを当然の前提としていたのです。攻撃目標は、日本に変えられることになりましたが、変更にさいしてはこれといった再検討は行われませんでしたし、いささかのためらいも疑念も熟考もなく、いわんや苦悩をともなうものではありませんでした」(『原爆投下と科学者』)

 つまり、権力者(政治の側)は科学者(科学の側)の提言を、みずからに都合のよい情報としては利用するが、都合が悪ければいつでも切り捨てる。政治の側からみれば、最初からそのようなものとして、プロジェクトが組織され、科学者を組みこんでいったのであって、主-従の関係ははっきりしていた。

 ボーアに起こったことも同じ文脈で考えられよう。世界の科学者の代表ともいえたニールス・ボーアは、四四年七月にルーズベルトとチャーチルに手紙を送り、米英ソ三国による原子力の国際管理を訴えた。しかし、これもまったく無視された。ボーアがいかに偉大な科学者であり、人格者であっても、そのことによって政治の側が影響されることはなかった。

 原爆開発から現在にいたるまで、科学者たちの一連の行動には、とくにそれが著名で、科学上の業績がある科学者を含むものであれば、なお強く、政治(家)や権力(者)に対して影響力をもっていると信じこんだナイーブさがうかがえる。

しかしそれは、すでにマンハッタン計画で破産した行動パターンであり、歴史から否定的な教訓をうるべきことがらだった。科学者たちがある場合に、署名や請願、アピールなどを通じて政治に影響を与えたのは、あくまで大衆的な運動の背景があり、広範な大衆の意向が、科学者たちに反映されただけのことである。」

(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第六巻 核の時代/エネルギー』核時代を生きる 第2章 歴史の教訓(一)、pp.56-57)
(索引:)

核の時代・エネルギー (高木仁三郎著作集)


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 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

高木仁三郎(1938-2000、物理学、核化学)
原子力資料情報室(CNIC)
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認定NPO法人 高木仁三郎市民科学基金|THE TAKAGI FUND for CITIZEN SCIENCE
高木仁三郎の部屋
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ニュース(高木仁三郎)
高木仁三郎 略歴・業績Who's Whoarsvi.com立命館大学生存学研究センター
原子力市民委員会(2013-)
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9.構成要素ごとの検証と,実物に近い全体システムの検証が必要となるが,原子炉の場合,燃料棒など実物が使えない要素があり,他の技術とは異なり真の意味での実証は不可能である.計算機による模擬実験は,技術における実証性を虚構化する.(高木仁三郎(1938-2000))

核技術は真の意味で実証できない技術

【構成要素ごとの検証と,実物に近い全体システムの検証が必要となるが,原子炉の場合,燃料棒など実物が使えない要素があり,他の技術とは異なり真の意味での実証は不可能である.計算機による模擬実験は,技術における実証性を虚構化する.(高木仁三郎(1938-2000))】

(1)実物による検証
 小さなシステムでの実験ならば、本物を使って何回も実験を繰り返し、失敗を重ねながら、生じるあらゆる物理的現象を把握しながら、いかなる条件下でも問題ないように改良していくことができる。
(2)構成要素ごとの実物による検証
 システムが大型化したときには、小型のシステムの実験では予測しえないことが起こりうる。そこでまず、実験室的な純化した条件下で、ある事象を構成するいろいろな基礎的な現象を解析し、その基礎データをもとに、ある事象の全体を再構成するという方法が用いられる。
(3)構成要素の結合が全体を再現しないという問題
 ところが、そのような細分化された個別的な因子の再構成が、全体としての一つのシステムの振舞いを必ずしも再現化しえないという、実証的手法に基づく解析的科学における、一つの大きな問題点がある。
(4)構成要素を結合した全体の検証
 そこで、伝統的な実証的方法に従えば、可能な限り実物に近いシステムを作り、実験を繰り返し、失敗を重ねながら、少しずつ(2)の精度を上げ、改良を積み上げていく必要がある。
(5)原子炉では実物が使えない
 ところが、原子炉の緊急炉心冷却システムのようなものは、失敗を重ねてデータを収集することを前提に実物を使うわけにはいかない。そこで、実際には、小規模な模擬実験炉を作り、実際の燃料棒ではなく、たとえば電熱で加熱した模擬的な燃料棒を用いるなどして、実験することになる。それでも、なかなかうまくいかない。
(6)コンピュータを使ったシミュレーションでの代替
 以上のような問題を抱えた状況での大型コンピュータの登場は、一挙に解析の適用範囲を拡げることになったが、検証性にかかわる問題の本質は、何ら変わっていない。これによって、科学は虚構的な領域に入り、従来の方法論からの変質が現実に進行していると言える。

 「ECCSとは、その名の通り、正規の冷却水の供給が配管の破断などによって断たれたとき、別のルートから緊急に原子炉に冷却水を注ぎこんで、空だきを防ぐための装置です。本書は、技術的な詳細に入ることを目的としていないので、ECCSの機能についてのこれ以上の記述は省きます。

 ECCSの最大の問題は、その機能の有効性が実証的に確かめられていないことにあり、さらにいえば、実証する手立てがないということです。

 伝統的な実証的方法に従えば、実際の大型原子炉を制作し、しかも実際と同じ運転条件を実現し、その条件下で冷却材(水)の喪失が起こるような事故(大口径配管の破断であるとか、圧力容器の亀裂であるとか)を生ぜしめて、ECCSを働かせ、首尾よく炉心に水が入って溶融事故を防ぎうることを確かめるというのが、ECCSの有効性を確認する最も直接的な手段といえます。

しかしもちろん、通常の実験のように、何回もそんなことを繰り返し、失敗を重ねながら、生じるあらゆる物理的現象を把握しながら、いかなる条件下でも緊急冷却水が炉心に注入されるようになるまでECCSの性能を改良して行くといった方法は取りようがありません。

経費の問題は別にしても、あまりに危険が大きすぎるから、ただの一回の失敗も許されないのです。

 そこで、実際には、小規模な模擬実験炉を作り、実際の燃料棒ではなく、たとえば電熱で加熱した模擬的な燃料棒を用いるなどして、ECCSの機能を検討するということになります。」(中略)

 「計画の変更が余儀なくされたのは、表の八〇〇シリーズの実験の後半段階で行われた炉心への緊急冷却水の注入実験で、六回の実験で六回とも、炉心に水が到達しなかったからです。

その原因は、結局、原子炉内で起こる物理的現象が十分に把握できておらず、コンピュータによる予測と実験の間に大幅なずれが出てきてしまう、ということに尽きるといえます。

 実際の条件と比較すれば、はるかに小規模で、簡素化したシステムを用いた実験でもこういうことが起こるわけです。

ましてや、実際の条件ではどのようなことが起こるのか、確たる予測はできず、ECCSの機能の有効性を実証する、というのとは程遠いのが実情です。

システムを大型化したときには、小型のシステムの実験では予測しえないことが起こりうるし、その予測を行うのに必要な実証的手だてがない、という巨大科学技術に共通の困難がここに現われています。」(中略)

 「すでに述べたように、実証的手法に従えば、実験室的な純化した条件下で、ある事象を構成するいろいろな基礎的な現象を解析し、その基礎データをもとにある事象の全体を再構成するというアプローチの方法が用いられます。

そのような細分化された個別的な因子の再構成が、全体としての一つのシステムの振舞いを必ずしも再現化しえないということが、実証的手法に基づく解析的科学の一つの大きな問題点とされてきました。

 大型コンピュータの登場は、そのような実証科学の問題をそのままにしながら、一挙に解析の適用範囲を拡げることになったのです。それによって、科学は虚構的な領域に入り、従来の方法論からの変質が現実に進行しているのです。」

(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第七巻 市民科学者として生きるⅠ』科学は変わる Ⅱ 原子力の困難(一)、pp.55-58)
(索引:科学の実証性、実験、実証性の虚構化)

市民科学者として生きる〈1〉 (高木仁三郎著作集)


(出典:高木仁三郎の部屋
友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ
 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

高木仁三郎(1938-2000、物理学、核化学)
原子力資料情報室(CNIC)
Citizens' Nuclear Information Center
認定NPO法人 高木仁三郎市民科学基金|THE TAKAGI FUND for CITIZEN SCIENCE
高木仁三郎の部屋
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高木仁三郎 略歴・業績Who's Whoarsvi.com立命館大学生存学研究センター
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99.化学者が放射性物質を扱う場合、%とかppmのオーダーの化学とは異なり、例えば水100gに(10の-14乗)gというような非常な微量を扱う。それでも、予想外の汚染とかを経験しながら、放射性物質の取扱いの難しさと様々な技術とを学んでいく。(高木仁三郎(1938-2000))

科学の実証性

【化学者が放射性物質を扱う場合、%とかppmのオーダーの化学とは異なり、例えば水100gに(10の-14乗)gというような非常な微量を扱う。それでも、予想外の汚染とかを経験しながら、放射性物質の取扱いの難しさと様々な技術とを学んでいく。(高木仁三郎(1938-2000))】

 「一般に化学者が実験的に放射性物質を扱う場合は、通常は遠隔操作ではなく手で扱います。手といっても、もちろんゴム手袋をしたり、必要に応じてはマスクをしたり、鉛ガラス入りの眼鏡をしたり、放射線防護用の服を着たり、鉛の板で生殖器部分を守ったりというように、必要な措置を施します。そんなに特別なことをしないで扱うのは、放射能にして一〇の五乗から七乗ベクレルくらいまでです。

 一〇の六乗ベクレルというのは、どの程度の濃度かというと、一〇〇グラムの水に、水の分子量は一八ですから、約五モルの水が入っているわけですけれども、それに対してセシウム-一三七は一〇のマイナス一四乗グラムということになります。モル数にするとおよそ一〇のマイナス一六乗モルくらいになるわけで、水の分子が一あるところに対して、セシウム-一三七の原子は一〇のマイナス一六乗モル個しかない。これは非常にわずかな量です。

このような微量な領域になってくると、一グラムの中に数ミリグラムが溶けていたというようなパーセントとか、ppmのオーダーの化学とは、化学自体が全然違ってきます。非常に特殊な振る舞いをするということが出てきます。

 私の経験では、セシウムはとにかく挙動が難しくて、少量の場合にはすぐに揮発してしまいます。非常に揮発性が高い元素です。

セシウムはアルカリ金属の一つで、あまり化学はややこしくないほうですけれども、もう少しややこしい化学のアクチノイド元素とか、ランタノイド元素だと、少量ではすぐにコロイドというものを作ります。つまり、少ない量の物質というのは、何分子も集まって、コロイド状に固まった状態になってしまって、溶液の中に溶けているのか、溶けていないのか、よくわかりません。

したがって、ふつうの化学の教科書に書いてあるように、沈殿を落としたり、溶媒抽出といって有機溶媒を使って溶媒中に取り出したりしようとすると、教科書どおりでないことが起こります。

 教科書どおりと思って扱っても、目に見えないですから、うっかりしていると、意外に大きな汚染を起こしたり、揮発を起こしたりしてしまいます。そんなことで、実験室を汚してしまったとか、手袋を汚してしまったとか、そういう経験はしょっちゅうあります。

そういう経験を経ながら、放射性物質は非常に難しいものだということを学んでいくのが、放射化学者として一人前になっていく道です。当然、扱い方が慎重になります。」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第三巻 脱原発へ歩みだすⅢ』原発事故はなぜくりかえすのか 3 放射能を知らない原子力屋さん、pp.354-355)
(索引:科学の実証性)

脱原発へ歩みだす〈3〉 (高木仁三郎著作集)


(出典:高木仁三郎の部屋
友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ
 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

高木仁三郎(1938-2000、物理学、核化学)
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2020年5月13日水曜日

8.科学技術が巨大化することにより抱える4つの問題:(1)実証性の虚構化(2)研究費への依存性増大による特定領域への偏向(3)研究の細分化と効率性追求による総合的視点の喪失(4)影響の巨大化と研究の私的性格との間の矛盾(高木仁三郎(1938-2000))

科学技術が巨大化がもたらす4つの問題

【科学技術が巨大化することにより抱える4つの問題:(1)実証性の虚構化(2)研究費への依存性増大による特定領域への偏向(3)研究の細分化と効率性追求による総合的視点の喪失(4)影響の巨大化と研究の私的性格との間の矛盾(高木仁三郎(1938-2000))】

(1)実証性の虚構化
 (a)人間的な感覚や思想からの乖離
  科学が、人間的な感覚や思想を通した実証的な営為であることを離れ、従来の実験室的な実証性にもはや依拠しえなくなる。
 (b)コンピュータに依存し過ぎた虚構化
  コンピュータに依存し過ぎた虚構的・観念的な存在になりつつある。
(2)研究費への依存性増大による特定領域への偏向
 (a)政府や官僚、政治家、大資本の影響
  研究が、研究費に大きく依存することになる結果、研究の方向づけが、研究費の分配に直接権限を持っている政府や官僚、政治家、大資本の利害に沿ったものになりやすい。
 (b)研究者の保守保身主義
  研究者も保守保身主義に陥りやすくなる。
(3)研究の細分化と効率性追求による総合的視点の喪失
 (a)研究の細分化
  科学の巨大さの度合いに応じて、個人の担う役割がますます細分化されていく。
 (b)総合的視点の喪失
  その結果、研究の全体性やその意味を、十分見通すことができなくなる。
 (c)科学の歴史、意味、目的を考える教育の軽視
  科学教育も、科学の歴史やその意味を総合的にとらえるといった教育は非効率的なものとされ、個別的な手法や技術をマスターさせることに教育の力点が置かれる。
(4)影響の巨大化と研究の私的性格との間の矛盾
 (a)研究結果の影響の巨大化
  科学上の発明・発見の影響が、人類全体の歩みを変えかねないほどの影響を持つようなことがある。
 (b)研究の私的性格
  それにもかかわらず、その研究が生みだされる実験室・研究室は、相変わらず科学者の私的な砦であるという基本的な性格を変えていない。そこから深刻な問題が生まれてくるように思われる。

 「巨大科学の問題点を考える場合には、大きく分けて四つぐらいの側面からアプローチする必要があると思われます。

その第一は、その扱うべき対象が巨大になり、旧来の実験室的な実証性にもはや依拠しえなくなった故の問題です。これは、科学が人間的な感覚や思想を通した実証的な営為であることを離れた虚構的・観念的な存在になりつつあるという問題としてすでに述べました。大型電算機の導入は、計算能力だけを不調和に増大するという効果により、非実証的な巨大化の傾向を加速しました。

 第二の側面は、科学研究が巨費を要するようになったため、研究費を確保できるか否かが科学者の死命を制するようになり、そのことによって研究の方向づけが決まってしまうということです。

研究が研究費によって支えられるという風潮下にあっては、研究を支えてくれるのは、研究費の分配に直接権限を持っている政府や官僚、政治家、大資本であり、その利害に忠実になるのが一番賢明だという考え方生き方が、知らず知らずのうちに身に付いてきます。

そこで研究者としての立場の利害を守ろうとすれば、どうしても既存の体制に忠実になるという保守保身主義に陥りやすくなります。」(中略)

「たとえば、原子核の研究を行おうとする場合、粒子を高エネルギーに加速し、原子核にぶつけ、原子核を壊して、その内部構造を調べるといった手法が必要となります。それも、時代とともに、ますます大きな重い粒子を高いエネルギーに加速し、高性能の測定装置で測るのでなければ、話しにならなくなります。

 こうして、直径何十メートル、何百メートルさらに、何キロという加速器が必要となり、それに見合った測定系も必要となってきます。

このような実験をなし遂げるには、大きな研究チームが必要です。加速器の運転や保守をする人、測定系の整備・改良を行う人、化学分離や試料の調整をする人、コンピュータの保守にあたる人、といった技術的な側面で研究を支えている人々のうえに、実際の実験や解析を計画し、遂行する「頭脳」の役割をする研究者が数人必要となり、そのうえに一切を統括する責任者がいる、というのが一般的な構造です。」(中略)

 「このような状況から、巨大科学の第三の側面が浮かび上がってきます。それは、巨大さの度合いに応じて、個人の担う役割が細分化され、機械のひとコマとなった個人は、その研究の全体性やその意味について、十分見通すことができなくなるということです。」(中略)

「このような細分化は、すでに科学教育にも大きな影を落としています。「一人前の」研究者・技術者に、若者たちを仕立て上がるためには、科学の歴史やその意味を総合的にとらえるといった教育は非効率的なものとされ、なるべく早いうちから個別的な手法や技術をマスターさせることに教育の力点が置かれます。

マスターすべき細目が増えれば増えるだけ、その負担のため広い視野に立って物を考えるような基礎を養うヒマもなくなるのです。」(中略)

「さて、私が特に強調したい第四の側面は、科学研究の産物が、ひとりひとりの人間にとって巨大なものとなり過ぎた、という点です。

必ずしも巨費を投じたものでなくとも、たとえば遺伝子工学にみられるように、そこから生まれる発明・発見の影響は、人類全体の歩みを変えかねないほどの影響を持つ事柄があまりにも多くなりました。

科学的知識の増大・強化は、一科学者の研究「成果」が、そのまま人類の存続に影響を及ぼすようなレベルにまで及んでいますが、その研究が生みだされる実験室・研究室は、相変わらず一科学者(複数であってももちろんかまわない)の私的な砦であるという基本的な性格を変えていません。そこから深刻な問題が生まれてくるように思えます。」

(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第七巻 市民科学者として生きるⅠ』科学は変わる Ⅲ 原子力の困難(二)、pp.74-77)
(索引:巨大科学技術の問題、実証性の虚構化、特定領域への偏向、総合的視点の喪失)

市民科学者として生きる〈1〉 (高木仁三郎著作集)


(出典:高木仁三郎の部屋
友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ
 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

高木仁三郎(1938-2000、物理学、核化学)
原子力資料情報室(CNIC)
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認定NPO法人 高木仁三郎市民科学基金|THE TAKAGI FUND for CITIZEN SCIENCE
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高木仁三郎 略歴・業績Who's Whoarsvi.com立命館大学生存学研究センター
原子力市民委員会(2013-)
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7.核技術は,まだ技術とは言えない。なぜなら,原子力の火は,つけることはできるが消せない火だからだ。寿命の長い放射能を寿命の短いものにするとか,放射能のないものに変えてしまうという試みは成功していない。(高木仁三郎(1938-2000))

消せない火

【核技術は,まだ技術とは言えない。なぜなら,原子力の火は,つけることはできるが消せない火だからだ。寿命の長い放射能を寿命の短いものにするとか,放射能のないものに変えてしまうという試みは成功していない。(高木仁三郎(1938-2000))】

 「この火を人工的に何とか消してしまおうという試みはありました。

例えば、ある他の核反応をさらに起こさせて寿命の長い放射能を寿命の短いものにしてしまう。そして寿命の短いものにしておいてしばらく待っていると死んでくれるだろうと、或いは放射能のないものに変えてしまうという、錬金術のような事の試みがありましたが、いろいろやっても結局旨くいかない。

つ放射能を消したかと思うと別の放射能が出来てしまう、もぐらたたきのような事をやっていましたね。結局旨くいかない。結局寿命の非常に長い放射能が残ってしまいます。」(中略)

「その消せない火を作り出すという事は、したがって人間がエネルギーの技術を手にしたという事にはならない。

人間がある火を手にしたというのは、その火を付けたいときに付けられるし、消したいときには消せるという事でないといけない。原子力の火は、付けたいときには付けられるようにはなったけれども、消したいときには消せるという点ではまったくこれ零です。出来ない。

そうである以上、これは完成された技術でもないし、人間が頼るべき技術でもない。私はそういう観点から今は確信を持って反対をする。これは事故があってもなくても駄目だと私は思っている。

そのうえに事故というのは人間のやる事ですから起こり得る事です。

チェルノブイリがなくても私はこれは原理的に駄目だと思っています。反対をしなくては、どこかでこの残った消せない火がかならず将来の世代を苦しめる事になると思います。私たちの時代に事故が起こらなかったとしてもね。」

(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第六巻 核の時代/エネルギー』核と人間、pp.380-381)
(索引:点火できるが消せない火)

核の時代・エネルギー (高木仁三郎著作集)


(出典:高木仁三郎の部屋
友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ
 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

高木仁三郎(1938-2000、物理学、核化学)
原子力資料情報室(CNIC)
Citizens' Nuclear Information Center
認定NPO法人 高木仁三郎市民科学基金|THE TAKAGI FUND for CITIZEN SCIENCE
高木仁三郎の部屋
高木仁三郎の本(amazon)
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ニュース(高木仁三郎)
高木仁三郎 略歴・業績Who's Whoarsvi.com立命館大学生存学研究センター
原子力市民委員会(2013-)
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2019年8月31日土曜日

6.放射性廃棄物の管理を難しくする理由(a)毒性が非常に強い。(b)半減期が非常に長い。(c)熱を発生し続けるので、小さく集めて管理できない。(d)化学的性質が違う多くの元素を含むので、処理や保管が難しい。(高木仁三郎(1938-2000))

放射性廃棄物の管理を難しくする4つの理由

【放射性廃棄物の管理を難しくする理由(a)毒性が非常に強い。(b)半減期が非常に長い。(c)熱を発生し続けるので、小さく集めて管理できない。(d)化学的性質が違う多くの元素を含むので、処理や保管が難しい。(高木仁三郎(1938-2000))】

放射性廃棄物の管理を難しくする4つの理由
(a)毒性が非常に強い。
(b)半減期が非常に長い。
(c)熱を発生し続けるので、小さく固めて集めて管理できない。
(d)化学的性質が違う多くの元素を含むので、処理や保管が難しい。

 「放射性廃棄物の特徴は、まず第一に毒性がプルトニウムと同じように非常に強いことです。第二に非常に長生きです。第三に非常にやっかいな特徴として、熱を発生し続けるという、発熱性の問題があります。

廃棄物が熱を発生しなければもう少し処理がしやすいのです。一カ所に固めて置いておけばいいのですが、それができないのは発熱性があるからです。原発から出てくる廃棄物を一つにまとめたら小さくなるという話がありますが、一つにまとめられない。もしまとめたら、そのとたんに内部から溶けていきます。地中に埋める場合でもこの点が問題になります。

 さらに、成分が雑多という第四の特徴があります。成分が雑多というのは、化学的性質が違う多くの元素がからんでくるという意味です。セシウムという元素もあればルテニウム、プルトニウム、ストロンチウムなどの元素もある。

産業廃棄物もやっかいですが、たとえばクロムならクロムの性質をうまく理解してそれにあった器に入れたり化学処理を考えてやればいいのですから、クロムを閉じ込めたり処分することができます。

放射性廃棄物がやっかいなのは、化学的性質を単一に決めることができない点です。学校時代に習った元素の周期律表の端から端までの雑多な元素を含んでいますから、その全部にあった処理方法はなかなかないわけです。それがいろいろなトラブルを起こしてしまう原因です。」

(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第二巻 脱原発へ歩みだすⅡ』反原発、出前します! Ⅳ 核燃料サイクル、pp.387-388)
(索引:放射性廃棄物の管理の困難さ)

脱原発へ歩みだす〈2〉 (高木仁三郎著作集)

(出典:高木仁三郎の部屋
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 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

高木仁三郎(1938-2000、物理学、核化学)
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認定NPO法人 高木仁三郎市民科学基金|THE TAKAGI FUND for CITIZEN SCIENCE
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高木仁三郎 略歴・業績Who's Whoarsvi.com立命館大学生存学研究センター
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2019年8月25日日曜日

5.放射性廃棄物が壊変して毒性のない元素になるには、数百万年の時間が必要となる。これは、人間に管理できる時間スケールだろうか?(高木仁三郎(1938-2000))

放射性廃棄物の壊変時間

【放射性廃棄物が壊変して毒性のない元素になるには、数百万年の時間が必要となる。これは、人間に管理できる時間スケールだろうか?(高木仁三郎(1938-2000))】

 「毒性の減衰はゆっくりとしており、セシウムやストロンチウムが壊変しきる一〇〇〇年後以降は、長寿命のプルトニウムやネプツニウムの毒性が残存するため、数百万年後まで目立った変化がない。

 それだけの時間の「絶対的隔離」が放射性廃棄物の処分に必要な条件であるが、人間の行う技術に課せられた条件としてはこれはきわめて厳しい。

主として考えられている処分の方法は、地下の深層への埋設処分だが、埋設された放射能が一〇〇万年以上もの間生物環境に漏れ出てこないことを保障することはできそうにない。

 放射性廃棄物を閉じこめる容器(いわゆる人工バリア)と地下の岩盤(天然バリア)によって隔離を達成しようとするわけだが、容器は数十年以上の耐腐食性が保障されそうにないし、地下の地層も何万年を超えるような安全性を確保できそうにない。

最も大きな問題は、何百万年といわず、仮に何千年という期間を考えても、私たちの現在もっている科学的能力では、その期間に何が起こるか、とても予測ができないことだ。」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第二巻 脱原発へ歩みだすⅡ』共著書の論文 核エネルギーの解放と制禦、p.528)
(索引:放射性廃棄物の壊変時間)

脱原発へ歩みだす〈2〉 (高木仁三郎著作集)

(出典:高木仁三郎の部屋
友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ
 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

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2019年4月18日木曜日

4.原発が、いかに膨大な量の放射能を蓄えているかを理解しておくこと。100万kW級の原発1基は、1日で広島型原爆3発分、年間700~1000発分の核反応に相当する。(高木仁三郎(1938-2000))

原発1基1日の放射能

【原発が、いかに膨大な量の放射能を蓄えているかを理解しておくこと。100万kW級の原発1基は、1日で広島型原爆3発分、年間700~1000発分の核反応に相当する。(高木仁三郎(1938-2000))】

 「原子力発電は、制御してゆっくりと核分裂を起こさせていて、原爆のように爆発的にウランを燃やさない、という言い方がよくされています。

それはある意味ではその通りで、原爆のように原子力発電所がいつも爆発を起こしていると考えるのは誤りですが、しかしゆっくり制御されて燃やしているとだけいうと、逆の意味で誤解されるおそれがあります。

実際に現在使われているような大型の原子力発電所では、一〇〇万キロワットとか、大きな電力を取り出すために、とても激しい反応が行われているといってもいいのです。
 一〇〇万キロワット級の原発は、広島の原爆を一日三発ぐらい爆発させる分の反応を二四時間かけてやっています。

広島の原爆の場合には、それが一〇万分の一秒よりももっと速いくらいの時間で一気に爆発した。それに比べれば確かにゆっくりですが、総体としては大変な量を燃やしている。
 一年運転すると、広島型原爆七〇〇から一〇〇〇発ぐらいの量になります。当然とても大きな量の放射能がその炉心に溜まってきます。

これが何らかの形で外界に漏れ出すのが原発事故の基本的な形であり、恐ろしさなのです。

巨大な量の放射能を炉心に蓄えながら、高温高圧で運転し続けるという状態にいつもあるということが、原子力発電所のもっている基本的な厳しさで、ここからすべての問題が発しているといっていいのです。」

(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第一巻 脱原発へ歩みだすⅠ』原発事故―――日本では? 第1章 事故の怖さⅠ、p.272)
(索引:原発1基1日の放射能)

脱原発へ歩みだす〈1〉 (高木仁三郎著作集)

(出典:高木仁三郎の部屋
友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ
 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

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2019年4月13日土曜日

3.人間は全知全能ではあり得ず、必ず間違いや事故の可能性がある。従って、試行錯誤や、やり直しが許されないような技術は、廃棄すべきである。宇宙開発、化学物質の製造、遺伝子組換えも、同様の観点での検証が必要だ。(高木仁三郎(1938-2000))

やり直し可能性

【人間は全知全能ではあり得ず、必ず間違いや事故の可能性がある。従って、試行錯誤や、やり直しが許されないような技術は、廃棄すべきである。宇宙開発、化学物質の製造、遺伝子組換えも、同様の観点での検証が必要だ。(高木仁三郎(1938-2000))】

民主的な社会が、巨大事故を考慮して技術システムの選択を行なう場合、最低限どんなことを考えなくてはならないか。
(1)人間はそんなに全知全能ではあり得ない。すなわち、間違いや事故の可能性は、常に存在する。
(2)したがって、試行錯誤的に進んでいくしかない。すなわち、結果が不都合と出た場合は、修正をしていく。そのためには、
 (2.1)プロセスが公開されていること。
 (2.2)試行錯誤(やり直し)が常に十分に保障されることが、科学的に検証できること。
(3)したがって、試行錯誤が許されないような、壊滅的な事故の起こる可能性のある技術は、放棄する必要がある。
 (3.1)たとえば、ひとつの事故が、地上の生命と環境に長期的に修復不可能な全面的な損失をもたらすような可能性を否定できないような技術は、放棄する必要がある。
 (3.2)核技術以外にも、宇宙開発、化学物質の製造、遺伝子組換えでも、やり直し可能性の検証が必要な技術があり得るだろう。
 (3.3)仮にその技術が、我々の日常生活にさまざまな利便を与え、大きな産業につながるとしても、ある一部の国の人々に、そのような技術を維持する権利は存在しない。

 「民主的な社会が、巨大事故を考慮して技術システムの選択を行なう場合、最低限どんなことを考えなくてはならないだろうか。

私は人間はそんなに全知全能ではあり得ないから、試行錯誤的に進んでいくしかないと思う。

技術の選択はいつも絶対的であり得ず、ひとつの試行(トライアル)にすぎない。そして、その結果が不都合と出た場合は、常に修正が可能であるような、しかもそのようなプロセスが公開のもとに進行していけるような、そんなやり方が最も望ましいと思う。

 このやり方は、間違いや事故の可能性を封じるものではなく、むしろ我々は誤った選択の結果、被害を受けたり困難に直面したりするかもしれない。

そういう可能性は小さいに越したことはないが、ゼロにはできない。しかし、民主的な社会は結局、そういう試行錯誤で軌道修正しながら進んでいくしかないし、その選択の結果はお互いに耐えていくしかない。

 しかし、この時に、どうしても必要な条件がある。それは、他でもない、このような試行錯誤(やり直し)が常に十分に保障されるということである。

 そして、そのためには、破滅的な事故の起こる可能性のある技術は、放棄することが、どうしても必要な前提である。そのような技術では、試行錯誤が許されないからである。

 仮にその技術が我々の日常生活にさまざまな利便を与え、大きな産業につながるとしても、ひとつの事故が、地上の生命と環境に長期的に修復不可能な全面的な損失をもたらすような可能性を否定できないのであれば、やり直しができないわけだから、その技術は放棄すべきである。

そんな技術を維持する権利は、ある一国の人々、あるいは人類全体(そのある世代)にもないというべきであろう。」(中略)

 「核(核兵器・原発)については、その放棄は、ペロウと同じで私には当然のことと思えるが、その他の事柄については、最大限想定についての材料が私の手元に十分でない。

しかし、宇宙開発でも化学物質の製造遺伝子組換えでも、今後の技術の進展次第では、破滅を導く事故の可能性も考えられるのではないだろうか。

たとえば、地上の生物の遺伝的条件をすっかり変えてしまって、元に戻れないような遺伝物質の浸透が起こりうるとしたら、それは私の条件では放棄の対象となる。

 最低限、この「やり直し可能性」を条件とすることが、私の提案である。そして、この条件が十分に確かな科学的やり方で検証できることもどうしても必要である。」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第九巻 市民科学者として生きるⅢ』巨大事故の時代 第九章 巨大事故をどうするか、pp.149-151)

(索引:試行錯誤,やり直し可能性,宇宙開発,化学物質の製造,遺伝子組換え)

市民科学者として生きる〈3〉 (高木仁三郎著作集)

(出典:高木仁三郎の部屋
友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ
 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

高木仁三郎(1938-2000、物理学、核化学)
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2019年4月11日木曜日

2.何十億年とかかって豊かな共生を達成してきた地上のあらゆる生の営み、それはすべて化学反応の世界だ。核反応は化学反応より100万倍も強く、一歩間違えれば、もはややり直しがきかないような事故のリスクを抱えている。(高木仁三郎(1938-2000))

核技術の特殊性

【何十億年とかかって豊かな共生を達成してきた地上のあらゆる生の営み、それはすべて化学反応の世界だ。核反応は化学反応より100万倍も強く、一歩間違えれば、もはややり直しがきかないような事故のリスクを抱えている。(高木仁三郎(1938-2000))】

 「私たちの地上の世界は、生物界も含めて基本的に化学物質によって構成されている世界である。



 このことの恐ろしさの一端を、我々はチェルノブイリ原発の事故によって目のあたりにすることになった。

一瞬の爆発によって、世界中が放射能の恐怖に見舞われた。この出来事は、何十億年とかかって豊かな共生を達成してきた地上のあらゆる生の営みが、ヒトという生物のちょっとしたボタンの押し間違いといったことによっても、一瞬にして灰と化しうることを、あらためて私たちに悟らせた。

この破局の一瞬はいつ訪れるかしれない―――チェルノブイリがそうであったように。

そして、その一瞬がひとたび訪れた以上、もはややり直しはきかないのである。


 核文明は、そのように破滅の一瞬を、いつも時限爆弾のように、その胎内に宿しながら、存在している。

この危機は明らかにこれまでのものとまったく異質のものではないだろうか。

そして今、その時限爆弾がカチカチと時を刻む音が、いよいよ大きく、私たちの耳に入ってこないだろうか。」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第一巻 脱原発へ歩みだすⅠ』チェルノブイリ――最後の警告 第Ⅲ章 ポスト・チェルノブイリに向けて、pp.242-243)
(索引:核技術の特殊性,核反応,化学反応)

脱原発へ歩みだす〈1〉 (高木仁三郎著作集)

(出典:高木仁三郎の部屋
友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ
 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

高木仁三郎(1938-2000、物理学、核化学)
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2019年4月10日水曜日

1.46億年の地球の歴史を経て、過剰な有害放射能が消え去り生命が育まれた。これが、93番以降の超ウラン元素が天然に存在しない理由だ。核技術は、この46億年の歴史に取り返しのつかない影響を及ぼす可能性がある。(高木仁三郎(1938-2000))

核技術の特殊性

【46億年の地球の歴史を経て、過剰な有害放射能が消え去り生命が育まれた。これが、93番以降の超ウラン元素が天然に存在しない理由だ。核技術は、この46億年の歴史に取り返しのつかない影響を及ぼす可能性がある。(高木仁三郎(1938-2000))】

地球の歴史
生命の誕生
人類の進化
物理学の歴史
アインシュタイン
核分裂の発見

 「さて、原子番号の大きい「重い」元素は、みな不安定で、放射性である。原子番号八四番の ポロニウム とそれより重い元素は、天然に存在するものもすべて放射性である。

そんななかで、九二番の ウラン までが天然に存在し、それより重い九三番以降のもの(「超ウラン元素」と呼ぶ)が天然に存在しないのは、どういうわけだろうか。

実は、地球ができた頃、あるいはそれよりももっと昔には、もっともっと多くの元素があったと考えられる。しかし、地球が生まれてからでもすでに四六億年もの年月がたっているので、それから現在までの間に、寿命の短い不安定な元素はみな死に絶えてしまったのである。

 ウランが残ったのは、その寿命が充分に長かったからだ。ウランの仲間のなかで最も長生きなのは、半減期が四五億年のウラン-二三八である。これだけ寿命が長かったからこそ、今も生き残り、私たちはその存在を天然に見出すわけだが、超ウラン元素はすべてもっと不安定で、天然には存在せず、人工的に作りだすよりほかにそれを手にする手段はない。

 したがって、原初の地球は放射能で満ち満ちていたといっても過言ではない。ウラン-二三八も現在量のちょうと二倍あったはずである。

私たちが今日あるのも、四六億年という地球の歴史の過程で、過剰な有害放射能が死に絶え、生命の条件が整ったということにも大いによっているという事実は、心に留めておくべきことである。」

(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』プルトニウムの恐怖 第1章 パンドラの筐は開かれた、pp.127-128)
(索引:核技術の特殊性,地球の歴史,生命の誕生,人類の歴史)

プルートーンの火 (高木仁三郎著作集)

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 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
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