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2020年6月6日土曜日

仮に最も敵対的な諸見解,観点から出発しても,予め願われた地点とは別の一つの意見に収斂してゆく. これは逃れることのできない運命の働きであるかのようである. この意見が真理であり,実在する対象の表現でもある.(チャールズ・サンダース・パース(1839-1914))

真理と実在

【仮に最も敵対的な諸見解,観点から出発しても,予め願われた地点とは別の一つの意見に収斂してゆく. これは逃れることのできない運命の働きであるかのようである. この意見が真理であり,実在する対象の表現でもある.(チャールズ・サンダース・パース(1839-1914))】

(出典:wikipedia
チャールズ・サンダース・パース(1839-1914-)の命題集(Propositions of great philosophers)

「別々の精神は、もっとも敵対的な諸見解をもって出発するであろうが、探究の進歩は、彼ら自身の外側にある一つの力によって、おなじ一つの結論にむかって彼らをつれていくのである。われわれが、われわれの願う地点ではなく、逆にまえもってさだめられたゴールにむかってはこばれていく思想のこの活動は、あたかも運命のはたらきであるかのようである。採用された観点をどんなにかえてみても、精神のもって生まれたいかなる性癖でさえも、一人の人間をして、このまえもってさだめられた意見からのがれさせることはできない。この偉大な法則が、真理と実在の概念のなかに体現されているのである。探究者全体によって、終局的に同意されることが運命づけられている意見こそ、われわれが真理というコトバにあたえる意味なのであり、この意見のなかに表現される対象こそ、実在する対象なのである。これこそ、私が実在を説明しようとする方法である。〔久野収訳『われわれの概念を明晰にする方法』世界思想教養全集14、プラグマティズム、河出書房新社、1963年、48頁〕C. S. Peirce,'How to Make Our Ideas Clear',Popular Science Monthly vol.12,1878,pp.286-302」 (デイヴィッド・ウィギンズ(1933-)『ニーズ・価値・真理』第3章 真理、発明、人生の意味、原注34、p.223、勁草書房(2014)、大庭健(監訳)・奥田太郎(監訳)・古田徹也(訳))
(索引:)

ニーズ・価値・真理: ウィギンズ倫理学論文集 (双書現代倫理学)


(出典:Faculty of Philosophy -- University of Oxford
デイヴィッド・ウィギンズ(1933-)の命題集(Propositions of great philosophers)
「価値述語の意味が解体の危機に瀕しているように見え、それを防いで述語を維持するには、ヒュームもまた、われわれに共通する人間本性と特定の感情への共通の傾向が必要だと考えていた、という点である。ヒュームは健全な判断と不健全な判断とを識別することを求めており、また、そうした識別と道徳的主体性の主権を両立させるというヒュームの苦闘が彼の理論的関心の中心にあり続ける以上、ヒュームが主観主義の第一の定式化へと戻ることにはいかなる利点もないと思われる。
 じっさい、解決できない実質的な不一致の可能性のうちにどのような困難があるとしても、そのような困難を免れていられるようないかなる道徳哲学上の立場もありえない。われわれは、解決できない実質的な不一致があると主張するとしても、うろたえてはならない。われわれは端的にそのような不一致の可能性を尊重すべきであるし、それを尊重するときには、ある程度の認知的未確定性(cognitive underdetermination)のあるケースとして認めておくべきであると思われる。ある反主観主義的理論――カントの理論、直観主義の理論、功利主義の理論、あるいは独断的実在論の理論――を支持することによって、この可能性をあらかじめ排除する哲学的立場を見つけたいと願った論者もいる。だが、いかにしてそのような可能性が単純に排除されうるのであろうか。そして、なぜ他方で主観主義者は《その可能性を組み入れて》しまったとみなされねばならないのだろうか。この点に関して主観主義者がしなければならないのは、実際には他のすべての論者がしなければならないことと同じである。主観主義者はただ次のことを主張すればよい。すなわち、解決できない実質的な不一致がありうるにもかかわらず、その可能性によって部分的に条件づけられた仕方で、われわれは、推論、意見の転向、批判というなじみの過程のなかで可能な限りやり抜かなければならない――しかも、そうしたことが成功する保証はないし、そうした保証は、獲得不可能であるのとほぼ同程度に不必要だということである。」
(デイヴィッド・ウィギンズ(1933-)『ニーズ・価値・真理』第4章 賢明な主観主義?、17、pp.272-273、勁草書房(2014)、大庭健(監訳)・奥田太郎(監訳)・萬屋博喜(訳))
(索引:)

デイヴィッド・ウィギンズ(1933-)
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価値評価の認知主義は,真理を評価基準の最高位におき,証拠に基づいて議論可能で,合意へと収斂可能であると考える. 真理は人間の意志や認識能力とは独立に存在する実在の反映であり,互いに矛盾せず,確定可能であろう.(デイヴィッド・ウィギンズ(1933-))

認知主義と非認知主義

【価値評価の認知主義は,真理を評価基準の最高位におき,証拠に基づいて議論可能で,合意へと収斂可能であると考える. 真理は人間の意志や認識能力とは独立に存在する実在の反映であり,互いに矛盾せず,確定可能であろう.(デイヴィッド・ウィギンズ(1933-))】

(1)認知主義
 (a)真理であるから、それを受け入れる。判断の評価基準は、真理かどうかが最上位である。
 (b)真理であるかどうかは、証拠に基づいて議論可能であり、合意へと収斂可能である。
 (c)真理は、人間の意志や認識能力とは、独立に存在する。
 (d)あらゆる真理は、何か真にするものによって真である。人間を超えた真に存在するものがある。
 (e)あらゆる真理は、他のあらゆる真理と両立可能であると期待可能である。
 (f)真理が完全な確定性をもち、また、その答えが真理をもつことを志向するような問いもすべて完全な確定性を持つと要求は正当である。
(2)非認知主義
 (a)真理であるからといって、それを受け入れるとは限らない。というより、価値評価は、真理とは無関係である。
 (b)価値評価は、議論不可能であり、合意することもできない。
 (c)価値評価は、人間の意志や認識能力に依存する。
 (d)価値評価は、人間の評価である。恐らく、真理も人間に依存する。
 (e)価値評価は、互いに矛盾することもある。
 (f)意味のある問いが、確定した答を持つとは限らない。

「非認知主義者の眼目を際立たせる第二の仕方は、哲学的分析の伝統における一連の荒唐無稽な試み――快や感じ、是認といったものによって「よい(good)」や「べき(ought)」、「正しい(right)」などを分析しようとする試み――からみずからの議論を切り離し、以下のような非形式的な考察へと変容させることである。すなわち、評価や実践における判断が与っている主張可能性を一方の側に置き、(たとえば)歴史学や地理学における判断が与っている端的な真理(plain truth)――範例的な真理、標準的な真理――という身分をもう一方の側に置いた場合の、両者の間の類似性あるいは差異に関して考察することである。
 それでは、端的な真理とは何だろうか。比較のためにはおそらく端的な真理についての自明の理と呼びうるものによってそれを特徴づけることで足りるだろう。私が受け入れている自明の理は以下のものである。
(1) 判断の評価軸として、真理が最上位である。
(2) 真理は、証拠にもとづいた議論のあり方を説明できなければならない。そもそも議論は、良好な条件の下では合意へと収斂するものであって、その合意についての適切な説明はまさにその真理を必要とする。
(3) 真理は、われわれの意志と独立であるのみならず、ある言明の属性の存在ないし不在を認識するわれわれ自身の限られた手段に対しても独立性をもつ。この(2)と(3)が合わさると、
(4) あらゆる真理は何か〔真にするもの(truth-maker)〕によって真である、という自明の理が示唆される。そこから、われわれはさらに、
(5) あらゆる端的な真理は他のあらゆる端的な真理と両立可能である、ということを期待することができる。最後に、さらなる自明の理と推定されるものとして、
(6) 真理が完全な確定性(determinancy)をもち、また、その答えが真理をもつことを志向するような問いもすべて完全な確定性をもつ、という要求を挙げることができる。
 評価的な判断および/または熟慮的な判断の主張可能性は、以上の基準を満たすだろうか。もしこの問いを先ほど提案した枠組みのなかで追求するとすれば、非認知主義者に特有の教説は、この問いに対して《否》と答える主張となるだろう。」
(デイヴィッド・ウィギンズ(1933-)『ニーズ・価値・真理』第3章 真理、発明、人生の意味、8、pp.181-182、勁草書房(2014)、大庭健(監訳)・奥田太郎(監訳)・古田徹也(訳))
(索引:認知主義,非認知主義)

ニーズ・価値・真理: ウィギンズ倫理学論文集 (双書現代倫理学)



(出典:Faculty of Philosophy -- University of Oxford
デイヴィッド・ウィギンズ(1933-)の命題集(Propositions of great philosophers)
「価値述語の意味が解体の危機に瀕しているように見え、それを防いで述語を維持するには、ヒュームもまた、われわれに共通する人間本性と特定の感情への共通の傾向が必要だと考えていた、という点である。ヒュームは健全な判断と不健全な判断とを識別することを求めており、また、そうした識別と道徳的主体性の主権を両立させるというヒュームの苦闘が彼の理論的関心の中心にあり続ける以上、ヒュームが主観主義の第一の定式化へと戻ることにはいかなる利点もないと思われる。
 じっさい、解決できない実質的な不一致の可能性のうちにどのような困難があるとしても、そのような困難を免れていられるようないかなる道徳哲学上の立場もありえない。われわれは、解決できない実質的な不一致があると主張するとしても、うろたえてはならない。われわれは端的にそのような不一致の可能性を尊重すべきであるし、それを尊重するときには、ある程度の認知的未確定性(cognitive underdetermination)のあるケースとして認めておくべきであると思われる。ある反主観主義的理論――カントの理論、直観主義の理論、功利主義の理論、あるいは独断的実在論の理論――を支持することによって、この可能性をあらかじめ排除する哲学的立場を見つけたいと願った論者もいる。だが、いかにしてそのような可能性が単純に排除されうるのであろうか。そして、なぜ他方で主観主義者は《その可能性を組み入れて》しまったとみなされねばならないのだろうか。この点に関して主観主義者がしなければならないのは、実際には他のすべての論者がしなければならないことと同じである。主観主義者はただ次のことを主張すればよい。すなわち、解決できない実質的な不一致がありうるにもかかわらず、その可能性によって部分的に条件づけられた仕方で、われわれは、推論、意見の転向、批判というなじみの過程のなかで可能な限りやり抜かなければならない――しかも、そうしたことが成功する保証はないし、そうした保証は、獲得不可能であるのとほぼ同程度に不必要だということである。」
(デイヴィッド・ウィギンズ(1933-)『ニーズ・価値・真理』第4章 賢明な主観主義?、17、pp.272-273、勁草書房(2014)、大庭健(監訳)・奥田太郎(監訳)・萬屋博喜(訳))
(索引:)

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「xが必要である」という言明が,xに対する要求権や権原を生み出す社会道徳が存在する. ゆえに,多数者の欲求や「ニーズ」のために,少数者の厳密な意味での死活的ニーズを犠牲にすることは不正義とされ,制限される.(デイヴィッド・ウィギンズ(1933-))

権利を調停する制限原理

【「xが必要である」という言明が,xに対する要求権や権原を生み出す社会道徳が存在する. ゆえに,多数者の欲求や「ニーズ」のために,少数者の厳密な意味での死活的ニーズを犠牲にすることは不正義とされ,制限される.(デイヴィッド・ウィギンズ(1933-))】

(1)「xが必要である」という言明
  「xが必要である」という言明は,もしxが奪われれば,互恵性や協調を支える規範遵守の再検討が公言可能で,しかも道徳的なことであると感受されるような社会道徳の存在を前提に,xに対する要求権や権原を生み出す。(デイヴィッド・ウィギンズ(1933-))
 (1.1)要求権、権原
  xに対する抽象的な要求権や権原を生み出す。
 (1.2)社会道徳Sの存在
  (1.1.1)社会道徳Sの目的
   (a)人々は、自ら身を立てることができる。
  (1.1.2)社会道徳S
   (a)Sによって維持されている互恵性や協調という規範が存在する。
   (b)Sが社会道徳であるとは、コンセンサスの取り消しが、Sの内部ですら理解可能で自然なことであるということが判明するような、何らかの条件が確かに存在するということである。
   (c)規範遵守の再検討を公言可能にする理由
    (i)規範に対するその当該人物の遵守を再検討するために、Sの内部で公言可能かつ公的に持続可能であるような理由が存在する。
    (ii)規範遵守の再検討の公言は、協調への期待に依拠する共有された感受性の内側で、道徳的に理解され得るものとみなされる。

(2)権利を調停する制限原理
 権利/対抗権利の調停を統制し、かつ、公共財の追求のために実施される総計的推論を統制すべき制限原理は、以下の通りである。
 (2.1)多数者の欲求と少数者の死活的ニーズ
  いかに多数の者の利益のためであろうとも、多数者の単なる「欲求」のために、誰かの厳密な意味での死活的ニーズを犠牲にすることは、不正義である。
 (2.2)多数者の「ニーズ」と少数者の厳密な意味での死活的ニーズ
  いかに多数の者の「ニーズ」の名においても、より大きな厳密な意味での死活的ニーズを犠牲にするならば、不正義である。
 (2.3)最も幸薄い状態であり続けている人々の存在
  苦しんでいる人々のなかに、関係するすべての集団において前々から最も幸薄い状態であり続けている者たちがいてもなお、不正義それ自体はない。

「おそらく、権利/対抗権利の調停を統制し、かつ、公共財の追求のために実施される総計的推論を統制すべき制限原理は、以下のようなものである。(物品面であろうが金銭面であろうが)ある者を現状より貧しくさせないようにしようとして他の者をより貧しくさせるような国やその機関の活動に何ら不正義がないとしても――また、それによって苦しんでいる人々のなかに、関係するすべての集団において前々から最も幸薄い状態であり続けている者たちがいてもなお、不正義それ自体は(それによって思考にもたらされるいかなる中断も)まったく存在する必要がないのだとしても――、国や国の機関が、いかに多数であろうとも、多数の者の単なる欲求のために誰かの厳密な意味での死活的利益を犠牲にして、偶然性に介入し、その政策を変更し、市民の思慮ある期待を裏切るならば、《それは、その程度には不正義(pro tanto unjust)である》。また、(より思弁的にはなるが)そうした介入の影響を実際に受ける死活的利益のなかで、いかに多数であろうとも、多数の者のより小さなニーズの名の下に誰かのより大きな厳密な意味での死活的ニーズを犠牲にするならば、《それは、その程度には不正義である》。」
(デイヴィッド・ウィギンズ(1933-)『ニーズ・価値・真理』第1章 ニーズの要求、18、p.55、勁草書房(2014)、大庭健(監訳)・奥田太郎(訳))
(索引:権利を調停する制限原理,ニーズ)

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デイヴィッド・ウィギンズ(1933-)の命題集(Propositions of great philosophers)
「価値述語の意味が解体の危機に瀕しているように見え、それを防いで述語を維持するには、ヒュームもまた、われわれに共通する人間本性と特定の感情への共通の傾向が必要だと考えていた、という点である。ヒュームは健全な判断と不健全な判断とを識別することを求めており、また、そうした識別と道徳的主体性の主権を両立させるというヒュームの苦闘が彼の理論的関心の中心にあり続ける以上、ヒュームが主観主義の第一の定式化へと戻ることにはいかなる利点もないと思われる。
 じっさい、解決できない実質的な不一致の可能性のうちにどのような困難があるとしても、そのような困難を免れていられるようないかなる道徳哲学上の立場もありえない。われわれは、解決できない実質的な不一致があると主張するとしても、うろたえてはならない。われわれは端的にそのような不一致の可能性を尊重すべきであるし、それを尊重するときには、ある程度の認知的未確定性(cognitive underdetermination)のあるケースとして認めておくべきであると思われる。ある反主観主義的理論――カントの理論、直観主義の理論、功利主義の理論、あるいは独断的実在論の理論――を支持することによって、この可能性をあらかじめ排除する哲学的立場を見つけたいと願った論者もいる。だが、いかにしてそのような可能性が単純に排除されうるのであろうか。そして、なぜ他方で主観主義者は《その可能性を組み入れて》しまったとみなされねばならないのだろうか。この点に関して主観主義者がしなければならないのは、実際には他のすべての論者がしなければならないことと同じである。主観主義者はただ次のことを主張すればよい。すなわち、解決できない実質的な不一致がありうるにもかかわらず、その可能性によって部分的に条件づけられた仕方で、われわれは、推論、意見の転向、批判というなじみの過程のなかで可能な限りやり抜かなければならない――しかも、そうしたことが成功する保証はないし、そうした保証は、獲得不可能であるのとほぼ同程度に不必要だということである。」
(デイヴィッド・ウィギンズ(1933-)『ニーズ・価値・真理』第4章 賢明な主観主義?、17、pp.272-273、勁草書房(2014)、大庭健(監訳)・奥田太郎(監訳)・萬屋博喜(訳))
(索引:)

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2020年5月9日土曜日

「xが必要である」という言明は,もしxが奪われれば,互恵性や協調を支える規範遵守の再検討が公言可能で,しかも道徳的なことであると感受されるような社会道徳の存在を前提に,xに対する要求権や権原を生み出す。(デイヴィッド・ウィギンズ(1933-))

「xが必要である」という言明

【「xが必要である」という言明は,もしxが奪われれば,互恵性や協調を支える規範遵守の再検討が公言可能で,しかも道徳的なことであると感受されるような社会道徳の存在を前提に,xに対する要求権や権原を生み出す。(デイヴィッド・ウィギンズ(1933-))】

「xが必要である」という言明
(1)要求権、権原
 xに対する抽象的な要求権や権原を生み出す。
(2)社会道徳Sの存在
 (1.1)社会道徳Sの目的
  (a)人々は、自ら身を立てることができる。
 (1.2)社会道徳S
  (a)Sによって維持されている互恵性や協調という規範が存在する。
  (b)Sが社会道徳であるとは、コンセンサスの取り消しが、Sの内部ですら理解可能で自然なことであるということが判明するような、何らかの条件が確かに存在するということである。
  (c)規範遵守の再検討を公言可能にする理由
   (i)規範に対するその当該人物の遵守を再検討するために、Sの内部で公言可能かつ公的に持続可能であるような理由が存在する。
   (ii)規範遵守の再検討の公言は、協調への期待に依拠する共有された感受性の内側で、道徳的に理解され得るものとみなされる。


「あるニーズ言明の場合、それらの言明は、あるものに対するニーズを伝えるのだが、そのものが必要となるということは、そのものに対する抽象的な権利や権原をまさに生み出すものの一部である。ここで示唆されているのは次のことである。すなわち、実際に存続しており、自ら身を立てるという共有された関心事を行為者に提案することに成功しているような、そうしたある社会道徳Sの目的のために、《条件Cのもとでのxに対する抽象的な要求権や権原》が存在する。そう言えるのはまさに以下の場合である。すなわち、《xは、それが条件Cのもとで否定されたり奪われたりすることで、否定され奪われた当該人物に、ある理由の部分ないしはすべてが与えられる(また、与えていると思われうる)ような何かであり、その理由とは、Sによって維持されている互恵性や協調という規範に対するその当該人物の遵守を再検討するために、Sの内部で公言可能かつ公的に持続可能であるような理由である》、という場合である。要するに、もしそのような場合にxを奪われた犠牲者が、口にされたか前もって口にされなかったかする協調への期待のなかで、われわれを失望させるのならば、そのことは、この期待に依拠する共有された感受性の内側で道徳的に理解されうるものとみなされる、ということである。
 ある権利の存在のためのこうしたきわめて差し迫った条件がもつ完全な意味合いをつかむためには、それが依拠する想定を述べることが役立つであろう。それは、以下のような想定である。すなわち、コンセンサスの取り消しがS《の内部ですら》理解可能で自然なことであるということが判明するような《何らかの》条件――言い換えれば、Sに属する誰かが自らを不正に(それどころか正当化不可能な仕方で)犠牲になってきた者だと考えることをSが少なくとも許容するような何らかの条件――が確かに存在していたのでない限り、Sが社会道徳とみなされることはほとんどありえない、という想定である。」
(デイヴィッド・ウィギンズ(1933-)『ニーズ・価値・真理』第1章 ニーズの要求、17、pp.41-42、勁草書房(2014)、大庭健(監訳)・奥田太郎(訳))
(索引:ニーズ,ニーズの要求,社会道徳,要求権,権原,規範遵守の再検討)

ニーズ・価値・真理: ウィギンズ倫理学論文集 (双書現代倫理学)



(出典:Faculty of Philosophy -- University of Oxford
デイヴィッド・ウィギンズ(1933-)の命題集(Propositions of great philosophers)

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