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2019年4月17日水曜日

克服条件:全体利益の合計値最大化のための同じ行動を、相手も取るという信頼が存在し、その信頼は、自己利益の犠牲、非協力リスクの負担、相対的劣位性の受入、一時的な不平等の許容を、克服し得る程度のものであること。(フランチェスコ・グァラ(1970-))

囚人のジレンマ

【克服条件:全体利益の合計値最大化のための同じ行動を、相手も取るという信頼が存在し、その信頼は、自己利益の犠牲、非協力リスクの負担、相対的劣位性の受入、一時的な不平等の許容を、克服し得る程度のものであること。(フランチェスコ・グァラ(1970-))】
(e)囚人のジレンマ
 (e.1)以下の視点に従う限り、各プレーヤーは非協力に対して選好を持つ。
  (i)非協力の利益の期待値は、協力より大きい。(期待値)
  (ii)協力は、相手に依存するリスクにさらされている。(リスク)
  (iii)相手に対する相対的優位性も、非協力の方が圧倒的に大きい。(期待値の相対的優位性)
  (iv)協力と非協力の戦略が混在すると、不平等が生じる。(平等性)
 (e.2)それにもかかわらず、協力を選択する条件は何だろうか。
  (i)両プレーヤーが共に協力する選択は、均衡状態ではない。この状態を識別できるのは、両者の利益の合計値を最大化できるという観点である。
  (ii)両プレーヤーがお互いに、全体の利益の合計値最大化のための同じ行動を、相手も取るという信頼が存在すること。
  (iii)自己の利益を犠牲にし、相手の非協力のリスクを負担し、自己の相対的劣位性を受け入れ、非協力に伴う不平等を許容してもなお、全体の利益の合計値最大化のための行動を、相手も取るだろうという程度の信頼が必要である。
    プレーヤー1
プ   協力  裏切り
レ  ┌───┬───┐
|協力│2、2│0,3│
ヤ  ├───┼───┤
|裏切│3,0│1、1│
2 り└───┴───┘

 「囚人のジレンマはとりわけ特殊な種類のゲームであって、これまで分析してきたゲームと混同してはならない。走行ゲーム、ハイ&ロウ、鹿狩りゲームには複数均衡がある。これらはコーディネーション問題である。囚人のジレンマは異なる。なぜなら、左上の結果(CC)は均衡では《ない》からだ。それぞれのプレーヤーは、一方的にDをプレーすることで利得が大きくなる。これはいくつかの点で謎である。鹿狩りゲームにおいては、各プレーヤーが他のプレーヤーの手番を推測するという問題を抱えていたことを思い出そう。囚人のジレンマでは、その問題はそもそも存在しない。ある意味、裏切りの誘惑は非常に強力なものとなって、他のプレーヤーの行為について考える必要がないほどである。他のプレーヤーが何をしようと、自分はDをプレーする方がより良い。これが意味するのは、囚人のジレンマにおいては、ただ1つだけ均衡(DD)が存在していて、しかもしれが非効率的であるということだ。区別するために、コーディネーションに対して、この種類のゲームが協力の問題(もしくはジレンマ)を表現していると言うことにしよう。普段使う「協力」の意味が少しばかり拡大解釈されるのだが、それぞれのケースに対して、異なる用語を持つことは有用だ。
 上で説明した分析にもかかわらず、多くの人々は囚人のジレンマゲームにおいて協力が正しい選択であると考える。それはどうしてだろうか。これには、多くの人々にとっては戦略的に考えることが難しいのだということを含めて、おそらく二つ以上の理由が存在する。しかし、人々がこのような直感を持つのは、何よりもまず、人々が現実生活において、囚人のジレンマに似た状況で協力を支持するようなルールに従うことに慣れているからである。」
    プレーヤー1
プ   協力  裏切り
レ  ┌───┬───┐
|協力│2、2│0,3│
ヤ  ├───┼───┤
|裏切│3,0│1、1│
2 り└───┴───┘

(フランチェスコ・グァラ(1970-),『制度とは何か』,第1部 統一,第2章 ゲーム,pp.55-56,慶應義塾大学出版会(2018),瀧澤弘和,水野孝之(訳))
(索引:囚人のジレンマ)

制度とは何か──社会科学のための制度論


(出典:Google Scholar
フランチェスコ・グァラ(1970-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「第11章 依存性
 多くの哲学者たちは、社会的な種類は存在論的に私たちの表象に依存すると主張してきた。この存在論的依存性テーゼが真であるならば、このテーゼで社会科学と自然科学の区分が設けられるだろう。しかもそれは、社会的な種類についての反実在論と不可謬主義をも含意するだろう。つまり、社会的な種類は機能的推論を支えるものとはならず、この種類は、関連する共同体のメンバーたちによって、直接的かつ無謬的に知られることになるだろう。
 第12章 実在論
 しかし、存在論的依存性のテーゼは誤りである。どんな社会的な種類にしても、人々がその種類の正しい理論を持っていることと独立に存在するかもしれないのだ。」(中略)「制度の本性はその機能によって決まるのであって、人々が抱く考えによって決まるのではない。結果として、私たちは社会的な種類に関して実在論者であり可謬主義者であるはずだ。
 第13章 意味
 制度的用語の意味は、人々が従うルールによって決まる。しかし、そのルールが満足いくものでなかったらどうだろう。私たちは、制度の本性を変えずにルールを変えることができるだろうか。」(中略)「サリー・ハスランガーは、制度の同一化に関する規範的考察を導入することで、この立場に挑んでいる。
 第14章 改革
 残念ながら、ハスランガーのアプローチは実在論と不整合的である。私が主張するのは、タイプとトークンを区別することで、実在論と改革主義を救うことができるということだ。制度トークンはコーディネーション問題の特殊的な解である一方で、制度タイプは制度の機能によって、すなわちそれが解決する戦略的問題の種類によって同定される。」(後略)
(フランチェスコ・グァラ(1970-),『制度とは何か』,要旨付き目次,慶應義塾大学出版会(2018),瀧澤弘和,水野孝之(訳))

フランチェスコ・グァラ(1970-)
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