ラベル 種族のイドラ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 種族のイドラ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018年5月16日水曜日

種族のイドラの一例:宇宙の果ての向こう側とか、永遠の時間とか、無限に可分的な線分とか、限りなく原因を考えること。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

種族のイドラ

【種族のイドラの一例:宇宙の果ての向こう側とか、永遠の時間とか、無限に可分的な線分とか、限りなく原因を考えること。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 種族のイドラの例:人間の知性は静止することができず、常により先に何かがあると考える。このため、世界の究極や極限とか、永遠に関すること、線がどこまでも可分的であるなどと考えるようになる。また、本来は原因を求め得ずそのまま肯定的なものにまで、原因を求めるようになるのも、知性のこの働きによる。
 「人間の知性は絶えずいらいらして、静止もしくは休止することができず、常に先へ進もうとするが、しかし無駄働きなのである。それゆえに〔知性にとっては〕世界の究極もしくは極限なるものは思惟され得ず、常により先に何かがあるということが、いわば必然的に生ずる。さらにまた永遠がどのような仕方で、今日まで流れてきたかということも思惟され得ない。」(中略)「線がどこまでも可分的であるという細かしい理屈も同様であって、思惟の〔止まることの〕不能からくる。ところが精神のこの不能は、原因を見出してゆく場合に、より大きな災いを伴って障害を与える。というのは、自然における最も普遍的なものは、それらが見出されるごとく、また実際原因を求め得ないように、本来〔そのままの〕肯定的なものであるべきなのに、人間の知性は止まることを知らずして、なお〔自然に関して〕よりもとのものを求める。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四八、pp.89-90、[桂寿一・1978])
(索引:種族のイドラ、無限、永遠、原因)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


フランシス・ベーコン(1561-1626)
フランシス・ベーコンの本(amazon)
検索(フランシス・ベーコン)


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

心理学ランキング

2018年5月15日火曜日

種族のイドラ:人間の知性は、いわば事物の光線に対して平らでない鏡、事物の本性に自分の性質を混じて、これを歪め着色する鏡のごときものである。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

種族のイドラ

【種族のイドラ:人間の知性は、いわば事物の光線に対して平らでない鏡、事物の本性に自分の性質を混じて、これを歪め着色する鏡のごときものである。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「「種族のイドラ」は人間の本性そのもののうちに、そして人間の種族すなわち人類のうちに根ざしている。というのも、人間の感覚が事物の尺度であるという主張は誤っている、それどころか反対に、感官のそれも精神のそれも一切の知覚は、人間に引き合せてのことであって、宇宙〔事物〕から見てのことではない。そして人間の知性は、いわば事物の光線に対して平らでない鏡、事物の本性に自分の性質を混じて、これを歪め着色する鏡のごときものである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四一、p.84、[桂寿一・1978])
(索引:種族のイドラ)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


フランシス・ベーコン(1561-1626)
フランシス・ベーコンの本(amazon)
検索(フランシス・ベーコン)


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

心理学ランキング

人間の知性を捕えてしまって、そこに深く根を下ろしている「イドラ」および偽りの概念を前もって知り自分を守らなければ、真理への道を開くのは困難になろう。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

イドラ

【人間の知性を捕えてしまって、そこに深く根を下ろしている「イドラ」および偽りの概念を前もって知り自分を守らなければ、真理への道を開くのは困難になろう。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「すでに人間の知性を捕えてしまって、そこに深く根を下ろしている「イドラ」および偽りの概念は、真理への道を開くのが困難なほど、人々の精神を占有するのみならず、たとい通路が開かれ許されたとしても、それらはまたもや諸学の建て直し〔革新〕のときに出現し、妨げをするであろう、もしも人々がそれらに対し、前もって警告されていて、できるだけ自分を守るのでないかぎり。」(中略)
 「人間の精神を占有する「イドラ」には四つの種類がある。それらに(説明の便宜のために)次の名称を付けた、すなわち、第一の類は「種族のイドラ」、第二は「洞窟のイドラ」、第三は「市場のイドラ」、第四は「劇場のイドラ」と呼ぶことにする。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、三八、三九、pp.82-83、[桂寿一・1978])
(索引:イドラ、種族のイドラ、洞窟のイドラ、市場のイドラ、劇場のイドラ)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


フランシス・ベーコン(1561-1626)
フランシス・ベーコンの本(amazon)
検索(フランシス・ベーコン)


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

心理学ランキング

人気の記事(週間)

人気の記事(月間)

人気の記事(年間)

人気の記事(全期間)

ランキング

ランキング


人気ブログランキング



FeedPing