ウィリアム・ウエントワースの理論(ジョナサン・H・ターナー(1942-)
「動物が学習し、そして環境から情報を獲得することに頼るほど、遺伝子が具体的な行動に効果をもつ可能性は小さくなる。
人間の場合、社会文化体系の行動に対する影響が遺伝子的傾向よりもはるかに大きい。
種がどのように行動するかについて情報を獲得するために、ますます学習に依存するようになるほど、《迅速で適切な情報検索》の必要性が高まる。迅速で適切な情報検索は統一的全体あるいはパターン化された《図式》として情報を収集し、解釈する能力によって促進される。
なぜならより多くの情報が図式としてダウンロードでき、またより多くの選択肢と代案が加えられるからである。
ウエントワースはその要点を明示していないけれども、迅速で適切な情報検索への依存は動物に選択圧として作用する。生存手段として集団指向的な行動(たとえば群れ、小群れあるいは大きく群れる本能)に向う強力な生物プログラムをもたない動物は、社会関係をつくり、そしてそれを維持することに依存する。
つまり社会関係を育成するために大量の熱量を消費しなければならないという意味で、その動物が《深層において社会的》であるほど、情報探索のための効率的な機構は適応度をいっそう強化する。
感情は人間の情報検索の背後にある中枢の機構である。なぜなら感情は脳の情報処理水準を超える「管理中枢」として作用し、また情報を「枠づけ、また焦点化をする」からである。これらの機構は適応度を強化するために多くの方法によって作用する。
1.感情は注意の調整器である。感情は個体に環境のある側面について警告を迅速に伝える。
2.感情は注意持続時間、つまり個体がどれほどの時間にわたって環境のある側面に警戒を保たなければならないかを調整する。
3.感情は個人経験から学習し、そして環境の異なる側面についての記憶を貯蔵することを可能にする。学習は最終的に出来事に対する感情的反応に結ばれている。文化が経験を表示し、標識をつけるための手段として提供する感情が多いほど、記憶はますます複雑かつ精妙になる。
4.感情は個人が環境および状況の特定の対象と関係する記憶を呼び起こすことを可能にする。
5.感情は個人が自己を他者、状況、そしてもっと全体的な環境との関係において対象と見なすことを可能にする。感情がなければ、人びとはある状況において自己を方向づけ、評価し、あるいは位置づけることができない。
6.感情は個人が役割を取得し、他者の性向を読み、そして他者の間主観性を達成することを可能にする方法で互いに伝達することを可能にする。
7.感情は個人にエネルギーを与えるだけでなく、個人がある状況で文化的期待に適う方法で行動するよう強く働く。
8.感情は文化的指令と禁止に力を付与する。感情がなければ、良心の《激しい痛み》、社会的責務の《指令に従うこと》も、尊敬を《実感すること》も、あるいは道徳性を《当然と見なすこと》もできないだろう。
9.感情、とくに孤独や疎外の不安や恐れは、社会的網状組織が維持されていることを確認するため、自己、他者、また状況を監視するよう個人を強く動かす。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の社会学理論』第8章 進化論による感情の理論化、pp.458-460、明石書店 (2013)、正岡寛司(訳))


「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」