活用するための哲学サイト。著作名から調べる。人名から調べる。順次、充実させていきます。(大幅に遅延中)
2024年4月21日日曜日
24. 人びとがどのように感じ、そして何をするかに影響をおよぼすのは、その不一致が減少できるかどうかについての彼らの期待である。 (チャールズ・カーバー、マイケル・シャイアー)ジョナサン・H・ターナー(1942-)
2024年4月14日日曜日
23. ヒギンズによれば、行為者は自らの自己概念と彼(彼女)の関連する自己指針の一致を維持しようと動機づけられる。一致が達成できないと、否定的感情が生じる。(E・トリー・ヒギンズ)ジョナサン・H・ターナー(1942-)
ヒギンズによれば、行為者は自らの自己概念と彼(彼女)の関連する自己指針の一致を維持しようと動機づけられる。一致が達成できないと、否定的感情が生じる。(E・トリー・ヒギンズ)ジョナサン・H・ターナー(1942-)
2024年4月5日金曜日
22. 感情は、(1)文化的価値、信念や規範、(2)文化的要素の外的象徴による対象化、(3)こうした文化の象徴化を強化するその時々に適当な儀礼、(4)身体運動と発話のリズミカルな共時化、(5)文化の指令に同調しそこねた人たちに対する儀礼化した裁可付与と密接に関係している(ジョナサン・H・ターナー(1942-)
感情は、(1)文化的価値、信念や規範、(2)文化的要素の外的象徴による対象化、(3)こうした文化の象徴化を強化するその時々に適当な儀礼、(4)身体運動と発話のリズミカルな共時化、(5)文化の指令に同調しそこねた人たちに対する儀礼化した裁可付与と密接に関係している(ジョナサン・H・ターナー(1942-)
エミール・デュルケム
「たとえば、神々を崇敬する先住民たちは、実際には彼ら自身と共に彼らの社会を崇拝しているのだ。
なぜなら興奮とマナに顕現する神々の力は、彼ら自身の相互作用から生起した力であるにちがいない。
宗教の起源、したがって社会連帯のもっとも原基的な形態は、人びとの相互作用と超自然力として表現される高揚した感情の覚醒に由来する。
宗教の起源に関するデュルケムの推測の功績がいかなるものであれ、彼が感情理論家にいくつかの決定的な力を与えたことは確かである。
第一に、デュルケムは文化的象徴に「神聖な」品格を授けることの意義を強調した。神聖な象徴は個人間に激しい感情を喚起する力をもっている。
その後における理論家たちは、文化的象徴が宗教である必要はなく、実際に、すべての文化要素が個人の行動を制約し、そして感情を喚起する力をもっていると認識した。
この感情喚起には二種がある。文化指令への同調は個人を肯定的な感情経験へ導く。これに反して、文化指令に同調しそこなうと、否定的な感情喚起と裁可を呼び込むことになる。したがって象徴の力は「道徳的な」品格を内具しており、これによって人びとは象徴に同調すると道義的であると実感し、象徴に違反すると憤慨する。これによって人びとは道徳規則をおおむね堅守すると確信する。
第二に、文化はトーテムなどの「神聖な」対象によって、さらに象徴化される程度に応じて道徳的な品格を帯びる。こうした「神聖な」対象が(..)物理的対象である必要のないことが、後の理論家によって明白にされた。つまり文化にとって必要であるのは、何らかの外的な方法――目視できる対象によってだけでなく、重要な単語や語句や考えなど、文化的象徴をとおして――で表象されうるということだ。
たとえば「わたしはアメリカを愛している」という表現は、アメリカ社会において認知される一連の美徳についての信念を象徴するため、アメリカ国旗などの物理的トーテムと同様に強力な作用をはたす。
文化がこの種の再帰性――一組の価値、信念や規範が別の集合の象徴によって表象されること――を帯びると、文化はますます道徳性を帯びることになり、感情を喚起することができる。
たとえば誰かがアメリカ社会の美徳についてあざ笑うような声明に反応して、道義的に憤激したと仮定してみよう。その反応は、その人があたかも先住民の物的トーテムを斧で叩き壊したり、あるいはアメリカ国旗を焼き払ったりするときと同じく激しいものだろう。
だから、象徴の表象化は文化をさらに重要なものにし、道徳的に投企され、そして感情的なものにさせる、ある種の圧力過給器の働きをする。
第三に、外的対象によって表象化された文化の要素に向けられる儀礼は、感情を喚起し、そして個人に連帯感を経験させる。
ここでもまた、アーヴィング・ゴッフマン(1967)のような後の理論家は、あらゆる対人的行動が注意と関連する文化台本や枠組の定まっている儀礼によって区切られていることを認識するにいたった。たとえば宗教儀礼は個人が相互作用するときいつも起こる特殊例にほかならない。
第四に、個々人が自らの身体をいっせいに動かすと、儀礼はある種のリズムを表し、そして言語による発言に集合的に関わる。このリズミカルな性質は興奮の原因でも、また結果でもある。個人が相互作用を行うと、彼らはいっそう活気づけられ、そして彼らの互いのジェスチャーはますます共時化したリズムを表す。このリズミカルな共時化が興奮を高め、相互作用の焦点を定め、そして感情を沸騰させる。
したがってもっと最近の理論家たちは、相互作用が感情を生成するためには、それがリズミカルなジェスチャーの交換を行うことが必須であると認識している。
だから、デュルケムは自分が社会連帯の原基的な基盤を発見したと感得したのに対して、後の理論家たちは、彼が対人的なすべての行動を導く機構の主要な集合――外的事物によって象徴される信念に向けられる儀礼――の正体を明らかにしたと認識した。
したがって感情は、(1)文化的価値、信念や規範、(2)文化的要素の外的象徴による対象化、(3)こうした文化の象徴化を強化するその時々に適当な儀礼、(4)身体運動と発話のリズミカルな共時化、(5)文化の指令に同調しそこねた人たちに対する儀礼化した裁可付与と密接に関係している。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の社会学理論』第3章 儀礼による感情の理論化、pp.148-150、明石書店 (2013)、正岡寛司(訳))
2024年3月30日土曜日
21. 場所の考慮を「政治的に」させるのは、個人が他者に対して対人的な力を維持し、またもしできることなら権力を失うことを回避しながら、もっと多くの権力を獲得しようとすることにある。(キャンダス・クラーク)ジョナサン・H・ターナー(1942-)
場所の考慮を「政治的に」させるのは、個人が他者に対して対人的な力を維持し、またもしできることなら権力を失うことを回避しながら、もっと多くの権力を獲得しようとすることにある。(キャンダス・クラーク)ジョナサン・H・ターナー(1942-)
「場所の考慮を「政治的に」させるのは、個人が他者に対して対人的な力を維持し、またもしできることなら権力を失うことを回避しながら、もっと多くの権力を獲得しようとすることにある。
クラークは、この種のミクロ政治は伝統社会ではあまり明白ではないと論じている。より大きな社会構造における個人の地位が特定の出会いにおける彼の場所をも規定するからである。
しかし社会が高度に分化し、そして個人主義が優勢な文化イデオロギーになると、出会いにおける場所はますます攻撃的な力づくの作戦の様相を帯びることになる。
他人が自分の劣等感を表す感情をもって彼に互恵化させる感情表現をすると、個人は場所において上位者の地位をうまく確立し、保てるかもしれない。ある種の戦略的なドラマツルギーが関係しているかもしれない。クラークは望ましい場所を獲得するためのいくつかの戦略を概括している。
1.他人に向けて否定的感情を開示し、そして彼らに劣等感を抱かせること。同情がこの戦略において用いられると、その戦略は見せかけの同情を軸にして展開し、他人の否定的な資質に注意を引きつける。たとえばある個人は仕事で後れをとった他者に「恥をかかせる」ために同情を表すかもしれない。
2.他人の弱点、傷つきやすさ、問題や位置の低さを強調するようなやり方で感情的な贈り物を与えなさい。そうすれば、この「贈り物」の受け手は自意識過剰になるか、あるいは劣等感を感じる。同情が一つの戦術として用いられると、個人は彼が否定的属性をしめしたために許され、あるいは赦免されたことを他者に知らせるだろう。
3.他人をおだてるようなやり方で肯定的感情を与えなさい。そうすれば、彼らはあなたに好意を抱くだろう。同情を一つの戦術として用いるとき、個人は上位者に同情を表し、そして彼と親密さを増せるかもしれない。そうすれば上位者とのあいだの距離が縮まる。
4.他人に義務や責任を思い出させなさい。そうすれば他人のうちに罪や恥意識を芽生えさせることができる。同情を一つの戦術として用いる際に、同情が与えられるために生まれる問題を指摘することによって、感情的な重荷をつくりだしなさい。そうすれば、他者の場所を低めることができるだけでなく、同情の受け手に互恵化しなければならない責任を負わすことができる。
5.他人から感情的制御を失わせ、そして社会統制の独占を保ちなさい。同情が一つの戦術として用いられるとき、他人に心配、屈辱、恥、怒りなどの否定的感情を実感させるような方法で同情を提供しなさい。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の社会学理論』第2章 感情のドラマツルギー的、文化的な理論化、pp.131-133、明石書店 (2013)、正岡寛司(訳))<br>
<br>
2024年3月23日土曜日
20. 多くの状況で人びとは、感情イデオロギー、感情規則や感情開示規則に同調する自己呈示を維持するために、ホックシールド(1979,1983)が感情労働、つまり感情管理と呼んでいる実務に従事することになる。(ジョナサン・H・ターナー(1942-)
多くの状況で人びとは、感情イデオロギー、感情規則や感情開示規則に同調する自己呈示を維持するために、ホックシールド(1979,1983)が感情労働、つまり感情管理と呼んでいる実務に従事することになる。(ジョナサン・H・ターナー(1942-)
「ホックシールドの分析の要点は、文化の台本がとくに否定的感情を喚起するような行動を人びとに強いると、個人が文化的規則とイデオロギーをどのように処理するかに強い関心を寄せている。
たとえば航空会社の旅客機乗務員が、乗客の不作法な行動に遭遇している際に、感情規則と感情開示規則によって指示される望ましい態度をどのように保持するのだろうか。
多くの状況で人びとは、感情イデオロギー、感情規則や感情開示規則に同調する自己呈示を維持するために、ホックシールド(1979,1983)が感情労働、つまり感情管理と呼んでいる実務に従事することになる。適切な態度を感じ、またそれを提示するための感情労働の技法は、以下のことを含んでいる。
1.ボディワーク 人びとは状況への生理反応を変えようとする。
たとえば平静を装うため、個人は冷静さを保つために深呼吸をする。また別の人は攻撃的な行動の構えを表現するため、身体を躍動しながら大声を張りあげるかもしれない(試合に先立ってアスリートがよくやっているように)。このように身体が気持ちを高ぶらせる(あるいは気持ちを削ぐ)ために用いられる(Hochschild,1983)。
2.表層演技 個人は、こうした演技が感情――ジェスチャーが伝えると思われている感情――を自ら感じ、経験できるという期待を込めて、外部に向けて自らの表出的ジェスチャーを操作する。
たとえば人びとは出会いを維持するため、しばしば「その場にふさわしい幸せそうな表情を装う」。ここでの感情の開示規則は、個人は幸せを感じるべきと要求するが、しかしこの振る舞いは、当人が最終的に幸せと感じることができ、そして本当に肯定的な雰囲気になるかもしれないという期待をもって実行されることもある。
3.深層演技 人びとは、自己の内面に特定の気持ちを呼び起こそうとする。この気持ちによって、人びとは感情の開示規則が彼らに顕在的に表現することを要求する感情を自ら経験できる。行為者は台本が求める感情開示の方向に自己の内面を変えるためにこの技法を頻繁に用いる。
4.認知ワーク 個人は思いつきや考えを呼び起こす。
たとえば状況が悲しみを要求するなら(たとえば葬儀)、個人は悲しみとはどんなものであるかについて考え、そして実際に悲しさの顕在表現が本物に見えるようにするため本当の悲しみの感覚を体験した過去の経験を思い起こすかもしれない。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の社会学理論』第2章 感情のドラマツルギー的、文化的な理論化、p.78、明石書店 (2013)、正岡寛司(訳))
感情の社会学理論 (ジョナサン・ターナー 感情の社会学5) [ ジョナサン・H・ターナー ] |
2024年3月14日木曜日
19. 感情文化(スティーブン・ゴードン)
感情文化(スティーブン・ゴードン)
「ゴードン(1990)は感情を、(1)身体感覚、(2)表出ジェスチャー、(3)社会状況もしくは社会関係、(4)社会の感情文化によって構成されると見なしている。
ゴードンの見解によれば、第一の要素、すなわち身体感覚は文化の台本が誘導する行動に表現される場合にのみ重要である。
だから感情を表わす顔面表情、言語表現や身体ジェスチャーは先天的な生物的衝動の結果であるよりも、むしろ他者や状況にどのように反応するかを制約する文化力の産物である。文化力は感情を指示する語彙、人びとが感情について抱いている信念、および人びとが感情をどのように感じるべきかについてと、また感情がいつ、またどのように表現されるべきかの規則においてとくに明白であるとゴードンは論じる。
社会メンバーは、すべての感情語彙(感情を表わす単語)、感情信念(たとえば幸せは自由に表現されるべきだが、怒りは弱められるべきであること)、そして感情規範(われわれは争いに悲しみを、そしてパーティーでは幸せを感じるべきであること)を学習する。ゴードン(1989a,1989b,1990)はこうした複合的な感情語彙、信念、規範を社会の感情文化と呼んでいる。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の社会学理論』第2章 感情のドラマツルギー的、文化的な理論化、p.78、明石書店 (2013)、正岡寛司(訳))