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2020年5月8日金曜日

タカ-ハト・ゲームでは、取りにいく方が相対的優位性が大きい。しかし、両者が取りにいくと最も非効率な結果を招く。全体利益の最大化観点からは、譲歩の必要性が分かるが、どちらが譲歩するかで対立する。(フランチェスコ・グァラ(1970-))

タカ-ハト・ゲーム

【タカ-ハト・ゲームでは、取りにいく方が相対的優位性が大きい。しかし、両者が取りにいくと最も非効率な結果を招く。全体利益の最大化観点からは、譲歩の必要性が分かるが、どちらが譲歩するかで対立する。(フランチェスコ・グァラ(1970-))】
(f)タカ-ハト・ゲーム
 (f.1)各プレーヤーは、積極的に取りにいく方に、選好を持つ。
  (i)利益の期待値は、同じである。(期待値)
  (ii)積極的に取りにいく方は、相手に依存するリスクにさらされている。(リスク)
  (iii)積極的に取りにいく方が、相手に対する相対的優位性が大きい。(期待値の相対的優位性)
 (f.2)両者が積極的に取りにいけば、最も非効率な結果となる。この結果は、自制することへの選好を強める。逆に、両者が自制すると考えれば、積極的に取りにいくことへの選好を強める。すなわち、これらいずれも均衡状態ではない。
 (f.3)両者は、両者の利益の合計値を最大化する観点から見た場合、一方が譲歩することがより良いと知ることはできるが、どちらが譲歩するかで利害対立が存在する。
    プレーヤー1
プ   放牧  しない
レ  ┌───┬───┐
|放牧│0、0│2,1│
ヤ  ├───┼───┤
|しな│1、2│1、1│
2 い└───┴───┘

 「ソバト渓谷の放牧ゲームは、行列を用いて戦略型ゲームで表現することができるが、これは生物学において「タカ-ハト・ゲーム」、経済学においては「チキン・ゲーム」として知られているものである。ヌアー族とディンカ族は、新たな土地を見つけるたびに、意思決定をしなければならないが。図4・2において、戦略Gは「放牧(graze)」を表し、NGは「放牧しない(not graze)」を表している。彼らが同じ領域で放牧することに決めるならば、二つの部族のメンバーは争うことになり、それが全員にとって最悪の結果である(0,0)をもたらす。どちらの部族も自制するならば、彼らは衝突しないけれど畜牛を養育する機会を失い、(1,1)になる。最善解は、右上と左下にある二つの均衡のうちの一つに収束することである。そこでは、片方の部族が放牧し、もう片方がそれを認めるのである。しかし誰が譲歩するのだろうか。
 放牧ゲームは、非対称な均衡を持ったコーディネーション問題であり、どちらの均衡になるのかは誰が譲歩するかに依存する。しかし、プレーヤーたちは同一なので、なぜ彼らのうちの一方がより低い利得を受け入れるべきなのか。ここでの唯一の対称的な解決策は非効率的であるだけでなく、ゲームの均衡ですらないことに注目すべきである。その結果、どちらかのプレーヤーが遅かれ早かれ、一方的に逸脱すると期待できる。
 私たちの架空の物語は、ある解を「自明」なものとして際立たせるように設計されていた。物語の続きはこうである。
 “相手部族の領域に侵入することは簡単であったが、ヌアー族とディンカ族は紛争を避けることを望んだ。ヌアー族はかつての河床の北側で放牧し、ディンカ族は南側で放牧し続けた(図4・1b)。細かい砂の線は侵略者を物理的に妨げることができなかったが、各部族は喜んで、それを領土を分つ境界線として扱った。”
 境界線や領土は制度的存在物である。ヌアー族とディンカ族は、原初的な私有財産の制度を発展させたのである。しかし、この制度はゲーム理論的形式ではどのようにモデル化できるだろうか。境界線や領土は放牧ゲームに表現されてすらいないことに注意されたい(図4・2)。境界線や領土は、コーディネーション問題の解の発見に役立つ理論の外部にある特徴なのである。」
    プレーヤー1
プ   放牧  しない
レ  ┌───┬───┐
|放牧│0、0│2,1│
ヤ  ├───┼───┤
|しな│1、2│1、1│
2 い└───┴───┘


(フランチェスコ・グァラ(1970-),『制度とは何か』,第1部 統一,第4章 相関,pp.77-78,慶應義塾大学出版会(2018),瀧澤弘和,水野孝之(訳))
(索引:タカ-ハト・ゲーム)

制度とは何か──社会科学のための制度論


(出典:Google Scholar
フランチェスコ・グァラ(1970-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「第11章 依存性
 多くの哲学者たちは、社会的な種類は存在論的に私たちの表象に依存すると主張してきた。この存在論的依存性テーゼが真であるならば、このテーゼで社会科学と自然科学の区分が設けられるだろう。しかもそれは、社会的な種類についての反実在論と不可謬主義をも含意するだろう。つまり、社会的な種類は機能的推論を支えるものとはならず、この種類は、関連する共同体のメンバーたちによって、直接的かつ無謬的に知られることになるだろう。
 第12章 実在論
 しかし、存在論的依存性のテーゼは誤りである。どんな社会的な種類にしても、人々がその種類の正しい理論を持っていることと独立に存在するかもしれないのだ。」(中略)「制度の本性はその機能によって決まるのであって、人々が抱く考えによって決まるのではない。結果として、私たちは社会的な種類に関して実在論者であり可謬主義者であるはずだ。
 第13章 意味
 制度的用語の意味は、人々が従うルールによって決まる。しかし、そのルールが満足いくものでなかったらどうだろう。私たちは、制度の本性を変えずにルールを変えることができるだろうか。」(中略)「サリー・ハスランガーは、制度の同一化に関する規範的考察を導入することで、この立場に挑んでいる。
 第14章 改革
 残念ながら、ハスランガーのアプローチは実在論と不整合的である。私が主張するのは、タイプとトークンを区別することで、実在論と改革主義を救うことができるということだ。制度トークンはコーディネーション問題の特殊的な解である一方で、制度タイプは制度の機能によって、すなわちそれが解決する戦略的問題の種類によって同定される。」(後略)
(フランチェスコ・グァラ(1970-),『制度とは何か』,要旨付き目次,慶應義塾大学出版会(2018),瀧澤弘和,水野孝之(訳))

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