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2018年4月21日土曜日

人を使う技術:人は一般に恐怖よりも希望によって動かされる。従って、気前良くするよりは出し惜しみし、また使用人の中に良い待遇の実例をつくって見せ、希望をかきたてその心をつなぎとめておくこと。(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540))

人を使う技術

【人を使う技術:人は一般に恐怖よりも希望によって動かされる。従って、気前良くするよりは出し惜しみし、また使用人の中に良い待遇の実例をつくって見せ、希望をかきたてその心をつなぎとめておくこと。(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540))】
(1) 自分の利益を守ろうとする主人は、けちけちしなければならない。また気前よくするよりはむしろ出し惜しみするようにしなければならない。その理由は、
(1.1) 使用人というものは、充分なものを受け取るやいなや主人を見捨てるものだ。
(1.2) また、これまで主人から受けていた手厚い取り扱いを、もう主人からしてもらえないようになると、たちどころに主人を見捨てる。
(1.3) 人間の性格は、一般に恐怖よりはむしろ希望によって動かされる。そこで、使用人の望みをかなえてやるよりは、むしろ希望を抱かせることによって、その心をつなぎとめておくべきなのである。
(2) 希望を抱かせる方法。
 折にふれて、使用人のうちの一人にだけ気前よくふるまうこと。一人の人間が、良い待遇を受けている実例を示す。これは、多くの人間がろくにかまってもらえないのを見てぞっとさせられるよりも、はるかに人々の希望をかきたてて満足を与える。
 「もし部下が、あたうかぎり節度をまもり感謝の気持ちを抱いているとすれば、主人たるものはあらゆる機会に応じて、できるだけのことをして彼らに報いてやらなければならない。
 けれども経験に照らしてみるに、以下のことが明らかである。実は私自身の使用人を観察していてわかったことなのだが、使用人というものは充分なものをうけとるやいなや、または、これまで主人からうけていた手あついとりあつかいを、もう主人からしてもらえないようになると、たちどころに主人をみすてるものなのである。だから自分の利益をまもろうとする主人は、けちけちしなければならない。また気前よくするよりはむしろ出し惜しみするようにしなければならない。そして使用人の望みをかなえてやるよりはむしろ希望を抱かせることによって、その心をつなぎとめておくべきなのである。さらに、このやり方を成功させるためには、以下のようにしたらよろしい。つまり折にふれて使用人のうちの一人にだけ気前よくふるまうことである。本当にこれだけでよいのだ。その理由は、人間の性格などというものは、一般に恐怖よりはむしろ希望によって動かされるものだからである。また一人の人間が良い待遇を受けている実例を見せつけられることは、多くの人間がろくにかまってもらえないのを見てぞっとさせられるよりも、はるかに人々の希望をかきたてて満足を与えるものだからである。」
(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)『リコルディ』(日本語名『フィレンツェ名門貴族の処世術』)C、5 人を使う技術、pp.50-51、講談社学術文庫(1998)、永井三明(訳))
(索引:人を使う技術、恐怖、希望)

フィレンツェ名門貴族の処世術―リコルディ (講談社学術文庫)



フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「この書物の各断章を考えつくのはたやすいことではないけれども、それを実行に移すのはいっそうむずかしい。それというのも、人間は自分の知っていることにもとづいて行動をおこすことはきわめて少ないからである。したがって君がこの書物を利用しようと思えば、心にいいきかせてそれを良い習慣にそだてあげなければならない。こうすることによって、君はこの書物を利用できるようになるばかりでなく、理性が命ずることをなんの抵抗もなしに実行できるようになるだろう。」
(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)『リコルディ』(日本語名『フィレンツェ名門貴族の処世術』)B、100 本書の利用のし方、p.227、講談社学術文庫(1998)、永井三明(訳))

フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)
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2018年4月9日月曜日

善の獲得、悪の回避等が可能であると考えただけで、欲望がそそられる。そして、実現の見込みの大きさに応じて、次の情動が生じる:〈安心〉〈希望〉〈不安〉〈執着〉〈絶望〉。(ルネ・デカルト(1596-1650))

希望と絶望

【善の獲得、悪の回避等が可能であると考えただけで、欲望がそそられる。そして、実現の見込みの大きさに応じて、次の情動が生じる:〈安心〉〈希望〉〈不安〉〈執着〉〈絶望〉。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 善の獲得、悪の回避等の「欲望がそそられる」ときは、善の獲得、悪の回避等は可能だと考えられている。
 善の獲得、悪の回避等が欲望され「安心」を感じているときは、善の獲得、悪の回避等の見込みが極度に大きいと考えられている。
 善の獲得、悪の回避等が欲望され「希望」を感じているときは、善の獲得、悪の回避等の見込みが多いと考えられている。
 善の獲得、悪の回避等が欲望され「不安」を感じているときは、善の獲得、悪の回避等の見込みがわずかであると考えられている。
 善の獲得、悪の回避等が欲望され、それに「執着」しているときも、善の獲得、悪の回避等の見込みがわずかであると考えられている。この情動は、不安の一種である。
 善の獲得、悪の回避等が欲望され「絶望」を感じているときは、善の獲得、悪の回避等の見込みが極度にわずかであると考えられている。
 「ある善の獲得、ある悪の回避が可能だと考えただけで、その欲望がそそられる。が、さらに、欲望するものを獲得する見込みが多いか少ないかが考慮されると、見込みが多いと示すものは、わたしたちのうちに希望を引き起こし、見込みがわずかであると示すものは、不安を引き起こす。執着は不安の一種である。希望は極度に大きいと性質を変えて、安心または確信とよばれる。反対に、極度の不安は絶望となる。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『情念論』第二部 五八、pp.55-56、[谷川多佳子・2008])
(索引:希望、不安、執着、安心、絶望)

情念論 (岩波文庫)



哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

ルネ・デカルト(1596-1650)
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