2018年6月25日月曜日

06.命題の意義とは? 命題の意味とは?(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))

命題の意義、命題の意味

【命題の意義とは? 命題の意味とは?(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))】
 「私の考えは、次のような図式で示すことができるでしょう。
命題  → 命題の意義  → 命題の意味
      (思想)     (真理値)
固有名 → 固有名の意義 → 固有名の意味
                (対象)
概念語 → 概念語の意義 → 概念語の意味
                (概念)
                 ↓
               当の概念に包摂
               される対象
 概念語の場合には、対象へ至るまでの間が、固有名の場合よりも一段階多くなっているのです。ですから、対象が存在しない場合でも―――すなわち概念が空な場合でも―――そのことによって当の概念が学問の中で使用できなくなるということはありません。私は概念から対象へ至る最後の段階を横向きに示しておきましたが、これはその段階が同じレベルで生ずるということを、つまり対象と概念とが同一の客観性を持つということを(拙著『算術の基礎』第四七節参照)示唆するためなのです。」
(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)『フレーゲ=フッサール往復書簡』一八九一年五月二四日、フレーゲ著作集6、p.5、野家伸也)
(索引:命題,命題の意義,命題の意味,概念語,概念語の意義,概念語の意義)

フレーゲ著作集〈6〉書簡集・付「日記」


(出典:wikipedia
ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「1. 思考の本質を形づくる結合は、表象の連合とは本来異なる。
2. 違いは、[思考の場合には]結合に対しその身分を裏書きする副思想(Nebengedanke)が存在する、ということだけにあるのではない。
3. 思考に際して結合されるものは、本来、表象ではなく、物、性質、概念、関係である。
4. 思想は、特殊な事例を越えてその向こう側へと手を伸ばす何かを常に含んでいる。そして、これによって、特殊な事例が一般的な何かに帰属するということに気づくのである。
5. 思想の特質は、言語では、繋辞や動詞の人称語尾に現われる。
6. ある結合[様式]が思想を形づくっているかどうかを識別するための基準は、その結合[様式]について、それは真であるかまたは偽であるかという問いが意味を持つか否かである。
7. 真であるものは、私は、定義不可能であると思う。
8. 思想を言語で表現したものが文である。我々はまた、転用された意味で、文の真理についても語る。
9. 文は、思想の表現であるときにのみ、真または偽である。
10.「レオ・ザクセ」が何かを指示するときに限り、文「レオ・ザクセは人間である」は思想の表現である。同様に、語「この机」が、空虚な語でなく、私にとって何か特定のものを指示するときに限り、文「この机はまるい」は思想の表現である。
11. ダーウィン的進化の結果、すべての人間が 2+2=5 であると主張するようになっても、「2+2=4」は依然として真である。あらゆる真理は永遠であり、それを[誰かが]考えるかどうかということや、それを考える者の心理的構成要素には左右されない
12. 真と偽との間には違いがある、という確信があってはじめて論理学が可能になる。
13. 既に承認されている真理に立ち返るか、あるいは他の判断を利用しないかのいずれか[の方法]によって、我々は判断を正当化する。最初の場合[すなわち]、推論、のみが論理学の対象である。
14. 概念と判断に関する理論は、推論の理論に対する準備にすぎない。
15. 論理学の任務は、ある判断を他の判断によって正当化する際に用いる法則を打ち立てることである。ただし、これらの判断自身は真であるかどうかはどうでもよい。
16. 論理法則に従えば判断の真理が保証できるといえるのは、正当化のために我々が立ち返る判断が真である場合に限る。
17. 論理学の法則は心理学の研究によって正当化することはできない。
」 (ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)『論理学についての一七のキー・センテンス』フレーゲ著作集4、p.9、大辻正晴)

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人間の自由意志は、人間がなす驚異の原因であり、また同時に、誤りと無秩序の原因でもある。しかしこの無秩序も、この全宇宙の原理とその秩序に従っている。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

自由意志とミクロコスモス

【人間の自由意志は、人間がなす驚異の原因であり、また同時に、誤りと無秩序の原因でもある。しかしこの無秩序も、この全宇宙の原理とその秩序に従っている。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】

(再掲)
(1) 真の完全なモナド(一般的な至高の原因)は、無数の存在者の集まりである。
(2) 各存在者は、一つの全たき世界、神をうつす鏡、全宇宙をうつす鏡であり、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出している。
(3) 表出は、以下の二つのものからなる。
 (3.1) その各々の存在者を真の「一」にさせる能動的原理、非物質的なもの、魂。
 (3.2) 受動的で有機的身体、物質的なもの。
(4) それら個々の魂が表出するものはすべて、ただ自己の本性から引き出されるものであり、他の個々の存在者から直接には影響されない。
(5) 個々の存在者が独立しているにもかかわらず、自然のうちに認められる秩序、調和、美がもたらされるのは、各々の魂が、その本性を、一般的な至高の原因から受け取り、それに依存しているからに他ならない。これが、予定調和である。
(6) 個々の存在者の表出が、その存在者の物質的な身体と自発的に一致する理由も、この予定調和による。

上記(2)~(5)の追加説明。
 人間はそれ自身の固有の世界における小さき神のごときものであり、それぞれが自分なりの仕方で支配しているミクロコスモスである。
(a) 人間は、「存在と力と生命と理性」を与えられている。
(b) 人間は、その小さな管轄内でなすがままにさせておかれる。
(c)「人間に関わるものにおいて見られる無秩序」の理由は、(b)である。
 例えば、ときどき驚異をなし、その技巧はしばしば自然を模倣し、また大きな誤りも犯す。「神はこの小さな神々と(いわば)戯れ、これらを産み出して良かったと思っている。これはちょうど、子供と遊びながら内心でこうさせたいとかこうさせたくないと思っている通りに子供が夢中に取り組んでくれているというようなものである。」
(d) 小さき世界の悪、欠陥、一見歪んでいるものは、より大きな世界から見ると、「大なる世界の美の中に再統合され、無限に完全な宇宙の原理の統一性に何ら背馳することはない。むしろ反対に、悪をより大なる善に役立たせる神の知恵に対して一層大きな賛嘆をもたらすことになる。」

 「ここにまた、人間に関わるものにおいて見られる無秩序の特別の理由がある。つまり、神は、人間に叡智を与えることによって神の似姿を現前させたのである。神は人間を、その小さな管轄内で〈手中に収めたスパルタを飾り立てるために〉なすがままにさせておく。神は隠れた仕方でのみそこに入り込んでいく。なぜなら神は存在と力と生命と理性を与えながら自らを見せることはないからである。ここにおいてこそ、自由意志(franc arbitre)が働くのである。神はこの小さな神々と(いわば)戯れ、これらを産み出して良かったと思っている。これはちょうど、子供と遊びながら内心でこうさせたいとかこうさせたくないと思っている通りに子供が夢中に取り組んでくれているというようなものである。それゆえ人間はそれ自身の固有の世界における小さき神のごときものであり、それぞれが自分なりの仕方で支配しているミクロコスモスである。人間はときどき驚異をなす。その技巧はしばしば自然を模倣する。」(中略)「しかし人間は大きな誤りも犯している。なぜなら、人間は感情の赴くままになっているし、神も人間を感覚の虜にさせてしまっているからである。神はそのことで人間を罰しもする。それは、子供を鍛え懲らしめる父親や教師のようなときもあれば、自分を忌避する者に罰を加える正当な裁判官のようなときもある。悪が最も数多く生ずるのは、こうした叡智的な者やその小さき世界が互いに衝突するときである。人間は、間違いをするに応じて自らが悪なる者だと感ずる。しかし神はこれらの小さき世界の欠陥のすべてを驚くべき仕方で神の大世界の最大の装飾に転じてしまう。これはいわば歪画法の発明である。歪画法においては、いくら美しい構図でも、それが正しい視点に関連づけられ、一定のガラス板や鏡によって見るのでないならば、混乱でしかない。それが部屋の飾りになるのは、然るべきところに置かれ然るべく取り扱われたときだけである。こうして、われわれの小さき世界においては一見歪んでいるものも、それは、大なる世界の美の中に再統合され、無限に完全な宇宙の原理の統一性に何ら背馳することはない。むしろ反対に、悪をより大なる善に役立たせる神の知恵に対して一層大きな賛嘆をもたらすことになる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『弁神論』本論[第二部]一四七、ライプニッツ著作集6、pp.252-254、[佐々木能章・1990])
(索引:自由意志、ミクロコスモス)

ライプニッツ著作集 (6) 宗教哲学『弁神論』 上


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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