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2018年7月29日日曜日

視覚は、多数の視覚野で実現されており、各視覚野はそれぞれ視覚の異なる諸面に特化しているらしい。一例として、側頭葉のMT野は、運動視に関与しており、MT野が損なわれると運動盲が発生する。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))

側頭葉のMT野と運動視

【視覚は、多数の視覚野で実現されており、各視覚野はそれぞれ視覚の異なる諸面に特化しているらしい。一例として、側頭葉のMT野は、運動視に関与しており、MT野が損なわれると運動盲が発生する。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))】

(1)高等霊長類は、多数の視覚野をもっている。
(1.1)それぞれ異なる視覚の諸面に特化しているらしい。
  色覚、運動視、形態視、顔認知など。
(1.2)それぞれの計算戦略がかなり異なっているために、進化の過程で神経ハードウェアが別々に発達したのかもしれない。
(2)一例として、側頭葉のMT野は、運動視に関与している。
(2.1)脳卒中を起こし、MT野だけが両側とも損なわれた人が経験する世界(運動盲)
  ・視覚はほぼ正常で、新聞も読めるし、物や人の認知もできるが、動きを見るのが非常に困難となる。
  ・走っている車を見ると、静止画像が連続しているように見え、まるでストロボがあたっているかのようだった。ナンバープレートは読めるし、車の色もわかるのに、動いている感じがまったくしない。その結果、車が近づいてくるスピードがわからないので、通りを渡るのがこわい。
  ・グラスに水を注ぐと、水の流れがつららのように固まって見える。その結果、グラスの水面があがってくる速さがわからないので、注ぐのをやめるタイミングがわからず、いつも水があふれてしまう。
  ・人と話していても、相手の唇の動きが見えないので、「電話で話している」ようだ。
(2.2)その他の証拠。
 (a)サルのMT野で個々のニューロンの活動を記録すると、ニューロンは、動いている物体の方向を信号で伝えるが、色や形態にはそれほど関心がないように見える。
 (b)電極を用いてサルのMT野のニューロンの小さな集団を刺激して、ニューロン群を発火させると、電流が作用しているあいだ、サルの眼が動きだし、視野のなかで動いている実在しない物体を眼で追うからである(幻覚が発生している)。
 (c)ボランティアの人間にfMRIなどの脳機能画像を用いて、MT野の活動性を観察すると、MT野は、被験者が動いている物体を見ているときに活性化されて明るく光るが、静止画や色や印刷された文字を見ているときには光らない。
 (d)経頭蓋磁気刺激装置と呼ばれる機器を用いて、ボランティア被験者のMT野のニューロンを一時的にノックアウトし、実質的に一時的な脳障害の状態を作り出すと、被験者はしばらくのあいだ、運動盲の状態になるが、その他の視覚能力はまったく損なわれない。

 「私たち高等霊長類がこれほど多数の視覚野をもっている理由も実際にはわかっていないが、視覚野はみな色覚、運動視、形態視、顔認知など、それぞれ異なる視覚の諸面に特化しているらしい。ひっとすると、それぞれの計算戦略がかなり異なっているために、進化の過程で神経ハードウェアが別々に発達したのかもしれない。
 好例の一つは側頭葉のMT野で、左右の半球に一つずつあるこの小さな皮質領域は、主として運動視(動きを見ること)に関与していると考えられている。1970年代後半にチューリッヒ在住のある女性(ここではイングリッドと呼ぶことにする)が、脳卒中を起こし、MT野だけが両側とも損なわれた。視覚はほぼ正常で、新聞も読めるし、物や人の認知もできたが、動きを見るのが非常に困難だった。走っている車を見ると、静止画像が連続しているように見え、まるでストロボがあたっているかのようだった。ナンバープレートは読めるし、車の色もわかるのに、動いている感じがまったくしなかった。車が近づいてくるスピードがわからないので、通りを渡るのがこわかった。グラスに水を注ぐと、水の流れがつららのように固まって見えた。水面があがってくる速さがわからないので、注ぐのをやめるタイミングがわからず、いつも水があふれてしまう。人と話していても、相手の唇の動きが見えないので、「電話で話している」ようだった。生活が奇妙な難事になってしまったのである。したがってMT野は、おもに運動視に関与していて、視覚のほかの諸面には関与していないらしいと考えられる。この見解を支持するちょっとした所見がほかに4つある。
 第一に、サルのMT野で個々のニューロンの活動を記録すると、ニューロンは、動いている物体の方向を信号で伝えるが、色や形態にはそれほど関心がないように見える。第二に、電極を用いてサルのMT野のニューロンの小さな集団を刺激して、ニューロン群を発火させると、電流が作用しているあいだ、サルは動きの幻覚を起こす。なぜそれがわかるかと言うと、サルの眼が動きだし、視野のなかで動いている実在しない物体を眼で追うからである。第三は、ボランティアの人間にfMRIなどの脳機能画像を用いて、MT野の活動性を観察したときに得られる所見である。fMRIでは、被験者が何かをしているときや、何かを見ているときに、脳の血流量の変化によって生じる磁場を測定する。そのfMRIで観察すると、MT野は、被験者が動いている物体を見ているときに活性化されて明るく光るが、静止画や色や印刷された文字を見ているときには光らない。第四は、経頭蓋磁気刺激装置と呼ばれる機器を用いて、ボランティア被験者のMT野のニューロンを一時的にノックアウトし、実質的に一時的な脳障害の状態をつくりだすという方法で得られる所見である。被験者はしばらくのあいだ、イングリッドと同じような運動盲の状態になるが、そのほかの視覚能力はまったくそこなわれない。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,第2章 見ることと知ること,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.94-96,山下篤子(訳))
(索引:側頭葉のMT野,運動視,運動盲)

脳のなかの天使



(出典:wikipedia
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ――それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その目を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ3ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問うことまでできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳もふくめて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集まり、複雑な集合体――あなたの脳――を形成している。その脳は、それを誕生させた星々について思いを巡らせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆する自らの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,はじめに――ただの類人猿ではない,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.23-23,山下篤子(訳))

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