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2020年5月15日金曜日

鉛筆を口にくわえてほほ笑みの顔にすると、他者のほほ笑みの検知が困難になる。他者の顔が自己の運動表象等を生じ、その知覚が他者の情動を了解させるが、先行する同じ運動が知覚を妨げ、この現象が生じる。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))

ミラーニューロンの働き

【鉛筆を口にくわえてほほ笑みの顔にすると、他者のほほ笑みの検知が困難になる。他者の顔が自己の運動表象等を生じ、その知覚が他者の情動を了解させるが、先行する同じ運動が知覚を妨げ、この現象が生じる。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))】

(1)鉛筆を口にくわえる実験
 (1.1)実験事実
  (a)鉛筆をくわえて口を横に広げ、ほほ笑んでいるような格好にすると、他の人のほほ笑みを検知するのが困難になる。
  (b)しかし、しかめ面の検知には影響しない。
 (1.2)解釈(仮説)
  (a)鉛筆を口にくわえることによって、ほほ笑みに使われるのと同じ筋肉の多くが活性化される。
  (b)活性化された筋肉の情報が、ミラーニューロン・システムに流れ込む。
  (c)他者のほほ笑みの検知は、他者のほほ笑みという視覚情報に対して、自分のほほ笑みに使う筋肉を動かそうという表象が現れ、この表象の知覚が相手の感情の知覚となる。ところが、既に同じ筋肉が使われてしまっているので、相手のほほ笑みを検知することが困難となる。
  (d)参照: 他者の情動の表出を見るとき、その情動の基盤となっている内臓運動の表象が現れ、他者の情動が直ちに感知される。これは潜在的な場合もあれば実行されることもあり、複雑な対人関係の基盤の必要条件となっている。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))

(2)左の縁上回に病変のある失行の患者の事例
 (2.1)症状
  (a)熟練を要する動作のまねが困難
   お茶をかきまぜる、ハンマーで釘を打つといった熟練を要する動作のまねをすることができない。
  (b)行動のメタファーが理解困難
   失行の患者は、たとえば「夢を追う」などの行動にもとづいたメタファーの解釈も苦手とするという事実がある。
 (2.2)解釈(仮説)
  (a)他者の対象物への働きかけという視覚情報の知覚が、その同じ働きかけの運動感覚の表象を生じさせ、他者の運動の意図を理解させる。これがミラーニューロンである。とするならば、熟練を要する動作の解釈が困難になることがわかる。
  (b)同様に、言葉により視覚情報が喚起されても、その視覚情報から、どんな運動なのかを理解させる自己の運動感覚の表象が生じなければ、理解が生じない。このことから、行動のメタファーの理解が困難になることがわかる。
  (c)対象物を見ると、それを操作する運動感覚の表象が伴う。これはカノニカルニューロンが実現している。また、他者の対象物への働きかけを見ると、その運動感覚の表象が伴う。これはミラーニューロンが実現している。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))

 「このミラーニューロン仮説で、ほかにもいくつか自閉症の奇異な症状が説明できる。たとえば、以前から知られているように、自閉症の子どもはことわざやメタファーの解釈が苦手な場合が多く、「落ち着いて(get a grip on yourself)(字義どおりに解釈すると、「自分をしっかりつかめ」という意味になる)」と言われると、自分の体をつかみはじめたりする。私たちは、「輝くものがみな金とは限らない(見かけはあてにならない)」ということわざの意味を説明するように求められた何人かの高機能自閉症患者が、「それは単に黄色い金属で、必ずしも金だとは限らないという意味です」と答える場面を経験した。このようなメタファーの解釈に対する困難は、自閉症児の一部に見られるだけだが、説明を必要とする。」(中略)「一つの具体的な例として、私がリンゼイ・オーバーマン、ピョトル・ウィンキールマンと共同でおこなった実験を紹介したい。私たちはその実験で、鉛筆を(くつわのように)くわえて口を横に広げ、ほほ笑んでいるような格好にすると、ほかの人のほほ笑みを検知するのが困難になる(しかめ面の検知には影響しない)という事実を示した。それは、鉛筆を口にくわえることによって、ほほ笑みに使われるのと同じ筋肉の多くが活性化され、その情報がミラーニューロン・システムに流れこんで、行動と知覚との混同を起こすためである(ある種のミラーニューロンは、あなたがある表情をしているときと、ほかの人のそれと同じ表情を観察しているときに発火する)。この実験結果は、行動と知覚が脳のなかで、一般に想定されているよりもはるかに密接にからみあっていることを示している。
 それが、自閉症やメタファーとどんな関係があるのだろうか? 私たちは最近、左の縁上回に病変のある失行の患者(お茶をかきまぜる、ハンマーで釘を打つといった熟練を要する動作のまねをすることができない患者)は、行動にもとづいたメタファー(たとえば「夢を追う」など)の解釈も苦手とするということに気づいた。縁上回にもミラーニューロンが存在するので、この所見は、人間のミラーニューロン・システムが熟練を要する動作の解釈に関与しているだけでなく、行動のメタファーの理解や、さらには身体性認知のほかの側面にも関与していることを示唆している。ミラーニューロンはサルにもあるが、彼らのミラーニューロンがメタファーに関与するためには、サルがさらに高度な複雑化のレベルに、すなわち人間だけにみられるようなたぐいのレベルに到達する必要があるのかもしれない。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,第5章 スティーヴンはどこに? 自閉症の謎,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.205-206,山下篤子(訳))
(索引:ミラーニューロン,情動の検知,失行,行動のメタファー)

脳のなかの天使



(出典:wikipedia
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ――それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その目を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ3ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問うことまでできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳もふくめて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集まり、複雑な集合体――あなたの脳――を形成している。その脳は、それを誕生させた星々について思いを巡らせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆する自らの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,はじめに――ただの類人猿ではない,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.23-23,山下篤子(訳))

ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)
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2019年8月31日土曜日

政治的な主張においては、具体的な法的・制度的な保障を要求しない、単なる抵抗、蜂起、反乱、革命を求める主張の欺瞞に、注意すること。それは始まらず、始まっても成功せず、成功しても救済策ではない。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

欺瞞的な主張

【政治的な主張においては、具体的な法的・制度的な保障を要求しない、単なる抵抗、蜂起、反乱、革命を求める主張の欺瞞に、注意すること。それは始まらず、始まっても成功せず、成功しても救済策ではない。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】

(b)追加。

欺瞞的な主張
(a) 政治的な主張においては、結果を伴わない修辞的で一般的な主張の欺瞞に、注意すること。実際に何を得ることができるのか。法的、制度的に何を変更して、何が保障されることになるのかを問うこと。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

(b)政治的な主張においては、具体的な法的・制度的な保障を要求しない、単なる抵抗、蜂起、反乱、革命を求める主張の欺瞞に、注意すること。それは始まらず、始まっても成功せず、成功しても救済策ではない。

 「抵抗が必要であると想定するのは、悪政の存在を想定することであるが、抵抗の保障ということは、人民に抵抗をその弊害に対する救済策だと思わせて、悪政に満足させようともくろまれているに過ぎない。実は、抵抗は決して救済策ではない。その理由には、二つある。第一の理由は、すべての人々は自分の身体と財産を内乱の危険にさらすことを嫌うために、抵抗する以前に非常な悪政に進んで服従することである。しかし、その上、革命は、それが起こった時でさえ、それ自体として何らの利益を生み出しはしない。革命は、善政に対する永久的な保障を樹立するのに貢献する限りにおいてのみ有益なのである。このような効果がないならば、革命のすべての犠牲は、全くの害悪である。それなのに、善政に対する保証に常に懸命に抗議してきた『エディンバラ・レヴュー』は、抵抗の原理を抑圧に対するわれわれの唯一の保障として支持している。それは、なぜであろうか。それは、抵抗の原理が、原理のように思われるその他のすべてのものと同様に、本当は保障にはならないのに、人民の目先のきかない人々の好意を得るようにもくろまれており、しかも貴族階級の臆病な人々以外は驚かせないからである。貴族階級の中で恐怖の余り全く理性を失った人は別として、他の人々はすべて、彼らが恐れる理由のある唯一の抵抗である蜂起の成功が普通の政府の下ではめったに起こらないこと、また、彼らの側にごく普通の慎重さがあるならば大抵の場合起こるのを防ぐことができると知り抜いている。従って、彼らは、人民が効果的ではない救済策に注目を集中して、効果的な救済策から目をそらすことに満足しているのである。
 『エディンバラ・レヴュー』の筆者の政治に関するすべての言辞は、彼らが人民が悪政に対抗する保障を求めることを阻止しようと願っていることを立証している。彼らが或る法律または制度を称賛するのは、それが善政に貢献するからではなく、自由にとって有利だからである。彼らが政府の政策を非難するのは、それが圧政への扉を開くからではなく、それが非立憲的だからである。このような言辞は、すぐあとで明らかにするように、善政の問題をあいまいにしようと欲する人々にとって、極めて便利なのである。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『「エディンバラ・レビュー」批判』(集録本『ミル初期著作集』第1巻),1 若きベンサム主義者として(1821~26),4 「エディンバラ・レビュー」批判(1824),pp.144-146, 御茶の水書房(1979),杉原四郎(編集),山下重一(編集),山下重一(訳))
(索引:欺瞞的な主張)

J・S・ミル初期著作集〈第1巻〉1809~1829年 (1979年)


(出典:wikipedia
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)

ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)
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検索(ジョン・スチュアート・ミル)
近代社会思想コレクション京都大学学術出版会

2019年8月30日金曜日

政治的な主張においては、結果を伴わない修辞的で一般的な主張の欺瞞に、注意すること。実際に何を得ることができるのか。法的、制度的に何を変更して、何が保障されることになるのかを問うこと。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

欺瞞的な主張

【政治的な主張においては、結果を伴わない修辞的で一般的な主張の欺瞞に、注意すること。実際に何を得ることができるのか。法的、制度的に何を変更して、何が保障されることになるのかを問うこと。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】

 「「すべての権力は、人民に由来する。」「政府は、人民の一般的同意および暗黙の同意に基づく。」等々。国民がこのような人民主権の言葉の上だけの承認によって全く利益を受けないことは明らかである。それは、人民を善政の獲得にいささかでも近付けない。人民は、善政に対する真実で効果的な《保障》をもつことによってのみ善政を獲得する。しかし、このようなあいまいな言辞は、人民には全く役に立たないとはいえ、ウイッグ党の目的には見事に適合している。その目的とは、貴族階級を驚かさないことと両立する限りにおいて、人民のご機嫌とりをすることである。人民の優位を主張する言い廻しのうまい修辞的な文章は、多くの人民の耳に有難く聞こえるように期待されている。多くの人民は、善政の効果的な保障がどのようなものであるかをよく知らないので、単なる雄弁が全く保障にならないことが分からないのである。貴族階級の方はどうかといえば、結果を伴わない一般的な金言を敵方に与えても全く危険を冒すことはない。彼らの権力と収入は、全くもとのままである。貴族階級が恐れる理由のある唯一のこと――悪政に対する効果的な保障の確立――に対しては、『エディンバラ・レヴュー』は、最初から断固として反対である。もしも人民が人民主権に関する甘い言葉にだまされるとすれば、『エディンバラ・レヴュー』には、いくらでも甘い言葉がある。しかし、もしも人民が何か本物のことを要求するならば――人民が誇りとしている主権によって、《何を得ることができるか》と問うならば――『エディンバラ・レヴュー』は、彼らを財産権の廃止と社会秩序の破壊を望む急進主義者、民主主義者と呼ぶのである。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『「エディンバラ・レヴュー」批判』(集録本『ミル初期著作集』第1巻),1 若きベンサム主義者として(1821~26),4 「エディンバラ・レヴュー」批判(1824),pp.137-138, 御茶の水書房(1979),杉原四郎(編集),山下重一(編集),山下重一(訳))
(索引:欺瞞的な主張)

J・S・ミル初期著作集〈第1巻〉1809~1829年 (1979年)


(出典:wikipedia
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)

ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)
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