2019年8月31日土曜日

32.政治的な主張においては、具体的な法的・制度的な保障を要求しない、単なる抵抗、蜂起、反乱、革命を求める主張の欺瞞に、注意すること。それは始まらず、始まっても成功せず、成功しても救済策ではない。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

欺瞞的な主張

【政治的な主張においては、具体的な法的・制度的な保障を要求しない、単なる抵抗、蜂起、反乱、革命を求める主張の欺瞞に、注意すること。それは始まらず、始まっても成功せず、成功しても救済策ではない。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】

(b)追加。

欺瞞的な主張
(a) 政治的な主張においては、結果を伴わない修辞的で一般的な主張の欺瞞に、注意すること。実際に何を得ることができるのか。法的、制度的に何を変更して、何が保障されることになるのかを問うこと。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

(b)政治的な主張においては、具体的な法的・制度的な保障を要求しない、単なる抵抗、蜂起、反乱、革命を求める主張の欺瞞に、注意すること。それは始まらず、始まっても成功せず、成功しても救済策ではない。

 「抵抗が必要であると想定するのは、悪政の存在を想定することであるが、抵抗の保障ということは、人民に抵抗をその弊害に対する救済策だと思わせて、悪政に満足させようともくろまれているに過ぎない。実は、抵抗は決して救済策ではない。その理由には、二つある。第一の理由は、すべての人々は自分の身体と財産を内乱の危険にさらすことを嫌うために、抵抗する以前に非常な悪政に進んで服従することである。しかし、その上、革命は、それが起こった時でさえ、それ自体として何らの利益を生み出しはしない。革命は、善政に対する永久的な保障を樹立するのに貢献する限りにおいてのみ有益なのである。このような効果がないならば、革命のすべての犠牲は、全くの害悪である。それなのに、善政に対する保証に常に懸命に抗議してきた『エディンバラ・レヴュー』は、抵抗の原理を抑圧に対するわれわれの唯一の保障として支持している。それは、なぜであろうか。それは、抵抗の原理が、原理のように思われるその他のすべてのものと同様に、本当は保障にはならないのに、人民の目先のきかない人々の好意を得るようにもくろまれており、しかも貴族階級の臆病な人々以外は驚かせないからである。貴族階級の中で恐怖の余り全く理性を失った人は別として、他の人々はすべて、彼らが恐れる理由のある唯一の抵抗である蜂起の成功が普通の政府の下ではめったに起こらないこと、また、彼らの側にごく普通の慎重さがあるならば大抵の場合起こるのを防ぐことができると知り抜いている。従って、彼らは、人民が効果的ではない救済策に注目を集中して、効果的な救済策から目をそらすことに満足しているのである。
 『エディンバラ・レヴュー』の筆者の政治に関するすべての言辞は、彼らが人民が悪政に対抗する保障を求めることを阻止しようと願っていることを立証している。彼らが或る法律または制度を称賛するのは、それが善政に貢献するからではなく、自由にとって有利だからである。彼らが政府の政策を非難するのは、それが圧政への扉を開くからではなく、それが非立憲的だからである。このような言辞は、すぐあとで明らかにするように、善政の問題をあいまいにしようと欲する人々にとって、極めて便利なのである。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『「エディンバラ・レビュー」批判』(集録本『ミル初期著作集』第1巻),1 若きベンサム主義者として(1821~26),4 「エディンバラ・レビュー」批判(1824),pp.144-146, 御茶の水書房(1979),杉原四郎(編集),山下重一(編集),山下重一(訳))
(索引:欺瞞的な主張)

J・S・ミル初期著作集〈第1巻〉1809~1829年 (1979年)


(出典:wikipedia
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)

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