2019年4月4日木曜日

政策の問題は、諸個人の利益や選好の比較衡量、調整を伴う政治的判断であり、民主的に選挙された代表者が行なう。司法判断は、新たな法の創造ではなく原理の問題であり、論証された権利は、多数派の利益に優越する。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))

政策の問題、原理の問題

【政策の問題は、諸個人の利益や選好の比較衡量、調整を伴う政治的判断であり、民主的に選挙された代表者が行なう。司法判断は、新たな法の創造ではなく原理の問題であり、論証された権利は、多数派の利益に優越する。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))】

(4)、(5)追記。

 法律家が法的権利義務につき推論や論証をする際に用いる規準
  法律家が法的権利義務につき推論や論証をする際に用いる規準には、法準則の他に、法準則とは異なった仕方で作用する正義や公正などの諸原理と、経済的、政治的、社会的目標と結びついた政策などの諸規準がある。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))

(1)法準則
(2)法準則とは異なった仕方で作用する諸規準(広義の「原理」)
 (2.1)(狭義の)原理
  正義や公正その他の道徳的要因が、これを要請するが故に遵守さるべき規準。
 (2.2)政策
  一定の到達目標の促進を提示する規準。
  (a)目標:好ましいものと考えられた一定の経済的、政治的、社会的状況。
  (b)消極的目標:現在存在するある特徴が、逆方向への変化から保護されるべきことを規定する目標。
 (2.3)その他のタイプの規準
(3)原理と政策を区別する理由
 広義の「原理」、広義の「政策」により理論を構成することもできるが、原理と政策を狭義に限定して使用することが、ある特定の問題の解明にとって有益である。
 (3.1)諸原理が統一的に実現されている経済的、政治的、社会的状況を実現されるべき「目標」として理論を構成すれば、目標を提示しているという意味で広義の「政策」である。
 (3.2)特定の原理を、政策として記述することができる。例えば、本質的には正義の諸原理を、「最大多数の最大幸福を保障する」というような目標として記述することができる。
 (3.3)逆に、政策に含まれている目標も、それが実現されるべきものと考えられているという意味では「価値のあるもの」であり、経済的、政治的、社会的状況として記述されてはいるが、広義の「原理」である。
(4)立法府は、政策の論証を追求し、立法措置を採択する権限を有する。
 政策の問題:社会全体の福祉を追求しつつ、個人の目標や目的を調整する問題。
 (4.1)この調整は、個々人の利益や選好を相互に比較衡量することにより客観的になされるが、この種の比較衡量が、原理の問題として理論的に実行可能かどうかは大いに疑問である。
 (4.2)むしろ、考慮さるべき様々な利害関係を正確に表現することを目的とする何らかの政治過程の作用を通じてなされねばならない。
 (4.3)社会の統治は、大多数の人々により選挙され彼らに対し責任を負う代表者によって遂行されるべきである。裁判官は多くの場合、選挙によらず任命され、立法者のように選挙人に対し事実上責任を負わない。
 (4.4)ある裁判官が新たな法を創造し当面の事案にこれを遡及的に適用すれば、敗訴者は、彼が既に負っていた義務に違背したからではなく、訴訟の後に創られた新たな義務に違背したが故に処罰されることになる。これは、不正である。
(5) 裁判所は、法令それ自体は政策から生じたものであっても、判決は常に原理の論証により正当化される。この特徴は、難解な事案においてすら、論証の特徴となっているし、また「そうあるべきことを主張したい」。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))

 原理の問題:原理の論証は、論証で述べられた権利を主張する者に認められる一定の利益に着目する。
 (5.1)原理により論証される利益は、より効率的な利益配分を追求する政策の論証を無意味にする。すなわち原理により論証される権利は、政治的多数派の利益よりも優先する。
 (5.2)多数派の要求から隔離された裁判官の方が、原理の論証をより適切に評価しうる地位にあると考えられる。
 (5.3)原理により論証される権利は、新たな法の創造ではない。
  原告が被告に対し権利を有していれば、被告はこれに対応する義務を有し、後者にとり不利な判決を正当化するのは、まさにこの義務であり、裁判において創造されるような新しい義務ではない。この義務が明示的な立法により予め彼に課されていなくても、これを執行することは、義務が明示的に課されている場合と同様、不正なことではない。

 「司法は立法に服するべきである、という人口に膾炙した考え方は、司法の法創造性を否定する二つの反論により与えられている。第一の反論は、社会の統治は大多数の人々により選挙され彼らに対し責任を負う代表者によって遂行されるべきことを主張する。裁判官は多くの場合、選挙によらず任命され、立法者のように選挙人に対し事実上責任を負わないが故に、裁判官が法を創造することは上記の主張に違背することになる。更に第二の反論は次のように主張する。すなわち、ある裁判官が新たな法を創造し当面の事案にこれを遡及的に適用すれば、敗訴者は、彼が既に負っていた義務に違背したからではなく、訴訟の後に創られた新たな義務に違背したが故に処罰されることになる、と。
 これら二つの反論は相俟って、司法は可能なかぎり法創造的機能をもつべきでない、という伝統的な理念を支持することになる。しかし、これらは確かに政策から生ずる判決に対しては有力な反論と言えても、原理から生ずる判決に対してはそれほどの効力を持ち得ない。第一の反論、すなわち法は選挙により選出され選挙人に対し責任を負う公的な代表者により創られるべきであるとする反論は、法を政策の問題、つまり社会全体の福祉を追求しつつ個人の目標や目的を調整する問題として捉えるかぎり、全く異論の余地のないものと思われる。この調整は、個々人の利益や選好を相互に比較衡量することにより客観的になされうるであろうが、この種の比較衡量が理論上でさえ意味をもちうるかどうかは、甚だ疑問である。しかしいずれにしても、この点に関し正確な計算などは現実に不可能である。したがって政策的な決定は、考慮さるべき様々な利害関係を正確に表現することを目的とする何らかの政治過程の作用を通じてなされねばならない。代表民主制の政治体制は様々な利害関係に対しただ中立的に作用するが、選挙によらず選出され、郵便袋やロビイストや圧力団体を有していない裁判官が、裁判官室で相競合する様々な利害を調整することを認める体制よりは、この種の代表民主制の方がより良い結果を生むであろう。
 第二の反論が説得力をもつのも、政策から生じた決定に対してである。訴訟の後に創出される何らかの義務の名のもとに無実の人間の権利が犠牲にされることを、われわれは不正と考えている。」(中略)「裁判所が原理につき判断を下すかぎり、第一の反論はそれほど当を得たものとはいえなくなる。とういのも、原理の論証は、相互に異なる様々な要求や関心がいかなる性格を有し、どの程度の強さで社会全体に分散しているかに関する想定には依拠しないことが多いからである。逆に原理の論証は、論証で述べられた権利を主張する者に認められる一定の利益に着目する。そしてこの利益は、政策の論証によりこの利益を否定して、より効率的な利益配分を追求すること自体を無意味にするようなものとして捉えられている。それ故、政治的多数派の利益よりも権利が優位する場合、このような多数派の要求から隔離された裁判官の方が、原理の論証をより適切に評価しうる地位にあると考えられる。
 司法が法創造的機能を有することに対する第二の反論は、原理の論証に対しいかなる効力をももちえない。原告が被告に対し権利を有していれば、被告はこれに対応する義務を有し、後者にとり不利な判決を正当化するのは、まさにこの義務であり、裁判において創造されるような新しい義務ではない。この義務が明示的な立法により予め彼に課されていなくても、これを執行することは、義務が明示的に課されている場合と同様、不正なことではない。」

(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『権利論』,第3章 難解な事案,2 権利のテーゼ,B 原理と民主制,木鐸社(2003),pp.101-103,木下毅(訳),野坂泰司(訳),小林公(訳))
(索引:政策の問題,原理の問題)

権利論


(出典:wikipedia
ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「法的義務に関するこの見解を我々が受け容れ得るためには、これに先立ち多くの問題に対する解答が与えられなければならない。いかなる承認のルールも存在せず、またこれと同様の意義を有するいかなる法のテストも存在しない場合、我々はこれに対処すべく、どの原理をどの程度顧慮すべきかにつきいかにして判定を下すことができるのだろうか。ある論拠が他の論拠より有力であることを我々はいかにして決定しうるのか。もし法的義務がこの種の論証されえない判断に基礎を置くのであれば、なぜこの判断が、一方当事者に法的義務を認める判決を正当化しうるのか。義務に関するこの見解は、法律家や裁判官や一般の人々のものの観方と合致しているか。そしてまたこの見解は、道徳的義務についての我々の態度と矛盾してはいないか。また上記の分析は、法の本質に関する古典的な法理論上の難問を取り扱う際に我々の助けとなりうるだろうか。
 確かにこれらは我々が取り組まねばならぬ問題である。しかし問題の所在を指摘するだけでも、法実証主義が寄与したこと以上のものを我々に約束してくれる。法実証主義は、まさに自らの主張の故に、我々を困惑させ我々に様々な法理論の検討を促すこれら難解な事案を前にして立ち止まってしまうのである。これらの難解な事案を理解しようとするとき、実証主義者は自由裁量論へと我々を向かわせるのであるが、この理論は何の解決も与えず何も語ってはくれない。法を法準則の体系とみなす実証主義的な観方が我々の想像力に対し執拗な支配力を及ぼすのは、おそらくそのきわめて単純明快な性格によるのであろう。法準則のこのようなモデルから身を振り離すことができれば、我々は我々自身の法的実践の複雑で精緻な性格にもっと忠実なモデルを構築することができると思われる。」
(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『権利論』,第1章 ルールのモデルⅠ,6 承認のルール,木鐸社(2003),pp.45-46,木下毅(訳),野坂泰司(訳),小林公(訳))

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