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2021年11月11日木曜日

外部感覚、肢体感覚、内臓感覚とこれらの記憶の相互作用から、対象とその対象から影響され変化するものが分離し、変化する私が存在し、対象は私が把握したものだという概念が生まれる(主観性)。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

主観性の誕生

外部感覚、肢体感覚、内臓感覚とこれらの記憶の相互作用から、対象とその対象から影響され変化するものが分離し、変化する私が存在し、対象は私が把握したものだという概念が生まれる(主観性)(アントニオ・ダマシオ(1944-))

 「自然なプロセスの基礎的レベルにある細胞による感知と、完全な意味における心的状態のあ いだにはきわめて重要な中間段階が存在し、それはもっとも基本的な心的状態である感情で構 成される。感情は中核的な心的状態であり、《意識が宿る身体の内的状態》という基礎的なコ ンテンツに対応する、《唯一の》核心的な心的状態だとさえいえるかもしれない。そして体内 の生命活動のさまざまな質に関連するがゆえに、感情は必然的にヴェイレンスを帯びている。 つまり、よいものにも悪いものにも、ポジティブなものにもネガティブなものにもある。さら には、魅力的なものにも嫌悪を催すものにも、快いものにも苦痛に満ちたものにも、あるいは 受け入れられるものにも受け入れらないものにもなる。

 《たった今の》内的な生命活動の状態を示す感情が、《生命全体の現在の視点の内部》に 「置かれる」、あるいは単に「位置する」だけでも主観性は生じ、そこから周囲のできごと、 自らが参加するできごと、想起された記憶に新たな可能性が生まれる。つまり、自分にとって それらが《重要性を帯びて》立ち現われ、生きるあり方に影響を及ぼすようになるのだ。文化 の出現には、できごとが重要性を帯びて立ち現われ、自分にとって有益か否かに基づいて自動 的に分類されるこのステップが必要とされる。自己によって所有され意識された感情は、自分 の置かれた状況が問題を孕むか否かに関するすばやい判断を可能にする。そして想像力を喚起 し、自分の置かれた状況を正しく判断するための基盤をなす理性的プロセスを始動する。この ように、文化を構築する創造的な知性を駆り立てるためには、主観性は不可欠なのである。 

 主観性は、イメージ、心、感情に対し、新たな性質を付与する。その性質とは、これらの現 象が生じている生体に対する所有の感覚と、個体性(individuality)の世界への参入を可 能にする「私有性(mineness)」である。心的経験は心に、無数の生物種に利点をもたらし てきた新たなインパクトを与える。人間にとって心的経験は、熟慮に基づく文化の構築の梃に なる。痛み、苦しみ、喜びの心的経験は人間の欲求の基盤をなし、文化的な発明の足がかりと なる。その意味でこの経験は、自然選択や遺伝の働きによってそれまでに構築されてきた種々 の行動とは鮮やかな対照をなす。生物学的進化と文化的進化という二つのプロセスのあいだに 横たわるギャップは非常に大きいため、双方の背後にホメオスタシスの力が厳然と存在する事 実が忘れられやすい。

 イメージは、特定の文脈の一部となるまで単独で《経験される》ことがない。この文脈は、 感覚装置が特定の対象と関わることで、生体がどのような影響を受けているかを示すストー リーをごく自然なあり方で語る《生体関連のイメージの集合を含んでいる》対象が外界にある のか、あるいは身体のどこかに存在するのか、それともかつて遂行されたイメージ化によって 形成された、外界や内界の何ものかに関する記憶から想起されたものなのかは、ここでは重要 ではない。《主観性とは、有無を言わさず構築されるナラティブなのだ》。そしてナラティブ は、ある種の脳の機能を備えた生物が、周囲の世界、記憶に蓄えられた過去の世界、自己の内 界と相互作用することで生じる。

 意識の背後にある謎の本質はそこにある。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第2部 文化的な心の構築,第9章 意 識,pp.196-198,白揚社(2019),高橋洋(訳))

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「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())

42.感情のコンテンツはつねに身体を参照し(身体性)、その状態が望ましいか、望ましくないか、中立かを明示する(ヴェイレンス)。同様な状況を繰り返し経験すると、状況の概念が形成され、自分自身や他者に伝達可能なものとなる(感情の知性化)。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

感情の身体性、ヴェイレンス、感情の知性化


感情のコンテンツはつねに身体を参照し(身体性)、その状態が望ましいか、望ましくないか、中立かを明示する(ヴェイレンス)。同様な状況を繰り返し経験すると、状況の概念が形成され、自分自身や他者に伝達可能なものとなる(感情の知性化)(アントニオ・ダマシオ(1944-))


(a)身体性

 そのコンテンツはつねに、それが生じた生物の身体を参照する。

(b)ヴェイレンス

 これらの 特殊な状態のもとで形成される結果として、内界の描写、すなわち感情は、ヴェイレンスと呼 ばれる特質に満たされている。その状態が望ましいか、望ましくないか、その中間かを必然的に明示する。

(c)感情の知性化

 同様な状況に繰り返し遭遇し何度も同じ感情を経験すると、多かれ少な かれその感情プロセスが内化されて「身体」との共鳴の色合いが薄まることがある。私たちはそれを独自の内的なナラティブに よって描写する(言葉が用いられないこともあれば用いられることもある)。そしてそれをめ ぐってコンセプトを築き、それに注ぐ情念の度合いをいく分抑え、自分自身や他者に提示可能 なものに変える。感情の知性化がもたらす結果の一つは、このプロセスに必要とされる時間と エネルギーの節約である。


 「感情は心的な経験であり、定義上意識的なものである。さもなければ、それに関する直接的 な知識は得られないだろう。しかし感情は、いくつかの点で他の心的経験とは異なる。まず第 一に、そのコンテンツはつねに、それが生じた生物の身体を参照する。感情は、その生物の内 部、すなわち内臓や内的作用の状態を反映する。すでに述べたように、内的なイメージが形成 される状況は、外界を描写するイメージと内界を描写するイメージを分つ。第二に、これらの 特殊な状態のもとで形成される結果として、内界の描写、すなわち感情は、ヴェイレンスと呼 ばれる特質に満たされている。ヴェイレンスは、生命活動の状態を、一瞬一瞬直接心的な言葉 に翻訳し、その状態が望ましいか、望ましくないか、その中間かを必然的に明示する。生存に 資する状態を経験すると、私たちはそれをポジティブな用語で記述し、たとえば「快い」と呼 ぶ。それに対し生存につながらない状態を経験すると、ネガティブな用語で記述し、不快さを 口にする。ヴェイレンスは感情、そしてさらにはアフェクトを特徴づける要素をなす。

 この感情の概念は、基本的なプロセスにも、同じ感情を何回も経験することから生じるプロ セスにもあてはまる。同様な状況に繰り返し遭遇し何度も同じ感情を経験すると、多かれ少な かれその感情プロセスが内化されて「身体」との共鳴の色合いが薄まることがある。特定のア フェクトを引き起こす状況を繰り返し経験すると、私たちはそれを独自の内的なナラティブに よって描写する(言葉が用いられないこともあれば用いられることもある)。そしてそれをめ ぐってコンセプトを築き、それに注ぐ情念の度合いをいく分抑え、自分自身や他者に提示可能 なものに変える。感情の知性化がもたらす結果の一つは、このプロセスに必要とされる時間と エネルギーの節約である。それには対応する生理学的側面があり、バイパスされる身体構造も ある。私が提唱する「あたかも身体ループ」は、それを達成する一つの方法だといえる。」 (アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第2部 文化的な心の構築,第7章 ア フェクト,pp.129-130,白揚社(2019),高橋洋(訳))

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「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())


2021年11月10日水曜日

41.感情は、生命活動が展開するもの、すなわち知覚、学習、想起、想像、推論、判断、意思決 定、計画、あるいは心的な想像にともなわれる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

感情表出反応

感情は、生命活動が展開するもの、すなわち知覚、学習、想起、想像、推論、判断、意思決 定、計画、あるいは心的な想像にともなわれる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

 「人間存在を支配している(ように見える)心の側面は、今現在の世界であろうが記憶から呼 び起こされたものであろうが、他者や諸事象で満ちた周囲の世界に関係する。それらは、あら ゆるタイプの感覚に由来する無数のイメージによって表わされ、往々にして言葉に翻訳されナ ラティブとして構造化される。それでも驚くべきことに、かくも多様なイメージのすべてをと もなうパラレルな心的世界が存在する。その世界は非常にとらえがたく、私たちの注意を引か ない場合が多いが、おりに触れて非常に重要なものになって、心の支配的な部位における処理 の流れを顕著に変えることがある。このパラレルワールドは《アフェクト》の世界と呼ばれ、 この世界では、《感情》が、通常はより突出した心のイメージにともなって生じる。感情が生 じる直接的な要因には、次のものがある。

   (a)人間存在の背景をなす生命活動の流れ。自発的な、言い換えるとホメオスタシスに関わ る感情として経験される。(b)味覚、臭覚、触覚、聴覚、視覚などの無数の感覚刺激を処理す ることで生じる《感情表出反応》。その経験はクオリアの起源の一つをなす。(c)衝動(飢えや 渇きなど)、動機(欲望や遊びなど)、従来の意味での情動に起因する感情表出反応。これら の感情表出反応は、数々の、ときには複雑な状況に直面した際に活性化される行動プログラム である。情動の例としては、喜び、悲しみ、怖れ、怒り、羨望、嫉妬、軽蔑、思いやり、称賛 などがあげられる。(b)と(c)で言及されている感情表出反応は、基本的なホメオスタシスの流れから生じる自発的なものとは異なり、喚起されることで生じるタイプの《感情を生む》。 なお残念なことに、情動を感じる経験にも、同じ用語「情動」が使われている。そのせいで、 区別されてしかるべき情動と感情が、まったく同一の現象であるという誤った考えが広まって いる。

 私の用法では、アフェクトとはあらゆる感情のみならず、それらを生みだす(すなわち、そ の経験が感情になる行動を生み出す原因になる)状況や仕組みをも包み込む大きなテントを意 味する。

 感情は、生命活動が展開するもの、すなわち知覚、学習、想起、想像、推論、判断、意思決 定、計画、あるいは心的な想像にともなわれる。感情を、心へのおりに触れての訪問者、ある いは典型的な情動によってのみ引き起こされるものと見做すなら、その見方は感情という現象 の偏在性や機能的重要性を正しくとらえていないといわざるを得ない。

 私たちが心と呼ぶ行列に加わっているイメージのほとんどは、注意のスポットライトにとら えられたときからそこを去るまで、感情をともなう。また、イメージはアフェクトの随伴を強 く求めるので、一つの突出した感情を構成するイメージにも他の感情がともなわれる。一つの 音に含まれる倍音や、小石が水面に落ちたときにできる水の輪にも少し似ている。生命活動の 自然な心的経験、つまり存在しているという感覚がなければ、真の意味での生はあり得ない。 生の起源は、連続的で無限であるかのように思える感情状態、すなわち他の心的なものすべて の底流をなす、さまざまな激しさの心的コーラスに存する。なお、「であるかのように思え る」とぼかしを入れたのは、継続するイメージの流れから生じる無数の感情のパルスをもとに 見かけの連続性が構築されるからだ。

 感情の完全な欠如は生の停止を意味するが、それほど劇的でなくとも感情が減退すれば、そ れだけ人間の本性が阻害される。仮に心の感情の「トラック」を狭められたとすると、外界か ら入ってくる視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の刺激から形成された、干からびた感覚イメージ の連鎖が残るだけだろう。干からびたイメージには、具体的なものもあれば抽象的なものもあ り、あるいは象徴的な、すなわち言語的な形態のものもある。また知覚から生じたものもあれ ば、記憶から想起されたものもある。感情のトラックを欠いたまま生まれてくると、事態は もっと悪くなる。イメージの残滓が、まったく感情の影響を受けず、質を与えられることもな く、心のなかを漂うだけだろう。ひとたび感情が取り除かれれば、イメージを美しいもの、醜 いもの、快いもの、不快なもの、上品なもの、野卑なもの、崇高なもの、俗なものなどとして 分類することができなくなるだろう。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第2部 文化的な心の構築,第7章 ア フェクト,pp.125-127,白揚社(2019),高橋洋(訳))

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(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())


2021年11月9日火曜日

40.感情や意識を備え た複雑な心は、知性と言葉の発展を導き、生体の外部からホメオスタシスの動的な調節を行う 新たな道具を生んだ。様々な文化的構築物である。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

文化的構築物

感情や意識を備え た複雑な心は、知性と言葉の発展を導き、生体の外部からホメオスタシスの動的な調節を行う 新たな道具を生んだ。様々な文化的構築物である。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

「生命を律する魔法のようなホメオスタシスの規則には、とぐろを巻くように、その瞬間の 生存を確保するための指示が詰め込まれていた。代謝の調整、細胞構成要素の修理、集団にお ける行動規範、バランスのとれたホメオスタシスの状態からの正もしくは負の逸脱を、適切な 処置を講じるべく測定するための基準などである。しかしそれらの規則は、未来に敢然と飛び 込むにあたり、より複雑で堅固な構造によって将来の安全性を確保しようとする傾向を持って いた。この傾向は、無数の連携、さらには突然変異、自然選択をもたらす激しい競争を介して 実現された。初期の生命は、感情と意識を吹き込まれ、自らが構築した文化を通じて豊かに なった人間の心に今日見出される、以後のさまざまな発展を予示していた。感情や意識を備え た複雑な心は、知性と言葉の発展を導き、生体の外部からホメオスタシスの動的な調節を行う 新たな道具を生んだ。この新たな道具の目的は、初期の生命に課された、生存のみならず繁栄 を目指せとする規則と現在でも調和している。

 ならば、この尋常ならざる発展の結果が、気まぐれとまでは言わないまでも一貫性を欠いて いるのはなぜだろうか? なぜ人類の歴史は、かくも多くのホメオスタシスからの逸脱や苦 しみにまみれているのか? これらの問いはのちの章で詳しく検討するが、とりあえずここで は、文化的な道具は、個体、あるいは核家族や部族などの小集団のホメオスタシス維持に関連 して最初に発達したのだと述べるに留めておく。そこでは、より大規模な集団への拡張は考慮 されていなかったし、そもそも考慮など不可能だった。より大規模な人間の集団では、文化的 集団、国、さらには地政学的圏域でさえ、たった一つのホメオスタシスに服する、より巨大な 有機体を構成する複数の部位としてではなく、おのおのが個々の有機体として機能することが 多い。そして各有機体は、独自のホメオスタシスのコントロールを用いて《自組織の》利益を 守る。文化的なホメオスタシスは、未完成品であり、逆境の時期に何度も損なわれてきた。あ えていえば、文化的なホメオスタシスの成功は、さまざまな調節目標を互いに調和させようと する文明の、はかない努力に依存する。F・スコット・フィッツジェラルドの「だから私たち は、つねに過去へ戻されながらも、流れに逆らってボートを懸命に漕ぎ続ける」という言葉に よって示される静かなあがきが、人間の本性をとらえた、もっとも妥当な先見の明に満ちた表 現であり続けているのだ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第1部 生命活動とその調節(ホメ オスタシス),第1章 人間の本性,pp.45-46,白揚社(2019),高橋洋(訳)

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(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())

39.生命の状態を意識化し、外界の物理的環境、人間集団の命の状態の指標でもある情動は、様々な文化的構築物創造の媒介者でもある。これら全ては、生命の自己保存と効率的な機能の展開という目的に貫かれているように思われる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

自己保存と効率的機能の展開

  生命の状態を意識化し、外界の物理的環境、人間集団の命の状態の指標でもある情動は、様々な文化的構築物創造の媒介者でもある。これら全ては、生命の自己保存と効率的な機能の展開という目的に貫かれているように思われる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

「人間の持つ文化的な心の誕生に向け、ホメオスタシスは感情によって、劇的な飛躍を果すこ とができた。なぜなら、感情は生体内の生命活動の状態を心的に表象することを可能にするか らだ。心の仕組みにひとたび感情がつけ加えられると、ホメオスタシスのプロセスは生命活動 の状態に関する直接的な知識を豊富に持てるようになり、その知識は、必然的に意識的なもの になった。やがて感情に駆り立てられた意識ある心は、経験の主体に照らして、(1)生体内の 状態と、(2)生体外の環境の状態という2つの決定的な事象を心的に表象することが可能になっ た。後者には、社会的な相互作用や共有された意図によって生じた種々の複雑な状況における 他個体の行動が、典型的なものとして含まれる。そのような行動の多くは、その個体の持つ衝 動、動機、情動に左右される。学習や記憶の能力が発達すると、個体は、事実やできごとに関 する記憶を形成、想起、操作することができるようになり、知識と感情に基盤を置く新たなレ ベルの知性が誕生する道が開けた。この知的能力の拡大のプロセスに、やがて話し言葉が加わ り、観念と言葉と文のあいだのやりとりがたやすくできるようになる。そこからは、創造性の 洪水は抑えられなくなる。こうして自然選択は、特定の行動、実践、道具の背後にある観念の 劇場を征服し、文化的な進化と遺伝的な進化の連携が可能になったのだ。

 すばらしき人間の心と、それを可能にした複雑な脳は、それらを生んだ先駆けとなる祖先の 生物の長い系列から私たちの目を逸らしてしまう。心と脳という輝かしい成果は、人間とその 心が、フェニックスのごとく完全な形態で最近になって突如出現したかのように思わせる。し かしこの驚異的なできごとの背景には、祖先の生物の長い連鎖と、激しい競争と、驚嘆すべき 協調の歴史が横たわっている。複雑な生命体は、管理されていたからこそ存続できた。また脳 は、とりわけ感情や思考に富んだ意識ある心の構築を導くことに成功したあとで、管理の仕事 の支援に長けるようになったがゆえに進化の過程で選択された。これらの点が、人間の心の物 語では見逃されやすい。つまるところ人間の創造性は、生命と、まさにその生命が、「何があ ろうと耐え、未来に向けて自己を発展させるべし」とする厳正な任務を担いつつ誕生したとい う、息を飲むような事実に根差しているのだ。このつつましくも強力な起源に思いを馳せるこ とは、不安定性と不確実性に満ちた現代を生き抜くにあたって、何らかの役に立つかもしれな い。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第1部 生命活動とその調節(ホメ オスタシス),第1章 人間の本性,pp.44-45,白揚社(2019),高橋洋(訳))

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「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())

38.芸術、哲学、宗教的信念、司法制度、政治的ガバナンスと経済制度、テクノロジー、科学は、情動の誘発に大きな影響を与える。逆に情動はホメオスタシスの代理であり、これら文化的構築物の新たな生成、発展、改善において重要な役割を演じている。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

ホメオスタシスの代理

芸術、哲学、宗教的信念、司法制度、政治的ガバナンスと経済制度、テクノロジー、科学は、情動の誘発に大きな影響を与える。逆に情動はホメオスタシスの代理であり、これら文化的構築物の新たな生成、発展、改善において重要な役割を演じている。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

 「以上の議論を踏まえると、感情と文化の関係に関して、「感情は、ホメオスタシスの代理と して、人類の文化を始動した反応の媒介者の役割を努めてきた」という仮説を提起することが できる。この仮説は妥当であろうか? 感情が動機となって、(1)芸術、(2)哲学的探究、(3) 宗教的信念、(4)司法制度、(5)政治的ガバナンスと経済制度、(7)テクノロジー、(8)科学な どの知的発明がもたらされたのか? 私なら、この問いに心から「イエス」と答えるだろう。 これら8つのいずれの面でも、文化的な実践や道具は、ホメオスタシスの低下(痛み、苦し み、窮乏、脅威、喪失など)や潜在的な恩恵(報酬をともなう結果など)を実際に感じる、も しくは予期することを人々に求めた。また、恩恵として示される豊かさを利用しつつ必要性を 満たしていくための方法を、知識と理性という道具を用いながら探究する動機づけとして、感 情が機能した。私はこれらについて、実例をあげて説明することができる。

 しかも、これは序の口にすぎない。文化的な反応が成功すると、感情による動機づけは低下 するか解消する。このプロセスは、ホメオスタシスの変化の《監視》を必要とする。そのよう な単純な反応に代わって、さまざまな社会集団の長期にわたる相互作用に基づく複雑な過程を 経て、知性による反応が採用され、それが文化体系へと取り込まれたり棄却されたりするよう になった。そして、それは規模や歴史から地理的な位置や内的、外的な権力関係に至るまで、 集団の持つ数々の特質に依存し、知性や感情が関与する段階を含む。たとえば文化的な闘争が 起こると、ネガティブな感情やポジティブな感情が動員され、それによって闘争が解決した り、悪化したりする。かくして文化的選択が適用されるのだ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第1部 生命活動とその調節(ホメ オスタシス),第1章 人間の本性,pp.39-40,白揚社(2019),高橋洋(訳))

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「もし情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())


2021年11月8日月曜日

37.意図と目的による意識による行動コントロールは、無意識のプロセスを適切な手段として利用することで、意識の到達範囲はさらに増幅され、分析や計画などに専念できるようになる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

意識の役割
意図と目的による意識による行動コントロールは、無意識のプロセスを適切な手段として利用することで、意識の到達範囲はさらに増幅され、分析や計画などに専念できるようになる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))


「人間の子供時代や思春期が異様に長い時間を要するのは、脳の無意識プロセスを教育し て、その無意識の脳空間の中に、意識的な意図や目的にしたがっておおむね忠実に活動するよ うなコントロールの形を作り上げるのに長い時間がかかるからだ。このゆっくりした教育は、 意識的コントロールを無意識の力(確かにそれは人間行動をむちゃくちゃにできる)に委ねる プロセスだと思うべきではないのだ。パトリシア・チャーチランドはこの立場を説得力ある形 で論じている。

  無意識プロセスがあるからといって、意識の価値が下がりはしない。むしろ、意識の到達範 囲はさらに増幅される。そして、普通に脳が機能していれば、一部の行動が健全で頑強な無意 識により実行されているからといって、行動に対するその人の責任は必ずしも低下するわけで はない。

   結局のところ、意識プロセスと無意識プロセスとの関係は、共進化するプロセスの結果とし て生じた奇妙な機能的パートナーシップの新たな一例というわけだ。必然的に、意識と直接的 な意識による行動コントロールは、意識のない心の後から発生したものだ。それまでは意識の ない心が仕切っており、かなりよい結果も出していたが、常に成功したわけではない。もっと うまくやれる余地があった。意識が成熟したのは、まず無意識による実行部隊の一部を制圧し て、それらを容赦なく小突き回し、計画通りのあらかじめ決まった行動を実施させたことによ る。無意識プロセスは、行動を実行するための適切で便利な手段となり、それにより意識は、 分析と計画にもっと時間を割けるようになったのだ。

  家に歩いて帰るとき、どの道で帰ろうか考えるよりは何か別の問題の解決法を考えていたり するが、それでも安全にきちんと家に帰れる。このとき、われわれはそれまで数多くの意識的 な実行により、学習曲線にそって身につけた無意識的な技能の恩恵を受け入れたことになる。 家に歩いて帰るとき、意識がモニターする必要があったのは、その旅の全体的な目的地だけ だ。意識プロセスの残りは、創造的な目的のために自由に使えた。

 ほとんど同じことが、音楽家や運動選手の専門活動についてもいえる。その意識的処理は、 目的の達成だけに専念している。ある時点で何らかの水準を達成し、その実施にあたってのい くつかの危険を回避し、予想外の状況を検出することだ。あとは練習、練習、また練習で、そ れが第二の天性になればいずれ大成し、カーネギー・ホールに立てるかもしれない。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第4部 意識の後しばらく、第11 章 意識と共に生き得る、pp.322-324、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))

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アントニオ・ダマシオ

「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())

2020年6月21日日曜日

36.a)外界と身体の変化(b)対象,驚き,既知感(c)関心,注意(d)視点(e)表象の所有感(f)発動力(g)原初的感情.これら全てが,その担い手である中核自己の存在を感知させ,全ての表象がその内部での現象であると感知させる.これが意識である.(アントニオ・ダマシオ(1944-))

意識ある心

【(a)外界と身体の変化(b)対象,驚き,既知感(c)関心,注意(d)視点(e)表象の所有感(f)発動力(g)原初的感情.これら全てが,その担い手である中核自己の存在を感知させ,全ての表象がその内部での現象であると感知させる.これが意識である.(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

全体へ追記。

 (3.3)情動誘発部位と原自己の2次マッピング
  情動誘発部位における神経活動のパターンと原自己の変化が、二次の構造にマッピングされる。かくして、情動対象と原自己の関係性についての説明が二次の構造においてなされる。
  (3.3.1)対象のイメージ群
   イメージの一群は、意識の中の物体を表す。
   (a)対象という感覚、知っているという感覚
    原初的感情が変化し、「その対象を知っているという感情」が発生する。(2次マップ)
   (b)関心、注意を向ける重要性の感覚
    知っているという感情が、対象に対する「重要性」を生み出し、原自己を変化させた対象へ関心/注意を向けるため、処理リソースを注ぎ込むようになる。(1次マップへのフィードバック)
  (3.3.2)中核自己のイメージ群
   別のイメージ群は自分を表す。
   (a)ある視点の存在の感覚
    全てが無差別に存在している混沌の中に、対象が浮かび上がる。対象は見られ、触られ、聞かれ、変化するが、いつもある不動の視点から見られ、触られ、聞かれている。
   (b)対象が対象そのものではなく、影響を受けている何者かの所有物であるという感覚
    (i)浮かび上がった対象は、対象そのものではないようだ。対象に向き合い、対象から影響を受けている何者かが存在する。浮かび上がった対象は、この何者かが所有しているものであるという感覚が存在する。
    (ii)絶対に安全であるという感情
     ウィトゲンシュタインは、この感覚に別の表現を与えている。「私は安全であり、何が起ろうとも何ものも私を傷つけることはできない」というような感情。
     参考:二つの表明し得ぬもの:(a)何かが存在する、この世界が存在するとは、いかに異常なことであるかという驚き、(b)私は安全であり、何が起ころうとも何ものも私を傷つけることはできない、という感覚。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))

   (c)発動力
    浮かび上がった対象に関心と注意を向ける何者かが存在する。原自己に属する身体は、この何者かが確かに、自ら命じて動かすことができる。
   (d)原初的感情
    対象がどのように変化しようが、比較的変化しないで持続する何者かが存在する。
  (3.3.3)中核自己
   (i)全てが無差別に存在している混沌の中に、対象が浮かび上がる。何かが変化し、知っているという感情が生まれた。それは注意をひきつける。対象は、いつもある不動の視点から、見られ、触れられ、聞かれている。対象は、対象そのものではなく、影響を受けている何者かの所有物であるという感覚がある。浮かび上がった対象に注意を向ける何者かが存在する。原自己に属する身体は、この何者かが自ら命じて動かすことができる。これらを担い所有する主人公が浮かび上がってくる。これが「中核自己」である。
   (ii)存在することへの驚き
    ウィトゲンシュタインは、それが驚きの感情を伴うことを指摘する。「何かが存在するとはどんなに異常なことであるか」、「この世界が存在するとはどんなに異常なことであるか」という存在することへの驚き。
    参考:二つの表明し得ぬもの:(a)何かが存在する、この世界が存在するとは、いかに異常なことであるかという驚き、(b)私は安全であり、何が起ころうとも何ものも私を傷つけることはできない、という感覚。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))
  (3.3.4)意識のハードプロブレムについて
   たとえ外界と身体の全ての表象が存在しても、無差別に存在する混沌の中には、意識は存在しない。(a)外界と身体の変化の感知、(b)驚きまたは既知感、(c)関心と注意、(d)視点の感知、(e)表象の所有感、(f)発動力の感知、(g)継続的な原初的感情が、(h)中核自己の存在を感知させ、これら全てが中核自己の内部で現象していると感知される。これが意識である。「自己集積体のイメージが非自己物体のイメージとあわせて折りたたまれると、その結果が意識ある心となる」。

《説明図》

対象→原自己→変調された原初的感情
↑  の変化 変調されたマスター生命体
│       │    ↓
│       │  視点の獲得
│       ↓
│     知っているという感情
│       ↓     │
└─────対象の重要性  ↓
             所有の感覚
             発動力

 「要するに、意識ある心の深みに沈降する中で、私はそれが各種イメージの複合物だということを発見したのだ。そうしたイメージの一群は、意識の中の《物体》をあらわす。別のイメージ群は自分をあらわし、その自分に含まれるのは以下の通りだ。
(1) 物体がマッピングされるときの《視点》(私の心が見たり触ったり聞いたりなどする際の立ち位置を持っているという事実と、その立ち位置というのが自分の身体だという事実)
(2) その物体が表象されているのは、自分に所属する心の中でのものであって、その心は他の誰にも属さないという感情《所有感》
(3) その物体に対して自分が《発動力》(agency)を持っており、自分の身体が実施する行動は心に命じられたものだという感情
(4) 物体がどう関わってくるかとはまったく関係なしに、自分の生きた身体の存在をあらわす《原初的感情》
 (1)から(4)までの要素の集合が、単純版の自己を構成する。自己集積体のイメージが非自己物体のイメージとあわせて折りたたまれると、その結果が意識ある心となる。
 こうした知識はすべて、そこにあるものだ。それは理性的な推論や解釈で得られる知識ではない。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第3部 意識を持つ、第8章 意識ある心を作る、p.223、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))
(索引:)

自己が心にやってくる


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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2020年6月18日木曜日

35.身体と身体状態の表象が,中核自己を生む.身体状態が記憶,想起され,自己の身体状態のシミュレーションが可能となる.やがて,他者の身体状態のシミュレーションによって,他者の意図や情動が理解可能となる.(アントニオ・ダマシオ(1944-))

身体状態のシミュレーション

【身体と身体状態の表象が,中核自己を生む.身体状態が記憶,想起され,自己の身体状態のシミュレーションが可能となる.やがて,他者の身体状態のシミュレーションによって,他者の意図や情動が理解可能となる.(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

(1)中核自己の誕生
 (a)自分の身体と身体状態が、脳内に表象されるようになる。
 (b)中核自己の意識が生まれる。
 (c)自分の身体と身体状態が記憶され、想起できるようになることで、自分自身の身体状態シミュレーションへの準備が整ってゆく。
(2)あたかも身体ループシステムの獲得
 (a)過去の知識や認知によって、実際の状況に遭遇したときと同じ内部感覚の表象が出現する。
 (b)これは、自分自身の身体状態シミュレーションである。
(3)他人の身体状態のシミュレーション
 (3.1)他者の行動の意味の理解
  (a)他人の行動を目撃する。
  (b)同じ行動の体感的な表象が出現する。
  (c)このことで、他人の行動の意味が理解できる。
  (d)これは、他人の身体状態シミュレーションである。
  参考:対象物を見ると、それを操作する運動感覚の表象が伴う。これはカノニカルニューロンが実現している。また、他者の対象物への働きかけを見ると、その運動感覚の表象が伴う。これはミラーニューロンが実現している。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))
 (3.2)他者の情動の理解
  (a)他人の情動表出を目撃する。
  (b)同じ内部感覚の表象が出現する。
  (c)このことで、他人の情動が理解できる。
  (d)これは、他人の身体状態シミュレーションである。
  参考: 他者の情動の表出を見るとき、その情動の基盤となっている内臓運動の表象が現れ、他者の情動が直ちに感知される。これは潜在的な場合もあれば実行されることもあり、複雑な対人関係の基盤の必要条件となっている。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))

 「ミラーニューロンの存在理由についての説明は、そうしたニューロンがあると自分自身を相手と似た身体状態におけるので、相手の行動を理解しやすくなるのだという点を強調してきた。他人の行動を目撃すると、身体を感知する脳は、自分自身がその相手のように動いていた場合の身体状態を採用する。そしてそれをやるときには、ほぼまちがいなく、受動的な感覚パターンではなく、運動構造の事前起動を使う――行動の準備はできているがまだ行動しない――はずだし、ときには実際に運動を活性化させたりすることもあるだろう。
 こんな複雑な生理システムがどのように進化したのだろうか? おそらくは、このシステムはもっと初期の「あたかも身体ループシステム」から発達したものだと私はにらんでいる。その初期のシステムは、複雑な脳が昔から《自分自身の》身体状態シミュレーションのために使ってきたものだ。これは明らかに即座の利点を持っていただろう。関係した過去の知識や認知戦略と関連したある身体状態のマップを、すばやくエネルギーを使わずに起動できるのだから、やがて「あたかもシステム」は他のものにも適用されるようになり、他人の身体状態――これはその相手の心的状態の表現だ――を知ることで得られる明らかな社会的利点のおかげで広まった。要するに、それぞれの生命体における「あたかも身体ループ」というのは、ミラーニューロンの働きを先取りするものだと私は考えているのだ。
 第Ⅲ部で見るように、自己の創造には自分の身体が脳内で表象されることが不可欠だ。だが脳による身体の表象は、もう一つ大きな意味合いを持っている。自分の身体状態を描けるので、それに相当する他人の身体状態もシミュレーションしやすくなるということだ。結果として、自分自身の身体とそれが自分にとって獲得した重要性とのつながりは、他人の身体状態シミュレーションにも移転できる。そうなると、そのシミュレーションにも同じくらいの重要性を付与できるようになる。「共感」という言葉であらわされる幅広い現象が、この仕組みに多くを負っている。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第2部 脳の中にあって心になれるのはどんなもの?、第4章 心の中の身体、pp.128-129、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))
(索引:)

自己が心にやってくる


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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2020年6月17日水曜日

34.背景的情動は,内的状態の指標であり,中核意識と密接に結びついている. 疲労,やる気,興奮,好調,不調,緊張,リラックス,高ぶり,気の重さ,安定,不安定,バランス,アンバランス,調和,不調和などがある。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

背景的情動

【背景的情動は,内的状態の指標であり,中核意識と密接に結びついている. 疲労,やる気,興奮,好調,不調,緊張,リラックス,高ぶり,気の重さ,安定,不安定,バランス,アンバランス,調和,不調和などがある。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

全般的に追記。

  (2.4.1)背景的情動
   (2.4.1.1)背景的情動の例
    疲労、やる気、興奮、好調、不調、緊張、リラックス、高ぶり、気の重さ、安定、不安定、バランス、アンバランス、調和、不調和などがある。
   (2.4.1.2)内的状態の指標
    (a)血液などの器官の平滑筋系や、心臓や肺の横紋筋の時間的、空間的状態。
    (b)それらの筋肉繊維に近接する環境の化学特性。
    (c)生体組織の健全性に対する脅威か、最適ホメオスタシスの状態か、そのいずれかを意味する化学特性のあり、なし。
   (2.4.1.3)背景的情動の表出
     狭義の情動の一つに「背景的情動」がある。エネルギーや熱意、わずかな不快、興奮、いらいら、落ち着き。四肢や体全体の動きの状態、顔の表情、声の中にある調べ、韻律によって知られる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))
   (2.4.1.4)背景的情動と欲求や動機との関係
    欲求は、背景的情動の中に直接現れ、最終的に背景的情動により、われわれはその存在を意識するようになる。
   (2.4.1.5)背景的情動とムードとの関係
    ムードは、調整された持続的な背景的情動と、一次の情動との調整された持続的な感情とからなっている。たとえば、落ち込んでいる背景的情動と悲しみとの調整された持続的感情。
   (2.4.1.6)背景的情動と意識の関係
    背景的情動と中核意識は極めて密接に結びついているので、それらを容易には分離できない。

「顕著な背景的感情には、たとえば、疲労、やる気、興奮、好調、不調、緊張、リラックス、高ぶり、気の重さ、安定、不安定、バランス、アンバランス、調和、不調和などがある。背景的感情と欲求や動機との関係は密接だ。欲求は背景的情動の中に直接現れ、最終的に背景的感情によりわれわれはその存在を意識するようになる。背景的感情とムードとの関係も密接だ。ムードは、調整された持続的な背景的感情と、一次の情動――たとえば、落ち込んでいる場合は悲しみ――の、やはり調整された持続的な感情とからなっている。さらに、背景的感情と意識の関係も密接だ。背景的感情と中核意識はひじょうに密接に結びついているので、それらを容易には分離できない。
 たぶん背景的感情は、有機体のその瞬間の内的状態に対する忠実な指標と言っていいだろう。そして以下がその指標の中核的要素だ。
(1) 血液などの器官の平滑筋系や、心臓や肺の横紋筋の時間的、空間的状態。
(2) それらの筋肉繊維に近接する環境の化学特性。
(3) 生体組織の健全性に対する脅威か、最適ホメオスタシスの状態か、そのいずれかを意味する化学特性のあり、なし。
 このように、背景的感情のような単純な現象でさえ、さまざまなレベルの表象に依存している。たとえば、内的環境ならびに内臓と関係がある背景的感情の中には、脊髄の各分節の膠様質と中間質や、三叉神経核の下核のような、早期の信号に依存しているものもある。また、心臓機能における横紋筋の周期的作用や、孤束核や結合腕傍核のような特定の脳幹核における表象を必要としている平滑筋の収縮と拡張のパターンと関係する背景的感情もある。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第4部 身体という劇場、第9章 情動と感情の基盤は何か、pp.342-343、講談社(2003)、田中三彦(訳))
(索引:)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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33.必ずしも意識化されない情動誘発因が情動誘発部位を活性化し、身体と脳の多数の部位へ波及することで原自己が変化する。これら対象と原自己の変化が2次構造にマッピングされ、中核自己を構成する諸感情が発現する。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

情動と中核自己の発現

【必ずしも意識化されない情動誘発因が情動誘発部位を活性化し、身体と脳の多数の部位へ波及することで原自己が変化する。これら対象と原自己の変化が2次構造にマッピングされ、中核自己を構成する諸感情が発現する。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

(3)中核自己の発現の要約的記述
 参照: 「中核自己」の発現(アントニオ・ダマシオ(1944-))

 (3.1)対象の感覚的処理(1次マップ)
  (a)生命体が、ある対象に遭遇する。
   (i)情動誘発因
    対象に対する意識も、対象の認知も、このサイクルの継続に必ずしも必要ではない。
  (b)ある対象が、感覚的に処理される。
   (i)情動誘発部位
    対象のイメージの処理に伴う信号が、その対象が属している特定の種類の誘発因に反応するようプリセットされている神経部位(情動誘発部位)を活性化する。
 (3.2)原自己の変化(1次マップ)
  (a)対象からの関与が、原自己を変化させる。
  (b)身体と脳の多数の部位の反応
   情動誘発部位は、身体と他の脳の部位に向けての多数の反応を始動させ、情動を構成する身体と脳の反応を全面的に解き放つ。
  (c)身体と脳の状態変化の表象
   皮質下ならびに皮質部における一次のニューラル・マップは、それが「身体ループ」によるものか、「あたかも身体ループ」によるものか、あるいは両者の組合せによるものかには無関係に、身体状態の変化を表象する。こうして感情が浮上する。
 (3.3)情動誘発部位と原自己の2次マッピング
  情動誘発部位における神経活動のパターンと原自己の変化が、二次の構造にマッピングされる。かくして、情動対象と原自己の関係性についての説明が二次の構造においてなされる。
  (a)原初的感情が変化し、「その対象を知っているという感情」が発生する。(2次マップ)
  (b)知っているという感情が、対象に対する「重要性」を生み出し、原自己を変化させた対象へ関心/注意を向けるため、処理リソースを注ぎ込むようになる。(1次マップへのフィードバック)
  (c)「ある対象が、ある特定の視点から見られ、触られ、聞かれた。それは、身体に変化を引き起こし、その対象の存在が感じられた。その対象が重要とされた。」こうしたことが、起こり続けるとき、対象によって変化させられたもの、視点を持っているもの、対象を知っているもの、対象を重要だとし関心と注意を向けているもの、これらを担い所有する主人公が浮かび上がってくる。これが「中核自己」である。

《説明図》

対象→原自己→変調された原初的感情
↑  の変化 変調されたマスター生命体
│       │    ↓
│       │  視点の獲得
│       ↓
│     知っているという感情
│       ↓     │
└─────対象の重要性  ↓
             所有の感覚
             発動力


「情動の反応には少しもあいまいなもの、表現しがたいもの、不明確なものはない。また情動の感情になりうる表象にも、あいまいなもの、表現しがたいもの、不明確なものはない。情動の感情に対する基盤は、特定の構造のマップの中の、きわめて具体的な一連のニューラル・パターンである。
 要約すると、情動、感情、そして感情の感情まで、事象の推移はつぎの五段階に分けることができよう。ちなみに、最初の三つについては、情動に関する章でその概略を述べている。
(1) 情動誘発因と関わる有機体。誘発因とは、たとえば視覚的に処理され、視覚的表象をもたらす特定の対象。その際、その対象が意識化されることもあるし、されないこともある。認知されることもあるし、されないこともある。対象に対する意識も、対象の認知も、このサイクルの継続に必要ではないからだ。
(2) 対象のイメージの処理に伴う信号が、その対象が属している特定の種類の誘発因に反応するようプリセットされている神経部位(情動誘発部位)を活性化する。
(3) 情動誘発部位は、身体と他の脳の部位に向けての多数の反応を始動させ、情動を構成する身体と脳の反応を全面的に解き放つ。
(4) 皮質下ならびに皮質部における一次のニューラル・マップは、それが「身体ループ」によるものか、「あたかも身体ループ」によるものか、あるいは両者の組合せによるものかには無関係に、身体状態の変化を表象する。こうして感情が浮上する。
(5) 情動誘発部位における神経活動のパターンが、二次の神経構造にマッピングされる。これらの事象のために原自己が変化する。そして原自己の変化もまた、二次の構造にマッピングされる。かくして、「情動対象」(情動誘発部位における活動)と原自己の関係性についての説明が二次の構造においてなされる。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第4部 身体という劇場、第9章 情動と感情の基盤は何か、pp.338-339、講談社(2003)、田中三彦(訳))
(索引:情動誘発因,原自己,中核自己,情動,感情)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

アントニオ・ダマシオ(1944-)
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2020年5月14日木曜日

32.情動は,対象の感知による一時的変化が,体液性信号と神経信号を通じ全身に伝播し,内部環境,内臓,筋骨格の状態,身体風景の表象を変化させ,脳状態の変更を通じて,特定行動誘発,認知処理モードの変化等を引き起こす。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

情動が引き起こす身体変化と脳変化

【情動は,対象の感知による一時的変化が,体液性信号と神経信号を通じ全身に伝播し,内部環境,内臓,筋骨格の状態,身体風景の表象を変化させ,脳状態の変更を通じて,特定行動誘発,認知処理モードの変化等を引き起こす。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

  (2.3.5)「脳や身体の状態を一時的に変更する」情動の身体過程
   (a)情動対象を感知する。
    (a.1)感覚で与えられた対象や事象を感知し、評価する。
    (場所:感覚連合皮質と高次の大脳皮質)
    (a.2)「あたかも身体ループ」:想起された対象や事象を感知し、評価する。
     この「あたかも」機構は、単に情動と感情にとって重要なだけでなく、「内的シミュレーション」とも言える一種の認知プロセスにとっても重要である。
   (b)有機体の状態が一時的に変化する。
    (b.1)身体状態と関係する変化:「身体ループ」または「あたかも身体ループ」
     (i)自動的に、神経的/化学的な反応の複雑な集まりが、引き起こされる。
     (場所:例えば「恐れ」であれば扁桃体が誘発し、前脳基底、視床下部、脳幹が実行する。)
     (ii)2種類の信号が変化を伝播する。
      (1)体液性信号:血流を介して運ばれる化学的メッセージ
      (2)神経信号:神経経路を介して運ばれる電気化学的メッセージ
     (iii)身体の内部環境、内蔵、筋骨格システムの状態が一時的に変化する。
      情動的状態は、身体の化学特性の無数の変化、内臓の状態の変化、そして顔面、咽喉、胴、四肢のさまざまな横紋筋の収縮の程度を変化させる。
     (iv)身体風景の表象が変化する。
      二種類の信号の結果として身体風景が変化し、脳幹から上の中枢神経の体性感覚構造に表象される。
    (b.2)認知状態と関係する変化
     脳構造の状態も一時的に変化し、身体のマップ化や思考へも影響を与える。
     次項目「思考や行動に影響を与える」へ。
   (c)有機体の一次的変化の表象
    一次的に変化した有機体の状態は、イメージとして表象される。
   (d)対象の意識化と自己感の発生
    有機体の一時的変化の表象は、情動の対象を強調し意識的なものに変化させる。同時に、対象を認識している自己感が出現する。
  (2.3.6)「思考や行動に影響を与える」:認知状態と関係する変化
   (a)情動のプロセスによって前脳基底部、視床下部、脳幹の核にいくつかの化学物質が分泌される。
   (b)分泌された神経調節物質が、大脳皮質、視床、大脳基底核に送られる。
   (c)その結果、以下のような重要な変化が多数起こる。
    (i)特定の行動の誘発
     たとえば、絆と養育、遊びと探索。
    (ii)現在進行中の身体状態の処理の変化
     たとえば、身体信号がフィルターにかけられたり通過を許されたり、選択的に抑制されたり強化されたりして、快、不快の質が変化することがある。
    (iii)認知処理モードの変化
     たとえば、聴覚イメージや視覚イメージに関して、遅いイメージが速くなる、シャープなイメージがぼやける、といった変化。この変化は情動の重要な要素である。
    (iv)引き起こされた特有な身体的パターン、行動パターンの種類がいくつか存在する。

「ある感情の基盤を構成する一連のニューラル・パターンは、二種類の生物学的変化の中で生じる。身体状態と関係する変化と、認知状態と関係する変化である。身体状態と関係する変化は、二つの機構によって実現される。一つの機構は、私が「身体ループ」と呼ぶもの。それは体液性信号(血流を介して運ばれる化学的メッセージ)と神経信号(神経経路を介して運ばれる電気化学的メッセージ)の双方を使う。二種類の信号の結果として身体風景が変化し、それは脳幹から上の中枢神経の体性感覚構造に表象される。
 身体風景の表象の変化は、部分的に「あたかも身体ループ」という別の機構によってもなされる。この代替的な機構では、身体関係の変化の表象が、たとえば前頭前皮質などにある他の神経部位の制御のもとで、直接、感覚身体マップの中につくられる。「あたかも」本当に身体が変化したかのようだが、実際にはそうではない。この「あたかも身体ループ」の機構は、部分的ないし全面的に身体をバイパスするようになっている。私はこれまで、身体をバイパスすることは時間とエネルギーを節約し、状況によってそれはひじょうに有用なものだと言ってきた。この「あたかも」機構は、単に情動と感情にとって重要なだけでなく、「内的シミュレーション」とも言える一種の認知プロセスにとっても重要だ。
 一方、認知状態と関係する変化が生み出されるのは、情動のプロセスによって前脳基底部、視床下部、脳幹の核にいくつかの化学物質が分泌され、それらの物質が他のいくつかの脳部位に送られるときだ。これらの核が大脳皮質、視床、大脳基底核に神経調節物質を放つと、それにより脳の作用に重要な変化が多数起こる。私が考えているもっとも重要な変化には以下のものがある。
(1) 特定の行動(たとえば、絆と養育、遊びと探索)の誘発。
(2) 現在進行中の身体状態の処理の変化(たとえば、身体信号がフィルターにかけられたり通過を許されたり、選択的に抑制されたり強化されたりして、快、不快の質が変化することがある)。
(3) 認知処理モードの変化(たとえば、聴覚イメージや視覚イメージに関して、遅いイメージが速くなる、シャープなイメージがぼやける、といった変化。この変化は情動の重要な要素である)。」(中略)
「要するに、情動的状態は身体の化学特性の無数の変化、内臓の状態の変化、そして顔面、咽喉、胴、四肢のさまざまな横紋筋の収縮の程度の変化によってきまる。しかし情動的状態はまた、そうした変化を引き起こすとともに脳そのものの中のいくつかの神経回路の状態に、重要な変化をもたらしている一連の神経構造における変化によってもきまる。
 情動とは具体的に生じた有機体の状態の一時的変化、と単純に定義するなら、情動を感じるとは、つぎのように単純に定義できる。つまり、情動を感じるとは、有機体の状態のそうした一時的変化を、ニューラル・パターンとそれがもたらすイメージで表象することだ。そして、それらのイメージにただちに認識中の自己感が伴い、それらのイメージが強調されると、それらは意識的なものとなる。真の意味で、それらのイメージは「感情の感情」(feeling of feelings)である。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第4部 身体という劇場、第9章 情動と感情の基盤は何か、pp.336-338、講談社(2003)、田中三彦(訳))
(索引:身体,情動,感情,体液性信号,神経信号,内部環境,身体風景)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

アントニオ・ダマシオ(1944-)
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2018年11月22日木曜日

31.集中的な注意,延長意識,中核意識,情動,低いレベルの注意,覚醒,精神分析的無意識,意識化されないイメージ,イメージ化以前のニューラル・パターン,ニューラル・パターン以前の獲得された傾性とその改編,生得的傾性。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

集中的な注意から無意識への系列

【集中的な注意,延長意識,中核意識,情動,低いレベルの注意,覚醒,精神分析的無意識,意識化されないイメージ,イメージ化以前のニューラル・パターン,ニューラル・パターン以前の獲得された傾性とその改編,生得的傾性。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

(7)、(8)追加記載。

(1)集中的な注意
 ・集中的な注意は、意識が生まれてから生じる。
(2)延長意識:「わたし」という自己感を授け、過去と未来を自覚させる。
 ・言語、記憶、理性は、延長意識の上に成立する。
(3)中核意識:「いま」と「ここ」についての自己感を授けている。
 ・中核意識は、言語、記憶、理性、注意、ワーキング・メモリがなくても成立する。
 ・統合的、統一的な心的風景を生み出すことそのものが、意識ではない。統合的、統一的なのは、有機体の単一性の結果である。
 ・意識のプロセスのいくつかの側面を、脳の特定の部位やシステムの作用と関係づけることができる。
(4)情動
 ・意識と情動は、分離できない。
 ・意識に障害が起こると、情動にも障害が起こる。
(5)低いレベルの注意
 ・生得的な低いレベルの注意は、意識に先行して存在する。
 ・注意は、意識にとって必要なものだが、十分なものではない。注意と意識とは異なる。
(6)覚醒
 ・正常な意識がなくても、人は覚醒と注意を維持できる。
(参照: 意識に関する諸事実:(a)特定脳部位との関係付け。(b)意識、低いレベルの注意、覚醒。(c)意識と情動の非分離性。(d)中核意識、延長意識の区別。(e)中核意識の成立条件。(f)統合的な心的風景について。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(7)精神分析的無意識
 自伝的記憶を支えている神経システムにそのルーツがある。
(8)中核意識においても延長意識においても認識されず、非意識的なままとどまっている大量のプロセスとコンテンツ。
 (8.1)意識化されないイメージ
  われわれが注意を向けていない、完全に形成されたすべてのイメージ。
 (8.2)イメージ以前のニューラル・パターン
  決してイメージにはならない全てのニューラル・パターン。
 (8.3)ニューラル・パターン以前の獲得された傾性
  経験をとおして獲得されるが、休眠したままで、恐らく明示的ニューラル・パターンにはならない全ての傾性。
 (8.4)獲得された傾性の改編
  そのような傾性の静かなる改編の全てと、それら全ての静かなる再ネットワーク化。
 (8.5)生得的傾性
  自然が生得的、ホメオスタシス的傾性の中に具現化した、すべての隠れたる知恵とノウハウ。

「精神分析的無意識の世界は自伝的記憶を支えている神経システムにそのあたりルーツがあり、ふつう精神分析は、自伝的記憶の中の複雑に絡み合った心理学的結びつきを調べる手段とみなされている。

しかし、必然的にその世界は、私がいま概略を述べた他の種類の結びつきとも関係している。

 われわれの文化の中で言われてきた狭い意味での「無意識」は、中核意識においても延長意識においても認識されず、非意識的なままとどまっている大量のプロセスとコンテンツのうちの、ほんの一部でしかない。実際、「認識されていない」もののリストは仰天するほどである。どんなものがそれに含まれるかを考えると、

(1) われわれが注意を向けていない完全に形成されたすべてのイメージ。

(2) けっしてイメージにはならないすべてのニューラル・パターン。

(3) 経験をとおして獲得されるが、休眠したままで、おそらく明示的ニューラル・パターンにはならないすべての傾性。

(4) そのような傾性の静かなる改編のすべてと、それらすべての静かなる再ネットワーク化――たぶん明示的に認識されない。

(5) 自然が生得的、ホメオスタシス的傾性の中に具現化した、すべての隠れたる知恵とノウハウ。 われわれがいかにわずかしか認識していないかに驚かされる。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第3部 意識の神経学、第7章 延長意識とアイデンティティ、pp.280-281、講談社(2003)、田中三彦(訳))
(索引:精神分析的無意識,意識化されないイメージ,イメージ化以前のニューラル・パターン,ニューラル・パターン以前の獲得された傾性とその改編,生得的傾性。)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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