2020年5月13日水曜日

我が国の農産物の品種には,一般品種と登録品種があり,ほとんどが一般品種となっている。一般品種は,(a)在来種,(b)品種登録されたことがない品種,(c)品種登録期間が切れた品種である。(農林水産省)

一般品種と登録品種

【我が国の農産物の品種には,一般品種と登録品種があり,ほとんどが一般品種となっている。一般品種は,(a)在来種,(b)品種登録されたことがない品種,(c)品種登録期間が切れた品種である。(農林水産省)】
 「我が国の農産物の品種には、一般品種と登録品種があり、ほとんどが一般品種となっている。
一般品種は、①在来種、②品種登録されたことがない品種、③品種登録期間が切れた品種である。」
種苗法の一部を改正する法律案について(農林水産省)種苗法の一部を改正する法律案について(農林水産省)
(索引:一般品種,登録品種)

科学技術が巨大化することにより抱える4つの問題:(1)実証性の虚構化(2)研究費への依存性増大による特定領域への偏向(3)研究の細分化と効率性追求による総合的視点の喪失(4)影響の巨大化と研究の私的性格との間の矛盾(高木仁三郎(1938-2000))

科学技術が巨大化がもたらす4つの問題

【科学技術が巨大化することにより抱える4つの問題:(1)実証性の虚構化(2)研究費への依存性増大による特定領域への偏向(3)研究の細分化と効率性追求による総合的視点の喪失(4)影響の巨大化と研究の私的性格との間の矛盾(高木仁三郎(1938-2000))】

(1)実証性の虚構化
 (a)人間的な感覚や思想からの乖離
  科学が、人間的な感覚や思想を通した実証的な営為であることを離れ、従来の実験室的な実証性にもはや依拠しえなくなる。
 (b)コンピュータに依存し過ぎた虚構化
  コンピュータに依存し過ぎた虚構的・観念的な存在になりつつある。
(2)研究費への依存性増大による特定領域への偏向
 (a)政府や官僚、政治家、大資本の影響
  研究が、研究費に大きく依存することになる結果、研究の方向づけが、研究費の分配に直接権限を持っている政府や官僚、政治家、大資本の利害に沿ったものになりやすい。
 (b)研究者の保守保身主義
  研究者も保守保身主義に陥りやすくなる。
(3)研究の細分化と効率性追求による総合的視点の喪失
 (a)研究の細分化
  科学の巨大さの度合いに応じて、個人の担う役割がますます細分化されていく。
 (b)総合的視点の喪失
  その結果、研究の全体性やその意味を、十分見通すことができなくなる。
 (c)科学の歴史、意味、目的を考える教育の軽視
  科学教育も、科学の歴史やその意味を総合的にとらえるといった教育は非効率的なものとされ、個別的な手法や技術をマスターさせることに教育の力点が置かれる。
(4)影響の巨大化と研究の私的性格との間の矛盾
 (a)研究結果の影響の巨大化
  科学上の発明・発見の影響が、人類全体の歩みを変えかねないほどの影響を持つようなことがある。
 (b)研究の私的性格
  それにもかかわらず、その研究が生みだされる実験室・研究室は、相変わらず科学者の私的な砦であるという基本的な性格を変えていない。そこから深刻な問題が生まれてくるように思われる。

 「巨大科学の問題点を考える場合には、大きく分けて四つぐらいの側面からアプローチする必要があると思われます。その第一は、その扱うべき対象が巨大になり、旧来の実験室的な実証性にもはや依拠しえなくなった故の問題です。これは、科学が人間的な感覚や思想を通した実証的な営為であることを離れた虚構的・観念的な存在になりつつあるという問題としてすでに述べました。大型電算機の導入は、計算能力だけを不調和に増大するという効果により、非実証的な巨大化の傾向を加速しました。
 第二の側面は、科学研究が巨費を要するようになったため、研究費を確保できるか否かが科学者の死命を制するようになり、そのことによって研究の方向づけが決まってしまうということです。研究が研究費によって支えられるという風潮下にあっては、研究を支えてくれるのは、研究費の分配に直接権限を持っている政府や官僚、政治家、大資本であり、その利害に忠実になるのが一番賢明だという考え方生き方が、知らず知らずのうちに身に付いてきます。そこで研究者としての立場の利害を守ろうとすれば、どうしても既存の体制に忠実になるという保守保身主義に陥りやすくなります。」(中略)「たとえば、原子核の研究を行おうとする場合、粒子を高エネルギーに加速し、原子核にぶつけ、原子核を壊して、その内部構造を調べるといった手法が必要となります。それも、時代とともに、ますます大きな重い粒子を高いエネルギーに加速し、高性能の測定装置で測るのでなければ、話しにならなくなります。
 こうして、直径何十メートル、何百メートルさらに、何キロという加速器が必要となり、それに見合った測定系も必要となってきます。このような実験をなし遂げるには、大きな研究チームが必要です。加速器の運転や保守をする人、測定系の整備・改良を行う人、化学分離や試料の調整をする人、コンピュータの保守にあたる人、といった技術的な側面で研究を支えている人々のうえに、実際の実験や解析を計画し、遂行する「頭脳」の役割をする研究者が数人必要となり、そのうえに一切を統括する責任者がいる、というのが一般的な構造です。」(中略)
 「このような状況から、巨大科学の第三の側面が浮かび上がってきます。それは、巨大さの度合いに応じて、個人の担う役割が細分化され、機械のひとコマとなった個人は、その研究の全体性やその意味について、十分見通すことができなくなるということです。」(中略)「このような細分化は、すでに科学教育にも大きな影を落としています。「一人前の」研究者・技術者に、若者たちを仕立て上がるためには、科学の歴史やその意味を総合的にとらえるといった教育は非効率的なものとされ、なるべく早いうちから個別的な手法や技術をマスターさせることに教育の力点が置かれます。マスターすべき細目が増えれば増えるだけ、その負担のため広い視野に立って物を考えるような基礎を養うヒマもなくなるのです。」(中略)
「さて、私が特に強調したい第四の側面は、科学研究の産物が、ひとりひとりの人間にとって巨大なものとなり過ぎた、という点です。必ずしも巨費を投じたものでなくとも、たとえば遺伝子工学にみられるように、そこから生まれる発明・発見の影響は、人類全体の歩みを変えかねないほどの影響を持つ事柄があまりにも多くなりました。科学的知識の増大・強化は、一科学者の研究「成果」が、そのまま人類の存続に影響を及ぼすようなレベルにまで及んでいますが、その研究が生みだされる実験室・研究室は、相変わらず一科学者(複数であってももちろんかまわない)の私的な砦であるという基本的な性格を変えていません。そこから深刻な問題が生まれてくるように思えます。」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第七巻 市民科学者として生きるⅠ』科学は変わる Ⅲ 原子力の困難(二)、pp.74-77)
(索引:巨大科学技術の問題、実証性の虚構化、特定領域への偏向、総合的視点の喪失)

市民科学者として生きる〈1〉 (高木仁三郎著作集)


(出典:高木仁三郎の部屋
友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ
 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

高木仁三郎(1938-2000、物理学、核化学)
原子力資料情報室(CNIC)
Citizens' Nuclear Information Center
認定NPO法人 高木仁三郎市民科学基金|THE TAKAGI FUND for CITIZEN SCIENCE
高木仁三郎の部屋
高木仁三郎の本(amazon)
検索(高木仁三郎)
ニュース(高木仁三郎)
高木仁三郎 略歴・業績Who's Whoarsvi.com立命館大学生存学研究センター
原子力市民委員会(2013-)
原子力市民委員会
Citizens' Commission on Nuclear Energy
原子力市民委員会 (@ccnejp) | Twitter
検索(原子力市民委員会)
ニュース(原子力市民委員会)

核技術は,まだ技術とは言えない。なぜなら,原子力の火は,つけることはできるが消せない火だからだ。寿命の長い放射能を寿命の短いものにするとか,放射能のないものに変えてしまうという試みは成功していない。(高木仁三郎(1938-2000))

消せない火

【核技術は,まだ技術とは言えない。なぜなら,原子力の火は,つけることはできるが消せない火だからだ。寿命の長い放射能を寿命の短いものにするとか,放射能のないものに変えてしまうという試みは成功していない。(高木仁三郎(1938-2000))】

 「この火を人工的に何とか消してしまおうという試みはありました。例えば、ある他の核反応をさらに起こさせて寿命の長い放射能を寿命の短いものにしてしまう。そして寿命の短いものにしておいてしばらく待っていると死んでくれるだろうと、或いは放射能のないものに変えてしまうという、錬金術のような事の試みがありましたが、いろいろやっても結局旨くいかない。一つ放射能を消したかと思うと別の放射能が出来てしまう、もぐらたたきのような事をやっていましたね。結局旨くいかない。結局寿命の非常に長い放射能が残ってしまいます。」(中略)「その消せない火を作り出すという事は、したがって人間がエネルギーの技術を手にしたという事にはならない。人間がある火を手にしたというのは、その火を付けたいときに付けられるし、消したいときには消せるという事でないといけない。原子力の火は、付けたいときには付けられるようにはなったけれども、消したいときには消せるという点ではまったくこれ零です。出来ない。そうである以上、これは完成された技術でもないし、人間が頼るべき技術でもない。私はそういう観点から今は確信を持って反対をする。これは事故があってもなくても駄目だと私は思っている。そのうえに事故というのは人間のやる事ですから起こり得る事です。チェルノブイリがなくても私はこれは原理的に駄目だと思っています。反対をしなくては、どこかでこの残った消せない火がかならず将来の世代を苦しめる事になると思います。私たちの時代に事故が起こらなかったとしてもね。」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第六巻 核の時代/エネルギー』核と人間、pp.380-381)
(索引:点火できるが消せない火)

核の時代・エネルギー (高木仁三郎著作集)


(出典:高木仁三郎の部屋
友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ
 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

高木仁三郎(1938-2000、物理学、核化学)
原子力資料情報室(CNIC)
Citizens' Nuclear Information Center
認定NPO法人 高木仁三郎市民科学基金|THE TAKAGI FUND for CITIZEN SCIENCE
高木仁三郎の部屋
高木仁三郎の本(amazon)
検索(高木仁三郎)
ニュース(高木仁三郎)
高木仁三郎 略歴・業績Who's Whoarsvi.com立命館大学生存学研究センター
原子力市民委員会(2013-)
原子力市民委員会
Citizens' Commission on Nuclear Energy
原子力市民委員会 (@ccnejp) | Twitter
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ニュース(原子力市民委員会)

自由で批判的で公開的な討論とは異なる,世論という社会現象は,ときに過ち,操作され演出され計画され,自由の脅威ともなる。だが,しばしば政府より賢明であり,正義と道徳的価値を言い当てる。ただし条件がある。(カール・ポパー(1902-1994))

世論

【自由で批判的で公開的な討論とは異なる,世論という社会現象は,ときに過ち,操作され演出され計画され,自由の脅威ともなる。だが,しばしば政府より賢明であり,正義と道徳的価値を言い当てる。ただし条件がある。(カール・ポパー(1902-1994))】

(1)自由で批判的で公開的な討論
 世論は、正義の問題や他の道徳的テーマについての討論を含めて、学問において生じている自由で批判的で公開的な討論からは区別される。
(2)一つの社会現象としての世論
 (a)自由で批判的で公開的な討論によって、世論はたしかに影響される。
 (b)しかし、討論の成果として、世論が出現してくるわけではない。
 (c)また、討論によって世論を押さえつけられるものでもない。
(3)世論の否定的な側面
 (3.1)世論が真理と誤謬の裁判官ではない
  世論が、神の声として、真理と誤謬についての裁判官として、承認されることはあってはならない。
 (3.2)世論は操作され、演出され、計画される
  残念なことに世論は操作され、演出され、また計画される。
 (3.3)世論が自由にとっての脅威となることもある
  強固な自由主義の伝統による束縛を受けないならば、世論は、自由にとっての脅威となる。世論は趣味の問題の裁判官としては、危険なものなのである。
(4)世論の否定的な側面の克服
 (4.1)自由主義の伝統の強化
  これらすべての脅威に対してわれわれは、自由主義の伝統を強化することによってのみ対抗し得る。また、この自由主義を守るということにおいて、すべての人は共同することができる。
 (4.2)世論の積極的な側面
  (a)世論はしばしば政府より賢明
   世論は、確かに、政府などよりはしばしば啓発されていて賢明である。
  (b)世論は、正義と道徳的価値を言い当てる
   また世論は、往々にして、正義と他の道徳的価値にかんする啓発された裁判官でもある。

 「まとめておきましょう。
 「世論」と呼ばれている、かのいくぶん曖昧でまさに把握し難いものは、たしかに政府などよりはしばしば啓発されていて賢明でもありますが、強固な自由主義の伝統による束縛を受けないならば、自由にとっての脅威を意味します。世論が、神の声(vox dei)として、真理と誤謬についての裁判官として、承認されることはあってはなりませんが、世論は、往々にして、正義と他の道徳的価値にかんする啓発された裁判官です。(イギリス植民地における奴隷の解放)。世論は趣味の問題の裁判官としては危険なものです。残念なことに世論は「操作」され、「演出」され、また「計画」されるものです。これらすべての脅威に対してわれわれは、自由主義の伝統を強化することによってのみ対抗しうるのであり、またこうした意図のもとで各人は共同することができます。
 世論は、正義の問題や他の道徳的テーマについての討論を含めて、学問において生じている(あるいは生じるべき)自由で批判的で公開的な討論からは区別されるべきものです。こうした討論によって世論はたしかに影響されますが、世論は討論の成果として出現してくるのでもなければ、討論によって押さえつけられるものでもありません。」
(カール・ポパー(1902-1994),『よりよき世界を求めて』,第2部 歴史について,第11章 自由主義の原則に照らしてみた世論,8 まとめ,p.252,未来社(1995),小河原誠,蔭山泰之,(訳))
(索引:自由主義,世論)

よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)


(出典:wikipedia
カール・ポパー(1902-1994)の命題集(Propositions of great philosophers)  「あらゆる合理的討論、つまり、真理探究に奉仕するあらゆる討論の基礎にある原則は、本来、《倫理的な》原則です。そのような原則を3つ述べておきましょう。
 1.可謬性の原則。おそらくわたくしが間違っているのであって、おそらくあなたが正しいのであろう。しかし、われわれ両方がともに間違っているのかもしれない。
 2.合理的討論の原則。われわれは、ある特定の批判可能な理論に対する賛否それぞれの理由を、可能なかぎり非個人的に比較検討しようと欲する。
 3.真理への接近の原則。ことがらに即した討論を通じて、われわれはほとんどいつでも真理に接近しようとする。そして、合意に達することができないときでも、よりよい理解には達する。
 これら3つの原則は、認識論的な、そして同時に倫理的な原則であるという点に気づくことが大切です。というのも、それらは、なんと言っても寛容を合意しているからです。わたくしがあなたから学ぶことができ、そして真理探究のために学ぼうとしているとき、わたくしはあなたに対して寛容であるだけでなく、あなたを潜在的に同等なものとして承認しなければなりません。あらゆる人間が潜在的には統一をもちうるのであり同等の権利をもちうるということが、合理的に討論しようとするわれわれの心構えの前提です。われわれは、討論が合意を導かないときでさえ、討論から多くを学ぶことができるという原則もまた重要です。なぜなら討論は、われわれの立場が抱えている弱点のいくつかを理解させてくれるからです。」
 「わたくしはこの点をさらに、知識人にとっての倫理という例に即して、とりわけ、知的職業の倫理、つまり、科学者、医者、法律家、技術者、建築家、公務員、そして非常に重要なこととしては、政治家にとっての倫理という例に即して、示してみたいと思います。」(中略)「わたくしは、その倫理を以下の12の原則に基礎をおくように提案します。そしてそれらを述べて〔この講演を〕終えたいと思います。
 1.われわれの客観的な推論知は、いつでも《ひとりの》人間が修得できるところをはるかに超えている。それゆえ《いかなる権威も存在しない》。このことは専門領域の内部においてもあてはまる。
 2.《すべての誤りを避けること》は、あるいはそれ自体として回避可能な一切の誤りを避けることは、《不可能である》。」(中略)「
 3.《もちろん、可能なかぎり誤りを避けることは依然としてわれわれの課題である》。しかしながら、まさに誤りを避けるためには、誤りを避けることがいかに難しいことであるか、そして何ぴとにせよ、それに完全に成功するわけではないことをとくに明確に自覚する必要がある。」(中略)「
 4.もっともよく確証された理論のうちにさえ、誤りは潜んでいるかもしれない。」(中略)「
 5.《それゆえ、われわれは誤りに対する態度を変更しなければならない》。われわれの実際上の倫理改革が始まるのは《ここにおいて》である。」(中略)「
 6.新しい原則は、学ぶためには、また可能なかぎり誤りを避けるためには、われわれは《まさに自らの誤りから学ば》ねばならないということである。それゆえ、誤りをもみ消すことは最大の知的犯罪である。
 7.それゆえ、われわれはたえずわれわれの誤りを見張っていなければならない。われわれは、誤りを見出したなら、それを心に刻まねばならない。誤りの根本に達するために、誤りをあらゆる角度から分析しなければならない。
 8.それゆえ、自己批判的な態度と誠実さが義務となる
 9.われわれは、誤りから学ばねばならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせてくれたときには、それを受け入れること、実際、《感謝の念をもって》受け入れることを学ばねばならない。われわれが他者の誤りを明らかにするときは、われわれ自身が彼らが犯したのと同じような誤りを犯したことがあることをいつでも思い出すべきである。」(中略)「
 10.《誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とする(また彼らはわれわれを必要とする)ということ》、とりわけ、異なった環境のもとで異なった理念のもとで育った他の人間を必要とすることが自覚されねばならない。これはまた寛容に通じる。
 11.われわれは、自己批判が最良の批判であること、しかし《他者による批判が必要な》ことを学ばねばならない。それは自己批判と同じくらい良いものである。
 12.合理的な批判は、いつでも特定されたものでなければならない。それは、なぜ特定の言明、特定の仮説が偽と思われるのか、あるいは特定の論証が妥当でないのかについての特定された理由を述べるものでなければならない。それは客観的真理に接近するという理念によって導かれていなければならない。このような意味において、合理的な批判は非個人的なものでなければならない。」
(カール・ポパー(1902-1994),『よりよき世界を求めて』,第3部 最近のものから,第14章 寛容と知的責任,VI~VIII,pp.316-317,319-321,未来社(1995),小河原誠,蔭山泰之,(訳))

カール・ポパー(1902-1994)
検索(日本ポパー哲学研究会)
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検索(カール・ポパー)

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