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2022年1月19日水曜日

人間の歴史も因果の法則には従っているに違いなく、歴史の規則性やパターンも認識できるだろう。しかし、それがあっても人間には、選択の自由がつねに残されている。また、科学的な知識は自由を増やし、無知は自由を削減する。 (アイザイア・バーリン(1909-1997))

因果の法則と自由意志

人間の歴史も因果の法則には従っているに違いなく、歴史の規則性やパターンも認識できるだろう。しかし、それがあっても人間には、選択の自由がつねに残されている。また、科学的な知識は自由を増やし、無知は自由を削減する。 (アイザイア・バーリン(1909-1997))


(a)人間の歴史も因果の法則には従う
 因果の法則は、人間の歴史に適用できる。自由な選択の範囲が、かつて人びとが考えたよりも、また恐らく現在もなお誤って考えているよりも、はるかに狭いことには、多くの経験的証拠がある。歴史における客観的なパターンは識別できるであろう。
(b)法則やパターンがあっても選択の自由は残されている
 それにもかかわらず、そのような法則やパターンでも、何らかの選択の自由を残しており、人間の行為は、先行する諸原因によってそれ自体完全に決定されているわけではない。
(c)科学的な知識は自由を増やし、無知は自由を削減する
 知識、とりわけ科学的に確立された法則の知識は、我々の活動をより効果的にし、我々の自由を拡張するのに役立つ。また、無知および無知のかもす幻想・恐怖・偏見は自由を削減する。


「ごく平凡ではあるが、私が一度も離れたことのない見方を、いくつかここで繰り返してお きたい。因果の法則は人間の歴史に適用できる(カー氏には失礼ながら、この命題を否定する のは狂気の沙汰と私は考えている)。歴史は、主として個人の意志間の《劇的な葛藤》ではな い。知識、とりわけ科学的に確立された法則の知識は、われわれの活動をより効果的にし、わ れわれの自由を拡張するのに役立つ。この自由は無知および無知のかもす幻想・恐怖・偏見に よって削減されやすい。自由な選択の範囲が、かつて人びとが考えたよりも、またおそらく現 在もなおあやまって考えているよりも、はるかに狭いことは、多くの経験的証拠がある。私の 知る限りでも、歴史における客観的なパターンは識別できるであろう。そして更に、私はただ つぎのことを主張しているだけだということを繰り返して言わねばならぬ。即ち、そうした法 則やパターンでも、何らかの選択の自由を残していると考えられるのでなければ――そして、行 動の自由が、先行する諸原因によってそれ自体完全に決定されている選択により、決定されて いるにすぎないような自由に止まらぬと考えるのでなければ――、われわれは現実についての見 方を、いままでとは違った方向で再建しなければならないだろう、そしてこの仕事は、決定論 者が考えているよりも、遥かに大変なものである、と。」
 (アイザイア・バーリン(1909-1997),『自由論』,序論,I,pp.50-51,みすず書房(2000), 小川晃一(訳),小池銈(訳))

自由論 新装版 [ アイザィア・バーリン ]


アイザイア・バーリン
(1909-1997)





2022年1月17日月曜日

歴史は、環境、風土、物理的、生理的、心理的過程といった自然的諸力だけから全てが説明できない。例外的な諸個人にせよ、不特定多数の大衆にせよ、個人の性格、 目的、動機が大きく関わり、道徳的、政治的な評価も含まれる。そのため、誤ったパターンや規則性の思想は、状況認識や道徳的・政治的評価に影響を与える。(アイザイア・バーリン(1909-1997))

歴史のパターンや規則性

歴史は、環境、風土、物理的、生理的、心理的過程といった自然的諸力だけから全てが説明できない。例外的な諸個人にせよ、不特定多数の大衆にせよ、個人の性格、 目的、動機が大きく関わり、道徳的、政治的な評価も含まれる。そのため、誤ったパターンや規則性の思想は、状況認識や道徳的・政治的評価に影響を与える。(アイザイア・バーリン(1909-1997))



(a)例外的な諸個人か
 民衆および社会全体の生活は、例外的な諸個人によって決定的に左右され ているのか。
(b)不特定多数の諸個人か
 生起するものは特定個人の願望や意図の結果としてではな く、不特定な多数の諸個人の願望や意図の結果として生じるのか。
(c) 個人の性格、 目的、動機が深く関係する
 いずれにしても、環境、風土、物理的、生理 的、心理的過程といった自然的諸力に関する知識だけからすべてが説明されるわけではない。そこには、個人の性格、 目的、動機が関わってくる。だれが、なにを、いつ、どこで、どの ような仕方で、要求したか、またどれほど多くの人間がどれほど烈しく、この目的を避け、あ の目的を追求したか、を究明し、さらにそうした要求なり恐れなりがいかなる環境のもとでど の程度までの効果をもったか、またそれがどういう結果になったか、を追求することが、歴史 家の仕事となる。

(d)道徳的、政治的な評価も関わる
 どうして、このような状況が生じたのか。誰が、また何が、戦争、革命、経済的崩壊、芸術・文学の復興、人間生活を変える発明発見や精神的変革、等々に対して責任をとるべきものであったのか、また責任があるのか、あるいはあるだろうか、ありうるのか。

(e)歴史にはパターン、規則性はあるのか
 歴史上の諸事件の継起に大きなパターンなり規則性を見出すことができるのではないかと いう考えは、分類や相互関連の発見や、とりわけ予言といった点における自然科学の成功から 強い印象を受けたひとびとには、当然魅力的なものとなる。

(f)歴史の規則性に関する注意
 パターンないし斉一性の認知ということが、過去あるいは 未来に関する特別な仮説に刺激を与えたり、それを立証したりするのに、どれほどの価値をも つにしても、それは一方では、現代のものの見方を決定するのにかなりいかがわしい役割を演 じてきたし、また現在ますます演じつつもあるのである。

(g)規則性の思想は状況認識や道徳的・政治 的評価に影響を与える
 歴史に規則性があるとする思想は、人間の活動や性格を 観察し記述する仕方に影響を及ぼしたばかりではなく、その活動や性格に対する道徳的・政治 的・宗教的な態度にも影響を与えた。

「歴史上の諸事件の継起に大きなパターンなり規則性を見出すことができるのではないかと いう考えは、分類や相互関連の発見や、とりわけ予言といった点における自然科学の成功から 強い印象を受けたひとびとには、当然魅力的なものとなる。そこでかれらは、「科学的」方法 の適用によって――形而上学的あるいは経験的体系で武装を固め、かれらがもっていると主張す る確実な(あるいは実際上確実な)事実の知識を基点として出発することによって――過去にお ける空隙を満たす(時としては未来の際限もない空隙のなかへ構築をしていく)べく、歴史的知識の拡大を求める。他の諸領域におけると同じく歴史の領域でも、既知なるものから未知な るものへ、あるいは少し知られているものからさらに少ししか知られていないものへと論を進 めてゆくことによって、多くのことがなされてきたし、またこれからもなされてゆくであろう ことは疑いえない。しかしながら、パターンないし斉一性の認知ということが、過去あるいは 未来に関する特別な仮説に刺激を与えたり、それを立証したりするのに、どれほどの価値をも つにしても、それは一方では、現代のものの見方を決定するのにかなりいかがわしい役割を演 じてきたし、また現在ますます演じつつもあるのである。それはたんに、人間の活動や性格を 観察し記述する仕方に影響を及ぼしたばかりではなく、その活動や性格に対する道徳的・政治 的・宗教的な態度にも影響を与えた。というのは、人間がいかに、またなぜ、現にそうである ように行動し生活しているのかを考察するときにどうしても生じてくる諸問題のなかには、人 間の動機と責任という問題が含まれているからだ。人間の行為を記述するのに、個人の性格、 目的、動機という問題を排除したら、いつだってそれは作為的で、あまりに簡潔すぎるものと なってしまう。また人間の行為を考察するときには、だれだってたんにあれこれの動機なり性 格なりが生起するものに及ぼした影響の程度と種類だけを評価するのではなく、意識的あるい は半ば意識的にそれを自分の思想ないし行動のうちに受けいれる価値尺度はいかようにもあ れ、その道徳的ないし政治的な性質をもおのずから評価しているのである。どうしてこのよう な、またあのような状況が生じたのか。だれが、またなにが、戦争、革命、経済的崩壊、芸 術・文学の復興、人間生活を変える発明発見や精神的変革、等々に対して責任をとるべきもの であったのか、またあるのか(あるいは、あるだろうか、ありうるのか)。今日、個人中心的 な歴史理論と、個人中心的でない歴史理論とが存在していることは、周知のところであろう。 一方の理論によれば、民衆および社会全体の生活は例外的な諸個人によって決定的に左右され ていることになる。これにはまた、生起するものは特定個人の願望や意図の結果としてではな く、不特定な多数の諸個人の願望や意図の結果として生じるとする学説もある。ただしこの場 合にも、その集団的な願望や目的は、人間的でない要因だけによって、または多くは人間的な らざる諸要因によって決定されているとは見られず、したがって環境、風土、物理的、生理 的、心理的過程といった自然的諸力に関する知識だけからすべてが、または大部分が引き出し うるとは考えられていない。どちらの見解についても、だれが、なにを、いつ、どこで、どの ような仕方で、要求したか、またどれほど多くの人間がどれほど烈しく、この目的を避け、あ の目的を追求したか、を究明し、さらにそうした要求なり恐れなりがいかなる環境のもとでど の程度までの効果をもったか、またそれがどういう結果になったか、を追求することが、歴史 家の仕事となる。」
 (アイザイア・バーリン(1909-1997),『歴史の必然性』(収録書籍名『歴史の必然 性』),II,pp.163-165,みすず書房(1966),生松敬三(訳))
アイザイア・バーリン
(1909-1997)





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