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2020年4月29日水曜日

倫理的問題において、第一原理の合意を差し控え、複数の原則が衝突し合う構造を解明しようとする方法は、ある程度の合意形成が可能という利点があるが、問題解決への要求を抑制し、十分な解決を与え得ない。(ディーター・ビルンバッハー(1946-))

生命倫理学における再構成的モデル

【倫理的問題において、第一原理の合意を差し控え、複数の原則が衝突し合う構造を解明しようとする方法は、ある程度の合意形成が可能という利点があるが、問題解決への要求を抑制し、十分な解決を与え得ない。(ディーター・ビルンバッハー(1946-))】

生命倫理学における再構成的モデルの利点と欠点
(1)利点
 (a)規範および規範適用における中程度のレベルでは合意形成が可能になる。
  (i)差し迫った道徳的現実問題の解決が、学術的な理論問題の解決に左右されることがない。根拠づけに関する倫理学的な議論、すなわち第一原則について合意が成立する場合は、はるかに少ない。
  (ii)かといって、純然たる手続き上の解決に委託されてしまうこともない。
 (b)複数の原則間の衝突が明確にわかる。
  (i)原則のカタログの方が、唯一の実質的または手続き上の原理を前提とするような倫理学に比べて、実際の道徳上の紛争における規範構造を、より分かりやすく示すことができる。
  (ii)最も頻繁に見られる規範の衝突は、同一状況に関連のある複数の原則に対して、さまざまに異なった重みづけをすることから生じる衝突である。
(2)欠点
 (a)問題解決への要求を抑制してしまう。
 (b)実践の場で生じるほとんどすべての道徳上の決定問題に、十分な解決を与えない。
 (c)原則の解釈と重みづけが様々に異なることから、最終的な判断を、個々人の判断力に委託してしまう。

 「生命倫理学における再構成的モデルの利点は明白である。第一に、実用的に利点がある。生命倫理学のこのモデルによれば、たとえ基本的な方向性が異なっていても、中程度のレベルでは合意形成が可能になる。中程度の合意が形成されれば、差し迫った道徳的現実問題の解決が、学術的な理論問題の解決に左右されることもなく、純然たる手続き上の解決に委託されてしまうこともない。生命倫理学で議論される問題の多くは、究極の根本問題について哲学者の意見が一致するまで待ってはくれない。「中間原則(axiomata media)」に比べれば、第一原則について合意が成立する場合の方がはるかに少ないのだから、まずは、生命倫理学における規範および規範適用に関する議論を、根拠づけに関する倫理学的な議論から切り離し、道徳的合意の根本的根拠づけに対する要求を抑制する方が望ましいのである。
 再構成的生命倫理学の第二の利点は、ビーチャムとチルドレスの例に見るような原則のカタログの方が、唯一の実質的または手続き上の原理を前提とするような倫理学に比べて、実際の道徳上の紛争における規範構造をより分かりやすく示すことができるという点にある。4つの「原則」を基準として根底に置くことからしてすでに、最も頻繁に見られる規範の衝突が、同一状況に関連のある複数の原則に対して、さまざまに異なった重みづけをすることから生じる衝突であることを示している。というのも、これらの原則が、どれ一つとして単純で妥当しえないことは、明白だからである。たとえば、無危害原則が倫理学で中心的位置を占めるとしても、場合によっては、たとえば、さらに大きな危害を避けるためには、危害を加えることも許されねばならない。また、本質的に大きな利害を可能にするためであれば、比較的に深刻度の低い危害およびリスクを加えることが許されるのも議論の余地のないところである。たとえば、命を救う可能性のある医療手段を試験するために、リスクの少ない動物実験および人体実験を行う場合、あるいは、比較的に「侵襲度が高く」、リスクが大きいものの、同時にチャンスも大きな治療法を選択する場合である。自律の原則もまた無制限に妥当するわけではない。自律尊重が、無危害原則ならびに善行の原則によって制限されることは、一般に認められており、その際には、またもや、患者の福祉を思って患者の意志に反して行われるパターナリスティックな介入がどの程度まで正当化できるかが議論の的となる。善行の原則もまた、とりわけ自律および正義の原則の側から制限が加えられる。たとえば、患者の自発的なインフォームド・コンセントによる、治療の差し控え、または治療中止の決断は、たとえその決断がほぼ確実に、患者の最善の利益に反するとしても、尊重されるべきであるという考えは、広く認められているのである。
 以上のような利点がある一方では、実践面でも理論面でも数多くの欠点が存在する。再構成的モデルの実践面での本質的な欠点は、このモデルが問題解決への要求を抑制してしまったため、実践の場で生じるほとんどすべての道徳上の決定問題に十分な解決を与えないまま、原則を拠りどころとしない個々人の判断力に委託してしまうところにある。そのために、実践の場では、再構成的なアプローチによって生まれた合意形成への期待は、中でも原則の解釈および重みづけがさまざまに異なることから、すぐに偽りの期待であることが分かってしまうのである。」
(ディーター・ビルンバッハー(1946-),アンドレアス・クールマン序文,『生命倫理学:自然と利害関心の間』,第1部 生命倫理学の根本問題,第1章 どのような倫理学が生命倫理学として役に立つのか,3 再構成的モデルの利点と欠点,pp.43-44,法政大学出版局(2018),加藤泰史(翻訳),高畑祐人(翻訳),中澤武(監訳),山蔦真之)
(索引:生命倫理学,再構成的モデル,第一原理,倫理的原則)

生命倫理学: 自然と利害関心の間 (叢書・ウニベルシタス)


(出典:dieter-birnbacher.de
ディーター・ビルンバッハー(1946-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「ウィトゲンシュタインは、根拠には終わりがあり、根拠づけられた信念の根底には「根拠づけられていない信念」がある、と言っている。われわれもまた、他でもない倫理学において、すぐにウィトゲンシュタインと同じことを言わなければならない地点に到達せざるをえないのではないだろうか。
 ここで一つの重要な区別をしておく必要がある。それは、強制力のある根拠と蓋然性による根拠の区別である。強制力のある根拠の場合には、理性的に思考する者ならば選択の余地がない。」(中略)
 「そもそも、倫理学に強制力のある根拠が在りうるだろうか。私は、在ると思う。しかも、道徳という概念の意味論から導き出される条件、つまり、ある原則に付与された「道徳的」原則という標識と概念分析的に結び付いている、メタ倫理学的規範の総体から導き出される条件、たとえば、論理的普遍性という条件および普遍的妥当性の主張を考慮したうえで、〔倫理学には強制力のある根拠が〕在ると思うのである。必要な論理的普遍性を示していないか、あるいは、信頼に足る仕方で普遍的妥当性要求を申し立てないような原則を道徳的原則と認めることは全然できない、という強制力をもった議論は可能なのである。」
(ディーター・ビルンバッハー(1946-),アンドレアス・クールマン序文,『生命倫理学:自然と利害関心の間』,第1部 生命倫理学の根本問題,第1章 どのような倫理学が生命倫理学として役に立つのか,4 基礎づけモデル――原則の根拠づけおよび原則の応用,pp.50-51,法政大学出版局(2018),加藤泰史(翻訳),高畑祐人(翻訳),中澤武(監訳),山蔦真之)
(索引:)

ディーター・ビルンバッハー(1946-)
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