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2022年2月25日金曜日

25.人々が集団的意思決定に際して平等な発言権を持つべきだという感覚が存在し、かつ、決定事項を実行に移すことができる強制力を持った装置が存在するとき、多数派民主主義が成立する。しかし、採決は屈辱、恨み、憎しみを残す。コンセンサスによる意思決定はいかにして可能かが問題である。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))

多数派民主主義とコンセンサスによる意思決定

人々が集団的意思決定に際して平等な発言権を持つべきだという感覚が存在し、かつ、決定事項を実行に移すことができる強制力を持った装置が存在するとき、多数派民主主義が成立する。しかし、採決は屈辱、恨み、憎しみを残す。コンセンサスによる意思決定はいかにして可能かが問題である。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))


(1)多数派の決定を強制する手段が存在しない社会
 (a)コンセンサスによる意思決定が典型的に見られる社会とは、少数派に対して、多数派の決定への同意を強制する手段が見出せないような社会である。
 (b)平等志向 の社会が存在するところでは、普通は、一律に強制を課すのは良くないことだと考えられてい た。

(2)強制力を備えた機関が存在する社会
 強制力を備えた機関が存在するところでは、何であれ民衆の意志の実現に尽くそ うなどということは、そうした機関を行使する人びとの脳裏に浮かぶことさえなかった。
(3)多数派民主主義の発生条件
 人類の歴史の大部分において、以下の両条件が同時に満たされることは極めて稀であった。
 (a) 人びとが集団的意思決定に際して平等な発言権を持つべきだという感覚が存在する。
 (b)決定事項を実行に移すことができる強制力を持った装置が存在する。
(4)コンセンサスによる意思決定のために
 (a)採決は屈辱、恨み、憎しみを残す
  採決とは、公の場でなされる勝負であって、そこで は誰かが負けを見ることになる。投票やその他の方式による採決は、屈辱や恨みや憎しみを確実にするのに最適な手段であって、究極的にはコミュニティの破壊をすら、引き起こしかねな い。
 (b)コンセンサスによる意思決定
  (i)コンセンサスによる意思決定とは、誰ひとりとして同意を拒もうと思うほどには異議を 感じないような決定を生み出すためになされる、妥協と総合のプロセスである。
  (ii)重要なのは、自分の意見が完全に無視されたと感じて、立ち去ってしまう者が誰もいな いようにすること、そして自分が属する集団が間違った決定をしたと考える人びとさえもが、 受け身の黙諾を与える気になるようにと計らうことである。  


「私としては、次のような説明を提案したいと思う。対面関係から成り立っているコミュニ ティにおいては、構成員の大部分が望んでいるのは何かを突き止めることのほうが、それを望 まない少数者の心を変えるにはどうしたらいいかを考えることよりもずっと簡単なのだ。コン センサスによる意思決定が典型的に見られる社会とは、少数派に対して、多数派の決定への同意を強制する手段が見出せないような社会である。強制力を独占する国家が存在しない場合で あれ、国家が局所的になされる意思決定に無関心であるか介入傾向を持たない場合であれ。多 数派の決定を快く思わない人びとを当の決定に従うよう強制する手段が存在しないのであれ ば、採決を取るというのは最悪の選択だ。採決とは、公の場でなされる勝負であって、そこで は誰かが負けを見ることになる。投票やその他の方式による採決は、屈辱や恨みや憎しみを確 実にするのに最適な手段であって、究極的にはコミュニティの破壊をすら、引き起こしかねな い。現代的な直接行動グループをやっていくためのファシリテーション・トレーニングを受け たことのある活動家であれば誰でも心得ているはずのことだけれど、コンセンサス・プロセス は議会での討論と同じものではなく、コンセンサスを見出すのは投票による採決とはまったく 別のなにかだ。反対に、そこにあるのは、誰ひとりとして同意を拒もうと思うほどには異議を 感じないような決定を生み出すためになされる、妥協と総合のプロセスである。それはつま り、私たちが普通行っている二つの水準――意思決定とその実施――の区別が、ここではなし崩し になっているということだ。もちろん、誰もが同意しなければならない、ということではな い。コンセンサスの諸形態のほとんどにおいては、程度を異にする不合意の多様な形態が認め られる。重要なのは、自分の意見が完全に無視されたと感じて立ち去ってしまう者が誰もいな いようにすること、そして自分が属する集団が間違った決定をしたと考える人びとさえもが、 受け身の黙諾を与える気になるようにと計らうことである。  言ってみれば、多数派民主主義が発生するのは以下の二つの条件が同時に満たされた場合の みなのだ。  一、人びとが集団的意思決定に際して平等な発言権を持つべきだという感覚の存在、そして  二、決定事項を実行に移すことができる強制力を持った装置の存在。  人類の歴史の大部分において、両者が同時に満たされることは極めて稀であった。平等志向 の社会が存在するところでは、普通は、一律に強制を課すのは良くないことだと考えられてい た。反対に、強制力を備えた機関が存在するところでは、何であれ民衆の意志の実現に尽くそ うなどということは、そうした機関を行使する人びとの脳裏に浮かぶことさえなかったの だ。」

 (デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『民主主義の非西洋起源について』,第2章 民主主 義はアテネで発明されたのではない,pp.45-47,以文社(2020),片岡大右(訳))

【中古】民主主義の非西洋起源について:「あいだ」の空間の民主主義/デヴィッド・グレーバー、片岡大右





デヴィッド・グレーバー
(1961-2020)






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