2019年3月30日土曜日

義務や正・不正を基礎づけるものとして、人々が考えついた様々な成句:道徳感覚、共通感覚、悟性、永久不変の正義の規則、事物の適性との調和、自然法、理性の法、自然的正義、公正、良い秩序、神の啓示。(ジェレミ・ベンサム(1748-1832))

義務や正・不正を基礎づけるもの

【義務や正・不正を基礎づけるものとして、人々が考えついた様々な成句:道徳感覚、共通感覚、悟性、永久不変の正義の規則、事物の適性との調和、自然法、理性の法、自然的正義、公正、良い秩序、神の啓示。(ジェレミ・ベンサム(1748-1832))】

 何が正しく何が不正かを教えてくれるという「道徳感覚」と同じように、人々が考えついた様々な表現の仕方がある。
(a)何が正しく何が不正かは、私たちの「共通感覚」が教えてくれる。
 (a.1)共通感覚は、人間が持っている普遍的な感覚であり、すべての人が持っている。
 (a.2)特別の人だけが持てる特殊な感覚ではなく、私たちが共通に持っている。
 (a.3)それにもかかわらず、同じ感覚を持っていない人の感覚は、どのように扱われるのか。それは、考慮する価値のないものとして排除されることになる。
(b)何が正しく何が不正かは、私たちの「悟性」が教えてくれる。
 (b.1)しかし、悟性とは何なのか。
(c)何が正しく何が不正かは、「永久不変の正義の規則」が教えてくれる。
 (c.1)道徳感覚や共通感覚は、永久不変の正義の規則に由来して生じるものである。
 (c.2)しかし、永久不変の正義の規則とは何なのか。
(d)何が正しく何が不正かは、「事物の適性と調和するか、一致しないか」に由来する。
 (d.1)しかし、何が「調和的」であり、何が「一致しない」ことなのか。
(e)何が正しく何が不正かは、「自然法」が教えてくれる。
 (e.1)道徳感覚や共通感覚は、自然法に由来して生じるものである。
 (e.2)しかし、自然法とは何なのか。
(f)何が正しく何が不正かは、「理性の法」、「正しい理性」、「自然的正義」、「自然的公正」、「良い秩序」が教えてくれる。
 (f.1)いずれも、問題になっている事柄が、ある適切な基準に従っていることを表現している。
 (f.2)しかし、適切な基準は具体的には何なのか。
 (f.3)この基準は、多くの場合、功利性である。明確に言えば、快と苦痛による基準である。
(g)何が正しく何が不正かは、「私が知っている」と率直に言う人がいる。その人は、神に選ばれた人である。
 これらの成句は、それが根拠とする基準と、論拠として認められ得る意味と範囲が確定されない限りは、自己の主観的な感覚・感情に基づいた根拠の曖昧な主張を、世間と自己自身に隠し立てておくための表現にしかならない。

(出典:wikipedia
ジェレミ・ベンサム(1748-1832)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
ジェレミ・ベンサム(1748-1832)
検索(ベンサム)

 「以下の一節は彼の最初の体系的著作である『道徳と立法の原理序説』からのものであるが、彼の哲学体系の長所と短所をこれ以上にはっきりと示しているものを引用することはできないだろう。
 『きわめて一般的で、それゆえにきわめて許容されうる自己充足を世間から、そして可能なら自分自身からも隠し立てておくために、人々が考えついたさまざまな作り事や人々が持ちだしてきたさまざまな成句を調べてみることはなかなか興味深いことである。
 1、ある人が言うには、人が何が正しくて何が不正であるかを自分に教えることを目的として作られているものを持っており、それは「道徳感覚(moral sense)」と呼ばれている。彼は安心して仕事に取りかかり、これこれのことは正しく、これこれのことは不正であると述べ、なぜかと聞かれたならば「私の道徳感覚がそのように教えてくれているから」と答える。
 2、別の人はその成句を修正して、《道徳》という言葉を省いて、そこに《共通》という言葉を挿入する。そうして、その人は、自分の共通感覚(common sense)が、他の人の道徳感覚がそうしているのと同じくらい確実に、何が正しくて何が不正なのかを教えてくれると述べる。共通感覚とはすべての人間が持っている何らかの感情のことを意味していると述べる。そして、論者と同じ感覚をもっていない人の感覚は考慮する価値のないものとして排除される。この工夫は道徳感覚よりも優れている。というのも、道徳感覚は新奇なものなので、人にそれを見出すことがなくてもその人に好感をもつかもしれないが、共通感覚は人の創造と同じくらい古くからあるものなので、同胞と同じような共通感覚をもっていないと思われることを恥ずかしいと思わない人はいない。それはもうひとつ別の利点をもっており、それは権力を共有しているように見せかけることで妬みを小さくするというものである。というのは、ある人がこの根拠に基づいて自分と異なっている人を呪おうとするときには、「我かく欲し、かく命ず」とは言わずに、「汝の欲するごとく命ぜよ」と言うからである。
 3、また別の人は、道徳感覚なるものが実際にあるとは思えないけれども、私は《悟性》(understanding)をもっており、それもきわめて役立つものであると述べる。その人が言うには、この悟性が正・不正の基準であり、いろいろなことを教えてくれる。善良で賢明な人はみな、自分と同じように悟性を働かせている。他の人々の悟性がいずれかの点で自分と違っているとしたら、間違っているのは彼らであり、それは彼らに何かが欠けているか間違っているかの兆候なのである。
 4、また別の人は、永久不変の正義の規則があり、その正義の規則がいろいろなことを命じていると述べる。その上で、その人は真っ先に思い浮かぶものについての自らの感情を認めさせようとする。その感情は永久的な正義の規則から数多く派生したものである(と思うしかなくなるだろう)。
 5、他の人は、あるいは同じ人かもしれないが(それはどうでもよいことである)、事物の適性と調和する行為もあれば、それと一致しない行為もあると述べる。それから、その人は暇にまかせて、どのような行為が調和的であり、どのようなものが一致しないのか語るだろうが、その人が何となくその行為を好んでいるか嫌っているかに応じてそうするのである。
 6、大多数の人々が、自然法についてつねに語り、その上で彼らは何が正しくて何が不正なのかに関する自分たちの感情を表明しようとしており、人はその感情が自然法の数多くの章節を構成しているものであることを知ることになるだろう。
 7、自然法という成句の代わりに、時には理性の法、正しい理性、自然的正義、自然的公正、良い秩序という成句が用いられる。そのいずれもが同じように用いられる。最後のものは政治学においてもっとも用いられている。最後の3つのものは他のものにくらべたらましである。というのは、成句が意味している以上のものをそれほどはっきりとは主張していないからである。それらはそれ自体で多くの積極的基準とみなされることをごくわずかしか求めておらず、どのような基準であっても、問題になっている事柄が適切な基準に従っていることを表現している成句として時おり受け取られることで満足しているように思われる。しかし、多くの場合、[その基準は]《功利性》であるというのがよいだろう。《功利性》はより明確に快と苦痛に言及しており、より明快なものである。
 8、ある哲学者が言うには、嘘をつくということ以外にこの世界には有害なものはなく、たとえば、もし人が自分自身の父親を殺害しようとしているならば、これは彼がその人の父親ではないということを述べる一つの仕方にすぎないことになるだろう。もちろん、この哲学者は自分が好まないものを見たときには、それは嘘をつく一つの仕方であると述べるだろう。それは、《実際には》行為がなされるべきでないときに、その行為はなされるべきであり、なされてもよいと言っているようなものである。
 9、彼らすべてのなかでもっとも聡明でもっとも率直なひとははっきりと意見を述べるような人であり、自分は選ばれし人の一人であると述べている。今や神自らが選ばれし人に何が正しいかを知らせるように取り計らっており、それはよい効果をもっているので、選ばれし人は非常に努力するようになり、何が正しいかを知るだけでなく実践せずにはいられなくなる。それゆえ、何が正しくて何が不正なのかを知りたいと思うならば、人は選ばれし私のところに来る以外にない。』
 これらの成句やそれに類似したものが、ベンサムが理解していた程度のものにすぎないという見解をもっている人はほとんどいないように思われる。しかし、これらの成句が訴える基準が確かめられ、論拠として認められうる《意味》と《範囲》が的確に明らかにされるまでは、これらの成句の意味は完全に分析されており、より正確な言葉に言い換えられており、これらの成句は根拠として通用しうるということを、今日では思想家として権威ある人は誰もあえて主張しようとしないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『ベンサム』,集録本:『功利主義論集』,pp.109-113,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:道徳感覚,共通感覚,悟性,永久不変の正義の規則,事物の適性との調和,自然法,理性の法,自然的正義,公正,良い秩序,神の啓示)

功利主義論集 (近代社会思想コレクション05)


(出典:wikipedia
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)

ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)
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近代社会思想コレクション京都大学学術出版会

(a)歳費(約129万円/月),(b)期末手当(約540万円/年),(c)文書・交通費(100万円/月),(d)立法調査費(65万円/月),(e)公設秘書2人と政策秘書1人分の給料(約2000万円/年),(f)議員宿舎,(g)帰省費用(新幹線無料パスまたは航空券4往復/月),(h)海外視察(約200万円)など。(池上彰(1950-))

国会議員1人当たり費用(2018年現在)

【(a)歳費(約129万円/月),(b)期末手当(約540万円/年),(c)文書・交通費(100万円/月),(d)立法調査費(65万円/月),(e)公設秘書2人と政策秘書1人分の給料(約2000万円/年),(f)議員宿舎,(g)帰省費用(新幹線無料パスまたは航空券4往復/月),(h)海外視察(約200万円)など。(池上彰(1950-))】
 「2018年現在、国会議員に支払われる「歳費」(給与)は月額129万4000円で、これにボーナスにあたる期末手当約540万円も加わるため、年間で約2100万円となります。これ以外に、文書・交通費として、毎月100万円ずつ支払われます。年間で1200万円です。これには税金がかからず、まるまる受け取ることができます。
 また、議員個人に対してではありませんが、議員が所属している党に、議員1人あたり月65万円の立法調査費が支払われます。これは、法案を作成したり、そのために調査をしたりするための費用です。
 さらに、議員1人につき公設秘書2人と政策秘書1人分の給料が支払われます。これは秘書の経験によって異なるのですが、合計すると2000万円程度は支払われます。これだけで、ざっと6000万円が税金から支払われていますね。
 これ以外にも、議員会館や議員宿舎の維持管理費がかかります。議員宿舎は地方選出の議員が東京で仕事をするために用意されたものです。緊急時にも国会に駆けつけられるように都心の一等地にあるのは当然といえます。ただし、東京に自宅を持つ地方選出の議員もいます。そうした人たちにまで議員宿舎が割りあてられていることに対しては、国民のあいだに批判的な声も少なくありません。
 ほかにも、はっきりとは見えないところで議員に税金が使われています。たとえば、国会と議員宿舎を結ぶ議員専用の無料バス。衆参両院で計200台の黒塗りの専用車も用意されています。議員が地元と東京を往復できるように新幹線グリーン車が乗り放題の無料パスか、月4往復分の航空券ももらえます。新幹線が走っていなくても、毎週無料で飛行機に乗って地元に帰ることができるわけですね。
 まだまだあります。国会議員の海外視察にも公費が出ます。年間一人あたり約200万円までなら議員の負担はないのです。飛行機はファーストクラスが使えます。
 細かい話をすれば、もっとあります。議員会館の各部屋には内線電話1回線と、外線電話2回線があります。東京都内だったら無料でかけ放題。外線電話の基本料金も公費です。
 もちろん、議員は国民の代表。必要なお金を税金で負担するのは当然のこと。たとえば、鉄道の無料パスなどがあることで、お金がない地方選出の議員でも国政に関わることができるわけです。
 でも、そうしたお金がはたして無駄づかいされていないのか、チェックしていく必要がありますね。」
(池上彰(1950-),『イラスト図解 社会人として必要な経済と政治のことが5時間でざっと学べる』PART2 政治,第1章 「国会議員」はどんなことをしている?,01 国会議員の給料はどれくらい?,pp.182-185,KADOKAWA(2018))
(索引:国会議員1人当たり費用(2018年現在))

イラスト図解 社会人として必要な経済と政治のことが5時間でざっと学べる


(出典:wikipedia
池上彰(1950-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「あなたが同じ立場だったらどうするか?
 もし、あなた方があのときにそのチッソの水俣工場で働いている社員だったら、どうしますか、ということです。つまり熊本県でも有数の企業です。水俣にとってはいちばん大手の企業です。水俣で生まれ育って、学校を出て、チッソに就職するというのは地元の人にとってはいちばんのエリートコースですよね。それこそ、みなさんがもしチッソに就職が決まったと報告をすれば、家族はもちろん親戚もみんな、「いやあいいところに就職したね、よかったね」と祝福してくれるはずです。もちろん、プラスチックの可塑剤という、日本という国が豊かになるときに必要なものをつくっているわけですから、みんな誇りを持って働いていたはずです。ところがやがて、そこから出てくる廃水が原因で、地元の住民に健康被害が出る、という話が聞こえるようになってきた。さあ、みなさんは果たしてどんな行動をとりますか、ということです。当時のチッソの社員たち。たとえば病院の医師が、原因究明のために猫を使って実験をしていた。でも会社から、そんな実験はやめろ、と言われたからやめてしまった。あるいは多くの社員は気がついていたからこそ、排水口の場所を変えたわけです。それによってさらに被害を広めてしまった。労働組合が分裂をして、そこで初めて、企業の仕打ちに気がついた社員たちが声を上げるようになった。さあ、もしそういうことになったら、みなさんはどういう態度をとりますか。
 いまの日本は廃水の基準に厳しいですから、何かあればすぐわかるでしょう。でもいま、実は、まったく同じようなことが中国のあちこちで起きています。開発途上国で同じようなことが起きているのですね。みなさんが就職をしました。そこの会社が実は、東南アジアあるいはアフリカに、現地の工場を持っている。現地の工場に、要員として派遣されました。そこで働いていた。そうしたらその周辺で、健康被害が出ている住民たちがいることに気がついた。あなたはどういう態度をとるのか。まさにそれが問われている、ということなのですね。決して他人事ではないのだということがわかっていただけるのではないでしょうか。」
(池上彰(1950-),『「経済学」講義 歴史編』lecture5 高度経済成長の歪み,pp.228-229,KADOKAWA(2015))
(索引:)

池上彰(1950-)
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社会に対する貢献以上の報酬を得る方法:(a)参入障壁の構築と独占の維持、(b)競争障壁の構築、(c)市場の透明性を低下させること、(d)これら反競争的行為が規制されないための政治的対策。(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-))

社会に対する貢献以上の報酬を獲得する方法

【社会に対する貢献以上の報酬を得る方法:(a)参入障壁の構築と独占の維持、(b)競争障壁の構築、(c)市場の透明性を低下させること、(d)これら反競争的行為が規制されないための政治的対策。(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-))】

(4.1.1)、(4.1.2)、(4.2.1)、(4.2.2)追記。

(4)2つの考え方
 (4.1)全体の社会的利益を最大化させようとするには、政府の適切な矯正作業が必要である。
  (4.1.1)市場における公正な競争を維持する。
   (i)市場に競争性があるとき、正常な資本収益率を上回る利潤は持続できなくなる。なぜなら、企業が商品の利幅を大きくすれば、ライバル会社が価格引き下げを武器に、顧客を奪い取ろうとしてくるからだ。
   (ii)複数の企業が活発な競争を繰り広げると、商品価格は利潤がゼロになるレベルまで下落していく。
  (4.1.2)市場における透明性が高まれば高まるほど、競争は激しくなりやすい。
 (4.2)社会に対する貢献以上の個人的報酬を獲得しようとするには、政府の規制は少ないほうが都合がいい。
  (4.2.1)儲けを大きくするために、市場の競争性を低下させ、独占力を確保すること。
   (i)参入障壁や、競争の障壁を構築する。
   (ii)反競争的行為が法律で禁止されないように対策する。
   (iii)仮に法律が存在する場合は、実効的な取り締まりが行なわれないよう対策する。
  (4.2.2)市場の透明性を低下させる。
   (i)例として、公開市場ではなく店頭市場を利用し、買い手には必要な情報を与えず、取引を有利に進める。

 「ここからは、市場を“うまく機能させない”ために、民間の金融機関が講じる手段をいくつか紹介していこう。アダム・スミスが述べたように、企業には市場の競争性を低下させようとするインセンティブが働く。さらに企業は、反競争的行為がきびしい法律で禁止されないように手を打ち、すでに法律が存在する場合は、実効的な取り締まりが行なわれないようにあらゆる手段を尽くす。事業家たちが重視するのは、社会の繁栄とは何かを広く知らしめることでもなければ、市場の競争性を高めることでもない。彼らの目的は、“自分に都合よく”市場を機能させ、より大きな利潤を手にすることだけだ。しかし、これらの行為はたいていの場合、経済の効率性を低下させ、不平等を拡大させる結果に終わる。
 ここではひとつの実例を挙げれば充分だろう。市場に競争性があるとき、正常な資本収益率を上回る利潤は持続できない。なぜなら、企業が商品の利幅を大きくすれば、ライバル会社が価格引き下げを武器に、顧客を奪い取ろうとしてくるからだ。複数の企業が活発な競争を繰り広げると、商品価格は利潤がゼロになるレベルまで下落し、大儲けをもくろむ者たちには不幸な結果が訪れる。ビジネススクールで生徒たちが教わるのも、利潤が浸食されるのを防ぐために、どうやって競争の障壁――参入障壁をふくむ――を理解し、どうやって実際に障壁を構築するかという点だ。過去30年の重大なビジネス・イノベーションの一部は、経済効率の向上に主眼を置いていなかった。重視されたのは、独占力を確保することと、個人的報酬と社会的利益を合致させるための政府規制をすりぬけることだった。
 好んで使われるのは、市場の透明性を低下させる手法だ。透明性が高まれば高まるほど、市場における競争は激しくなりやすい。銀行家たちはこの事実を知っている。だからこそ銀行業界は、〈AIG〉の没落の中心的役割を果たした危険な金融商品、デリバティブの引き受け事業を展開するにあたって、不透明な“店頭市場”での取引を必死に守りつづけたのだ。店頭市場では、良い取引と悪い取引を消費者が見極めるのは難しい。透明性の高い現代の公開市場とは対照的に、店頭市場ではすべてが交渉で決まる。売り手が絶え間なく取引を行なう一方、買い手はたまにしか市場を訪れないため、売り手は買い手よりも多くの情報を持ち、その情報を使って取引を有利に進める。要するに、おしなべて見ると、売り手〈デリバティブを引き受ける銀行〉は店頭市場でなら、顧客から多くの金を引き出せるわけだ。
 このような透明性の欠如は、銀行家たちの利益をふくらませる一方、経済全体を落ち込ませるという結果を招く。良い情報が入手できなければ、資本市場は本来の機能を発揮できない。最も収益率の高い事業に、もしくは、最も運用成績の高い銀行に、必ずしも資金が流れ込むとはかぎらないからだ。現在、各金融機関が業界内でどんな位置を占めているかという実情を知る者はひとりとしていない。原因のひとつは、不透明なデリバティブ取引だ。最近の世界金融危機を受けて、状況の変化を期待する向きもあるだろうが、銀行家たちはデリバティブ取引の透明化にも、反競争的行為を取り締まる規制にも抵抗した。このようなレントシーキング活動は、彼らにとって数百億ドル分の価値があった。金融界がすべての抵抗活動に勝利を収めたわけではないが、彼らの通算成績は、問題を今日まで長らえさせるだけの効果を持っていた。たとえば、2011年10月末にアメリカの大手金融機関が破綻したが(負債総額は史上第8位)、原因のひとつは複雑なデリバティブ取引だった。あきらかに市場は、少なくとも問題が表面化するまで、デリバティブ取引の本質を見透かせなかったのである。」
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『不平等の代価』(日本語書籍名『世界の99%を貧困にする経済』),第2章 レントシーキング経済と不平等な社会のつくり方,pp.80-82,徳間書店(2012),楡井浩一,峯村利哉(訳))
(索引:参入障壁,競争障壁,市場の透明性,反競争的行為)

世界の99%を貧困にする経済


(出典:wikipedia
ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「改革のターゲットは経済ルール
 21世紀のアメリカ経済は、低い賃金と高いレントを特徴として発展してきた。しかし、現在の経済に組み込まれたルールと力学は、常にあきらかなわけではない。所得の伸び悩みと不平等の拡大を氷山と考えてみよう。
 ◎海面上に見える氷山の頂点は、人々が日々経験している不平等だ。少ない給料、不充分な利益、不安な未来。
 ◎海面のすぐ下にあるのは、こういう人々の経験をつくり出す原動力だ。目には見えにくいが、きわめて重要だ。経済を構築し、不平等をつくる法と政策。そこには、不充分な税収しか得られず、長期投資を妨げ、投機と短期的な利益に報いる税制や、企業に説明責任をもたせるための規制や規則施行の手ぬるさや、子どもと労働者を支える法や政策の崩壊などがふくまれる。
 ◎氷山の基部は、現代のあらゆる経済の根底にある世界規模の大きな力だ。たとえばナノテクノロジーやグローバル化、人口動態など。これらは侮れない力だが、たとえ最大級の世界的な動向で、あきらかに経済を形づくっているものであっても、よりよい結果へ向けてつくり替えることはできる。」(中略)「多くの場合、政策立案者や運動家や世論は、氷山の目に見える頂点に対する介入ばかりに注目する。アメリカの政治システムでは、最も脆弱な層に所得を再分配し、最も強大な層の影響力を抑えようという立派な提案は、勤労所得控除の制限や経営幹部の給与の透明化などの控えめな政策に縮小されてしまう。
 さらに政策立案者のなかには、氷山の基部にある力があまりにも圧倒的で制御できないため、あらゆる介入に価値はないと断言する者もいる。グローバル化と人種的偏見、気候変動とテクノロジーは、政策では対処できない外生的な力だというわけだ。」(中略)「こうした敗北主義的な考えが出した結論では、アメリカ経済の基部にある力と闘うことはできない。
 わたしたちの意見はちがう。もし法律やルールや世界的な力に正面から立ち向かわないのなら、できることはほとんどない。本書の前提は、氷山の中央――世界的な力がどのように現われるかを決める中間的な構造――をつくり直せるということだ。
 つまり、労働法コーポレートガバナンス金融規制貿易協定体系化された差別金融政策課税などの専門知識の王国と闘うことで、わたしたちは経済の安定性と機会を最大限に増すことができる。」

  氷山の頂点
  日常的な不平等の経験
  ┌─────────────┐
  │⇒生活していくだけの給料が│
  │ 得られない仕事     │
  │⇒生活費の増大      │
  │⇒深まる不安       │
  └─────────────┘
 経済を構築するルール
 ┌─────────────────┐
 │⇒金融規制とコーポレートガバナンス│
 │⇒税制              │
 │⇒国際貿易および金融協定     │
 │⇒マクロ経済政策         │
 │⇒労働法と労働市場へのアクセス  │
 │⇒体系的な差別          │
 └─────────────────┘
世界規模の大きな力
┌───────────────────┐
│⇒テクノロジー            │
│⇒グローバル化            │
└───────────────────┘

(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『アメリカ経済のルールを書き換える』(日本語書籍名『これから始まる「新しい世界経済」の教科書』),序章 不平等な経済システムをくつがえす,pp.46-49,徳間書店(2016),桐谷知未(訳))
(索引:)

ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
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