2020年3月19日木曜日

幾何学は、座標系によらない不変な性質や不変な関係を取り出そうとする。そこで、物理学が観測者ごとに違って見えるさまざまな現象を、普遍的法則によって捉えようとするとき、幾何学が有効になるのである。(谷村省吾(1967-))

物理学と幾何学

【幾何学は、座標系によらない不変な性質や不変な関係を取り出そうとする。そこで、物理学が観測者ごとに違って見えるさまざまな現象を、普遍的法則によって捉えようとするとき、幾何学が有効になるのである。(谷村省吾(1967-))】
 「本特集のタイトル「幾何学的物理観」を見ているうちにメラメラと燃える想いがこみ上げてきた.私が熱い想いを込めて提起したいのは「なぜ物理に幾何学が必要なのだろう?なぜ物理に幾何学はこうも有効なのだろう?」という問いである.
 この問いにはこう答えられる.結局,物理学は,観測者ごとに違って見えるさまざまな現象を,普遍的法則によって捉えようとする試みである.一方,幾何学は,座標系の採り方によって見かけが変わる図形から,座標系によらない不変な性質や不変な関係を取り出そうとする数学である.したがって幾何学が物理学を語るのに適切な言語になるのは,当然のなりゆきなのである.」
「座標系によらない量子力学,多様体上の量子力学」谷村省吾 名古屋大学
(索引:物理学と幾何学)

(出典:名古屋大学
谷村省吾(1967-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「最近(2020年)、時間の哲学と心の哲学の問題に関わることが多くなり、「意識とは何か、物理系に意識を実装できるか」という問題を本格的に考えたいと思うようになった。裏プロジェクトとして意識の科学化を考えている。
 「科学で扱えるものと扱えないとされるもののギャップ」は、心得ておくべきではあるが、ギャップにこそ重要な問題が隠されており、ギャップを埋める・ギャップを乗り越えることによって科学は進歩してきたとも言える。」(中略)
 「物理学におけるギャップの難問として次のようなものがある。マクロ系によるミクロ系の観測に伴う波束の収縮、量子系から古典系の創発、相対論的系から非相対論的系の出現、可逆力学系から不可逆系の出現、意識なきものから意識あるものの出現「いまある感」の起源、などがそのような例であるが、これらは地続きの問題であり、いずれも機が熟すれば科学的に究明されるべき課題だと私は考えている。」(後略)
(研究の裏で私が意識していること 谷村省吾 名古屋大学谷村省吾(1967-)

谷村省吾(1967-)
TANIMURA Shogo@tani6s
谷村省吾(名古屋大学)
谷村省吾(researchmap)
検索(谷村省吾)

原因が先に起こり結果はその後で起こるという原理(因果律)と、ある場所で起きる出来事は、遠く離れた別の場所で起きる出来事に瞬時に影響を与えることはないという原理(局所性)に反する現象は、見つかっていない。(谷村省吾(1967-))

因果律と局所性

【原因が先に起こり結果はその後で起こるという原理(因果律)と、ある場所で起きる出来事は、遠く離れた別の場所で起きる出来事に瞬時に影響を与えることはないという原理(局所性)に反する現象は、見つかっていない。(谷村省吾(1967-))】
 「局所性とは【ある場所で起きる出来事は,遠く離れた別の場所で起きる出来事に瞬時に影響を与えることはない(本誌 p.39)】という,自然現象なら当然そうなっていると思われる性質のことをいう。ただ,そもそも影響とは何か?と問い質すと,なかなか厄介ことになるので,そこは常識的な意味で捉えておいてほしい。
 因果律とは【原因が先に起こり結果はその後で起こる(本誌 p.40)】,時間を遡って未来から過去に影響が及ぶことはない,という法則である。ここでも,そもそも原因とは何か?結果とは何か?影響とは何か?過去と未来とは何か?と疑い出すと,因果律の明瞭な定義を与えるのはじつは難問であり,哲学の問題としても物理学の問題としてもいまだに議論は決着していない,と私は思う。しかし,ここでは原因・結果などの定義は問い質さないでおこう。」
(中略)
「本誌記事では,マクロ古典物理の常識である実在概念・局所性・因果律を前提としてベル不等式を導いた。そして,実験ではベル不等式が破れていることが判明したので,実在概念・局所性・因果律のどれかは実際には成り立っていないはずだと指摘し,とくに実在概念を疑い,物理量の値の実在性を放棄しなければならないと結論した。さらに,量子論では物理量の掛け算は非可換であり,物理量の値がなくても正しい計算ができることを示した。しかし,これらの検討の過程で(本誌 p.41~43)局所性と因果律はあまりしつこく疑わなかった。局所性と因果律を許容して,実在性だけを疑うのはなぜか?という疑問を持たれるのも当 然だと思うので,その点について説明を補っておく。
局所性と因果律に関して次のような事実が知られている:
 1) 局所性と因果律はマクロな古典世界で何度も確かめられている常識である。
 2) ミクロ世界の物理法則である相対論的場の量子論は局所性と因果律を尊重するようにできている。
 3) その理論が合わない現象はない。
 4) 超光速粒子(もしあれば局所性と因果律を破る)は実験家たちが探しているけれども一度も見つかっていない。
 以上のような理由から局所性と因果律はおいそれと放棄するわけにはいかないのである。それに比して,「測定しなかった物理量が,測定したときと同様に測定値を持っている」という実在概念は,古典物理の世界では一度も確かめられていない信念である。字句意義からして,「測らなかった値が,測った値に等しいかどうか」は確かめようがない。だからこそ実在概念が疑われるのである。
 ベルの不等式とクラウザーたちの思考実験とアスペの実験の驚くべきところは,局所性と因果律が正しいと仮定した上で「測らなかった値が,測ったときと同じように実在しているか」という,肯定も否定もできなさそうな問いを物理実験でテスト可能にしたところにある。しかもアスペ実験は明確に否定的な答えを出した。
 局所性や因果律が成り立たない世界を想定すると,我々が住み慣れた世界とはかなり異なった世界になる。そのような理論を作ってもよいが,「何でもありな理論」になりがちだ。そのような理論はアスペ実験を説明できるかもしれないが,いままでに実現したことがない奇妙な現象(テレパシーや過去への通信など)も起こってよいという予測を与えてしまう。」
『「揺らぐ境界? 非実在が動かす実在」を読んでいろいろ疑問が湧いた人のための補足谷村省吾 名古屋大学
(索引:因果律,局所性)

(出典:名古屋大学
谷村省吾(1967-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「最近(2020年)、時間の哲学と心の哲学の問題に関わることが多くなり、「意識とは何か、物理系に意識を実装できるか」という問題を本格的に考えたいと思うようになった。裏プロジェクトとして意識の科学化を考えている。
 「科学で扱えるものと扱えないとされるもののギャップ」は、心得ておくべきではあるが、ギャップにこそ重要な問題が隠されており、ギャップを埋める・ギャップを乗り越えることによって科学は進歩してきたとも言える。」(中略)
 「物理学におけるギャップの難問として次のようなものがある。マクロ系によるミクロ系の観測に伴う波束の収縮、量子系から古典系の創発、相対論的系から非相対論的系の出現、可逆力学系から不可逆系の出現、意識なきものから意識あるものの出現「いまある感」の起源、などがそのような例であるが、これらは地続きの問題であり、いずれも機が熟すれば科学的に究明されるべき課題だと私は考えている。」(後略)
(研究の裏で私が意識していること 谷村省吾 名古屋大学谷村省吾(1967-)

谷村省吾(1967-)
TANIMURA Shogo@tani6s
谷村省吾(名古屋大学)
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観測しなくても物理量の値があるという仮定(値の実在論)と局所性と因果律を合わせた理論はベルの不等式を導く。一方で,量子論はベルの不等式の破れを予測し、実験で破れが確認された。局所性と因果律が間違っているとは考えにくいので、値の実在論は誤りである。(谷村省吾(1967-))

値の実在論

【観測しなくても物理量の値があるという仮定(値の実在論)と局所性と因果律を合わせた理論はベルの不等式を導く。一方で,量子論はベルの不等式の破れを予測し、実験で破れが確認された。局所性と因果律が間違っているとは考えにくいので、値の実在論は誤りである。(谷村省吾(1967-))】
 「言葉使いに関する注意だが,科学哲学 [20, 21] で言う実在論(科学的実在論)と,いま問題にしている実在論は,ややニュアンスが異なる。私もよくわかっているわけではないので,哲学的用語解説への深入りは避けたいが,簡単に述べておこう。
 物理学では,電磁場やゲージ場や電子やニュートリノやエントロピーやブラックホールや非可換物理量やヒルベルト空間やラグランジアンのような,人間が直接見たり触れたりできないものを想定することがあるが,たとえ目に見えなくても,またそのようなものを想定する物理理論がなくても,それらが現に存在していると信じる立場を科学的実在論という。
 これに対して,電子のような抽象概念が理論上便利であることは認めるが,文字通りにそのような「もの」があると信じることを保留する立場を反実在論という。ただし,反実在論者と言えども,観測不可能な概念を想定している科学が間違っていると主張しているわけではない。「電子という概念を使うと便利なことは私も知っているが,そのことが電子の存在を信じる根拠になるわけではない。私は,電子がこの世にあるとかないとか,私の目や耳で確かめようのないことは言わない」という立場が,科学哲学でいう反実在論である。反実在論は,控え目で慎重な立場とも言えるが,自分の感覚だけを信じて,ハイテクの観測手段はあてにしないという,わざとらしいアナクロ立論のようにも思える。一方で,物理学者は,例えば机の実在性と電子の実在性とエントロピーの実在性とが同レベルで語られるものではないことをよく知っており,それらを「実在」の一言で表そうとする方に無理があることを心得ている。結局のところ,科学的実在論 vs. 反実在論の哲学論争は,本来多義的であるはずの「実在」という言葉に一義的な定義を押し付けようとして空しい努力を続けているように私には思える。
 本記事で問題にしている実在論は,我々が観測できるものは,適当な条件が満たされれば(単純に言えば,何度観測しても誰が観測しても同じ結果になることを確認する),観測していないときも観測したとおりに存在している,と信ずる立場のことである。とりわけ,いま問題にしているのは,物理量の値の実在性である。例えば,体重は物理量であり,60 キログラムというのは物理量の値である。物理量を測れば値を得るが,測っていないときも物理量の値はあるはずだ,と信ずるのが,いわば「値の実在論」の立場である。
 そして,この「値の実在論」と局所性と因果律を合わせた理論はベルの不等式を導く。一方で,量子論はベルの不等式の破れを予測し,実験でもベルの不等式の破れが確認された。局所性と因果律が間違っているとは考えにくいので,「値の実在論」が現実世界では通用しないのだろう,というのが本記事の結論であった。
 私は,科学的実在論と反実在論のどちらが正しいかという議論をしたいのではないし,一意的な「実在」の定義を探しているのでもない。ただ,この自然界における「実在」の奥行を感じてもらいたくて本記事を書いた。」
『「揺らぐ境界? 非実在が動かす実在」を読んでいろいろ疑問が湧いた人のための補足谷村省吾 名古屋大学
(索引:値の実在論)

(出典:名古屋大学
谷村省吾(1967-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「最近(2020年)、時間の哲学と心の哲学の問題に関わることが多くなり、「意識とは何か、物理系に意識を実装できるか」という問題を本格的に考えたいと思うようになった。裏プロジェクトとして意識の科学化を考えている。
 「科学で扱えるものと扱えないとされるもののギャップ」は、心得ておくべきではあるが、ギャップにこそ重要な問題が隠されており、ギャップを埋める・ギャップを乗り越えることによって科学は進歩してきたとも言える。」(中略)
 「物理学におけるギャップの難問として次のようなものがある。マクロ系によるミクロ系の観測に伴う波束の収縮、量子系から古典系の創発、相対論的系から非相対論的系の出現、可逆力学系から不可逆系の出現、意識なきものから意識あるものの出現「いまある感」の起源、などがそのような例であるが、これらは地続きの問題であり、いずれも機が熟すれば科学的に究明されるべき課題だと私は考えている。」(後略)
(研究の裏で私が意識していること 谷村省吾 名古屋大学谷村省吾(1967-)

谷村省吾(1967-)
TANIMURA Shogo@tani6s
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状態とは「どういう実験を行うか」という設定に他ならない。実験の設定や、観測結果の説明は、古典物理学の用語を適切に用いることで曖昧さなく、表現されなければならない。(谷村省吾(1967-))

波動関数は実在するか

【状態とは「どういう実験を行うか」という設定に他ならない。実験の設定や、観測結果の説明は、古典物理学の用語を適切に用いることで曖昧さなく、表現されなければならない。(谷村省吾(1967-))】
 「量子力学がミクロ世界の物理理論として成功を収めると,「古典力学は近似理論であり,人間の粗 雑な観察を直接的に記述した現象論に過ぎない」という考えが物理学者の間に広まったが,果たしてそれは自然界に対する適切な描像だろうか?量子的な系の記述には古典論の概念が必要だということを Bohr は強調していた.少し長くなるが,Bohr の 1949 年の言葉を引用しよう:
《現象が古典物理学で説明のつく範囲からどれほど外れていても,すべての証拠の説明は古典論の用語で表されなければならない…要するに,「実験」という言葉で私たちが指しているものは,私たちが何を行い何を学んだのかを他人に語ることが可能な状況であり,それゆえ,実験設定や観測結果の説明は,古典物理学の用語を適切に用いることで曖昧さなく表現されなければならない》.
 たしかに測定値や確率は古典物理的な装置で測定され記録される.状態は量子的な物理量に測定値と確率を割り当てる写像であり,結局,状態 (state)とは「どういう実験を行うか」という設定 (setting,situation) に他ならない.「実験の準備=状態の準備」であり,実験は古典物理的な方法で用意され記述される.量子論が登場したことによって古典論が用済みになったのではなく,量子論だけでは世界の記述は完結せず,量子的世界に対面する古典的世界を必要としているのである.」
『波動関数は実在するか 物質的存在ではない.二つの世界をつなぐ窓口である』谷村省吾 名古屋大学
(索引:波動関数は実在するか)

(出典:名古屋大学
谷村省吾(1967-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「最近(2020年)、時間の哲学と心の哲学の問題に関わることが多くなり、「意識とは何か、物理系に意識を実装できるか」という問題を本格的に考えたいと思うようになった。裏プロジェクトとして意識の科学化を考えている。
 「科学で扱えるものと扱えないとされるもののギャップ」は、心得ておくべきではあるが、ギャップにこそ重要な問題が隠されており、ギャップを埋める・ギャップを乗り越えることによって科学は進歩してきたとも言える。」(中略)
 「物理学におけるギャップの難問として次のようなものがある。マクロ系によるミクロ系の観測に伴う波束の収縮、量子系から古典系の創発、相対論的系から非相対論的系の出現、可逆力学系から不可逆系の出現、意識なきものから意識あるものの出現「いまある感」の起源、などがそのような例であるが、これらは地続きの問題であり、いずれも機が熟すれば科学的に究明されるべき課題だと私は考えている。」(後略)
(研究の裏で私が意識していること 谷村省吾 名古屋大学谷村省吾(1967-)

谷村省吾(1967-)
TANIMURA Shogo@tani6s
谷村省吾(名古屋大学)
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科学を含む人類の文化の動向を、自然淘汰だけによって理解するのは、当たっていないかもしれない。なぜなら、人間には未来を構想して、現在した方がよいことを検討し選ぶ能力があるからである。(谷村省吾(1967-))

思考と表現の進化論

【科学を含む人類の文化の動向を、自然淘汰だけによって理解するのは、当たっていないかもしれない。なぜなら、人間には未来を構想して、現在した方がよいことを検討し選ぶ能力があるからである。(谷村省吾(1967-))】

参考: 数学による自然界の記述可能性は、奇跡なのだろうか。失敗した数多くの理論の歴史を顧みれば、人の脳に宿ったアイデアのうち、この世界に適応できたものが自然淘汰によって生き残ったというのが、真実のように思われる。(谷村省吾(1967-))
 「また,自然淘汰には善悪の価値判断や,目的論的な計画性がないので,うっかりすると,進化の方向が生物個体の生存にとって不利なだけでなく,遺伝子の増殖にとってすら有利とは思えない方向に進むこともある.そのような例としては,クジャクのオスの羽がよく挙げられる.クジャクのオスの羽は大きくてきらびやかだが,大きすぎて動くのに不便だし,敵にも見つかりやすいし,大きくて美しい羽を形成して維持するにも栄養などのコストがかかる.解釈としては,そのような無駄に大きくて美しい羽を持っていられるオスは美しい羽という代償を払えるくらいに有利な別の特性を備えていると見てよく,メスはそのような優秀な生体を形作る遺伝子を持つオスと交配して,優秀な遺伝子を子に引き継ぎたいのだろうと考えられる.いったんオスが「大きくて美しい羽を作る」遺伝子を獲得し,メスが「大きくて美しい羽を持つオスとの交配を好む」遺伝子を獲得してしまうと,これら2 種の遺伝子がともに手を取り合って淘汰を勝ち進んでしまい,クジャクがいまのような姿になった,と利己的遺伝子説は説明する.しかし本当に子孫繁栄を目的とするなら,こんな無駄の多いデザインをすることはなかったであろう.
 この他にも,自然淘汰・進化は必ずしも個体にとっての改善をもたらさないという例はあるだろう.とくに,遺伝子の突然変異と自然淘汰のプロセスは非常に緩慢なので,環境が急変すると,以前は生存・増殖に有利だった特性が,環境変化後には不利な特性になってしまうことはあり得る.もちろん,その逆に,以前は生存・増殖にさして有利ではなかった特性が,環境変化後には俄然有利に働くこともあり得る.
 遺伝子には,先を見通す能力がないし,将来の計画を立てて準備する能力もない.我々人間は,未来を構想して,現在した方がよいことを検討し選ぶ能力がある,と考えられている.ゆえに,人類の動向を生物進化になぞらえて考えることは当たっていないかもしれない.
 しかし,学問分野のマクロな動向は,個々人の検討・選択によって動いていると言うよりは,抗いがたい潮流のように見えることもある.だからこそ,物理理論の失敗や放棄も起きるのだろう.すべての研究が計画通りによい方向に進むものなら,そのような無駄なことは起きなかったはずである.
 研究分野の将来がいかなるものか予測することは,個人の先見能力よりも高次の能力を要するのかもしれない.我々は自分たちの遠い将来を見通せるほどには賢明ではないことを知る謙虚さを持つべきだと思う.」
『量子論と代数―思考と表現の進化論』谷村省吾 名古屋大学
(索引:思考と表現の進化論)
(出典:名古屋大学
谷村省吾(1967-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「最近(2020年)、時間の哲学と心の哲学の問題に関わることが多くなり、「意識とは何か、物理系に意識を実装できるか」という問題を本格的に考えたいと思うようになった。裏プロジェクトとして意識の科学化を考えている。
 「科学で扱えるものと扱えないとされるもののギャップ」は、心得ておくべきではあるが、ギャップにこそ重要な問題が隠されており、ギャップを埋める・ギャップを乗り越えることによって科学は進歩してきたとも言える。」(中略)
 「物理学におけるギャップの難問として次のようなものがある。マクロ系によるミクロ系の観測に伴う波束の収縮、量子系から古典系の創発、相対論的系から非相対論的系の出現、可逆力学系から不可逆系の出現、意識なきものから意識あるものの出現「いまある感」の起源、などがそのような例であるが、これらは地続きの問題であり、いずれも機が熟すれば科学的に究明されるべき課題だと私は考えている。」(後略)
(研究の裏で私が意識していること 谷村省吾 名古屋大学谷村省吾(1967-)

谷村省吾(1967-)
TANIMURA Shogo@tani6s
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