自由意志と行為への努力
【意志の本質は、判断をした後に続く行為への努力に存する。この努力が頂点に達するまでの間に、新たな表象や傾向性が介入し、当初の判断を変質させ、理性的精神と心情、意志とが乖離する。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】(1)真なるものに対する知性の関係
(1.1)ある真理についての明晰判明な表象。
(1.2)表象には、真理の肯定が現実に含まれている。
(1.3)知性は、真理を肯定すべく強いられている。
(2)善なるものに対する意志の関係
(2.1)判断する前の表象。
(2.2)判断。
(2.3)判断をした後に続く行為への努力:これは、表象とは区別されており、意志の本質をなす。
(3)(1)と(2)は並行して存在する。
(3.1)(2.3)の努力が頂点に達するまでには時間を要する。
(3.2)新たな表象や傾向性が間に入ってきて精神の向きを逸らし、時には反対の判断までさせることになる。その結果、努力は保留状態に置かれたり、変質してしまったりする。
(3.3)このようにして、(1)で認識している真理に抵抗する状況に陥り、理性的精神と心情とが乖離する。
(3.4)「とりわけ知性の働きの大部分が、心に訴えかけない模糊たる思惟のみによってなされているときにはそうである。」
「三一一―――真なるものに対する知性の関係と善なるものに対する意志の関係との並行性については、ある真理についての明晰判明な表象にはその真理の肯定が現実に含まれていて、そのため知性はそれを肯定すべく強いられているということを知らねばならない。しかし善については、人がどのような表象を有していようとも、判断をした後に続く行為への努力―――私の考えではこの努力が意志の本質をなす―――はその表象から区別されている。したがって、この努力が頂点に達するまでには時間を要するので、新たな表象や傾向性が間に入ってきて精神の向きを逸らし、時には反対の判断までさせることになると、この努力は保留状態に置かれたり、変質してしまったりすることがある。このため、われわれの魂は自分が認識している真理に抵抗する多くの方策を有することになるし、理性的精神から心情までには相当の道のりがあることにもなる。とりわけ知性の働きの大部分が、心に訴えかけない模糊たる思惟のみによってなされているときにはそうである。このことは他でも説明した通りである。こうして、判断と意志の結び付きは、考えられているほど必然的ではないということになる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『弁神論』本論[第三部]三一一、ライプニッツ著作集7、p.70、[佐々木能章・1991])
(索引:自由意志,行為への努力)
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(出典:wikipedia)
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(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)
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