迷信的哲学
【迷信的哲学には、注意せよ。それは、誤謬を神格化し虚影を崇拝し、空想的で大げさで詩的であり、知性の野心にへつらい虜にする、知性の疫病である。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】迷信的哲学には、注意せよ。それは、空想的で大げさで詩的であり、知性にへつらい虜にする。なぜなら、特に高踏的かつ飛翔的な知能のうちには、意志の野心に劣らぬ知性の野心というものがあるからだ。しかし、誤謬の「神格化」は最悪であり、虚影に崇拝が加わるなら、知性の疫病と見なさなければならない。
「哲学の戦闘的かつ「詭弁的」な種類も、知性をとりこにするが、かのもう一つの空想的で大げさで、いわば詩的な種類は、いっそう多く知性にへつらうからである。人間には、意志の野心に劣らぬ知性の野心というものが、とくに高踏的かつ飛翔的な、知能のうちにはあるものなのである。」(中略)
「誤謬の「神格化」は最悪のことであり、もしも虚影に崇拝が加わるなら、知性の疫病と見なさなければならないからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、六五、pp.105-106、[桂寿一・1978])
(索引:迷信的哲学、劇場のイドラ)
(出典:wikipedia)
「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)
フランシス・ベーコン(1561-1626)
フランシス・ベーコンの本(amazon)
検索(フランシス・ベーコン)
心理学ランキング