異常な自然の歴史
【異常な自然の歴史や驚異的な現象を発見、収集し、研究することは、次の点で効用がある。(1)熟知な例に基づいた一般的命題や学説の偏見を是正する。(2)驚異的な現象を人工的に実演する技術を発見する。なお、魔術、妖術、夢、占いなど迷信的で超自然的なものも、無意味ではなかろう。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】(1)一般的命題は、ありふれた熟知の例のみに基づいて打ちたてられるのがつねであるが、その偏見を是正するのに異常で驚異的な現象が役立つ。
(2)人工的に驚異的な現象を実演する技術を見つけるためには、自然の驚異を研究して、それがどのような仕組みで起こっているのかを研究するのが、一番の近道である。
(3)なお、魔術や妖術や夢や占いなどに関する迷信的で超自然力のせいにされている結果も、どのような場合に、どの程度まで自然的原因に関係があるのかがまだわかっていないので、事実や証拠に基づいて、研究することにも意義があろう。
「アリストテレスがありがたくも先例をつくってくれたこの仕事の効用は、驚異の物語のするように、せんさく好きでむなしい精神の欲望を満足させることではけっしてなく、つぎの二つのいずれも重要な理由によるのである。
その第一は、ありふれた熟知の例のみにもとづいてうちたてられるのがつねである、一般的命題や学説の偏見を是正するからであり、その第二は、自然の驚異から出発するのが人工の驚異を実演する術を見つける一番の近道であるからである。
それというのも、さまよえる自然のあとをつけ、いわば、かぎつけることによってこそ、自然をのちにまたもとの場所に連れもどすことができるからである。
なおまた、わたくしは、この驚異の歴史において、魔術や妖術や夢や占いなどに関する迷信的な話を、事実であることの保証やはっきりとした証拠がある場合、まったく除外せねばならぬとは考えない。
というのは、超自然力のせいにされている結果が、どのような場合に、どの程度まで自然的原因に関係があるのかがまだわかっていないからである。
こういう次第で、魔術など行なうことはとがめられるべきではあろうが、しかしそれらのものを観察し考察することによって知識が得られて、まちがいを識別できるだけでなく、自然の秘密をなおいっそうあきらかにすることができるかもしれないのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、一・四、pp.128-129、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:異常な自然の歴史、魔術、妖術、夢、占い)
(出典:wikipedia)
「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)
フランシス・ベーコン(1561-1626)
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(索引:異常な自然の歴史、魔術、妖術、夢、占い)
(出典:wikipedia)
「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)
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