知識の伝達法
【二つの方法:(1)教え込むことで、伝達された知識を利用させる方法、(2)発見された方法や、基礎的な考え方や、証明の仕方を学ばせ、伝達された知識を成長させられるような根を移植する方法。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】知識の伝達の方法は、知識の使用にとって大切であるだけでなく、知識の進歩にとっても大切である。なぜなら、伝達された知恵こそ、学ぶものを鼓舞して、学びとったことを踏み石に利用しつつ、さらに発見へと前進できるようにしてくれるものだからだ。次の二つの方法がある。
(1)教え込むことで、伝達された知識を利用させる方法。
(2)移植して知識を成長させるために、植物と同じように根をしっかり育てる方法。
(2.1)できるものなら、それが発見されたと同じ方法で伝え知らせる。
(2.2)多かれ少なかれ、自分の知識と信念の基礎にまで立ち返り、それが自分の精神の中で成長した通りに、他人の精神の中に移植する。
(2.3)証明してみせる。
「なおまた、伝達の方法あるいは本性は、知識の使用にとってたいせつであるだけでなく、知識の進歩にとってもたいせつである。というのは、ひとりの人間の労力と生涯では知識の完全に到達することができないがゆえに、伝達の知恵こそ、学ぶものを鼓舞して、学びとったことを踏み石に利用しつつ、さらに発見へと前進できるようにしてくれるものだからである。そしてそれゆえに、〔伝達の〕方法に関するもっとも本質的な差異は、〔伝達された知識を〕利用させる方法と、前進させる方法との差異である。そのうち前者を教え込む方法、後者を証明してみせる方法と名づけてよいだろう。」
「しかし、紡ぎつづけるべき糸として伝えられる知識は、できるものなら、それが発見されたと同じ方法で伝え知らされるべきであり、こういうことは帰納された知識なら可能である。ところが、こんにちのような予断と推量の知識においては、だれも自分が得た知識にどうして到達したかを知らないのである。しかしそれにもかかわらず、「多かれ、少なかれ」、ひとは自分の知識と信念の基礎にまでたちかえり降りていって、それが自分の精神のなかで成長したとおりに、他人の精神のなかに移植することができるものなのである。というのは、知識も植物の場合と同じだからである。すなわち、利用しようと思うなら、根は問題でないが、しかし移植して成長させようと思うなら、さし木によりも根にたよるほうが確実なのである。同じように、知識の伝達も(現在行われているところでは)根のない木の美しい幹の運搬のようなものであって、大工にはそれでもよいが、植木師にはむかない。しかし、諸学を成長させようとする場合には、根を掘りおこすのによく注意すれば、木の茎や幹はたいして問題ではない。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、一七・二、一七・三、pp.240-241、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:知識の伝達法)
(出典:wikipedia)
「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)
フランシス・ベーコン(1561-1626)
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