空想的な学問
【学問を空想的にしてしまう原因:(a)ずるさによる意図的な騙し、(b)人の信じやすい傾向、(c)他愛のないお喋り、詮索、噂、(d)技術に対する過度の信頼、(e)学説の創始者への過度の信用。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】学問を空想的にしてしまう原因にはいくつかある。
(a)ずるさや、だます喜びから生じるまやかしだけでなく、他愛のないお喋りや噂話しなど。
(b)単純さから生じる軽信、だまされやすいことだけでなく、詮索好きや、噂好きなど。
(c)技術そのものを、過度に信頼してしまうこと。
(d)学説の創始者たちに寄せられる過度の信用が、創始者たちを、その言葉には文句なしに服すべき独裁者にしてしまい、諸学を低いところに停止させてしまう。
「第三のまやかしまたは不真実に関係のある、学問の欠陥または病気についていえば、それは、認識のだいじな本性をこわすものとして、もっともひどい病気なのである。」(中略)
「この欠陥は二種類に分かれるのであるが、その一つはだます喜びであり、他の一つはだまされやすいことである。すなわち、まやかしと軽信であり、両者はちがった性質のようにみえ、一方はずるさから、他方は単純さから生ずるようにみえるけれども、しかしたしかなところ、両者はたいていの場合、同時におこるのである。」(中略)
「すなわち、せんさく好きな人は、たわいのないおしゃべりといわれているように、同じようなわけで、軽信的な人は、だますひとである。うわさの場合にみられるように、やすやすとうわさを信ずるひとは、またやすやすとうわさを大きくし、かれ自身少し尾ひれをつける。」(中略)
「つぎに、技術と学説にやすやすと信用が与えられることについていえば、これにもまた二つの種類がある。すなわち、その一つは、過度の信頼が技術そのものによせられる場合であり、もう一つはどの技術においても、ある創始者たちによせられる場合である。」(中略)
「つぎに、諸学における創始者たちを、そのことばには文句なしに服すべき独裁者にしてしまい、助言を与える顧問にはしないような、かれらに与えられた過度の信用についていえば、それは、諸学を成長させあるいは発達させずに、低いところに停止させておくおもな原因なので、諸学がそれからうける損害ははかりきれないほどである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、四・八~四・一二、pp.56-60、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:空想的な学問)
(出典:wikipedia)
「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)
フランシス・ベーコン(1561-1626)
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