経験的哲学
【経験的哲学に注意せよ。それは、数少ない特殊な実験事実をもとに一般的命題を作り、さらに普遍的な原理へと跳躍し、残余のことは原理に合わせて歪められる。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】次のような経験的哲学に注意せよ。
(1)数少ない特殊な実験事実をもとに、一般的命題を作る。
(2)そこからさらに、普遍的な、事物の原理へ跳躍する。
(3)残余のことは、その普遍的な原理に合わせて歪められる。
「ところが哲学の「経験派」は、「詭弁的」もしくは合理的な派よりも、畸形的かつ奇怪な教説を導き出す。
なぜならば、それは通俗的な概念の光(この光は薄くかつ皮相的ではあっても、或る意味で普遍的で多くのものに及んでいる)のうちにではなく、数少ない実験の狭さと暗さのうちに、基礎をもっているからである。」(中略)
「今の時代では、おそらくはギルバートの哲学以外には、他にどこにもほとんど見出されないであろう。
だがしかしこの種の哲学の関しては、決して用心が怠られてはならなかった。というのは、我々が心ひそかに予見し予告するところでは、人々がいつかは我々の忠告に目覚め、(詭弁的教説に別れを告げて)真剣に実験に立ち向かうとき、その時になって、知性の早まった性急な軽率と、普遍的なものおよび事物の原理への、跳躍もしくは飛躍とのために、この種の哲学から、大きな危険が迫ってくるようなことが起こるだろうし、この害悪にも今から備えておかねばならないからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、六四、pp.104-105、[桂寿一・1978])
(索引:経験的哲学、劇場のイドラ)
(出典:wikipedia)
「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)
フランシス・ベーコン(1561-1626)
フランシス・ベーコンの本(amazon)
検索(フランシス・ベーコン)
心理学ランキング