真理の力
【真理には力があり常に迫害に勝つというのは事実ではなく、根拠のない感傷にすぎない。歴史を見ると、何世紀にも渡って圧殺され続けたこともあった。ただし、長年のうちには、必ず同じ真理が再発見される。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】参考:ある意見が間違っており、有害で不道徳で不信仰であると確信しても、その意見を弁護する主張を他人が聞く機会を奪うのであれば、自らの無謬性を想定している。こうして、優れた人物や崇高な教えが抑圧されてきた。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))
「抑圧しても真理を傷つけることはできないのだから真理の抑圧は正当だとする主張は、新たな真理の受容に頑迷に反対するものだと非難できるものではない。だが、新しい真理を見いだし伝えた功績を人類が感謝すべき人に対して過酷だとはいえる。世界にとって重要な意味をもっているのにそれまで知られていなかった点を発見すること、現世か来世に関するきわめて重要な点でそれまでの見方の間違いを証明することは、個人が人類になしうる貢献のなかで、もっとも重要なものである。そしてたとえば初期のキリスト教徒や宗教改革家の場合には、人類にとりわけ貴重なものを贈った人たちだと、サミュエル・ジョンソンに同意する人は信じている。それほどの利益を人類にもたらした人たちを迫害し、最悪の犯罪者として処刑することが、この主張によれば、人類が粗布をまとい灰をかぶって嘆き悲しむべき間違いでも不運でもなく、正常で正当な事態だというのである。この主張によれば、新たな真理を提唱するものは、古代ギリシャ人がイタリアに築いた植民都市、ロクリの法典で新法の提案者について規定されていたのと同じ扱いを受けることになる。ロクリでは市民の総会で新しい法律を提案するものは、綱を首にまきつけて登場し、理由を聞いた総会がその場で提案を採用しないかぎり、ただちに絞首刑にされると規定されていたのである。真理を伝えた恩人をこのように扱うのが正しいと主張する人が、真理の価値を十分に認めているとは考えにくい。このような見方をする人は、新しい真理は過去には望ましいものだっただろうが、いまでは真理が十分に理解されているので、学ぶべきものはないと考えている人だけだと思われる。
しかし、真理はつねに迫害に勝つという格言は耳に心地よい嘘のひとつであり、繰り返し語られているうちに決まり文句になってはいるが、事実をみていけばこれが間違いであることがはっきりしている。歴史をみていくと、迫害によって真理が圧殺された例がいくらでもある。二度と主張されなくなるわけではなくても、何世紀にもわたって圧殺されたままになることがある。宗教に関する意見だけをみても、宗教改革はルター以前に少なくとも二十回は起こっており、そのたびに鎮圧されている。」(中略)
「真理が真理であるからという理由で間違った意見にはない力をもともともっていて、地下牢にも処刑台にも打ち勝てるというのは、根拠のない感傷にすぎない。人は間違った意見に熱意をいだくこともあり、真理に対してそれ以上の熱意をいだくわけではないので、法律による刑罰を十分に活用すれば、そして社会による制裁をうまく使った場合すら、間違った意見であろうが真理であろうが、普及するのを阻止できるのが通常である。真理のもつ強みは違った点にある。ある意見が正しければ、一度や二度、あるいは何度も根絶されても、長年のうちに同じ真理が何度も再発見される。いずれは環境が良い時期に再発見され、迫害を受けることなく大きな勢力になり、その後に抑圧の動きがあっても耐えられるほどになるのである。
いまの時代には新しい意見を紹介したものを処刑することはなく、昔とは違って預言者を殺すどころか、墓を建てて祭っているという意見もあるだろう。たしかに、異端者を処刑することはなくなった。いまではとりわけ不快な意見でも、人びとがおそらく許容する範囲の処罰は、その意見を圧殺できるほど重いものではない。だが、法律による迫害を受ける心配はなくなったなどと考えるべきではない。意見を罰する法律、少なくとも意見の発表を罰する法律はまだなくなっていない。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『自由論』,第2章 思想と言論の自由,pp.64-68,日経BP(2011), 山岡洋一(訳))
(索引:言論の自由,真理の力)
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(出典:wikipedia)
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(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)
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