2018年4月21日土曜日

私たちが、自分が最善と判断したすべてを実行したことによる満足を、つねに持ってさえいれば、よそから来るいっさいの混乱は、精神を損なう力を少しももたない。むしろ精神は、みずからの完全性を認識させられ、その混乱は精神の喜びを増す。(ルネ・デカルト(1596-1650))

情念が経験される知的な喜び

【私たちが、自分が最善と判断したすべてを実行したことによる満足を、つねに持ってさえいれば、よそから来るいっさいの混乱は、精神を損なう力を少しももたない。むしろ精神は、みずからの完全性を認識させられ、その混乱は精神の喜びを増す。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 私たちが精神の内奥で、自分が最善と判断したすべてを実行したことによる満足をつねに持ってさえいれば、よそから来るいっさいの混乱とそれに伴う情念のいかに激しい衝撃も、精神の安らかさを乱す力を持つことはけっしてない。なぜなら、不思議な出来事を本で読んだり、舞台で演じられるのを見たりするとき、さまざまな情念がわたしたちのうちに引き起こされるのを感じて、わたしたちは、知的な喜びともいえる快感をおぼえるのと同じように、共存している情念たちよりも、いっそう近接的にわたしたちに触れる喜びが、はるかに大きな力をわたしたちに及ぼしているからである。精神はそれらの混乱に損なわれることのないのを見て、みずからの完全性を認識させられ、かえって、その混乱は精神の喜びを増すのに役だつであろう。
 不思議な出来事を本で読んだり、舞台で演じられるのを見たりするとき、さまざまな情念がわたしたちのうちに引き起こされるのを感じて、わたしたちは、知的な喜びともいえる快感をおぼえる。
 「これら内的情動が、それとは異なっているが共存している情念たちよりも、いっそう近接的にわたしたちに触れ、したがって、はるかに大きな力をわたしたちに及ぼすものであるからには、次のことは確かである。つまり、わたしたちの精神が内奥にみずから満足するものをつねに持ってさえいれば、よそから来るいっさいの混乱は、精神を損なう力を少しももたない。むしろ、精神はそれらの混乱に損なわれることのないのを見て、みずからの完全性を認識できるようにさせられるので、これらの混乱はかえって、精神の喜びを増すのに役だつ。そして、わたしたちの精神がこのように満足するものをもつためには、ていねいに徳に従いさえすればよいのだ。というのも、自分が最善と判断したすべてを実行すること(徳に従う、とわたしが言うのは、このことだ)において、欠けることがあったと良心にとがめられないように生きてきた人は誰も、そのことからある満足を感得する。この満足は、その人を幸福にするきわめて強い力を持つので、情念のいかに激しい衝撃も、彼の精神の安らかさを乱す力を持つことはけっしてない。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『情念論』第二部 一四八、pp.128-129、[谷川多佳子・2008])
(索引:情念が経験させる知的な喜び)

情念論 (岩波文庫)



哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの
哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (2)認識論
 6.認識論
 6.1 認識するわれわれ
 6.2 認識さるべき物自身

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

ルネ・デカルト(1596-1650)
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