2020年7月29日水曜日

「今日は授業中に話したいとき手を挙げなくてもよい」「今日は、友達の顔をぶちたいなら、ぶってもよい」。幼児(3歳児)に様々な状況設定で膨大な実験をした結果、慣習的規則と、破ることが拒否される道徳的規則が区別されるという事実がある。(エリオット・テュリエル(1938-))

慣習的規則と道徳的規則の区別

【「今日は授業中に話したいとき手を挙げなくてもよい」「今日は、友達の顔をぶちたいなら、ぶってもよい」。幼児(3歳児)に様々な状況設定で膨大な実験をした結果、慣習的規則と、破ることが拒否される道徳的規則が区別されるという事実がある。(エリオット・テュリエル(1938-))】
(出典:gse.berkeley.edu
Turiel_Elliott の命題集(Propositions of great philosophers)
 「我々がそれらに従うのを正当化しようとするとき、我々は正義や、その人の福利や、権利といったものに訴える傾向がある。さて、ここからが驚くべきことである。子どもたちに規則が示される際には区別がなされていないにもかかわらず、彼らは慣習的規則と道徳的規則の区別を把握するのだ。このことは次のようにしてわかる。
 1980年代中頃、心理学者のエリオット・テュリエル(1983)と彼の同僚が、三歳児に対して規則の変更を含む仮想的な状況について考えるように求める実験を行った(これは様々な状況設定で膨大な回数にわたって再現されてきた)。たとえば、子どもたちは彼らの先生がこう言うのを想像するように言われる。「今日は、授業中に話したいとき手を挙げなくてもかまいません」。そして子どもたちは次のように尋ねられる。「もし今日授業中に手を挙げずに発言したら、それはしてもよいことですか?」ためらいなく、子どもたちは《そうだ》と言う。同様に、もし彼らの親が食べ物を投げてもよいと言えば食べ物を投げてもよいだろうと子どもたちは言う。
 しかし、次に子どもたちは彼らの先生がこう言うのを想像するように求められる。「今日は、友達の顔をぶちたいなら、そうしてもかまいません」。この場合、子どもたちは、先生の許しがあるとしてもなお、友達をぶってもかまわないとは《ほぼ間違いなく言わない》。ほとんどの子どもたちは、親が「今日は兄弟に嘘をついてもかまいません」と言うのを想像するように求められたとしても、それでも兄弟に嘘をついてもかまわないということを《否定する》。」
(スコット・M・ジェイムズ(19xx-)『進化倫理学入門』第1部「利己的な遺伝子」から道徳的な存在へ、第5章 美徳と悪徳の科学、pp.139-140、名古屋大学出版会(2018)、児玉聡(訳))
(索引:慣習的規則,道徳的規則)

進化倫理学入門


(出典:UNC Wilmington
スコット・M・ジェイムズの命題集(Propositions of great philosophers)  「道徳的生物を道徳的たらしめるものには、いくつかのことが関係していると考えられる。以下のものが道徳判断の形成についての概念的真理を表すと思われる。
(1)道徳的生物は禁止というものを理解する。
(2)道徳的禁止は我々の欲求に依存しないように思われ、
(3)法律のような人間の取り決めに依存するようにも思われない。むしろ、それらは主観的ではなく客観的なもののように思われる。
(4)道徳判断は動機と密接に結びついている。ある行為は間違っていると心から判断することは、少なくともその行為をするのを《差し控えたい》という欲求を含意しているようである。
(5)道徳判断は功罪の観念を含意する。道徳的に禁止されていると知っていることをすることは、処罰が正当化されうるということを含意する。
(6)我々のような道徳的生物は、自身の悪事に対して、ある特有の《感情的》反応を示し、そしてこの反応はしばしば我々を、その悪事の償いをするよう駆り立てる。」
(スコット・M・ジェイムズ(19xx-)『進化倫理学入門』第1部「利己的な遺伝子」から道徳的な存在へ、第3章 穴居人の良心、p.81、名古屋大学出版会(2018)、児玉聡(訳))
(索引:)

スコット・M・ジェイムズ(19xx-)
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信念を行為者に帰属させるとき活動する脳部位が、道徳判断時にも活性化する。道徳判断の基盤となる表象は(a)危害が生じる結果についての表象と、(b)その危害を生じさせた行為者の信念と意図についての表象とから構成されるようである。(リアン・ヤング)

道徳的判断の神経基盤

【信念を行為者に帰属させるとき活動する脳部位が、道徳判断時にも活性化する。道徳判断の基盤となる表象は(a)危害が生じる結果についての表象と、(b)その危害を生じさせた行為者の信念と意図についての表象とから構成されるようである。(リアン・ヤング)】

(出典:moralitylab.bc.edu
Liane-Young の命題集(Propositions of great philosophers)
 「最近のあるハーバード大学の心理学者のチームによると、「ここで発達しているのは『心の理論』つまり他人の心理状態を表象する能力だけではなく、この情報を道徳判断の文脈での帰結に関する情報と統合する能力である」(Young et al.2007:8235)。発達中の子どもにとって、正と不正は単に起こったこと以上のものになり始める。それは、人々がそれを起こそうと《意図している》ことと結びつき始めるのだ。
 この同じ心理学者のチームは、これらの結果に裏づけを与えるために、脳の中を観察することにした。信念帰属において作用している脳のシステムは、道徳判断《においても》作用しているのだろうか、と彼らは問うた。脳についてのそれぞれ独立した諸研究が、右側頭頭頂連結部(PTPJ)が他人の心の状態についての評価を下すことに重要な仕方で関与している、ということを明らかにしている。人がある行為を正しいとか不正だとか判断したときにもまた、PTPJは活性化していたのだろうか。明らかにそうであった。誰かが(スミスがそうしたように)いかなる危害も生じさせなかったが危害を生じさせることを《意図していた》という場合には、被験者の判断は「厳しいものであり、[行為者の]信念のみに基づいて下され、そして信念帰属に関わる回路促進に結びついていた」。危害が意図されたものでなかった場合は、被験者は同じパターンの脳活動を示さなかった。著者はこう結論づけている。「それゆえ、道徳判断は二つの別個の、時に競合するプロセスの産物を示しているのかもしれない。一つは危害が生じる結果についての表象を引き起こすプロセスであり、もう一つは信念と意図についての表象を引き起こすプロセスである」(Young et al.2007:8239)。
 これは、ここまで展開されてきた大まかな見取り図に沿うものである。非常に幼い年齢から、子どもたちは他人の感情(特に苦悩に関連した感情)に同調する。実際、脳はこの能力に不可欠なシステムを内包しているように思われる。なぜなら、それらのシステムがうまく機能しないとき、我々は(いわば)《水準以下》の道徳的行動を観察するからである。しかし成熟した道徳判断は、単に他者の苦悩を認識するだけに留まらないものである。道徳的問題の肝心な要素は、視点の獲得だと思われる。実際、哲学者のジョナソン・デイによれば、正と不正の十分な把握には《成熟した共感》が必要であり、その際この成熟した共感には「この他人の立場に立ち、不満や怒りの感情を想像すること」(1996:175)が伴う。子どもが道徳判断において意図が果たす役割を把握するようになるまで(それには、意図そのものについて理解することが必要である)は、子どもは、「いじわるである」ためには危害を引き起こすということで十分である、と言う傾向にある。しかし他人の心に対する子どもの理解が発達していくにつれて、行為者の《意図》を考慮する傾向はいっそう増していく。これは、大人が下す道徳判断に近似するような道徳判断を下す際に、意図に関する情報と危害に関する情報を統合する傾向が増すということを反映している。」
(スコット・M・ジェイムズ(19xx-)『進化倫理学入門』第1部「利己的な遺伝子」から道徳的な存在へ、第5章 美徳と悪徳の科学、pp.136-137、名古屋大学出版会(2018)、児玉聡(訳))
(索引:道徳的判断の神経基盤)

進化倫理学入門


(出典:UNC Wilmington
スコット・M・ジェイムズの命題集(Propositions of great philosophers)  「道徳的生物を道徳的たらしめるものには、いくつかのことが関係していると考えられる。以下のものが道徳判断の形成についての概念的真理を表すと思われる。
(1)道徳的生物は禁止というものを理解する。
(2)道徳的禁止は我々の欲求に依存しないように思われ、
(3)法律のような人間の取り決めに依存するようにも思われない。むしろ、それらは主観的ではなく客観的なもののように思われる。
(4)道徳判断は動機と密接に結びついている。ある行為は間違っていると心から判断することは、少なくともその行為をするのを《差し控えたい》という欲求を含意しているようである。
(5)道徳判断は功罪の観念を含意する。道徳的に禁止されていると知っていることをすることは、処罰が正当化されうるということを含意する。
(6)我々のような道徳的生物は、自身の悪事に対して、ある特有の《感情的》反応を示し、そしてこの反応はしばしば我々を、その悪事の償いをするよう駆り立てる。」
(スコット・M・ジェイムズ(19xx-)『進化倫理学入門』第1部「利己的な遺伝子」から道徳的な存在へ、第3章 穴居人の良心、p.81、名古屋大学出版会(2018)、児玉聡(訳))
(索引:)

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次のような実験事実が存在する。幼児(生後14ヵ月)は、実験者がうっかり落とした洗濯バサミを、自然に拾いに行く。投げ落とした場合には、回収しようとしない。また、実験者が取れない対象物を取ろうと手を伸ばすと、拾いに行く。(フェリックス・ヴァーネケン)

他者の意図の理解と手助け

【次のような実験事実が存在する。幼児(生後14ヵ月)は、実験者がうっかり落とした洗濯バサミを、自然に拾いに行く。投げ落とした場合には、回収しようとしない。また、実験者が取れない対象物を取ろうと手を伸ばすと、拾いに行く。(フェリックス・ヴァーネケン)】

参考: 他者が対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その対象物をつかむ、持つといった運動特性に呼応した、観察者が知っている運動感覚の表象が自動的に現れる。この表象が行為の「意味」であり、他者の「意図」である。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))

(出典:scholar.google.com
Felix-Warneken の命題集(Propositions of great philosophers)
 「実際のところ、子どもたちが敏感なのは苦悩に対してだけではないように思われる。彼らは生まれながらの援助者であるようだ。たとえば、たった生後一四か月の子どもの付近に洗濯バサミを落っことしてみれば、あなたはその子の対応に驚くかもしれない。ハーバード大学の心理学者フェリックス・ワーケネンによれば、たとえ「まったく勧められたり褒められたりしなくとも」、その子は「そこまでハイハイして、洗濯バサミを拾い、あなたに返してくれるだろう」(Warneken and Tomasello 2009:397)。実験者が洗濯バサミを落っことすのではなく、投げ落とす場合には、幼児は通常回収しようとしない。別の実験では、ワーケネンと同僚たち(Warneken and Tomasello 2007)は、対象物が実験者には届かないが子どもには手の届くところに置かれた場合、幼児がどう対応するかテストした。実験者が対象物を取ろうと試みた(が取れなかった)とき、幼児はきまって実験者が対象物を回収する手助けをした。興味深いことに、幼児が行った手助けは報酬に影響されなかった。むしろ、幼児が手助けをしようとする傾向は実験者が対象物を取ろうと試みたか否かにのみ依存していた。実験者が対象物に手を伸ばさなければ、幼児は手助けをしなかったのだ。このことが少なくとも示唆しているのは、幼児は他者が目的をもつということだけでなく、他者が目的を達成するために手助けを必要としているということも認識することができた、ということである。」
(スコット・M・ジェイムズ(19xx-)『進化倫理学入門』第1部「利己的な遺伝子」から道徳的な存在へ、第5章 美徳と悪徳の科学、p.127、名古屋大学出版会(2018)、児玉聡(訳))
(索引:幼児の利他傾向)

進化倫理学入門


(出典:UNC Wilmington
スコット・M・ジェイムズの命題集(Propositions of great philosophers)  「道徳的生物を道徳的たらしめるものには、いくつかのことが関係していると考えられる。以下のものが道徳判断の形成についての概念的真理を表すと思われる。
(1)道徳的生物は禁止というものを理解する。
(2)道徳的禁止は我々の欲求に依存しないように思われ、
(3)法律のような人間の取り決めに依存するようにも思われない。むしろ、それらは主観的ではなく客観的なもののように思われる。
(4)道徳判断は動機と密接に結びついている。ある行為は間違っていると心から判断することは、少なくともその行為をするのを《差し控えたい》という欲求を含意しているようである。
(5)道徳判断は功罪の観念を含意する。道徳的に禁止されていると知っていることをすることは、処罰が正当化されうるということを含意する。
(6)我々のような道徳的生物は、自身の悪事に対して、ある特有の《感情的》反応を示し、そしてこの反応はしばしば我々を、その悪事の償いをするよう駆り立てる。」
(スコット・M・ジェイムズ(19xx-)『進化倫理学入門』第1部「利己的な遺伝子」から道徳的な存在へ、第3章 穴居人の良心、p.81、名古屋大学出版会(2018)、児玉聡(訳))
(索引:)

スコット・M・ジェイムズ(19xx-)
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2020年7月28日火曜日

自己実現的人間のパーソナリティ特徴の例:偏見,先入見からの自由/現実の受容/不確かさへの志向/新鮮な評価/創造性/神秘的経験,大洋感情/自律的な価値体系/他者の多様な価値体系の受容/プライバシーの欲求/他者からの自律性(アブラハム・マズロー(1908-1970))

自己実現的人間のパーソナリティ特徴

【自己実現的人間のパーソナリティ特徴の例:偏見,先入見からの自由/現実の受容/不確かさへの志向/新鮮な評価/創造性/神秘的経験,大洋感情/自律的な価値体系/他者の多様な価値体系の受容/プライバシーの欲求/他者からの自律性(アブラハム・マズロー(1908-1970))】

自己実現的人間のパーソナリティ特徴(アブラハム・マズロー(1908-1970))
 (a)受け継がれてきた文化の受け容れ(真理、価値)
  (a.1)問題中心的
   (i)自分と関係のない問題でも心にかけ、幅広い視野を保つことができる。
   (ii)何らかの使命や達成すべき仕事を持っており、それらは人類一般や国家一般の利益に関わる場合が多い。
   (iii)人類全体に対する帰属意識をもつ。
  (a.2)共同社会感情
   (i)人類全般に対して同一感や愛情を持っている。平均的な人々の欠点にいら立ったり、腹を立てたりしながらも、人々に同一感を感じ、人類を助けたいと真剣に願っている。
  (a.3)対人関係
   (i)他者と深い結びつきを形成し、愛情、親密性、献身性を持って付き合う。そしてそれゆえに、友人の範囲はかなり狭い。
   (ii)偽善的でうぬぼれた尊大な人に対しては厳しい態度を持っているが、面と向かってそれを表明したりはしない。
  (a.4)民主的性格構造
   (i)階級や教育程度、政治的信念、人種や皮膚の色などに関係なく誰とでも親しくできる。同じ人間だからという理由だけで、どんな人にもある程度の尊敬を払う。
   (ii)学習関係において、外面的威厳を維持しようとしたり、地位や年齢に伴う威信などを保とうなどとはしない。自分に何かを教えてくれるものを持っている人たちを本当に尊敬し、謙虚になる。道具や技術をうまく使いこなす人たちにも尊敬をささげる。
  (a.5)文化からの自律性
   (i)変化や改善の必要を認め、自分の住む文化からある程度の距離をおくことができる。
   (ii)本質的、内部的には因襲にとらわれないが、つまらないことで人を傷つけたり人と争ったりしたくないため、できるかぎりは慣習どおりに振舞う。

 (b)真理は、経験と理性によって認識することができる
  (b.1)偏見、先入見からの自由
   (i)抽象、期待、信念、固定観念などにとらわれず、現実を正確に知覚し、現実の世界の中に生きることができる。
   (ii)正反対のパーソナリティ特性は、自己防衛機制の「合理化」である。より受け入れられる原因に帰属させることで、あることを受け入れられるようにすること。
  (b.2)現実の受容
   (i)自己、他者、世界を受け入れている。自分自身や他の人々の人間性を、欠点も含めて、ありのままに受け入れることができる。
   (ii)考え深く賢明で、敵意的でないユーモアのセンスをもつ;人間のおかれた状況を笑うが、特定の個人を笑いものにしない。
   (iii)正反対のパーソナリティ特性は、自己防衛機制の「投影」である。 自身の受け入れがたい側面を別の誰かに帰属させること。
  (b.3)不確かさへの志向
   未知のものや不確かなことがあっても快適でいられる。

 (c)自己の情念は概ね頼りになる
  (c.1)自己の情動の自然な受容
   (i)思考や情動において自発的・柔軟的で自然体である。
   (ii)正反対のパーソナリティ特性は、自己防衛機制の「抑圧」である。脅威となる衝動や出来事を、意識の外に追い出し、無意識にすることで、強く抑制すること。
   (iii)また、自己防衛機制の「反動形成」も正反対のパーソナリティ特性である。不安を生みだす衝動を、意識の中で、その逆のものに置き換えること。
  (c.2)絶えず新鮮な評価
   (i)たとえ非常に単純でありふれた経験に対しても、常に新鮮な認識を保つことができる(例:夕暮れ、花、他者に対して)。
   (ii)人生の基本的に必要なことを、繰り返し新鮮に、無邪気に、畏敬や喜びや恍惚感さえもって評価できる。
  (c.3)創造性
   (i)健康な子どもの持つ純真で普遍的な創造性と同種の創造性を持つ。
   (ii)創造的で独創的であり、必ずしも偉大な才能をもたないが、素朴に、常に新鮮さをもってものごとに接することができる。
  (c.4)神秘的経験、大洋感情
   (i)限りなく地平線が開けている感じ、エクスタシーと畏敬の感じ、非常に重要で価値あることが起こったという感じ、などを伴う経験によって力づけられている。
   (ii)強度の集中、無我状態、自己喪失感、自己超越感などのような、神秘的とも言える経験に至る場合もある。

 (d)自己の情念に従うことの是非
  (d.1)自己実現における二分性の解決
   情と知、理性と本能、認知と意欲、仕事と遊び、義務と喜び、成熟と子供っぽさ、親切心と残忍さ、具象と抽象、自己と社会、内向的と外向的、能動的と受動的、男性的と女性的、その他のさまざまな対立性や二分性は解消され、相互に融合し合体して統一体となっている。

 (e)価値も、経験と理性により認識できる
  (e.1)自律的な価値体系
   (i)自己の本質、人間性、多くの社会生活、自然や物質的現実を哲学的に受容することによって、自然に価値体系の確固たる基盤を身につけている。
   (ii)この価値体系の基盤によって、現実との快適な関係、社会感情、満たされた状態、手段と目的との識別などがもたらされる。
   (iii)自律的な倫理規定を持ち、その規定に照らして重要と思えることのためであれば、慣習には従わないこともある。
   (iv)正反対のパーソナリティ特性は自己防衛機制の「昇華」である。社会的に受け入れられる方法で社会的に受け入れられない衝動を表現する。
  (e.2)多様な価値体系の受容
   性別や年齢による差異、身分上の差異、役割上の差異、政治的差異、宗教上の差異などを受容できる価値体系を持っている。

 (f)私たちに依存するものと、依存しないものを区別すること
 (g)意志の自由の存在
 (h)意志決定に伴う情動
  (h.1)超越性、プライバシーの欲求
   (i)孤独やプライバシーを欲する。自分自身の潜在能力や手腕を信頼できる。
   (ii)高い集中力を持ち、極度の集中によって外部環境のことを忘れたりすることがある。
   (iii)比較的少数の他者と非常に深い結びつきを作りあげる。
   (iv)普通の人々からは、冷たい、俗物主義である、愛情が欠如している、友情がない、などと思われることもある。
  (h.2)他者からの自律性
   (i)比較的、外発的な満足に左右されない。例えば、他者からの受容や人気に動かされない。
   (ii)自然環境や社会環境からの独立性を持ち、名誉、地位、報酬、威信、愛、などよりも、自分自身の成長や発展のために、自分自身の可能性や潜在能力を頼みとしている。

《概念図》
┌───────────────┐
│┌────────────┐ │
││┌─────────┐ │ │
│││引き継がれた文化 ← │ │文化
│││ 諸事実・真理  → │ │a1 問題中心的
│││ 諸価値・芸術  │ │ │a2 共同社会感情
│││         │ │ │a3 対人関係
│││         │ │ │a4 民主的性格構造
│││         │ │ │a5 文化からの自律性
│││意識的な動機←─┐│ │ │意識的な動機
│││ 究極目的   ││ │ │e1 自律的な価値体系
│││  ↓     ││ │ │e2 多様な価値体系の受容
│││ 部分目標   ││ │ │
│││  └───┐ ││ │ │
│││      │情動←── │情動
│││      │ │ ─→ │c1 自己の情動の自然な受容
│││      │ ││ │ │c2 絶えず新鮮な評価
│││      │←┤│ │ │c3 創造性
│││      │ ││ │ │c4 神秘的経験、大洋感情
│││環境(状況)←─┤│ │ │環境(状況)
│││ 過去・現在│ ││ │ │b1 偏見、先入見からの自由
│││ 予測・規範│←┘│ │ │b2 現実の受容
│││  │┌──┘  │ │ │b3 不確かさへの志向
│││  ↓↓ 分離的←─── │
│││意志決定 特殊的 │ │ │d1 自己実現における二分性の解決
│││計画││ 反応  │ │ │意志決定
│││ ↓↓↓ ↓   │ │ │h1 超越性、プライバシーの欲求
│││行為・行動・反応 │ │ │h2 他者からの自律性
││└─────────┘ │ │
││文化(特殊的、局所的) │ │
│└────────────┘ │
│生体の状態(身体)      │
│ 多数の欲求、複数の動機   │
│ 欲求の優先度の階層     │
│ 無意識的な動機(根本的)  │
│ 局所的に見られた「動因」  │
└───────────────┘

(出典:wikipedia
アブラハム・マズロー(1908-1970)の命題集(Propositions of great philosophers)
「1 現実を正確に、効果的に知覚することができる。
2 自己、他者、世界を受け入れている。
3 特に、思考や情動において自発的・柔軟的で自然体である。
4 問題中心的:自分と関係のない問題でも心にかけ、幅広い視野を保つことができる。
5 孤独やプライバシーを欲する。自分自身の潜在能力や手腕を信頼できる。
6 自律性:比較的、外発的な満足に左右されない。例えば、他者からの受容や人気に動かされない。
7 たとえ非常に単純でありふれた経験に対しても、常に新鮮な認識を保つことができる(例:夕暮れ、花、他者に対して)。
8 神秘的または茫然とした感覚を体験する。そこでは、現実の時と場所を離れ、自然と一体化した感覚をもつ。
9 人類全体に対する帰属意識をもつ。
10 比較的少数の他者と非常に深い結びつきを作りあげる。
11 真に民主主義的である。すべての人に対して偏見をもたず、敬意をもつ。
12 倫理的であり、手段と結果を分けて考えることができる。
13 考え深く賢明で、敵意的でないユーモアのセンスをもつ;人間のおかれた状況を笑うが、特定の個人を笑いものにしない。
14 創造的で独創的であり、必ずしも偉大な才能をもたないが、素朴に、常に新鮮さをもってものごとに接することができる。
15 変化や改善の必要を認め、自分の住む文化からある程度の距離をおくことができる。」
(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅴ部 現象学的・人間性レベル、第13章 内面へのまなざし、p.423、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:)
「マズローは、自己実現について「自己実現を大まかに、才能、能力、可能性をじゅうぶんに用い、また開発していることと説明しておこう。このような人々は、自分自身を完成し、自分のできるかぎりの最善を尽くしているように見え、ニーチェの「汝自身たれ」という訓戒を思い起こさせる。彼らは自分たちの到達できる最も高度の状態へ達し、また発展しつつある人々である。」(『人間性の心理学』p.225)と述べ、このような基準に適うとマズローが認めた自己実現的人間のパーソナリティ特徴を記述していった。マズローの著書『人間性の心理学』によれば、その特徴とは次のようなものである。
(現実をより有効に知覚し、それと快適な関係を保つこと)
・ 抽象、期待、信念、固定観念などにとらわれず、現実を正確に知覚し、現実の世界の中に生きることができる。未知のものや不確かなことがあっても快適でいられる。
(受容)
・ 自分自身や他の人々の人間性を、欠点も含めて、ありのままに受け入れることができる。
(自発性)
・ 行動が自発的であり、内面、思考、衝動などにおいてさらに自発的である。本質的、内部的には因襲にとらわれないが、つまらないことで人を傷つけたり人と争ったりしたくないため、できるかぎりは慣習どおりに振舞う。自律的な倫理規定を持ち、その規定に照らして重要と思えることのためであれば、慣習には従わないこともある。
(問題中心的)
・ 自分自身の問題よりも、自分自身の外の問題に強い集中を示す。何らかの使命や達成すべき仕事を持っており、それらは人類一般や国家一般の利益に関わる場合が多い。
(超越性――プライバシーの欲求)
・ 孤独でいても、不快になることはなく、平均的な人々よりも孤独やプライバシーを好む。
・ 高い集中力を持ち、極度の集中によって外部環境のことを忘れたりすることがある。
・ 普通の人々からは、冷たい、俗物主義である、愛情が欠如している、友情がない、などと思われることもある。
(自律性――文化と環境からの独立)
・ 自然環境や社会環境からの独立性を持ち、名誉、地位、報酬、威信、愛、などよりも、自分自身の成長や発展のために、自分自身の可能性や潜在能力を頼みとしている。
(評価が絶えず新鮮であること)
・ 人生の基本的に必要なことを、繰り返し新鮮に、無邪気に、畏敬や喜びや恍惚感さえもって評価できる。
(神秘的経験――大洋感情)
・ 限りなく地平線が開けている感じ、エクスタシーと畏敬の感じ、非常に重要で価値あることが起こったという感じ、などを伴う経験によって力づけられている。強度の集中、無我状態、自己喪失感、自己超越感などのような、神秘的とも言える経験に至る場合もある。
(共同社会感情)
・ 人類全般に対して同一感や愛情を持っている。平均的な人々の欠点にいら立ったり、腹を立てたりしながらも、人々に同一感を感じ、人類を助けたいと真剣に願っている。
(対人関係)
・ 他者と深い結びつきを形成し、愛情、親密性、献身性を持って付き合う。そしてそれゆえに、友人の範囲はかなり狭い。
・ 偽善的でうぬぼれた尊大な人に対しては厳しい態度を持っているが、面と向かってそれを表明したりはしない。
(民主的性格構造)
・ 階級や教育程度、政治的信念、人種や皮膚の色などに関係なく誰とでも親しくできる。同じ人間だからという理由だけで、どんな人にもある程度の尊敬を払う。
・ 自分に何かを教えてくれるものを持っている人からは、その人の性質がどうであれ、何かを学ぶことができることを知っている。そのような学習関係において、外面的威厳を維持しようとしたり、地位や年齢に伴う威信などを保とうなどとはしない。自分に何かを教えてくれるものを持っている人たちを本当に尊敬し、謙虚になる。道具や技術をうまく使いこなす人たちにも尊敬をささげる。
(創造性)
・ 健康な子どもの持つ純真で普遍的な創造性と同種の創造性を持つ。特殊な才能を持つ人に見られる独自性の高い創造性ではなく、すべての人間に生まれながらに与えられた可能性のようなものであり、その人が従事している活動に何らかの影響を与える。
(価値と自己実現)
・ 自己の本質、人間性、多くの社会生活、自然や物質的現実を哲学的に受容することによって、自然に価値体系の確固たる基盤を身につけている。この価値体系の基盤によって、現実との快適な関係、社会感情、満たされた状態、手段と目的との識別などがもたらされる。
・ 平均的な人々にしみこんでいる本質的でない道徳、倫理、価値ではなく、性別や年齢による差異、身分上の差異、役割上の差異、政治的差異、宗教上の差異などを受容できる価値体系を持っている。
(自己実現における二分性の解決)
・ 情と知、理性と本能、認知と意欲、仕事と遊び、義務と喜び、成熟と子供っぽさ、親切心と残忍さ、具象と抽象、自己と社会、内向的と外向的、能動的と受動的、男性的と女性的、その他のさまざまな対立性や二分性は解消され、相互に融合し合体して統一体となっている。」
(出典:マズローの自己実現論の全体像について(石田潤,2020))
(索引:石田潤,1908-1970_アブラハム・マズロー)

※ 自己実現とは正反対のパーソナリティ特性として、自己防衛機制についても、同じ概念軸への整理を試みる。
機制 定義
抑圧 脅威となる衝動や出来事を、意識の外に追い出し、無意識にすることで、強く抑制すること。 罪悪感を生む性的願望を「忘れる」。
投影 自身の受け入れがたい側面を別の誰かに帰属させること。 自分の受け入れがたい性的衝動を上司に帰属させる。
反動形成 不安を生みだす衝動を、意識の中で、その逆のものに置き換えること。 受け入れがたい憎しみの感情を愛情に変える。
合理化 より受け入れられる原因に帰属させることで、あることを受け入れられるようにすること。 攻撃的な行為を怒りの感情ではなく、働きすぎのせいにする。
昇華 社会的に受け入れられる方法で社会的に受け入れられない衝動を表現する。 他人を傷つけたくて兵士になる;肛門願望を満足させるために配管工になる。
(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅲ部 精神力動的・動機づけレベル、第9章 フロイト後の精神力動論、p.271、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

2020年7月27日月曜日

情念論(第2版)情動、欲求、意志の総合理論

情念論(第2版)情動、欲求、意志の総合理論

【情念論(第2版)情動、欲求、意志の総合理論】

《概要》
 情動、欲求、意志とは何か。この問いへの解答の骨格は、既にデカルト『情念論』に与えられており、基礎的な部分における修正は不要である。むしろ、人間に関する最も基礎的な概念を明確化し、総合的に理解するためには、デカルト『情念論』の再評価が必要である。ここでは、デカルト『情念論』のアップデートを試みる。
 情動は、その発動機制において神経生理学的な基盤を持ち、概念的にはある程度明確であるにもかかわらず、具体的な発現バリエーションが余りに多様で、総合的に論じられることがなかったように思われる。なぜ、このように多様な情動が生じるのかが、全体理解の鍵である。バリエーション展開の次元が、3つある。(1)情動誘発刺激の感覚様相の違い、すなわち外部感覚、肢体感覚、内臓感覚などによる違いである。次に、(2)情動誘発刺激は、感覚だけでなく、想起対象、想像対象であることによって、過去、未来(予測、規範、構想)といった様相を帯び、さらに認知対象、概念・理論対象の場合まで及ぶ。さらに、(3)情動誘発刺激として認知された対象が、外的対象、他者だけでなく、自己状態、他者状態、自己行為の他者評価、自己行為の自己評価、自己向け他者行為などの違いによって、情動の様相が変わってくる。これら3つの次元は、ほぼ独立の次元であり、この組み合わせが極めて多様な情動を生む。
 欲求と意志は、情動の中で基礎づけられる。情動は、個人の認知構造、信念体系を通じて、集団の持つ文化特性とも相関するため、情動の総合的な理解は、社会的な事象の解明のためにも基礎的な役割を演ずると思われる。

《改訂履歴》
2019/07/22 第1版 情念論
2020/07/27 第2版

《目次》

(1)驚き、恐怖
 (1.1)概要
 (1.2)情動とは何か、情動の暫定的定義
  (1.2.1)受動としての情動、情動の認知が喚起する情念、意志による構想が喚起する情操(アラン/エミール=オーギュスト・シャルティエ(1868-1951))
 (1.3)情動誘発刺激
 (1.4)驚き、過剰な驚きとしての恐怖
  (1.4.1)情念の起源としての驚き(アラン/エミール=オーギュスト・シャルティエ(1868-1951)
 (1.5)生物的準備性(スティーブン・ピンカー(1954-))
 (1.6)重視、軽視、崇敬、軽蔑
 (1.7)秩序欲求、理解欲求
(2)快、嫌悪
 (2.1)概要
 (2.2)視覚表象が誘発する快と嫌悪による美、醜の感知
 (2.3)外的感覚による表象が誘発する愛と憎しみによる広義の美、醜の感知
 (2.4)内的感覚と精神固有の理性による表象が誘発する愛と憎しみによる善、悪の感知
 (2.5)感覚が誘発する快と嫌悪、愛と憎しみは、通例強烈で欺くことがある
 (2.6)真なる美、醜、善、悪かどうかは別問題
 (2.7)所有への愛、対象への愛の区別
 (2.8)愛着、友愛、献身の区別
 (2.9)感覚欲求
(3)喜び、悲しみ
 (3.1)概要
 (3.2)喜び、悲しみ
 (3.3)善の保存の欲望、喜び
 (3.4)悪の回避の欲望、悲しみ
 (3.5)善の獲得の欲望、完全性への欲求、秩序と調和への愛
 (3.6)安心、希望、不安、執着、絶望、恐怖
 (3.7)現実自己、理想自己、あるべき自己
 (3.8)倦怠、嫌気、心残り、爽快
 (3.9)優越欲求、被害回避欲求
(4)内的自己満足、後悔
 (4.1)概要
 (4.2)内的自己満足、後悔
 (4.3)自己評価基準、自己称賛、自己非難
 (4.4)遊び欲求、自律欲求、達成欲求、反動欲求
(5)誇り、恥
 (5.1)概要
 (5.2)誇り、恥
 (5.3)内的帰属原因、外的帰属原因
 (5.4)同胞からの称賛への希望、非難への不安
 (5.5)顕示欲求、支配欲求、屈辱回避欲求、屈服欲求、服従欲求
(6)喜び、憐れみ、羨み、笑いと嘲り
 (6.1)概要
 (6.2)喜び、憐れみ、羨み、笑いと嘲り
 (6.3)愛育欲求、性愛欲求
(7)好意、憤慨
 (7.1)概要
 (7.2)好意、憤慨
 (7.3)欲情の愛、好意の愛の区別
 (7.4)親和欲求、拒否欲求、隔離欲求
(8)感謝、怒り
 (8.1)概要
 (8.2)感謝、怒り
 (8.3)怒りの効用
 (8.4)怒りの治療法
 (8.5)援助欲求、防衛欲求、攻撃欲求
(9)善、悪、美、醜と、情念の関係
 (9.1)善・悪、美・醜には真・偽の区別がある
 (9.2)真なる善、真なる美とは何か
  (9.2.1)真なる善への疑問(エリーザベト・フォン・デア・プファルツ(1618-1680))
  (9.2.2)情動が美・醜・善・悪を定義するわけではない
  (9.2.3)価値基準が普遍的なら、美・醜・善・悪が定義できる
  (9.2.4)事実言明から価値を導出することはできない(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))
  (9.2.5)価値とは単にある権威の恣意的な受容とは思われない(ジョージ・ゲイロード・シンプソン(1902-1984))
  (9.2.6)人間の本性や「自然」による価値基準の基礎づけは誤りである(アントニー・フルー(1923-2010))
  (9.2.7)世界の諸事実の中の人間の倫理という現象の理解が、価値を基礎づけることができる(コンラッド・ハル・ウォディントン(1905-1975))
  (9.2.8)諸事実だけでなく価値基準も、誤謬を含み得る仮説であり、その論理的帰結と経験による批判的討論の対象である(カール・ポパー(1902-1994))
  (9.2.9)善・悪、美・醜には真・偽の区別があり、経験と理性を用いて認識することができる(ルネ・デカルト(1596-1650))
 (9.3)真なる善・悪、偽なる善・悪による情念の評価
  (9.3.1)真なる原因に基づく快、愛、喜び、内的自己満足、誇り、好意、感謝
  (9.3.2)真なる原因に基づく嫌悪、憎しみ、悲しみ、後悔、恥、憐れみ、憤慨、怒り
  (9.3.3)偽なる原因に基づく快、愛、喜び、内的自己満足、誇り、好意、感謝
  (9.3.4)偽なる原因に基づく嫌悪、憎しみ、悲しみ、後悔、恥、憐れみ、憤慨、怒り
(10)情動誘発刺激の様々な様相、自然的欲求の位置づけ
 (10.1)情動とは何か、情動の暫定的定義
 (10.2)情動誘発刺激
 (10.3)情動誘発刺激の様々な様相
  (10.3.1)概要
  (10.3.2)外部感覚
  (10.3.3)共通感覚
  (10.3.4)自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様
  (10.3.5)身体ないしその一部に関係づける知覚としての、飢え、渇き、その他の自然的欲求
  (10.3.6)精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想
  (10.3.7)認知
  (10.3.8)想起
  (10.3.9)想像
  (10.3.10)理解
  (10.3.11)運動・行動
 (10.4)有能性への欲望
(11)欲求の階層
 (11.1)マズローの欲求の階層の新解釈
(12)自由意志論
 (12.1)受け継がれてきた文化の受け容れ(真理、価値)
 (12.2)真理は、経験と理性によって認識することができる
 (12.3)自己の情念は概ね頼りになる
 (12.4)自己の情念に従うことの是非
 (12.5)価値も、経験と理性により認識できる
 (12.6)私たちに依存するものと、依存しないものを区別すること
 (12.7)意志の自由の存在
 (12.8)意志決定に伴う情動
  (12.8.1)概要
  (12.8.2)自己状態の予測に伴う情動(再掲)
  (12.8.3)自己行為の自己評価に伴う情動(再掲)
  (12.8.4)意志決定に伴う情動
  (12.8.5)不確かさへの志向(リチャード・M・ソレンティーノ(1943-)
  (12.8.6)過去の意志決定に伴う情動
  (12.8.7)徳という欲望
  (12.8.8)自己評価の高慢と高邁の違い
   (12.8.8.1)高邁
   (12.8.8.2)高慢
  (12.8.9)高邁の反対の卑屈の情念

《情動と欲望の一覧》

(1)驚き、恐怖
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 すべて   新奇性 驚き  驚き          好奇心
           面白い(Malatesta/Haviland 1982)
           動揺(Fromme/O'Brien 1982)
           緊張(Arieti 1970)
           恐怖  恐怖          好奇心
                           秩序欲求
                           理解欲求
                           認知の欲求
                           安全と安定
                           の欲求
 外的対象  価値  重視              所有欲求
                           支配欲求
       無価値 軽視
 人間    価値  崇敬              服従欲求
       無価値 軽蔑              支配欲求

(2)快、嫌悪
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 外的対象  美   快               感覚遊び
                           感覚欲求
                           芸術
                           美への愛
                           審美的欲求
       醜   嫌悪
      広義の美 美への愛
           所有への愛           所有欲求
           対象への愛
      広義の醜 醜への憎しみ
 他者   広義の美 美への愛
           愛情(Darwin 1872)
      低い価値 愛着
      同等価値 友愛
      高い価値 献身
      広義の醜 醜への憎しみ
 認知対象と 善   愛
 理論対象  悪   憎しみ


(3)喜び、悲しみ
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 自己状態  健康  快       予感(Pluchik 1980)
       病気  不快      予感      安全と安心の欲求
       善   喜び      安心      善の保存の欲望
           幸せ(Fehr/Russell 1984)
           意気揚々(Fromme/O'Brien 1982)
           満足(Fromme/O'Brien 1982)
           静穏(Osgood 1966)
       善→善 倦怠、嫌気   希望      優越欲求
           退屈(Osgood 1966)
                   不安、恐怖
                   執着
                   絶望
                   苦悩(Izard 1977,1992b)
                   期待(Osgood 1966)
       悪→善 喜び  爽快
       善→悪 悲しみ 心残り
       悪   悲しみ     不安、恐怖   悪の回避の欲望
       悪→悪 悲しみ     絶望      被害回避欲求
           の癒し             善の獲得の欲望
           受容(Pluchik 1980)
                           完全性へ
                            の欲望
                           秩序と調和
                            への欲望
 現実自己      喜び              理想自己
           落胆、不満           理想自己
 現実自己      喜び          あるべき自己
           罪悪感と        あるべき自己
           自己卑下
 現実自己      喜び              他者(理想自己)
           恥、当惑            他者(理想自己)
 現実自己      喜び          他者(あるべき自己)
           危機感と        他者(あるべき自己)
           恐れ

(4)内的自己満足、後悔
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 自己行為の 成功  快               身体遊び
 自己評価                      活動欲求
           楽しい(Izard 1977,1992b)
                           遊び欲求
                           スポーツ
       失敗  不快
       善      内的自己満足  自己評価 意志を実現
              自己の尊厳感   の基準 させる力へ欲求
                           自律欲求
                           達成欲求
                           自己尊重の欲求
       悪      後悔      自己評価 反動欲求
              廉恥心      の基準

(5)誇り、恥
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 自己行為の 成功  快               同情的な
 他者評価  失敗  不快              支持への欲求
 自己行為の 善       誇り          同胞からの
 他者評価                      賞賛への希望
                           顕示欲求
                           支配欲求
                           屈辱回避欲求
                           承認の欲求
       悪       恥   同胞からの   屈服欲求
                   非難への不安  服従欲求
                       罪(Izard 1977,1992b)
 内的理由  成功      大きい誇り
 外的理由  成功      小さい誇り
 内的理由  失敗      大きい恥
 外的理由  失敗      小さい恥

(6)喜び、憐れみ、羨み、笑いと嘲り
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 他者状態 他者情動 共感              愛育欲求
           博愛感情            性愛欲求
       善   喜び      羨み
       悪   憐れみ     笑いと嘲り

(7)好意、憤慨
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 他者行為  善   好意              親和欲求
           言い寄り(Trevarthen 1984)
           欲情の愛
           好意の愛
       悪   憤慨              拒否欲求
           反抗(Trevarthen 1984)
                           隔離欲求
           侮蔑(Izard 1977,1992b)

(8)感謝、怒り
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 自己向け  善   感謝              援助欲求
 他者行為                      愛と集団帰属
                           の欲求
       悪   怒り              防衛欲求
                           攻撃欲求
(10)情動誘発刺激の様々な様相、自然的欲求の位置づけ
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 すべて   新奇性 驚き  驚き          好奇心
           面白い(Malatesta/Haviland 1982)
           動揺(Fromme/O'Brien 1982)
           緊張(Arieti 1970)
           恐怖  恐怖          好奇心
                           秩序欲求
                           理解欲求
                           認知の欲求
                           安全と安定
                           の欲求
 外部感覚 広義の美 快               有能性への欲望
           感覚遊び            刺激への欲求
                           美への欲求
                           芸術
      広義の醜 嫌悪
 共通感覚 広義の美 快
      広義の醜 嫌悪
 肢体状況 広義の美 快
      広義の醜 嫌悪
           痛み
 自然的  広義の美 快               自然的欲求
   欲求 広義の醜 嫌悪
           飢え、渇き
           気持ち悪い
           嘔吐
 幻覚・  広義の美 快
   夢想 広義の醜 嫌悪
 認知対象 広義の美 快               有能性への欲望
                           認知の欲求
      広義の醜 嫌悪
 想起対象 広義の美 快               有能性への欲望
      広義の醜 嫌悪
 想像対象 広義の美 快               有能性への欲望
           想像遊び
      広義の醜 嫌悪
 理解対象 広義の美 快               有能性への欲望
           知的遊び            認識への欲求
                           学問
      広義の醜 嫌悪
 理論対象  善   愛
       悪   憎しみ
 運動・  広義の美 快               有能性への欲望
   行動      身体的遊び           活動欲求
                           スポーツ
      広義の醜 嫌悪

(12.8)意志決定に伴う情動
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 自己状態  善   喜び      安心
       悪   悲しみ     希望
                   不安
                   執着
                   絶望
 自己行為の 善       内的自己満足
 自己評価  悪       後悔
 意志以外の     高慢
 属性保持者     謙虚
 としての自己
 意志決定者     高邁  良心の 不決断     徳という
 としての自己    卑屈  悔恨          欲望
                   大胆、勇気
                   対抗心
                   臆病、恐怖
      不確かさ 快               不確かさ志向
           不快              不確かさ回避


(1)驚き、恐怖
《目次》
 (1.1)概要
 (1.2)情動とは何か、情動の暫定的定義
  (1.2.1)受動としての情動、情動の認知が喚起する情念、意志による構想が喚起する情操(アラン/エミール=オーギュスト・シャルティエ(1868-1951))
 (1.3)情動誘発刺激
 (1.4)驚き、過剰な驚きとしての恐怖
  (1.4.1)情念の起源としての驚き(アラン/エミール=オーギュスト・シャルティエ(1868-1951)
 (1.5)生物的準備性(スティーブン・ピンカー(1954-))
 (1.6)重視、軽視、崇敬、軽蔑
 (1.7)秩序欲求、理解欲求

 (1.1)概要
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 すべて   新奇性 驚き  驚き          好奇心
           面白い(Malatesta/Haviland 1982)
           動揺(Fromme/O'Brien 1982)
           緊張(Arieti 1970)
           恐怖  恐怖          好奇心
                           秩序欲求
                           理解欲求
                           認知の欲求
                           安全と安定
                           の欲求
 外的対象  価値  重視              所有欲求
                           支配欲求
       無価値 軽視
 人間    価値  崇敬              服従欲求
       無価値 軽蔑              支配欲求

※面白い、動揺、緊張は下記参照。
原基感情(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

 (1.2)情動とは何か、情動の暫定的定義
  感覚で与えられた対象や事象、あるいは想起された対象や事象を感知したとき、自動的に引き起こされる身体的パターンであり、喜び、悲しみ、恐れ、怒りなどの語彙で表現される。それは、対象や事象の評価を含み、脳や身体の状態を一時的に変更することで、思考や行動に影響を与える。
  参照: 狭義の情動とは?(アントニオ・ダマシオ(1944-))

  (1.2.1)受動としての情動、情動の認知が喚起する情念、意志による構想が喚起する情操(アラン/エミール=オーギュスト・シャルティエ(1868-1951))
  「情操(sentiment):これは感情(affection)の最も高い段階である。最も低い段階は情動(émotion)であり、それは外的な刺激とそれが喚起する本能的な反応(震える、泣く、赤くなる)に次いで、突然、われわれの意に反して襲ってくるものである。中間の段階は情念(passion)であり、これは情動についての反省であり、情動についての恐れであり、情動についての欲望であり、予見であり呪いである。例えば、恐れは情動であり、臆病は情念である。これらに対応する情操(sentiment)は勇気である。あらゆる情操は意志を再獲得することによって形作られる(愛は愛することを誓うことであるように)。そして根本情操(le sentiment fondamental)とは、自由意志(libre arbitre)の情操(又は尊厳の情操、又はデカルトが述べたように高邁(générosité)の情操)である。この情操はどこかしら崇高さを帯びており、種々の特殊情操(les sentiments particuliers)の内に見出されるものである。情操の境位では、自らが欲する通りに感じることを望むのだが、もちろんそれは決して達せられることはない。情操の中の、乗り越えられた情動と情念のざわめく残滓が、情操の素材なのである。例えば、勇気の中の恐れ、愛の中の欲望、慈愛の中の痛みへの恐怖。人は情操とは最も深い確実さの源泉であることに気づくであろう。(AD 1088 “Définition”)」
(出典:アランの情念論の二つの源泉--デカルトの情念論とラニョーの反省哲学(小林敬,2019)

 (1.3)情動誘発刺激
  視覚だけではなく、〈特殊感覚〉のうち聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚、〈表在性感覚〉(皮膚の触覚、圧覚、痛覚、温覚)、〈深部感覚〉(筋、腱、骨膜、関節の感覚)、〈内臓感覚〉(空腹感、満腹感、口渇感、悪心、尿意、便意、内臓痛など)、「精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想」によって情念が生じる場合も、同様である。

 (1.4)驚き、過剰な驚きとしての恐怖
  「驚き」に不意を打たれ、激しく揺り動かさるとき、そこには既知ではない、想定外の、初めて出会う新しい対象が存在する。驚きが、知らなかったことを学ばせ、記憶にとどめさせる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)

  (1.4.1)情念の起源としての驚き(アラン/エミール=オーギュスト・シャルティエ(1868-1951))
   「知性最初の接触、それも新しい対象がわれわれを害するものか益するものかを想定するより以前の、最初の接触のうちに情念的なるものが在る、ということを見抜くのは、まさにデカルトのような人でないと不可能だ。さらに、初発の好奇心を恐れおよび希望から切り離して、しかも身体から切り離すことをしなかったのは、まさに天才のやり方だ。そしてもう一つの指摘は、驚異をあらゆる情念のうちで最初のものであり、あらゆる情念の起源(origine)に見出されるものであると見抜いたことであるが、そうであるが故にいっそう素晴らしいのである。(PS 983 “Descartes”)」
(出典:アランの情念論の二つの源泉--デカルトの情念論とラニョーの反省哲学(小林敬,2019)

 (1.5)生物的準備性(スティーブン・ピンカー(1954-))
   恐怖の対象となるものは、習慣や文化の違いを超えた共通性が存在する。例えば、ヘビ、クモ、血、嵐、高所、暗闇、見知らぬ人への恐怖。恐怖以外に共通な能力の例:言語の獲得、数学的な技能、音楽の観賞、空間知覚など(スティーブン・ピンカー(1954-))

(出典:wikipedia
検索(スティーブン・ピンカー)

 (1.6)重視、軽視、崇敬、軽蔑
  重視:価値ある、偉大な対象であるという判断に伴う驚き。
  軽視:価値のない、つまらない対象であるという判断に伴う驚き。
   参照:〈重視〉と〈軽視〉(ルネ・デカルト(1596-1650))
  崇敬:他者が、価値ある、偉大な対象であるという判断に伴う驚き。
  軽蔑:他者が、価値のない、つまらない対象であるという判断に伴う驚き。
   参照:〈崇敬〉と〈軽蔑〉(ルネ・デカルト(1596-1650))
   参照:崇敬とは、愛や献身とは異なり、善または悪をなしうる驚くべき大きな自由原因に対し、その対象から好意を得ようと努め何らかの不安を持って、その対象に服従しようとする、精神の傾向である。(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (1.7)秩序欲求、理解欲求
  マレーの高次欲求を、以下の仮説に従って分類した。すなわち、欲求とは、想起、想像、理解された対象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快または不快の情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。
  驚き、恐怖を回避する未来が指向される(秩序、理解欲求)
   秩序:秩序と清潔さを達成すること
   理解:疑問をもち、考えること
  参照:高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))
(出典:wikipedia
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)

(2)快、嫌悪
《目次》
 (2.1)概要
 (2.2)視覚表象が誘発する快と嫌悪による美、醜の感知
 (2.3)外的感覚による表象が誘発する愛と憎しみによる広義の美、醜の感知
 (2.4)内的感覚と精神固有の理性による表象が誘発する愛と憎しみによる善、悪の感知
 (2.5)感覚が誘発する快と嫌悪、愛と憎しみは、通例強烈で欺くことがある
 (2.6)真なる美、醜、善、悪かどうかは別問題
 (2.7)所有への愛、対象への愛の区別
 (2.8)愛着、友愛、献身の区別
 (2.9)感覚欲求

 (2.1)概要
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 外的対象  美   快               感覚遊び
                           感覚欲求
                           芸術
                           美への愛
                           審美的欲求
       醜   嫌悪
      広義の美 美への愛
           所有への愛           所有欲求
           対象への愛
      広義の醜 醜への憎しみ
 他者   広義の美 美への愛
           愛情(Darwin 1872)
      低い価値 愛着
      同等価値 友愛
      高い価値 献身
      広義の醜 醜への憎しみ
 認知対象と 善   愛
 理論対象  悪   憎しみ

※愛情は下記参照。
原基感情(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

 (2.2)視覚表象が誘発する快と嫌悪による美、醜の感知
  視覚で与えられた対象に「快」を感じるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それが〈美〉である。視覚で与えられた対象に「嫌悪」ないし「嫌忌」を感じるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在し、それが本性を害するとき、それが〈醜〉である。
  参照: 美の感知(快)、醜の感知(嫌悪)、広義の美の感知(愛)、広義の醜の感知(憎しみ)、善の感知(愛)、悪の感知(憎しみ)。快と嫌悪の情念は、他の種類の愛や憎しみより、通例いっそう強烈であり、また欺くこともある。(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (2.3)外的感覚による表象が誘発する愛と憎しみによる広義の美、醜の感知

 (2.4)内的感覚と精神固有の理性による表象が誘発する愛と憎しみによる善、悪の感知
  意志に依存するいっさいの想像、思考や理性がとらえた対象に「快」を感じるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それが〈善〉であり、この快の情動を、〈善への愛〉という。快を感じさせるすべてのものが〈善〉であるわけではない。
  意志に依存するいっさいの想像、思考や理性がとらえた対象に「嫌悪」ないし「嫌忌」を感じるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するとき、それが〈悪〉である。
 (2.5)感覚が誘発する快と嫌悪、愛と憎しみは、通例強烈で欺くことがある
  快と嫌悪の情念は、他の種類の愛や憎しみより、通例いっそう強烈である。なぜなら、感覚が表象して精神にやってくるものは、理性が表象するものよりも強く精神を刺激するからである。
  参照: 〈欲望〉の種類は、〈愛〉や〈憎しみ〉の種類の数だけある。そして最も注目すべき最強の〈欲望〉は、〈快〉と〈嫌悪〉から生じる〈欲望〉である。(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (2.6)真なる美、醜、善、悪かどうかは別問題
  快を感じさせるすべてのものが〈美〉であるわけではない。「それらはふつう、真理性がより少ない。したがって、あらゆる情念のうちで、最も欺くもの、最も注意深く控えるべきものは、これらの情念である。」情動と〈美〉とのこの関係性は、以下、情動と〈醜〉、〈善〉、〈悪〉との関係においても同様である。

 (2.7)所有への愛、対象への愛の区別
  参照: 〈所有への愛〉、〈対象そのものへの愛〉(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (a)ある対象を「所有したい」と感じるとき、それは、私たちの本性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈美〉〈広義の美〉〈善〉であり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。例として、野心家が求める栄誉、主銭奴が求める金銭、酒飲みが求める酒、獣的な者が求める女。
  (b)ある対象を第二の自己自身と考えて、その対象にとっての〈善〉を自分の〈善〉のごとく求めるとき、あるいはそれ以上の気遣いをもって求めるとき、それは、私たちの本性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈善〉であり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。例として、有徳な人にとっての友人、よき父にとっての子供たち。

 (2.8)愛着、友愛、献身の区別
  参照: 〈愛着〉、〈友愛〉、〈献身〉(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (a)ある対象に「愛着」を感じるとき、それは、自分以下に評価されている、私たちの本性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈美〉〈広義の美〉〈善〉であり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。例として、一つの花、一羽の鳥、一頭の馬。
  (b)ある対象に「友愛」を感じるとき、それは、自分と同等に評価されている、私たちの本性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈善〉であり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。
  (c)ある対象に「献身」を感じるとき、それは、自分よりも高く評価されている、私たちの本性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈善〉であり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。例として、神に対して、ある国に対して、ある個人に対して、ある君主に対して、ある都市に対して。

 (2.9)感覚欲求
  マレーの高次欲求を、以下の仮説に従って分類した。すなわち、欲求とは、想起、想像、理解された対象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快または不快の情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。
  外的対象が快となる未来が指向される(感覚欲求)
   感覚:感覚的満足を得ること
  参照:高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))
(出典:wikipedia
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)
(3)喜び、悲しみ
《目次》
 (3.1)概要
 (3.2)喜び、悲しみ
 (3.3)善の保存の欲望、喜び
 (3.4)悪の回避の欲望、悲しみ
 (3.5)善の獲得の欲望、完全性への欲求、秩序と調和への愛
 (3.6)安心、希望、不安、執着、絶望、恐怖
 (3.7)現実自己、理想自己、あるべき自己
 (3.8)倦怠、嫌気、心残り、爽快
 (3.9)優越欲求、被害回避欲求

 (3.1)概要
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 自己状態  健康  快       予感(Pluchik 1980)
       病気  不快      予感      安全と安心の欲求
       善   喜び      安心      善の保存の欲望
           幸せ(Fehr/Russell 1984)
           意気揚々(Fromme/O'Brien 1982)
           満足(Fromme/O'Brien 1982)
           静穏(Osgood 1966)
       善→善 倦怠、嫌気   希望      優越欲求
           退屈(Osgood 1966)
                   不安、恐怖
                   執着
                   絶望
                   苦悩(Izard 1977,1992b)
                   期待(Osgood 1966)
       悪→善 喜び  爽快
       善→悪 悲しみ 心残り
       悪   悲しみ     不安、恐怖   悪の回避の欲望
       悪→悪 悲しみ     絶望      被害回避欲求
           の癒し             善の獲得の欲望
           受容(Pluchik 1980)
                           完全性へ
                            の欲望
                           秩序と調和
                            への欲望
 現実自己      喜び              理想自己
           落胆、不満           理想自己
 現実自己      喜び          あるべき自己
           罪悪感と        あるべき自己
           自己卑下
 現実自己      喜び              他者(理想自己)
           恥、当惑            他者(理想自己)
 現実自己      喜び          他者(あるべき自己)
           危機感と        他者(あるべき自己)
           恐れ

※予感、幸せ、意気揚々、満足、静穏、退屈、苦悩、期待、受容は下記参照。
原基感情(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

 (3.2)喜び、悲しみ
  私たちの現在の状況が「喜び」を感じさせるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。また、「悲しみ」を感じさせるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。
  参照:〈喜び〉、〈悲しみ〉(ルネ・デカルト(1596-1650))
 (3.3)善の保存の欲望、喜び
  わたしたち自身の現在の状況が、「喜び」を感じさせるとき、未来においてもそれを保存しようと「欲望」されるとき、そこには、私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。
 (3.4)悪の回避の欲望、悲しみ
  わたしたち自身の現在の状況が、「悲しみ」を感じさせるとき、未来においてはそれを無くそうと「欲望」されるとき、そこには、私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。
 (3.5)善の獲得の欲望、完全性への欲求、秩序と調和への愛
  (a)わたしたち自身のめざすべき未来が、新たな未来の獲得として「欲望」されるとき、このめざすべき未来には私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。
  (b)参照:〈欲望〉(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (c)完全性への欲求
   あらゆる理想的目的をそれ自体として追求すること。
  (d)秩序と調和への愛
   あらゆる事物における秩序、適合、調和や、それらが目的にかなっていることへの愛である。

 (3.6)安心、希望、不安、執着、絶望、恐怖
  善の獲得、悪の回避等が可能であると考えただけで、〈欲望〉がそそられる。そして、実現の見込みの大きさに応じて、次の情動が生じる:〈安心〉〈希望〉〈不安〉〈執着〉〈絶望〉。(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (a)善の獲得、悪の回避等の「欲望がそそられる」ときは、善の獲得、悪の回避等は可能だと考えられている。
  (b)善の獲得、悪の回避等が欲望され「安心」を感じているときは、善の獲得、悪の回避等の見込みが極度に大きいと考えられている。
  (c)善の獲得、悪の回避等が欲望され「希望」を感じているときは、善の獲得、悪の回避等の見込みが多いと考えられている。
  (d)善の獲得、悪の回避等が欲望され「不安」を感じているときは、善の獲得、悪の回避等の見込みがわずかであると考えられている。
  (e)善の獲得、悪の回避等が欲望され、それに「執着」しているときも、善の獲得、悪の回避等の見込みがわずかであると考えられている。この情動は、不安の一種である。
  (f)善の獲得、悪の回避等が欲望され「絶望」を感じているときは、善の獲得、悪の回避等の見込みが極度にわずかであると考えられている。
  (g)不安の過剰は〈恐怖〉となる。


 (3.7)現実自己、理想自己、あるべき自己
  (a) 自己に関する概念のタイプ:現実自己、理想自己、あるべき自己に関する信念。特定の重要他者が考えているであろう現実自己、理想自己、あるべき自己に関する自分自身の想定。(E・トーリー・ヒギンズ(1946-))
  (b) 現在の状況が感じさせる「落胆および不満」と「罪悪感および自己卑下」が、理想自己、あるべき自己を暗示する。「恥および当惑」と「恐れおよび危機感」が、特定の重要他者が考えると想定している理想自己、あるべき自己を暗示する。(E・トーリー・ヒギンズ(1946-))

(出典:Social Psychology Network
検索(E・トーリー・ヒギンズ)

  (c)現実自己、理想自己、あるべき自己
   (c.1)私(現実自己):自分が実際に持っている属性に関する信念
   (c.2)私(理想自己):自分が理想として持ちたい属性に関する信念
   (c.3)私(あるべき自己):自分が持つべき属性に関する信念
   (c.4)私(他者(現実自己)):特定の重要他者が考える自分が実際に持っている属性に関する想定
   (c.5)私(他者(理想自己)):特定の重要他者が考える自分が理想として持ちたい属性に関する想定
   (c.6)私(他者(あるべき自己)):特定の重要他者が考える自分が持つべき属性に関する想定

 (3.8)倦怠、嫌気、心残り、爽快
  善も持続すれば、倦怠やいやけを生じさせる。これに対し、悪も持続すれば、悲しみを軽減する。過ぎ去った善からは心残りが生じ、それは悲しみの一種である。そして過ぎ去った悪からは爽快が生じ、これは喜びの一種である。
  参照:・〈倦怠〉、〈いやけ〉、〈心残り〉、〈爽快〉(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (3.9)優越欲求、被害回避欲求
  マレーの高次欲求を、以下の仮説に従って分類した。すなわち、欲求とは、想起、想像、理解された対象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快または不快の情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。
  不快な自己状態を回避する未来が指向される(優越、被害回避欲求)
   優越:障害物を乗り越えること
   被害回避:苦痛と傷害を避ける
  参照:高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))
(出典:wikipedia
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)
(4)内的自己満足、後悔
《目次》
 (4.1)概要
 (4.2)内的自己満足、後悔
 (4.3)自己評価基準、自己称賛、自己非難
 (4.4)遊び欲求、自律欲求、達成欲求、反動欲求

 (4.1)概要
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 自己行為の 成功  快               身体遊び
 自己評価                      活動欲求
           楽しい(Izard 1977,1992b)
                           遊び欲求
                           スポーツ
       失敗  不快
       善      内的自己満足  自己評価 意志を実現
              自己の尊厳感   の基準 させる力へ欲求
                           自律欲求
                           達成欲求
                           自己尊重の欲求
       悪      後悔      自己評価 反動欲求
              廉恥心      の基準

※楽しいは下記参照。
原基感情(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

 (4.2)内的自己満足、後悔
  意志に依存する想像、思考や理性がとらえた、わたしたち自身によって過去なされたことが、「内的自己満足」を感じさせるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。また、わたしたち自身によって過去なされたことが、「後悔」を感じさせるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。
  参照:〈内的自己満足〉、〈後悔〉、後悔の効用(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (4.3)自己評価基準、自己称賛、自己非難
   人は、自己評価基準を持っており、これにより自己を査定、評価し、これに合わせて自己賞賛や自己非難、報酬や罰を自分自身に与えることができる。(アルバート・バンデューラ(1925-))

(出典:wikipedia
検索(アルバート・バンデューラ)

  (a)人は、自分のために自分で開発した評価基準を、持っている。
  (b)人は、この評価基準により、自分自身の行動や、行動の結果を査定、判断し、自分自身を肯定的に評価したり、否定的に評価し、自信が持てなくなったりする。
  (c)人は、自己評価に合わせて、心理的に自己賞賛や自己非難をしたり、社会的、物的な報酬を与えて甘やかしたり、罰を与えて傷つけたりすることができる。

 (4.4)遊び欲求、自律欲求、達成欲求、反動欲求
  マレーの高次欲求を、以下の仮説に従って分類した。すなわち、欲求とは、想起、想像、理解された対象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快または不快の情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。
  自己行為の自己評価が快となる未来が指向される(遊び、自律、達成欲求)
   遊び:リラックスすること
   自律:独立に向けて努力すること
   達成:目標に向けて、すばやく、うまく努力し、到達すること
  不快な自己行為の自己評価を回避する未来が指向される(反動欲求)
   反動:挫折に打ち克つこと
  参照:高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))
(出典:wikipedia
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)
(5)誇り、恥
《目次》
 (5.1)概要
 (5.2)誇り、恥
 (5.3)内的帰属原因、外的帰属原因
 (5.4)同胞からの称賛への希望、非難への不安
 (5.5)顕示欲求、支配欲求、屈辱回避欲求、屈服欲求、服従欲求

 (5.1)概要
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 自己行為の 成功  快               同情的な
 他者評価  失敗  不快              支持への欲求
 自己行為の 善       誇り          同胞からの
 他者評価                      賞賛への希望
                           顕示欲求
                           支配欲求
                           屈辱回避欲求
                           承認の欲求
       悪       恥   同胞からの   屈服欲求
                   非難への不安  服従欲求
                       罪(Izard 1977,1992b)
 内的理由  成功      大きい誇り
 外的理由  成功      小さい誇り
 内的理由  失敗      大きい恥
 外的理由  失敗      小さい恥

※罪は下記参照。
原基感情(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

 (5.2)誇り、恥
  わたしたち自身によって過去なされたことについての、または現在のわたしたち自身についての、他の人たちが持ちうる意見を考えるときに「誇り」を感じさせるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。また、他の人たちが持ちうる意見を考えるときに「恥」を感じさせるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。
  参照:〈誇り〉、〈恥〉(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (5.3)内的帰属原因、外的帰属原因
   一般的に誇りや恥は、達成の結果つまり失敗や成功が、内的に帰属されるときに最大化され、外的に帰属されるときに最小化される。(バーナード・ウェイナー(1935-))

(出典:ResearchGate
検索(バーナード・ウェイナー)
検索(Bernard Weiner)

 (5.4)同胞からの称賛への希望、非難への不安
  誇りは希望によって徳へ促し、恥は不安によって徳へ促す。また仮に、真の善・悪でなくとも、世間の人たちの非難、賞賛は十分に考慮すること。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (a)善の保存、獲得の欲望、同胞からよく思われたいという希望
  (b)悪の回避の欲望、同胞からの不興を買うことを恐れる気持ち

 (5.5)顕示欲求、支配欲求、屈辱回避欲求、屈服欲求、服従欲求
  マレーの高次欲求を、以下の仮説に従って分類した。すなわち、欲求とは、想起、想像、理解された対象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快または不快の情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。
  自己行為の他者評価が快となる未来が指向される(支配、顕示、屈辱回避欲求)
   顕示:興奮させ、衝撃を与え、自己脚色すること
   支配:他者を支配し、影響を与えること
   屈辱回避:屈辱を避ける
  不快な自己行為の他者評価を回避する未来が指向される(屈服、服従欲求)
   屈服:罰に従い、受け入れること
   服従:喜んで仕えること
  参照:高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))
(出典:wikipedia
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)
(6)喜び、憐れみ、羨み、笑いと嘲り
《目次》
 (6.1)概要
 (6.2)喜び、憐れみ、羨み、笑いと嘲り
 (6.3)愛育欲求、性愛欲求

 (6.1)概要
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 他者状態 他者情動 共感              愛育欲求
           博愛感情            性愛欲求
       善   喜び      羨み
       悪   憐れみ     笑いと嘲り

 (6.2)喜び、憐れみ、羨み、笑いと嘲り
  他の人たちの現在の状況や未来に生じる状況が「喜び」や「うらやみ」を感じさせるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。この〈善〉が、その人たちにふさわしいか、ふさわしくないかに応じて、「喜び」または「うらやみ」を感じる。
  また、「笑いと嘲り」や「憐れみ」を感じさせるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。この〈悪〉が、その人たちにふさわしいか、ふさわしくないかに応じて、「笑いと嘲り」または「憐れみ」を感じる。
  参照:〈喜び〉、〈うらやみ〉、〈笑いと嘲り〉、〈憐れみ〉(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (6.3)愛育欲求、性愛欲求
  マレーの高次欲求を、以下の仮説に従って分類した。すなわち、欲求とは、想起、想像、理解された対象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快または不快の情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。
  他者状態が快となる未来が指向される(愛育、性愛欲求)
   愛育:無力な子どもを助け、あるいは守ること
   性愛:性愛関係をつくること
  参照:高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))
(出典:wikipedia
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)
(7)好意、憤慨
《目次》
 (7.1)概要
 (7.2)好意、憤慨
 (7.3)欲情の愛、好意の愛の区別
 (7.4)親和欲求、拒否欲求、隔離欲求

 (7.1)概要
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 他者行為  善   好意              親和欲求
           言い寄り(Trevarthen 1984)
           欲情の愛
           好意の愛
       悪   憤慨              拒否欲求
           反抗(Trevarthen 1984)
                           隔離欲求
           侮蔑(Izard 1977,1992b)

※言い寄り、反抗、侮蔑は下記参照。
原基感情(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

 (7.2)好意、憤慨
  参照:〈好意〉、〈感謝〉(ルネ・デカルト(1596-1650))
  参照:〈憤慨〉、〈怒り〉(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (7.3)欲情の愛、好意の愛の区別
  参照: 〈欲情の愛〉、〈好意の愛〉(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (a)ある対象に「欲望」を感じるとき、それは、私たちの本性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈美〉〈広義の美〉〈善〉であり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。
  (b)ある対象に「好意」を感じ、その対象のために〈善〉を意志することを促されるとき、それは、私たちの本性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈善〉であり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。

 (7.4)親和欲求、拒否欲求、隔離欲求
  マレーの高次欲求を、以下の仮説に従って分類した。すなわち、欲求とは、想起、想像、理解された対象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快または不快の情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。
  他者行為が快となる未来が指向される(親和欲求)
   親和:友情を形成すること
  不快な他者行為を回避する未来が指向される(拒否、隔離欲求)
   拒否:嫌いな人を拒絶すること
   隔離:他者と離れたところにいること
  参照:高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))
(出典:wikipedia
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)
(8)感謝、怒り
《目次》
 (8.1)概要
 (8.2)感謝、怒り
 (8.3)怒りの効用
 (8.4)怒りの治療法
 (8.5)援助欲求、防衛欲求、攻撃欲求

 (8.1)概要
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 自己向け  善   感謝              援助欲求
 他者行為  悪   怒り              防衛欲求
                           攻撃欲求
                           愛と集団帰属
                           の欲求

 (8.2)感謝、怒り
  意志に依存する想像、思考や理性がとらえた、他の人たちによってなされた行為が、「好意」を感じさせるとき、またその行為がわたしたちに対してなされ「感謝」を感じさせるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。
  意志に依存する想像、思考や理性がとらえた、他の人たちによってなされた行為が、「憤慨」を感じさせるとき、またその行為がわたしたちに対してなされ「怒り」を感じさせるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。
  参照:〈好意〉、〈感謝〉(ルネ・デカルト(1596-1650))
  参照:〈憤慨〉、〈怒り〉(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (8.3)怒りの効用
  参照:怒りの効用、および怒りの治療法(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (a)怒りは、他から受ける損害を押しのける活力を与えてくれることで有用である。

 (8.4)怒りの治療法
  (a)高慢は、怒りを過剰にする。
   参照:自由意志以外のすべての善、例えば才能、美、富、名誉などによって、自分自身を過分に評価してうぬぼれる人たちは、真の高邁をもたず、ただ高慢をもつだけだ。高慢は、つねにきわめて悪い。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (b)高邁こそが、怒りの過剰に対して見いだされる最良の治療法である。
   参照:自ら最善と判断することを実行する確固とした決意と、この自由意志のみが真に自己に属しており、正当な賞賛・非難の理由であるとの認識が、自己を重視するようにさせる真の高邁の情念を感じさせる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (i)高邁は、奪われることがあり得るような善を、すべて重視しないようにさせる。
   (ii)怒ることにより失われてしまう自由や、自己支配を重視するので、他の人ならふつう腹を立てるような損害に対しても、軽視、あるいはたかだか憤慨を持つだけにさせる。

 (8.5)援助欲求、防衛欲求、攻撃欲求
  マレーの高次欲求を、以下の仮説に従って分類した。すなわち、欲求とは、想起、想像、理解された対象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快または不快の情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。
  自己向け他者行為が快となる未来が指向される(援助欲求)
   援助:栄養、愛情、援助を求めること
  不快な自己向け他者行為を回避する未来が指向される(防衛、攻撃欲求)
   防衛:防衛し、正当化すること
   攻撃:他者を傷つけること
  参照:高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))
(出典:wikipedia
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)

(9)善、悪、美、醜と、情念の関係
《目次》
 (9.1)善・悪、美・醜には真・偽の区別がある
 (9.2)真なる善、真なる美とは何か
  (9.2.1)真なる善への疑問(エリーザベト・フォン・デア・プファルツ(1618-1680))
  (9.2.2)情動が美・醜・善・悪を定義するわけではない
  (9.2.3)価値基準が普遍的なら、美・醜・善・悪が定義できる
  (9.2.4)事実言明から価値を導出することはできない(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))
  (9.2.5)価値とは単にある権威の恣意的な受容とは思われない(ジョージ・ゲイロード・シンプソン(1902-1984))
  (9.2.6)人間の本性や「自然」による価値基準の基礎づけは誤りである(アントニー・フルー(1923-2010))
  (9.2.7)世界の諸事実の中の人間の倫理という現象の理解が、価値を基礎づけることができる(コンラッド・ハル・ウォディントン(1905-1975))
  (9.2.8)諸事実だけでなく価値基準も、誤謬を含み得る仮説であり、その論理的帰結と経験による批判的討論の対象である(カール・ポパー(1902-1994))
  (9.2.9)善・悪、美・醜には真・偽の区別があり、経験と理性を用いて認識することができる(ルネ・デカルト(1596-1650))
 (9.3)真なる善・悪、偽なる善・悪による情念の評価
  (9.3.1)真なる原因に基づく快、愛、喜び、内的自己満足、誇り、好意、感謝
  (9.3.2)真なる原因に基づく嫌悪、憎しみ、悲しみ、後悔、恥、憐れみ、憤慨、怒り
  (9.3.3)偽なる原因に基づく快、愛、喜び、内的自己満足、誇り、好意、感謝
  (9.3.4)偽なる原因に基づく嫌悪、憎しみ、悲しみ、後悔、恥、憐れみ、憤慨、怒り

 (9.1)善・悪、美・醜には真・偽の区別がある
   善・悪、美・醜には真・偽の区別があり、経験と理性を用いて認識することができる。(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (9.2)真なる善、真なる美とは何か

  (9.2.1)真なる善への疑問(エリーザベト・フォン・デア・プファルツ(1618-1680))
    問題:(1)善を完全に知るには,無限といえるほどの知識が必要ではないか(2)善の評価には,他の人の有益性も考慮すべきか(3)他人の有益性の考慮がその人の性向だとしたら,違う人には違う"善"があることにならないか。(エリーザベト・フォン・デア・プファルツ(1618-1680))

(出典:wikipedia

  (9.2.2)情動が美・醜・善・悪を定義するわけではない
   選択1が善とは限らない。
   (a)ある人
    選択1→快
    選択2→嫌悪
   (b)別の人
    選択1→嫌悪
    選択2→快
  (9.2.3)価値基準が普遍的なら、美・醜・善・悪が定義できる
   価値基準が同じならば、選択1が善であると言える。
   (a)ある人
    目的(価値)┬→選択1(目的に適う)
    状況(事実)┘
   (b)別の人
    目的(価値)┬→選択2(目的に適わない)
    状況(事実)┘
  (9.2.4)事実言明から価値を導出することはできない(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))
   価値基準が異なると選択が異なるので、どちらが善とは言えない。
   (a)ある人
    目的1(価値1)┬→選択1(目的1に適う)
    状況(事実)──┘
   (b)別の人
    目的2(価値2)┬→選択2(目的2に適う)
    状況(事実)──┘
   (c) 事実の叙述は、絶対的価値の判断ではあり得ない。しばしば価値表明は、特定の目的が暗黙で前提されており、その目的(価値)に対する手段としての相対的価値の判断である。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))
   (d) 仮に,物理的な状況や,苦痛や憤慨などの情動,心理的な状況の詳細を記述し尽くしたとしても,「いかなる倫理的意味においても善または悪ではない」.(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))

  (9.2.5)価値とは単にある権威の恣意的な受容とは思われない(ジョージ・ゲイロード・シンプソン(1902-1984))
   (a)ある人
    ある権威1の受容
     ↓
    目的1(価値1)┬→選択1(目的1に適う)
    状況(事実)──┘
   (b)別の人
    ある権威2の受容
     ↓
    目的2(価値2)┬→選択2(目的2に適う)
    状況(事実)──┘
   (c)単に権威の受容ではなく、倫理的な判断による自由な選択に倫理の本質があるのならば、自然主義を全面的に拒否して選択が恣意的なものだとしない限りは、倫理的な判断が何らかの事実の考慮に基礎をおくと考えざるを得ない。(ジョージ・ゲイロード・シンプソン(1902-1984))(出典:伊勢田哲治(1968-)生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか(伊勢田哲治,2020)

  (9.2.6)人間の本性や「自然」による価値基準の基礎づけは誤りである(アントニー・フルー(1923-2010))
   (a)ある人
    人間の本性(自然)
     ↓合致
    目的1(価値1)┬→選択1(目的1に適う)
    状況(事実)──┘
   (b)別の人
    人間の本性(自然)
     ×矛盾
    目的2(価値2)┬→選択2(目的2に適う)
    状況(事実)──┘
   (c)「自然」で価値を基礎づけることはできない(アントニー・フルー(1923-2010))(出典:伊勢田哲治(1968-)生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか(伊勢田哲治,2020)

  (9.2.7)世界の諸事実の中の人間の倫理という現象の理解が、価値を基礎づけることができる(コンラッド・ハル・ウォディントン(1905-1975))
   (a)世界の出来事の因果的連関の中における進化において、人類の倫理というものが果たしている機能と、その進化が生理的健康という方向を示していることとを科学的に解明するならば、先行して存在する倫理的信念を認識することに依存しないような倫理規準を定義できるだろう。(コンラッド・ハル・ウォディントン(1905-1975))(出典:伊勢田哲治(1968-)生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか(伊勢田哲治,2020)
   (b)ある人
    世界の諸事実     人間の倫理という現象に関する事実
     ↓
    倫理的な判断1─┬→選択1(目的1に適う)
    状況(事実1)─┘
   (c)別の人
    世界の諸事実     人間の倫理という現象に関する事実
     ↓
    倫理的な判断2─┬→選択2(目的2に適う)
    状況(事実2)─┘
   (d)倫理的な判断が、「生理的健康」などの判断基準を含んでいれば、再び価値が諸事実から導かれるかどうかという疑問へ逆戻りしてしまう。
   (e)しかし、倫理的な判断というものの性格が、価値基準を含まないのならば、諸事実から倫理を基礎づけたことになるのではないか。
   (f)そのような倫理的な判断が、異なる事実に基づき判断される場合には、より包括的で正確な事実に基づいた判断が、善・悪の基準となるのではないか。
   (g)同じように把握された諸事実から、異なる倫理的判断が為される場合もあるだろう。その場合は、双方の選択が同じように善であるという評価も可能であろう。

  (9.2.8)諸事実だけでなく価値基準も、誤謬を含み得る仮説であり、その論理的帰結と経験による批判的討論の対象である(カール・ポパー(1902-1994))
   (a)ある人
    世界の諸事実     人間の倫理という現象に関する事実
     ↓
    倫理的な判断1─┬→選択1(目的1に適う)
    目的1(価値1)┤
    状況(事実1)─┘
   (b)別の人
    世界の諸事実     人間の倫理という現象に関する事実
     ↓
    倫理的な判断2─┬→選択2(目的2に適う)
    目的2(価値2)┤
    状況(事実2)─┘
   (c)倫理的な判断が、目的や価値基準を含む場合であっても、合理的討論が可能である。
    合理的討論の前提には無条件的な原理があり(独断論),原理自体は討論の対象外で(共約不可能性),全て同等の資格を持つ(相対主義).これは誤りである.原理は常に誤謬の可能性があり,その論理的帰結によって合理的討論ができる.(カール・ポパー(1902-1994))
   (d)より包括的な真理の探究という「価値」基準の選択
    帰結による合理的討論によっても,各自の原理の外へは出れないという反論に対する再反論.相手の原理を無視し自己強化するのでなく,自他の原理を超えた,より包括的な真理の探究という原理によって乗り越え可能である.(カール・ポパー(1902-1994))

  (9.2.9)善・悪、美・醜には真・偽の区別があり、経験と理性を用いて認識することができる(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (a)エリーザベトへのデカルトの解答
     問題:(1)善を完全に知るには,無限といえるほどの知識が必要ではないか(2)善の評価には,他の人の有益性も考慮すべきか(3)他人の有益性の考慮がその人の性向だとしたら,違う人には違う"善"があることにならないか。(エリーザベト・フォン・デア・プファルツ(1618-1680))
     解答:(1)自己の傾向性と自己の良心に頼ること(2)この世界と個人の真実を知れば,全体の共通の善も認識できる(3)仮に自己利益の考慮のみでも,思慮を用いて行為すれば共通の善も実現される。但し,道徳が腐敗していない時代に限る。(ルネ・デカルト(1596-1650))

   (b) 善・悪、美・醜には真・偽の区別があり、経験と理性を用いて認識することができる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (c) 第一格率:理性による判断が決意を鈍らせ不決断に陥らせるような場合には、私を育ててきた宗教、聡明な人たちの穏健な意見、国の法律、慣習に服従することで、日々の生活をできるだけ幸福に維持すること。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (d) 第二格率:日常の生活行動において最も真実な意見が分からないときには、蓋然性の最も高い意見に従うこと。そして、薄弱な理由のゆえに自らのこの決定を変えてはならない。志を貫き行動することによって、真偽の見極めと軌道修正も可能となる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (e) 第三格率:運命に、よりはむしろ自分にうち勝とう、世界の秩序を、よりはむしろ自分の欲望を変えよう、と努めること。(ルネ・デカルト(1596-1650))

   (f)まとめ
    (i)受け継がれてきた文化の受け容れ(真理、価値)
     何が真理なのか、何が価値あるものなのかについて、聡明な人たちの穏健な意見、国の法律、慣習を学ぶこと。(第一格率)
    (ii)真理は、経験と理性によって認識することができる
    (iii)自己の情念は概ね頼りになる
     善・悪、美・醜については、様々な情念を通じて感知することができる。この自分の傾向性と感じたままの良心に、概ね頼ることができる。(エリーザベトへの解答)
    (iv)自己の情念に従うことの是非
     人は、伝統的な価値を受け容れているものなので、その文化が腐敗しているのでなければ、自分の情念を頼りにしても、大きな間違いは起こらない。(エリーザベトへの解答)
    (v)価値も、経験と理性により認識できる
     情念は常に正しいとは限らず、善・悪、美・醜には真・偽の区別があり、経験と理性を用いて認識しなければならない。
    (vi)私たちに依存するものと、依存しないものを区別すること
     自分が生きている状況のうち、変えられるものと変えられないものを区別し、自分の欲望を制御することが必要である。(第三格率)
     ・変えられない諸事実、諸法則
     ・受け継がれた諸価値(世界の秩序)
     ・自己の情念
     ・新たな価値、自己の欲望

《概念図》
┌─────────────身体(外界)─┐
│┌精神─────────┐       │
││┌─────(受動)┐│       │
│││外部感覚     ←─(身体←外界)│
│││(他者情動、意図)←─(身体←他者)│
│││  (記号、意図)←─(身体←文化)│
│││共通感覚     ←─(身体)   │
│││ 肢体の感覚   ←─(身体←外界)│
│││ 内臓感覚    ←─(身体)   │
│││ 幻覚、夢想←─(受動)────記憶│
│││想像された観念←想像力(能動)─記憶│
│││情念・情動(受動)←─┐←────┐│
││└────┬────┘││     ││
││     ↓     ││     ││
││┌認知──┴(能動)┐││     ││
│││外部感覚の認知  ├─┘     ││
│││共通感覚の認知  ←─機能と一体化││
│││ 肢体の感覚   ││ した記憶 ││
│││ 内臓感覚    ─→記憶化   ││
│││ 幻覚・夢想   ││(身体の受動)││
│││想像された観念  ││      ││
│││情念・情動(認知)││      ││
││└────┬────┘│      ││
││     ↓     │      ││
││┌意志──┴(能動)┐│      ││
│││想起       ├───────┘│
│││想像、理解    ←─機能と一体化 │
│││予測、規範、構想 ││ した記憶  │
│││状況理論(過去) ─→記憶化    │
│││状況理論(現在) ││(身体の受動) │
│││状況理論(予測) ││       │
│││価値理論(規範) ││       │
│││価値理論(構想) ││       │
│││諸法則・真理   ││       │
│││諸芸術      ││       │
│││計画       ││       │
│││行動────────→(身体→外界)│
│││行動────────→(身体→他者)│
││└─────────┘│       │
│└───────────┘       │
└────────────────────┘


 (9.3)真なる善・悪、偽なる善・悪による情念の評価
 《目次》
  (9.3.1)真なる原因に基づく快、愛、喜び、内的自己満足、誇り、好意、感謝
  (9.3.2)真なる原因に基づく嫌悪、憎しみ、悲しみ、後悔、恥、憐れみ、憤慨、怒り
  (9.3.3)偽なる原因に基づく快、愛、喜び、内的自己満足、誇り、好意、感謝
  (9.3.4)偽なる原因に基づく嫌悪、憎しみ、悲しみ、後悔、恥、憐れみ、憤慨、怒り

  (9.3.1)真なる原因に基づく快、愛、喜び、内的自己満足、誇り、好意、感謝
   (a) 善への愛と悪への憎しみが、真の認識にもとづくとき、愛は憎しみよりも比較にならないほど善い。(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (9.3.2)真なる原因に基づく嫌悪、憎しみ、悲しみ、後悔、恥、憐れみ、憤慨、怒り
   (a) 自分に欠けている真理を知ることが、悲しみをもたらし不利益であったとしても、それを知らないことよりもより大きな完全性である。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (b)不可欠性
     悲しみと憎しみは、喜びと愛よりも不可欠である。なぜなら、害を斥けるほうが、より完全性を加えてくれるものを獲得するよりも、いっそう重要だからだ。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (c)悪への憎しみについての注意
     悪への憎しみは、真の認識に基づくときでも、やはり必ず有害である。なぜなら、この場合でも善への愛より行為することがつねに可能であるし、人における悪は善と結合しているからだ。(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (9.3.3)偽なる原因に基づく快、愛、喜び、内的自己満足、誇り、好意、感謝
   (a) 不十分な根拠にもとづく場合であっても、喜びや愛は、悲しみや憎しみよりも望ましい。しかし、偽なる善への愛は、害をなしうるものへ、わたしたちを結びつけてしまう。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (b)否定的な自己関連情報の選択的注意
     脅威が無視できない状況にならない限り,否定的な自己関連情報の選択的注意により,肯定的で社会的に望ましい自己像を一貫して維持し,自己高揚的な肯定バイアスを持つことは,適応的で精神的に健康なパーソナリティである。(ウォルター・ミシェル(1930-))
    次のようなパーソナリティ次元が存在する。
    (i)否定的な自己関連情報は避け、日常的なストレスや不安に対してあまり敏感ではなく、自分には問題や困難がほとんどないと考える。肯定的で社会的に望ましい用語で、自分自身のより好ましい点を一貫して表現するように記述する。ただし、脅威を単に無視することが許されない状況になると、それに注意を向け始め、ひどく心配する。
    (ii)否定的な自己関連情報に注意を向ける傾向があり、より批判的で否定的な自己像を描く。
    (iii)精神力動論は、(i)のような否定的な情報や脅威の抑圧と認知的回避を「抑圧性」と記述し、脆弱で傷つきやすいパーソナリティの顕著な特徴であり、(ii)のような正確な自覚と、自己の限界・不安・欠点への気づきは、「鋭敏性」と記述し、健康なパーソナリティの重要な構成要素であると考えてきた。しかし、自己高揚的な肯定バイアスを持ち、多くの状況下で脅威となる情報を意図的に避ける情動的鈍感さという態度は、洞察に欠けている脆弱なパーソナリティというより、きわめて適応的で精神的に健康なパーソナリティなのである。

(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK

   (c)肯定的な自己像と精神的健康の関連
     精神的健康には,肯定的な自己像が必要である。もちろん,現実と全く異なるものは害悪であるが,仮にそれが,現実よりいくらか過度でも,肯定的であること。逆に,事実でも否定的なら,低い自尊心や抑うつ傾向がみられやすい。(ウォルター・ミシェル(1930-))
    (i)伝統的に心理学者は、正確な自己知覚が精神的健康にとって不可欠なものであると考えてきた。しかしながら、精神的に健康な人々の多くはいくらか非現実的に肯定的なゆがんだ自己像をもっており、一方で自身をより正確にとらえている人のほうが精神的に健康でないことを研究者たちはみいだした。
    (ii)小集団状況で相互作用を行い、自分自身と相互作用相手の性格の特徴を評定するように求められた被験者のうち、他者からの評定よりも好ましい自己評定をするのが健常者で、抑うつ患者の自己評定は他者からの評定と一致していた。
    (iii)例えば、現実に即した自己知覚を行っている人は低い自尊心や抑うつ傾向がみられやすく、一方で精神的に安定した人は、肯定的な性格特性が、よりうまく自分自身を記述する傾向がみられる。
    (iv)もちろん現実に対するひどい認知のゆがみが、健常者の特徴であるということを示していると読み違えてはならない。

   (d)欲望を介して現実的となる情念
     情念が、欲望を介して行動や生活態度を導く場合には、原因が誤りである情念はすべて有害である。特に、偽なる喜びは、偽なる悲しみよりも有害である。(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (9.3.4)偽なる原因に基づく嫌悪、憎しみ、悲しみ、後悔、恥、憐れみ、憤慨、怒り


(10)情動誘発刺激の様々な様相、自然的欲求の位置づけ
《目次》
 (10.1)情動とは何か、情動の暫定的定義
 (10.2)情動誘発刺激
 (10.3)情動誘発刺激の様々な様相
  (10.3.1)概要
  (10.3.2)外部感覚
  (10.3.3)共通感覚
  (10.3.4)自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様
  (10.3.5)身体ないしその一部に関係づける知覚としての、飢え、渇き、その他の自然的欲求
  (10.3.6)精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想
  (10.3.7)認知
  (10.3.8)想起
  (10.3.9)想像
  (10.3.10)理解
  (10.3.11)運動・行動
 (10.4)有能性への欲望

 (10.1)情動とは何か、情動の暫定的定義
  感覚で与えられた対象や事象、あるいは想起された対象や事象を感知したとき、自動的に引き起こされる身体的パターンであり、喜び、悲しみ、恐れ、怒りなどの語彙で表現される。それは、対象や事象の評価を含み、脳や身体の状態を一時的に変更することで、思考や行動に影響を与える。
  参照: 狭義の情動とは?(アントニオ・ダマシオ(1944-))

 (10.2)情動誘発刺激
  視覚だけではなく、〈特殊感覚〉のうち聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚、〈表在性感覚〉(皮膚の触覚、圧覚、痛覚、温覚)、〈深部感覚〉(筋、腱、骨膜、関節の感覚)、〈内臓感覚〉(空腹感、満腹感、口渇感、悪心、尿意、便意、内臓痛など)、「精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想」によって情念が生じる場合も、同様である。

 (10.3)情動誘発刺激の様々な様相
  (10.3.1)概要
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 すべて   新奇性 驚き  驚き          好奇心
           面白い(Malatesta/Haviland 1982)
           動揺(Fromme/O'Brien 1982)
           緊張(Arieti 1970)
           恐怖  恐怖          好奇心
                           秩序欲求
                           理解欲求
                           認知の欲求
                           安全と安定
                           の欲求
 外部感覚 広義の美 快               有能性への欲望
           感覚遊び            刺激への欲求
                           美への欲求
                           芸術
      広義の醜 嫌悪
 共通感覚 広義の美 快
      広義の醜 嫌悪
 肢体状況 広義の美 快
      広義の醜 嫌悪
           痛み
 自然的  広義の美 快               自然的欲求
   欲求 広義の醜 嫌悪
           飢え、渇き
           気持ち悪い
           嘔吐
 幻覚・  広義の美 快
   夢想 広義の醜 嫌悪
 認知対象 広義の美 快               有能性への欲望
                           認知の欲求
      広義の醜 嫌悪
 想起対象 広義の美 快               有能性への欲望
      広義の醜 嫌悪
 想像対象 広義の美 快               有能性への欲望
           想像遊び
      広義の醜 嫌悪
 理解対象 広義の美 快               有能性への欲望
           知的遊び            認識への欲求
                           学問
      広義の醜 嫌悪
 理論対象  善   愛
       悪   憎しみ
 運動・  広義の美 快               有能性への欲望
   行動      身体的遊び           活動欲求
                           スポーツ
      広義の醜 嫌悪

  (10.3.2)外部感覚
   (a)〈特殊感覚〉視覚、聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚
   (b) 感覚的な遊びが〈芸術〉である。
   (c)快と嫌悪から生じる欲望の強さ
     〈欲望〉の種類は、〈愛〉や〈憎しみ〉の種類の数だけある。そして最も注目すべき最強の〈欲望〉は、〈快〉と〈嫌悪〉から生じる〈欲望〉である。(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (10.3.3)共通感覚
    ある特定の外部感覚は、その原因となる身体の能動が、より広い範囲の身体に影響を与え、これら身体の能動を精神において受動する共通感覚を生じる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (10.3.4)自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様
   (a)〈表在性感覚〉皮膚の触覚、圧覚、痛覚、温覚
   (b)〈深部感覚〉筋、腱、骨膜、関節の感覚
  (10.3.5)身体ないしその一部に関係づける知覚としての、飢え、渇き、その他の自然的欲求
   (a)〈内臓感覚〉空腹感、満腹感、口渇感、悪心、尿意、便意、内臓痛など
   参考:精神の受動のひとつ、身体ないしその一部に関係づける知覚として、飢え、渇き、その他の自然的欲求、自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様がある。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (10.3.6)精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想
    精神の受動のひとつ,身体によって起こる知覚として,意志によらない想像がある。夢の中の幻覚や,目覚めているときの夢想も,これである。これらは,飢え,渇き,痛みとは異なり,精神に関連づけられており,これらは情念の一種である。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (10.3.7)認知
  (10.3.8)想起
  (10.3.9)想像
   (a)存在しない何かを想像すること。
     存在しない何かを想像しようと努める場合、また、可知的なだけで想像不可能なものを考えようと努める場合、こうしたものについての精神の知覚も主として、それらを精神に知覚させる意志による。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (b)詩人は、精神的なものを形象化するために、想像力を用いる。
     悟性は精神的なものを形象化するために、風や光などのようなある種の感覚的物体も、用いることができる。これは詩人たちの手法だ。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (10.3.10)理解
   (a)可知的なだけで想像不可能なものを考える。
     悟性はいかにして、想像力、感覚、記憶から助けられ、あるいは妨げられるか。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (b)モデル、記号
     悟性は、感覚でとらえ得ないものを理解するときは、かえって想像力に妨げられる。逆に、感覚的なものの場合は、観念を表現する物自体(モデル)を作り、本質的な属性を抽象し、物のある省略された形(記号)を利用する。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (c)抽象的思考
     問題となっている対象を表わす抽象化された記号を、紙の上の諸項として表現する。次に紙の上で、記号をもって解決を見出すことで、当初の問題の解を得る。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (d)知的な遊びが〈学問〉である。
  (10.3.11)運動・行動
   (a) 意志のひとつとして、身体において終結する能動がある。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (b) 想像が、多数のさまざまな運動の原因となる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (c)身体的な遊びが〈スポーツ〉である。

  (10.3.12)有能性への欲望
    有能性への欲望:私たちには、活動それ自体を楽しみ、その効力感を感じ、有能性を獲得し効果的に機能すること、課題に習熟することへの欲求がある。例として、好奇心、刺激への欲求、遊び、冒険への欲求。(ロバート・W・ホワイト(1904-2001))
   好奇心や刺激への欲求、遊びや冒険への欲求は、活動それ自体を楽しむ自発的、積極的で創造的な活動であり、このとき感じる快は、能動的主体として生きているという効力感からもたらされる。この傾向は、生物が本来的に生きて活動しているという観点からは、有能性を獲得し効果的に機能すること、課題に習熟することへの欲求ともいえる。動機付けという観点からは、この欲求は内発的であり、賞賛などの外的報酬によるものではない。
   参考:検索(Robert W. White)
   参考:検索(ロバート・W・ホワイト)

(11)欲求の階層
 (11.1)マズローの欲求の階層の新解釈
  基礎的な欲求の対象(情動の対象)から順に列挙すると、以下の通りである。
  (a)自己の身体が感知する快・不快(生理的欲求)
  (b)対象の新奇性(驚き、恐怖)と自己状態の快・不快(喜び、悲しみ)(安全と安定の欲求)
  (c)自己向け他者行為の快・不快(感謝、怒り)(愛と集団帰属の欲求)
  (d)自己行為の他者評価の快・不快(誇り、恥)(承認の欲求)
  (e)自己行為の自己評価の快・不快(内的自己満足、後悔)(自己尊重の欲求)
  (f)外的対象、他者状態、他者行為を含むすべての対象の快・不快(自己実現欲求)
  参照:(a)成長欲求(a1)自己実現欲求(真,善,美,躍動,必然,秩序,個性,完成,単純,完全,正義,豊富,自己充実,無礙,楽しみ,意味)(b)基本的欲求(b1)自尊心,他者による尊厳の欲求(b2)愛と集団帰属の欲求(b3)安全と安定の欲求(b4)生理的欲求(アブラハム・マズロー(1908-1970))
(出典:wikipedia
アブラハム・マズロー(1908-1970)の命題集(Propositions of great philosophers)

(12)自由意志論
《目次》
 (12.1)受け継がれてきた文化の受け容れ(真理、価値)
 (12.2)真理は、経験と理性によって認識することができる
 (12.3)自己の情念は概ね頼りになる
 (12.4)自己の情念に従うことの是非
 (12.5)価値も、経験と理性により認識できる
 (12.6)私たちに依存するものと、依存しないものを区別すること
 (12.7)意志の自由の存在
 (12.8)意志決定に伴う情動
  (12.8.1)概要
  (12.8.2)自己状態の予測に伴う情動(再掲)
  (12.8.3)自己行為の自己評価に伴う情動(再掲)
  (12.8.4)意志決定に伴う情動
  (12.8.5)不確かさへの志向(リチャード・M・ソレンティーノ(1943-)
  (12.8.6)過去の意志決定に伴う情動
  (12.8.7)徳という欲望
  (12.8.8)自己評価の高慢と高邁の違い
   (12.8.8.1)高邁
   (12.8.8.2)高慢
  (12.8.9)高邁の反対の卑屈の情念

 (12.1)受け継がれてきた文化の受け容れ(真理、価値)
  何が真理なのか、何が価値あるものなのかについて、聡明な人たちの穏健な意見、国の法律、慣習を学ぶこと。(第一格率)
 (12.2)真理は、経験と理性によって認識することができる
  (a)欲望は、真なる認識に従っているかどうか
    欲望の統御:欲望は、真なる認識に従っているか。また、私たちに依存しているものと、依存していないものが、よく区別できているか。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (b)より包括的な真理の把握は、自由意志の要素の一つ
   (i) 悟性の及ぶ範囲を広げようとすることも、また、意志に違いない。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (ii) 認識の欠陥による不決定な状態は,程度の低い自由である. また,真と善を明晰に見たときの躊躇のない判断・選択は自由を減少させるものではない. 自由意志は,悟性の限界を超える範囲にまで及び,これが誤りと罪の原因でもある.(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (12.3)自己の情念は概ね頼りになる
  善・悪、美・醜については、様々な情念を通じて感知することができる。この自分の傾向性と感じたままの良心に、概ね頼ることができる。(エリーザベトへの解答)
  (a) 情念はその本性上すべて善い、その悪用法や過剰を避けるだけでよい。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (b) わたしたちは、情念を巧みに操縦し、その引き起こす悪を十分耐えやすいものにし、情念のすべてから喜びを引き出すような知恵を持つことができる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (c) 情念は、わたしたちを害したり益したりしうる対象の多様なしかたを反映している。(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (12.4)自己の情念に従うことの是非
  人は、伝統的な価値を受け容れているものなので、その文化が腐敗しているのでなければ、自分の情念を頼りにしても、大きな間違いは起こらない。(エリーザベトへの解答)

 (12.5)価値も、経験と理性により認識できる
  情念は常に正しいとは限らず、善・悪、美・醜には真・偽の区別があり、経験と理性を用いて認識しなければならない。

 (12.6)私たちに依存するものと、依存しないものを区別すること
  自分が生きている状況のうち、変えられるものと変えられないものを区別し、自分の欲望を制御することが必要である。(第三格率)
  ・変えられない諸事実、諸法則
  ・受け継がれた諸価値(世界の秩序)
  ・自己の情念
  ・新たな価値、自己の欲望

  (a)私たちに依存するものと、依存しないもの
    永遠の決定が、私たちの自由意志に依存させようとしたもの以外は、すべて必然的、運命的でないものは何も起こらない。私たちにのみ依存する部分に欲望を限定し、理性が認識できた最善を尽くすこと。(ルネ・デカルト(1596-1650))

   (i)私たちに依存するものとしての自由意志
   (ii)自由意志以外は、すべて必然的、運命的なものである
     まったく私たちに依存しないものについては、それれがいかに善くても、情熱的に欲してはならない。(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (b)知性の誤りから生ずる偶然的運
    私たちに依存しないものを可能だと認め欲望を感じるとき、これは偶然的運であり、知性の誤りから生じただけの幻なのである。なぜなら摂理は、運命あるいは不変の必然性のようなものであり、私たちは原因のすべてを知り尽くすことはできないからである。(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (c)統制の錯覚
    統制の錯覚:成功の原因を内的帰属し、失敗の原因は外的帰属する。また、完全に偶然的な出来事でも、何かしら原因と秩序と意味があり、予測と統制が可能であると考える。これらは、自己高揚的バイアスの一部であり、パーソナリティにとって潜在的に有益でもある。(ウォルター・ミシェル(1930-))

(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK

  (d)統制の錯覚の効果
    嫌悪的な課題や、ストレスや苦痛を伴う出来事を、予測可能で自分で統制できると信じると、そう信じることがたとえ現実と合わない幻想のような場合でさえ、否定的な感情が弱まり、課題遂行の悪化がかなり防げる。(ウォルター・ミシェル(1930-))

 (12.7)意志の自由の存在
  (a) 意志の自由は、確かにある。これはまさに、完全に確実ではないことを信ずるのを拒み得る自由が、我々のうちにあることを経験したときに、自明かつ判然と示された。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (b) しかしながら、私が自分の意志により選択するように思えることも、これがこの全宇宙の一部であるのならば、この宇宙を支配する法則によって、あらかじめ予定されていたものに違いない。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (i)予定されているのなら、いずれを選ぶか無関心でも結果は同じなのか
    いずれを選ぶかに無関心であってはならないし、この神意の決定の不変の運命に頼ってもならない。私たちにのみ依存する部分を正確に見きわめ、この部分以上に欲望が広がらないようにすること。そして、理性が認識できた最善を尽くすこと。

  (c) 我々の精神が有限であるのに対して、この宇宙を支配する諸法則はあまりに深遠で知りがたく、いかにして人間の自由な行為が、未決定に残されるかを、未だ明快には理解することができていない。しかし、この自由は確かに経験される。(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (12.8)意志決定に伴う情動

  (12.8.1)概要
《情動誘発刺激》  《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
  (時間様相)  (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》    《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
 自己状態  善   喜び      安心
       悪   悲しみ     希望
                   不安
                   執着
                   絶望
 自己行為の 善       内的自己満足
 自己評価  悪       後悔
 意志以外の     高慢
 属性保持者     謙虚
 としての自己
 意志決定者     高邁  良心の 不決断     徳という
 としての自己    卑屈  悔恨          欲望
                   大胆、勇気
                   対抗心
                   臆病、恐怖
      不確かさ 快               不確かさ志向
           不快              不確かさ回避

  (12.8.2)自己状態の予測に伴う情動(再掲)
    善の獲得、悪の回避等が可能であると考えただけで、〈欲望〉がそそられる。そして、実現の見込みの大きさに応じて、次の情動が生じる:〈安心〉〈希望〉〈不安〉〈執着〉〈絶望〉。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (12.8.3)自己行為の自己評価に伴う情動(再掲)
   〈内的自己満足〉、〈後悔〉、後悔の効用(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (12.8.4)意志決定に伴う情動
   (a) わたしたちに依存する行為の手段選択の困難から〈不決断〉、実現における困難さに対して、実現しようとする確固とした意志の強さに応じて、〈大胆〉〈勇気〉〈対抗心〉〈臆病〉〈恐怖〉の情念が生じる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (b) 不決断の効用、および過剰な不決断に対する治療法。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (c) 臆病の効用、および臆病の治療法。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (d) 恐怖の治療法。(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (12.8.5)不確かさへの志向(リチャード・M・ソレンティーノ(1943-)
    不確かさへの志向:次のようなパーソナリティ次元が存在する。不確実さを正面から受けとめ新しい情報を求めて解決しようとする。逆に、不確実さに不快を感じて状況を回避し、新しい情報も求めない。(リチャード・M・ソレンティーノ(1943-)

(出典:Western University
検索(Richard M. Sorrentino)

   次のようなパーソナリティ次元が存在する。
   (i)不確実さを扱うことに比較的自信があり、それを正面から解決しようとする傾向。
   (ii)不確かさに不快になり、不確かさの主観的感覚が増加する状況を回避しようとする傾向。
    結果についてコントロールできない状況を経験した後、(i)の傾向の強い人は、その状況に関連する新しい情報を求めるのに対して、(ii)の傾向の強い人は新しい情報を回避する。
    特殊例として、(i)の傾向の強い人は、「あるテストが重要な能力を診断する」と言われた方が、良い成績をとり、(ii)の傾向の強い人は「テストが重要な能力を診断するものではない」と伝えられた方がが、よりよい成績をとる。(リチャード・M・ソレンティーノ(1943-))

  (12.8.6)過去の意志決定に伴う情動
    〈不決断〉が取り除かれないうちに何かの行動を決した場合、そこから〈良心の悔恨〉が生まれる。(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (12.8.7)徳という欲望
   (a) 自由意志にのみ依存する善きことをなすのが、徳という欲望である。これは、私たちに依存するものであるゆえに、必ず成果をもたらす。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (b) 徳とは、精神をある思考にしむける、精神のうちの習性である。この習性は、思考や教育から生み出される。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (c) 人間は,自由意志により自分の行為の創造者となり,賞賛に値するその行為によって,人間における最高の完全性に至る.(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (d) わたしたちが正当に賞賛または非難されうるのは、ただ、この自由意志に依拠する行動だけであり、これだけが、自分を重視する唯一の正しい理由である。(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (12.8.8)自己評価の高慢と高邁の違い
   (12.8.8.1)高邁
    (a)自己を価値に対する驚き(重視)の情念
     自ら最善と判断することを実行する確固とした決意と、この自由意志のみが真に自己に属しており、正当な賞賛・非難の理由であるとの認識が、自己を重視するようにさせる真の高邁の情念を感じさせる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (b)様々な情念が喚起する知的な喜び
      不思議な出来事を本で読んだり、舞台で演じられるのを見たりするときに感じるさまざまな情念は、私たちに、知的な喜びともいえる快感を経験させる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (c)完全性の認識による喜び
     私たちが、自分が最善と判断したすべてを実行したことによる満足を、つねに持ってさえいれば、よそから来るいっさいの混乱は、精神を損なう力を少しももたない。むしろ精神は、みずからの完全性を認識させられ、その混乱は精神の喜びを増す。(ルネ・デカルト(1596-1650))

    (d)自己効力期待
      自己効力期待:自分自身が行為の主体であり、自分にはうまく実行できるという期待と信念が、価値ある目標の追求、的確な判断、効果的な行動を助け、努力を持続させる。反対は無力感で、諦め、無気力、抑うつへの確実な道である。(ウォルター・ミシェル(1930-))

(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK

    (e)他者の価値に対する驚き(重視)の情念
     高邁の情念をもつ人々は、善き意志という点で等しく、それ以外の美点で異なっていても過大に劣っているとか優れていると考えることはない。また、犯された過ちも認識の欠如によると考えて許そうとする。(ルネ・デカルト(1596-1650))

   (12.8.8.2)高慢
     自由意志以外のすべての善、例えば才能、美、富、名誉などによって、自分自身を過分に評価してうぬぼれる人たちは、真の高邁をもたず、ただ高慢をもつだけだ。高慢は、つねにきわめて悪い。(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (12.8.9)高邁の反対の卑屈の情念
    自分は決断力がなく、自由意志の全面的な行使能力がないと考えるのが、卑屈すなわち悪しき謙虚であり、高邁の正反対である。(ルネ・デカルト(1596-1650))


《概念図》
┌─────────────身体(外界)─┐
│┌精神─────────┐       │
││┌─────(受動)┐│       │
│││外部感覚     ←─(身体←外界)│
│││(他者情動、意図)←─(身体←他者)│
│││  (記号、意図)←─(身体←文化)│
│││共通感覚     ←─(身体)   │
│││ 肢体の感覚   ←─(身体←外界)│
│││ 内臓感覚    ←─(身体)   │
│││ 幻覚、夢想←─(受動)────記憶│
│││想像された観念←想像力(能動)─記憶│
│││情念・情動(受動)←─┐←────┐│
││└────┬────┘││     ││
││     ↓     ││     ││
││┌認知──┴(能動)┐││     ││
│││外部感覚の認知  ├─┘     ││
│││共通感覚の認知  ←─機能と一体化││
│││ 肢体の感覚   ││ した記憶 ││
│││ 内臓感覚    ─→記憶化   ││
│││ 幻覚・夢想   ││(身体の受動)││
│││想像された観念  ││      ││
│││情念・情動(認知)││      ││
││└────┬────┘│      ││
││     ↓     │      ││
││┌意志──┴(能動)┐│      ││
│││想起       ├───────┘│
│││想像、理解    ←─機能と一体化 │
│││予測、規範、構想 ││ した記憶  │
│││状況理論(過去) ─→記憶化    │
│││状況理論(現在) ││(身体の受動) │
│││状況理論(予測) ││       │
│││価値理論(規範) ││       │
│││価値理論(構想) ││       │
│││諸法則・真理   ││       │
│││諸芸術      ││       │
│││計画       ││       │
│││行動────────→(身体→外界)│
│││行動────────→(身体→他者)│
││└─────────┘│       │
│└───────────┘       │
└────────────────────┘




(出典:wikipedia
ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

ルネ・デカルト(1596-1650)
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2020年7月25日土曜日

これ以上遡れない諸科学の基礎としての自我心理学(第2版)、デカルト哲学再評価の必要性について

これ以上遡れない諸科学の基礎としての自我心理学(第2版)

【これ以上遡れない諸科学の基礎としての自我心理学(第2版)、デカルト哲学再評価の必要性について】

《概要》
 今さらデカルトから始める必要があるのかと疑問に思う人は、恐らく、(a)何かしら「最新」の哲学が、デカルトを超えて存在しており、そんな古い考えは必要ないと考えているか、(b)デカルトも様々な哲学の「学派」の一つに過ぎないと考えているか、(c)あるいはまた、様々な科学があれば、私たちは哲学なしにでもやっていけると考えているのだと思う。
 私の主張は、これらのいずれもが誤っているというものである。
 (a)デカルトは、確かに、これ以上は遡れない基礎としての、ひとつの真理をつかんでいる。最新の哲学といえども、この真理を度外視することはできない。
 (b)そもそも今までの哲学が、様々な学派があるかのように展開してきたのには、理由がある。それは、この宇宙の構造が、あたかも私一人のみが特別に全宇宙に向き合っているかのような、非対称的な構造をしていることに由来する。今、この序文を読んでいる「あなた」にとっても、あなた一人のみが特別に全宇宙に向き合っているかのように、この宇宙は存在している。このことは、最も驚嘆すべきとも言い得る、この宇宙の基本的な構造である。なぜ、哲学が混乱するのか。概念をよく区別し、それが属しているものにのみ帰属させること。ある困難な問題を、それに属していない概念によって説明しようとするとき、われわれは必ず間違う。(ルネ・デカルト(1596-1650))ここから、あらゆる誤った混乱と、真理の一面のみを捉え他の側面を無視した様々な「学派」が生まれた。しかし、私たちが求めているのは、ただ一つの真理である。
 (c)哲学は、私たちが到達し得るような知識の全体的な見通しと、その限界への洞察を与えてくれる。また、個別科学の基礎的な概念の分析と基礎づけ、有効な方法論の確立のための洞察を与えてくれる。方法が確立されているように見える自然科学の分野においてさえ、科学の基礎を問うような限界的で難しい問題の考察には、デカルトまで遡るような確固とした足場が必要となるのである。

《改訂履歴》
2019/05/02 第1版 これ以上遡れない諸科学の基礎としての自我心理学
2020/07/25 第2版


《目次》
(1)なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 (1.1)偽なるものに同意しない力
 (1.2)これ以上遡れない哲学の基礎
 (1.3)今までの哲学の誤りの原因
(2)私は存在する
 (2.1)このすべてが私である
 (2.2)無意識は存在するのか
 (2.3)明晰かつ判明な現前
 (2.4)すべては私に関する事実でもある
(3)私でないものが、存在する
 (3.1)私でないものが存在するすることの証明
 (3.2)補足説明
 (3.3)存在そのものがその本質に属するようなあるものの存在
(4)精神と身体
 (4.1)精神と身体の関係
 (4.2)精神と身体の合一の意味
 (4.3)能動と受動の概念
 (4.4)補足説明
(5)私(精神)のなかに見出されるもの
 (5.1)意志のすべてが精神の能動である
  (5.1.1)精神そのもののうちに終結する精神の能動
   (5.1.1.1)「見る」とか「触れる」等の認知
   (5.1.1.2)記憶の「想起」
   (5.1.1.3)「想像する」とか「表象する」こと
   (5.1.1.4)「理解する」こと(純粋悟性)
  (5.1.2)身体において終結する精神の能動(運動、行動)
 (5.2)あらゆる種類の知覚ないし認識が、一般に精神の受動である
  (5.2.1)身体を原因とする知覚
   (5.2.1.1)外部感覚
   (5.2.1.2)共通感覚、想像力、記憶
   (5.2.1.3)自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様
   (5.2.1.4)身体ないしその一部に関係づける知覚としての、飢え、渇き、その他の自然的欲求
   (5.2.1.5)精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想(広い意味では、情念の一種)
  (5.2.2)精神を原因とする知覚
  (5.2.3)身体を原因とする知覚や、精神を原因とする知覚を原因とする、精神だけに関係づけられる知覚(情念)
   (5.2.3.1)精神に関係づけられていること
   (5.2.3.2)精神の受動性



(1)なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 (1.1)偽なるものに同意しない力
   もし何か真なるものを認識することが私の力に及ばないにしても、断乎として偽なるものに同意しないように用心することは、私の力のうちにある。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(出典:wikipedia

 (1.2)これ以上遡れない哲学の基礎
  (a) 私があるものであると、私が考えるであろう間は、確かに私は何ものかとして存在する。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (b) 私は、私の推論の基礎として、何ものもそれ以上に識られているものはありえない程に、私に識られているところの私自身の存在を、使用することを選んだ。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (c) 真理探究の方法を見出すためには、この方法を探究するための他の方法の探究が必要だというように、限りなく遡る探究はあり得ない。こうした方法では、およそどんな認識にも到達しないであろう。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677))

(出典:wikipedia

 (1.3)今までの哲学の誤りの原因
  (a) 哲学者たちは、最も単純で自明的なことを、論理学的な定義によって、説明しようと試みた点で誤りを犯している。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (b) 概念をよく区別し、それが属しているものにのみ帰属させること。ある困難な問題を、それに属していない概念によって説明しようとするとき、われわれは必ず間違う。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(2)私は存在する
 (2.1)このすべてが私である
   疑い、理解し、肯定し、否定し、欲し、欲せぬ、なおまた想像し、感覚するものが、確かに存在する。(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (2.2)無意識は存在するのか
  (a) 精神のうちには、精神が意識してはいない多くのものがありうるのではないか。(アントワーヌ・アルノー(1612-1694))
アントワーヌ・アルノー(1612-1694)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia

  (b) およそ意識のうちに現われるすべてのものは、潜勢的に存在している精神の能力が、作用として発現することで、意識されるものである。したがって、決して意識することができないなら、それは潜勢的にも存在しない。(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (c)現在の脳科学における無意識の概念の一例
   哲学の体系としての記述順序からは、科学基礎論と個別の科学の記述が先にあるべきである。しかし、特に微妙な諸問題を除いて、科学の方法については、概ね合意が存在するため、ここではデカルトの「私」を超える概念ではあるが、全体の議論を分かり易くするために、現在の脳科学における無意識の概念の一例を記載する。このような方法は、以下の記述でも採用することがある。
   その際、精神(私)の内側からのデカルトの概念と、かなり先で明らかにされる科学による概念とを、慎重に区別しながら進むことが重要である。デカルトの概念は、現象学としては完全に厳密なものである。この現象としての精神を、現在の脳科学はどこまで解明しているのか。また逆に、デカルトの概念の中に、未だ科学によって解明されるべきものとしての重要な現象がないかどうか、この両面の観点が必要である。

   (i)アクセス可能な前意識
    既にコード化が完了し、注意によってアクセスされれば意識化される「前意識」と呼ばれる無意識状態が存在する。前意識は、朽ちていく前の短時間ならアクセス可能で、意識化されたとき、過去の事象を振り返って経験させる。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))
   (ii)識閾下の状態
    注意により意識化できる前意識とは異なり、意識化できない「識閾下の状態」が存在する。視覚では50ms内外に閾値が存在し、意識の境界は比較的明確である。識閾下では検出可能な脳活動が生じるが、グローバル・イグニションには至らない。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))
   (iii)複雑な発火パターンへの希釈という現象
    脳内では感覚データ通りコード化されているにもかかわらず、このコードが無意識に留まり、コンパクトで明確な再コード化がなされず、異なる知覚が意識される場合がある。複雑な発火パターンへの希釈という現象である。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))
   (iv)潜在的な結合
    識閾下での認知処理、前意識、意識、自発的行動の全ては、機能と一体化した潜在的な神経結合により遂行され、同時に、潜在的な結合へと再組織化、記憶化される。記憶の一部は、記憶時と似た発火パターンが再構築され、想起される。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))
   (v)切り離されたパターンの無意識
    前意識、識閾下の状態とは異なる、前頭前皮質や頭頂皮質のグローバル・ワークスペース・システムからは「切り離されたパターン」の無意識が存在する。脳幹に限定される呼吸をコントロールする発火パターンなどである。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))


《概念図》

  環境
┌──│───────────────┐
│  │    潜在的な結合(無意識)│─┐
│┌─│───┐           │ │
││ │識閾下│           │ │
││ │の状態│           │ │
││ ↓   │           │ │
││感覚データ←機能と一体化した記憶 │ │
││記憶←──────記憶      │ │
││ │   │           │ │
││ ↓   │           │ │
││識閾下での←機能と一体化した記憶 │ │
││認知処理 →記憶化        │ │
││ │   │           │ │
││ ↓   │           │ │
││前意識  ←機能と一体化した記憶 │ │
││ │   →記憶化        │ │
││ ↓   │           │ │
││意識   ←機能と一体化した記憶 │ │
││自発的行動→記憶化        │ │
│└─────┘           │ │
└────────↑↓──↑↓──↑↓┘ │
 │       一体化した相互作用   │
 │                   │
 │切り離されたパターンの無意識     │
 └───────────────────┘


 (2.3)明晰かつ判明な現前
   この蜜蝋は、いったい何か。これは確かに、ただ単に精神の洞観と言えるようなものとして、明晰かつ判明に現われている。対象として特定し、言葉で捉えられたものには、すでに不完全で不分明なものが混入している。(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (2.4)すべては私に関する事実でもある
  (a) いま眼の前にあるこの蜜蝋だけでなく、およそすべてのことに対して、それがいっそう判明に認識されれば、それは同時に、「私自身」が何であるかの認識でもある。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (b)ニーチェは、この真理を極めて印象的に表現している。
    この自然情景、激動する海のこの感情、崇高な線、この確固として明確に見ること一般、その他、私たちが事物に授けた一切の美と崇高は、実際には己が創造したものであり、原始的人類から相続している遺産である。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))
フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)の命題集(Propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia

(3)私でないものが、存在する
 (3.1)私でないものが存在するすることの証明
   私のみが独り世界にあるのではなく、ある他のものがまた存在することの証明。(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (3.2)補足説明
〈このすべて〉Aが、〈わたし〉Aである。
〈わたし〉Aは、存在する。
〈わたし〉Aは、〈精神〉Aである。
〈この蜜蝋〉は〈わたし〉のなかにある〈観念〉であり、〈わたし〉のなかに存在する。〈この蜜蝋〉が〈観念〉としてではなく、〈本当に存在するもの〉であるためには、〈この蜜蝋〉を存在せしめている〈原因〉があり、この〈原因〉から〈この蜜蝋〉が〈本当に存在するもの〉であることが、理解できるようになっているはずだ。このとき、この〈原因〉も〈この蜜蝋〉も、〈わたし〉のなかに〈観念〉の連鎖として存在すれば十分だと考えることはできないのであって、何か〈本当に存在するもの〉としての〈原因〉から理解できるようになっているはずだ。このような理解に達してはじめて、〈わたし〉のなかにある〈この蜜蝋〉は、〈本当に存在するもの〉ではあるが、〈存在するとおりのもの〉ではなく、ある映像のようなものであることが知られるのである。
 さきに私が、すべてを疑い、それでも〈わたし〉が確かに存在することを知ったのと同じように、〈本当に存在するもの〉が〈現象するとおりのもの〉として〈わたし〉のうちにあるのならば、私自身がその〈観念〉の〈原因〉である。しかし、〈この蜜蝋〉は、〈現象するとおりのもの〉としては〈わたし〉のうちに存在せず、何か私とは別の〈本当に存在するもの〉を〈原因〉としてしか、〈本当に存在するもの〉であることが理解できないとすれば、私自身が〈この蜜蝋〉の〈原因〉ではなく、この〈原因〉であるところの、私とは別の〈本当に存在するもの〉が、確かに存在するということが帰結するのである。

[説明図]

〈わたし〉としての〈このすべて〉は、〈現象するとおりのもの〉で〈本当に存在するもの〉。
この場合は、私自身が〈原因〉である。

〈原因〉……〈観念〉なら、私自身が〈原因〉である。
 ↓
〈観念〉
 ↓
〈現象するとおりのもの〉でない〈観念〉……〈本当に存在するもの〉かどうか不明
 例:〈この蜜蝋〉

〈原因〉……私には〈現象するとおりのもの〉として知られない。
 ↓    私以外のものが〈現象するとおりのもの〉として知る。
〈観念〉  〈本当に存在するもの〉の、私以外の〈原因〉がある。
 ↓
〈現象するとおりのもの〉でない〈観念〉……〈本当に存在するもの〉
 例:〈この蜜蝋〉


 (3.3)存在そのものがその本質に属するようなあるものの存在
私の精神が、いかに完全な物体の観念を知性の虚構によりつくり上げたとしても、私の精神と物体が存在する原因として、存在そのものがその本質に属するようなあるものの存在を、想定せざるを得ない。(ルネ・デカルト(1596-1650))


(4)精神と身体
 (4.1)精神と身体の関係
   心身問題:この存在するすべてが精神である。そして、身体すなわち延長、形、運動という別のものも存在するならば、身体が精神として現れているという意味で、すべてはまた感覚であるとも言える。(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (4.2)精神と身体の合一の意味
   心身問題:我々は身体を感覚し、その他の何ものをも感覚しない。これが、精神と身体との合一の意味である。しかし、感覚を結果とし、その原因を身体と結論したのだが、その原因については実は何ごとも理解してはいないのである。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677))

 (4.3)能動と受動の概念
  (a) 新たに生起することすべては、それが生じる主体に関しては「受動」とよばれ、それを生じさせる主体に関しては「能動」とよばれる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (b)精神において「受動」であるものは、一般に身体において「能動」である。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (c) 意志のすべてが精神の能動、あらゆる種類の知覚ないし認識が、一般に精神の受動とよべる。(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (4.4)補足説明
 〈このすべて〉Xが、〈わたし〉Xである。
 〈わたし〉Xは、存在する。
 〈わたし〉Xは、〈精神〉Xである。

 〈このすべて〉Xのある部分は、〈精神の受動〉Pと呼ばれる。
 〈精神の受動〉Pは、すべて身体における能動である。
 〈精神の受動〉P以外の〈精神〉Xの部分は、精神自らの動き〈精神の能動〉Aである。
  〈精神の受動〉P ⊆ X
  〈精神の能動〉A ⊆ X
  〈精神の受動〉P ∪ 〈精神の能動〉A = X
  〈精神の受動〉P ∩ 〈精神の能動〉A = φ

 いまここでの身体という概念は、わたしが〈精神の受動〉Pとして知ることの原因として考えられるもので、それの働きが原因となって、〈わたし〉Xにおいて感覚を結果させているものである。そして、〈精神の受動〉Pのすべてが、何らかの身体の能動を原因としているという仮説は、精神と身体が合一しているという仮説の別の表現であり、また精神自らの動き〈精神の能動〉A以外の、およそ精神が受け取るものは、すべて身体を通じてであり、その他の方法を通ずることはないという仮説の、別の表現でもある。
 ところで、意志のすべてが〈精神の能動〉Aであるが、意志についての知覚、意志に依存するいっさいの想像や他の思考についての知覚も存在し、これも知覚であるということから、〈精神の受動〉Pの部分である。そこで、これを〈精神の受動(意志)〉と〈精神の受動(意志以外)〉に分けて表現すれば、

 〈このすべて〉Xのある部分は、〈精神の受動(意志以外)〉Pと呼ばれる。
 〈精神の受動(意志以外)〉Pは、すべて身体における能動である。
 〈精神の受動(意志以外)〉P以外の〈精神〉Xの部分は、精神自らの動き〈精神の能動〉Aである。
  ところで実は、〈精神の能動〉A = 〈精神の受動(意志)〉Aであるから、
  〈精神の受動(意志以外)〉P ⊆ X
  〈精神の受動(意志)〉A ⊆ X
  〈精神の受動(意志以外)〉P ∪ 〈精神の受動(意志)〉A = X
  〈精神の受動(意志以外)〉P ∩ 〈精神の受動(意志)〉A = φ

 〈このすべて〉Xが、〈精神の受動〉Xである。
 〈このすべて〉Xは、すべて身体における能動である。
 このように、〈精神〉と身体のもともとの概念は、すべてが〈精神の受動〉であることを含んでいるが、このすべての受動のなかに、確かに〈意志〉の現象が事実として存在している。この事実に基づき、この〈意志〉という現象を概念で表現したものが、〈精神の受動(意志)〉、〈精神の能動〉Aなのである。


(5)私(精神)のなかに見出されるもの
 (5.1)意志のすべてが精神の能動である
  (5.1.1)精神そのもののうちに終結する精神の能動

   (a) 意志のひとつとして、精神そのもののうちに終結する精神の能動がある。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (b) 認識力は、想像力と共同して外部感覚や共通感覚に働きかけるときは認知と呼ばれ、記憶をもとにした想像力だけに働きかけるときは想起と呼ばれ、新たな形をつくるために想像力に働きかけるときは想像と呼ばれ、独りで働くときは理解(純粋悟性)と呼ばれる。(ルネ・デカルト(1596-1650))

   (5.1.1.1)「見る」とか「触れる」等の認知
    認識力が、想像力と共同して外部感覚や共通感覚に働きかけること。

《概念図》
    ┌(受動)──┐ ┌記憶──────┐
 外界─→外部感覚  ├→┤形象の観念   │
    │共通感覚  │ │        │
    │ 肢体の感覚│ │肢体感覚の観念 │
    │ 内臓感覚 │ │内臓感覚の観念 │
    │ 幻覚・夢想│ │幻覚・夢想の観念│
    └───┬──┘ └───┬────┘
        │        ↓
        │      想像力(能動)
        │        ↓
        │    ┌観念─┴────┐
        │    │形象の観念   │
        │    │肢体感覚の観念 │
        │    │内臓感覚の観念 │
        │    │幻覚・夢想の観念│
        │    └───┬────┘
        └───────┐│
                ↓↓
               認識力(能動)
                ↓↓
             ┌観念┴┴────┐
             │認知      │
             │ 理解したという│
             │ 何らかの心的な│
             │ 状態     │
             └────────┘

   (5.1.1.2)記憶の「想起
    認識力が、記憶をもとにした想像力だけに働きかけること。

《概念図》
    ┌(受動)──┐ ┌記憶──────┐
 外界─→外部感覚  ├→┤形象の観念   │
    │共通感覚  │ │        │
    │ 肢体の感覚│ │肢体感覚の観念 │
    │ 内臓感覚 │ │内臓感覚の観念 │
    │ 幻覚・夢想│ │幻覚・夢想の観念│
    └──────┘ └───┬────┘
                 ↓
               想像力(能動)
                 ↓
             ┌観念─┴────┐
             │形象の観念   │
             │肢体感覚の観念 │
             │内臓感覚の観念 │
             │幻覚・夢想の観念│
             └───┬────┘
                 ↓
               認識力(能動)
                 ↓
             ┌観念─┴────┐
             │記憶の想起   │
             │ 理解したという│
             │ 何らかの心的な│
             │ 状態     │
             └────────┘
   (5.1.1.3)「想像する」とか「表象する」こと
    認識力が、新たな形をつくるために想像力に働きかけること。
    (a)(例)存在しない何かを想像する。
      存在しない何かを想像しようと努める場合、また、可知的なだけで想像不可能なものを考えようと努める場合、こうしたものについての精神の知覚も主として、それらを精神に知覚させる意志による。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (b)(例)詩人は、精神的なものを形象化するために、想像力を用いる。
      悟性は精神的なものを形象化するために、風や光などのようなある種の感覚的物体も、用いることができる。これは詩人たちの手法だ。(ルネ・デカルト(1596-1650))

   (5.1.1.4)「理解する」こと(純粋悟性
    認識力が、独りで働くこと。
    (a)(例)可知的なだけで想像不可能なものを考える。
    (b)想像力、感覚、記憶と悟性
      悟性はいかにして、想像力、感覚、記憶から助けられ、あるいは妨げられるか。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (c)観念を表現する物自体(モデル)、物のある省略された形(記号)
      悟性は、感覚でとらえ得ないものを理解するときは、かえって想像力に妨げられる。逆に、感覚的なものの場合は、観念を表現する物自体(モデル)を作り、本質的な属性を抽象し、物のある省略された形(記号)を利用する。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (d)記号による解法
      問題となっている対象を表わす抽象化された記号を、紙の上の諸項として表現する。次に紙の上で、記号をもって解決を見出すことで、当初の問題の解を得る。(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (5.1.2)身体において終結する精神の能動(運動、行動)
   (a) 意志のひとつとして、身体において終結する能動がある。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (b) 想像が、多数のさまざまな運動の原因となる。(ルネ・デカルト(1596-1650))


 (5.2)あらゆる種類の知覚ないし認識が、一般に精神の受動である
  (5.2.1)身体を原因とする知覚
   (5.2.1.1)外部感覚
    (a) 対象に注意を向けるのは能動であるにしても、外部感覚は精神の受動である。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (b)〈特殊感覚〉視覚、聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚

   (5.2.1.2)共通感覚、想像力、記憶
    (a) 共通感覚について。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (b) 外部感覚だけでなく、それがより広い範囲の身体に影響を与えて生じた共通感覚もまた、記憶され、想像力の対象となる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (c)「これらの形象[事物の性質をも表す]のうち、観念は...外部感覚の器官や脳の内表面に刻み込まれる形象ではなく、〈想像力と共通感覚の座〉である腺Hの表而に、精気によって描かれる形象だけである。...私が‘想像したり感じたり’といっているのに注意していただきたい。...私は、〈観念〉の名のもとに、精気が腺Hから出るときに受ける刻印すべてを広く含めたいからである。...この刻印は、対象の現前に依存するときはすべて共通感覚に帰せられるが、あとで述べるように多くの他の原因によってもできるのであって、そのときは想像力に帰せられねばならない。」(出典:デカルトの身体的記憶と想像力(谷川多佳子,1990))
《概念図》
    ┌(受動)──┐ ┌記憶──────┐
 外界─→外部感覚  ├→┤形象の観念   │
    │共通感覚  │ │        │
    │ 肢体の感覚│ │肢体感覚の観念 │
    │ 内臓感覚 │ │内臓感覚の観念 │
    │ 幻覚・夢想│ │幻覚・夢想の観念│
    └──────┘ └───┬────┘
                 ↓
               想像力(能動)
         ┌───────┘
         ↓
    ┌観念──┴───┐
    │形象の観念   │
    │肢体感覚の観念 │
    │内臓感覚の観念 │
    │幻覚・夢想の観念│
    └────┬───┘
         ↓
    ┌(受動)┴─┐
    │共通感覚  │
    │ 肢体の感覚│
    │ 内臓感覚 │
    │ 幻覚・夢想│
    └──────┘

   (5.2.1.3)自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様
    ・ 精神の受動のひとつ、身体ないしその一部に関係づける知覚として、飢え、渇き、その他の自然的欲求、自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様がある。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    ・〈表在性感覚〉皮膚の触覚、圧覚、痛覚、温覚
    ・〈深部感覚〉筋、腱、骨膜、関節の感覚

   (5.2.1.4)身体ないしその一部に関係づける知覚としての、飢え、渇き、その他の自然的欲求
    ・〈内臓感覚〉空腹感、満腹感、口渇感、悪心、尿意、便意、内臓痛など

   (5.2.1.5)精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想(広い意味では、情念の一種)
    ・ 精神の受動のひとつ、身体によって起こる知覚として、意志によらない想像がある。夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想も、これである。これらは、飢え、渇き、痛みとは異なり、精神に関連づけられており、これらが情念である。(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (5.2.2)精神を原因とする知覚
   ・ 意志についての知覚、意志に依存するいっさいの想像や他の思考についての知覚は、知覚ということからは精神の受動であるが、精神から見れば能動である。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (5.2.2.1) 意志についての知覚
   (5.2.2.2) 意志に依存するいっさいの想像や他の思考についての知覚

  (5.2.3) 身体を原因とする知覚や、精神を原因とする知覚を原因とする、精神だけに関係づけられる知覚(情念)
   (5.2.3.1)精神に関係づけられていること
    (a) 精神の受動のひとつ、精神だけに関係づけられる知覚として、喜び、怒り、その他同種の感覚がある。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (b)身体と思考の結びつき
      ある身体行動とある思考が結びつくと、両者のいずれかが現われれば必ずもう一方も現われるようになる。この結びつきは、各人によって異なり、各人ごとに異なる情念の原因である。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (c)精神に関係づけられているとは、受動された感覚を能動的に認知する精神の能力、また、意志による能動作用に関係づけられているのが、情念の本質であるということである。
   (5.2.3.2)精神の受動性
    (a)精神の受動なので、意志によって直接制御できない
      意志の作用によって直接、情念を制御することはできない。持とうと意志する情念に習慣的に結びついているものを表象したり、斥けようと意志する情念と相容れないものを表象することで、間接的に制御することができる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (b)精神の受動、すなわち身体の能動である
      情念はほぼすべて、心臓や血液全体など身体のなんらかの興奮の生起をともなっており、その興奮がやむまで情念はわたしたちの思考に現前しつづける。これは感覚対象が感覚を現前させつづけるのと同じである。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (c)思考の持続効果
      情念は、精神のなかに思考を強化し持続させる作用が効用をもたらし、また時に、それは害を及ぼす。(ルネ・デカルト(1596-1650))


《概念図:情動、情念》
    ┌(受動)──┐ ┌記憶──────┐
 外界─→外部感覚  ├→┤形象の観念   │
    │共通感覚  │ │        │
    │ 肢体の感覚│ │肢体感覚の観念 │
    │ 内臓感覚 │ │内臓感覚の観念 │
  ┌─┤ 幻覚・夢想│ │幻覚・夢想の観念│
  │ └───┬──┘ └───┬────┘
  │     │        ↓
  │     │      想像力(能動)
  │     │        ↓
  │     │    ┌観念─┴────┐
  │     │    │形象の観念   │
  │     │    │肢体感覚の観念 │
  │     │    │内臓感覚の観念 │
  │     │    │幻覚・夢想の観念│
  │     │    └───┬────┘
  │     └───────┐│
  │             ↓↓
  │            認識力(能動)
  │             ↓↓
  │ ┌(受動)──┐ ┌観念┴┴(能動)┐
  │ │精神の能動の←─┤認知      │
  │ │知覚    │ │記憶の想起   │
  └─→身体を原因と│ │想像      │
    │する知覚  │ │理解      │
    │      │ │ 理解したという│
    │喜び、悲しみ│ │ 何らかの心的な│
    │などの情念 │ │ 状態     │
    └──────┘ └────────┘

《概念図:全体のまとめ》
┌─────────────身体(外界)─┐
│┌精神─────────┐       │
││┌─────(受動)┐│       │
│││外部感覚     ←─(身体←外界)│
│││共通感覚     ←─(身体)   │
│││ 肢体の感覚   ←─(身体←外界)│
│││ 内臓感覚    ←─(身体)   │
│││ 幻覚、夢想←─(受動)────記憶│
│││想像された観念←想像力(能動)─記憶│
│││情念・情動(受動)←─┐←────┐│
││└────┬────┘││     ││
││     ↓     ││     ││
││┌認知──┴(能動)┐││     ││
│││外部感覚の認知  ├─┘     ││
│││共通感覚の認知  ←─機能と一体化││
│││ 肢体の感覚   ││ した記憶 ││
│││ 内臓感覚    ─→記憶化   ││
│││ 幻覚・夢想   ││(身体の受動)││
│││想像された観念  ││      ││
│││情念・情動(認知)││      ││
││└────┬────┘│      ││
││     ↓     │      ││
││┌意志──┴(能動)┐│      ││
│││想起       ├───────┘│
│││想像、予測、構想 ←─機能と一体化 │
│││理解、理論    ││ した記憶  │
│││計画、行動    ─→記憶化    │
││└─────────┘│(身体の受動) │
│└───────────┘       │
└────────────────────┘




(出典:wikipedia
ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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