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2021年12月27日月曜日

議論の余地ある憲法上の争点を、裁判所はいかに決定すべきかに関して、2つの異なる主張がある。道徳的洞察によって必要な諸原理を修正または創造して問題を判断する(司法積極主義)主張と、広汎な憲法原則によって要求される諸原理に関して不整合があるような場合であっても、統治機構の決定の存続をする許容するべきだ(司法的自制)とする主張である。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))

司法積極主義と司法的自制

議論の余地ある憲法上の争点を、裁判所はいかに決定すべきかに関して、2つの異なる主張がある。道徳的洞察によって必要な諸原理を修正または創造して問題を判断する(司法積極主義)主張と、広汎な憲法原則によって要求される諸原理に関して不整合があるような場合であっても、統治機構の決定の存続をする許容するべきだ(司法的自制)とする主張である。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))




(5.3.1)司法積極主義 (judicial activism)の綱領
 裁判所は、合法性、平等、その他の諸原理を作り出し、これらの諸原理を時に応じ、 裁判所にとって斬新な道徳的洞察と思われるものに照らして修正し、それに従って連邦議会、 各州、及び大統領の諸行為を判断すべきである。
(5.3.2)司法的自制(judicial restraint)の綱領
 たとえ他の統治部門の諸決定が、広汎な憲法原則によって 要求される諸原理に関する裁判官自身の感覚に反する場合であっても、裁判所はそれらの決定 がそのまま存続することを許容するべきだ。ただし、決定があまりにも 政治道徳に反しており、どのような解釈に基づいても憲法条項に違背するような場合は別である。

「更に、ひとたび問題がこの観点から語られるならば、我々は、「厳格解釈」の通念から生 じる混乱に陥ることなく、これらの競合する政策的主張を評価することができる。これらの目 的のために、私はいまや難解な、あるいは議論の余地ある憲法上の争点を裁判所はいかに決定 すべきかという問題に関する二つの非常に一般的な哲学を比較対照したいと思う。私はこれら 二つの哲学を、法学上の文献においてそれらに与えられている名前――「司法積極主義」 (judicial activism)と「司法的自制」(judicial restraint)の綱領――で呼ぶつも りである。もっとも、これらの名前が幾つかの点で誤解を招きやすいものであることは、やが て明らかになるであろうが。  司法積極主義の綱領は、私が言及した類いの競合する諸理由の存在にもかかわらず、裁判所 は、いわゆる漠然とした憲法条項の指示を、私が記述した精神において受け容れるべきだ、と 主張する。裁判所は、合法性、平等、その他の諸原理を作り出し、これらの諸原理を時に応じ 裁判所にとって斬新な道徳的洞察と思われるものに照らして修正し、それに従って連邦議会、 各州、及び大統領の諸行為を判断すべきである。(これは、司法積極主義の綱領をその最も強 い形態において表現するものである。実際にはこの綱領の支持者達は一般的に、若干の点にお いてその綱領を弱めているが、さしあたり私はこれらの点を無視しようと思う。)  これに反して司法的自制の綱領は、たとえ他の統治部門の諸決定が広汎な憲法原則によって 要求される諸原理に関する裁判官自身の感覚に反する場合であっても、裁判所はそれらの決定 がそのまま存続することを許容するべきだ、と主張する。ただし、これらの決定があまりにも 政治道徳に反しており、したがっていかなるもっともらしい解釈に基づいても当該条項に違背 するといわざるをえない場合、あるいは、ことによると反対の趣旨の判決が明瞭な先例によっ て要求されている場合は別である。(これもまた、司法的自制の綱領を純然たる形態において 表現したものである。この政策を信奉する者は、種々の点においてそれを緩和している。)」 

(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『権利論』,第4章 憲法の事案,3,木鐸社 (2003),pp.178-178,木下毅(訳),野坂泰司(訳),小林公(訳))

権利論増補版 [ ロナルド・ドゥウォーキン ]



ロナルド・ドゥオーキン
(1931-2013)


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