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2021年11月8日月曜日

意図と目的による意識による行動コントロールは、無意識のプロセスを適切な手段として利用することで、意識の到達範囲はさらに増幅され、分析や計画などに専念できるようになる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

意識の役割
意図と目的による意識による行動コントロールは、無意識のプロセスを適切な手段として利用することで、意識の到達範囲はさらに増幅され、分析や計画などに専念できるようになる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))


「人間の子供時代や思春期が異様に長い時間を要するのは、脳の無意識プロセスを教育し て、その無意識の脳空間の中に、意識的な意図や目的にしたがっておおむね忠実に活動するよ うなコントロールの形を作り上げるのに長い時間がかかるからだ。このゆっくりした教育は、 意識的コントロールを無意識の力(確かにそれは人間行動をむちゃくちゃにできる)に委ねる プロセスだと思うべきではないのだ。パトリシア・チャーチランドはこの立場を説得力ある形 で論じている。

  無意識プロセスがあるからといって、意識の価値が下がりはしない。むしろ、意識の到達範 囲はさらに増幅される。そして、普通に脳が機能していれば、一部の行動が健全で頑強な無意 識により実行されているからといって、行動に対するその人の責任は必ずしも低下するわけで はない。

   結局のところ、意識プロセスと無意識プロセスとの関係は、共進化するプロセスの結果とし て生じた奇妙な機能的パートナーシップの新たな一例というわけだ。必然的に、意識と直接的 な意識による行動コントロールは、意識のない心の後から発生したものだ。それまでは意識の ない心が仕切っており、かなりよい結果も出していたが、常に成功したわけではない。もっと うまくやれる余地があった。意識が成熟したのは、まず無意識による実行部隊の一部を制圧し て、それらを容赦なく小突き回し、計画通りのあらかじめ決まった行動を実施させたことによ る。無意識プロセスは、行動を実行するための適切で便利な手段となり、それにより意識は、 分析と計画にもっと時間を割けるようになったのだ。

  家に歩いて帰るとき、どの道で帰ろうか考えるよりは何か別の問題の解決法を考えていたり するが、それでも安全にきちんと家に帰れる。このとき、われわれはそれまで数多くの意識的 な実行により、学習曲線にそって身につけた無意識的な技能の恩恵を受け入れたことになる。 家に歩いて帰るとき、意識がモニターする必要があったのは、その旅の全体的な目的地だけ だ。意識プロセスの残りは、創造的な目的のために自由に使えた。

 ほとんど同じことが、音楽家や運動選手の専門活動についてもいえる。その意識的処理は、 目的の達成だけに専念している。ある時点で何らかの水準を達成し、その実施にあたってのい くつかの危険を回避し、予想外の状況を検出することだ。あとは練習、練習、また練習で、そ れが第二の天性になればいずれ大成し、カーネギー・ホールに立てるかもしれない。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第4部 意識の後しばらく、第11 章 意識と共に生き得る、pp.322-324、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))

自己が心にやってくる (ハヤカワ・ポピュラー・サイエンス) [ アントニオ・R・ダマシオ ]

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アントニオ・ダマシオ

「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())

2020年6月21日日曜日

36.a)外界と身体の変化(b)対象,驚き,既知感(c)関心,注意(d)視点(e)表象の所有感(f)発動力(g)原初的感情.これら全てが,その担い手である中核自己の存在を感知させ,全ての表象がその内部での現象であると感知させる.これが意識である.(アントニオ・ダマシオ(1944-))

意識ある心

【(a)外界と身体の変化(b)対象,驚き,既知感(c)関心,注意(d)視点(e)表象の所有感(f)発動力(g)原初的感情.これら全てが,その担い手である中核自己の存在を感知させ,全ての表象がその内部での現象であると感知させる.これが意識である.(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

全体へ追記。

 (3.3)情動誘発部位と原自己の2次マッピング
  情動誘発部位における神経活動のパターンと原自己の変化が、二次の構造にマッピングされる。かくして、情動対象と原自己の関係性についての説明が二次の構造においてなされる。
  (3.3.1)対象のイメージ群
   イメージの一群は、意識の中の物体を表す。
   (a)対象という感覚、知っているという感覚
    原初的感情が変化し、「その対象を知っているという感情」が発生する。(2次マップ)
   (b)関心、注意を向ける重要性の感覚
    知っているという感情が、対象に対する「重要性」を生み出し、原自己を変化させた対象へ関心/注意を向けるため、処理リソースを注ぎ込むようになる。(1次マップへのフィードバック)
  (3.3.2)中核自己のイメージ群
   別のイメージ群は自分を表す。
   (a)ある視点の存在の感覚
    全てが無差別に存在している混沌の中に、対象が浮かび上がる。対象は見られ、触られ、聞かれ、変化するが、いつもある不動の視点から見られ、触られ、聞かれている。
   (b)対象が対象そのものではなく、影響を受けている何者かの所有物であるという感覚
    (i)浮かび上がった対象は、対象そのものではないようだ。対象に向き合い、対象から影響を受けている何者かが存在する。浮かび上がった対象は、この何者かが所有しているものであるという感覚が存在する。
    (ii)絶対に安全であるという感情
     ウィトゲンシュタインは、この感覚に別の表現を与えている。「私は安全であり、何が起ろうとも何ものも私を傷つけることはできない」というような感情。
     参考:二つの表明し得ぬもの:(a)何かが存在する、この世界が存在するとは、いかに異常なことであるかという驚き、(b)私は安全であり、何が起ころうとも何ものも私を傷つけることはできない、という感覚。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))

   (c)発動力
    浮かび上がった対象に関心と注意を向ける何者かが存在する。原自己に属する身体は、この何者かが確かに、自ら命じて動かすことができる。
   (d)原初的感情
    対象がどのように変化しようが、比較的変化しないで持続する何者かが存在する。
  (3.3.3)中核自己
   (i)全てが無差別に存在している混沌の中に、対象が浮かび上がる。何かが変化し、知っているという感情が生まれた。それは注意をひきつける。対象は、いつもある不動の視点から、見られ、触れられ、聞かれている。対象は、対象そのものではなく、影響を受けている何者かの所有物であるという感覚がある。浮かび上がった対象に注意を向ける何者かが存在する。原自己に属する身体は、この何者かが自ら命じて動かすことができる。これらを担い所有する主人公が浮かび上がってくる。これが「中核自己」である。
   (ii)存在することへの驚き
    ウィトゲンシュタインは、それが驚きの感情を伴うことを指摘する。「何かが存在するとはどんなに異常なことであるか」、「この世界が存在するとはどんなに異常なことであるか」という存在することへの驚き。
    参考:二つの表明し得ぬもの:(a)何かが存在する、この世界が存在するとは、いかに異常なことであるかという驚き、(b)私は安全であり、何が起ころうとも何ものも私を傷つけることはできない、という感覚。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))
  (3.3.4)意識のハードプロブレムについて
   たとえ外界と身体の全ての表象が存在しても、無差別に存在する混沌の中には、意識は存在しない。(a)外界と身体の変化の感知、(b)驚きまたは既知感、(c)関心と注意、(d)視点の感知、(e)表象の所有感、(f)発動力の感知、(g)継続的な原初的感情が、(h)中核自己の存在を感知させ、これら全てが中核自己の内部で現象していると感知される。これが意識である。「自己集積体のイメージが非自己物体のイメージとあわせて折りたたまれると、その結果が意識ある心となる」。

《説明図》

対象→原自己→変調された原初的感情
↑  の変化 変調されたマスター生命体
│       │    ↓
│       │  視点の獲得
│       ↓
│     知っているという感情
│       ↓     │
└─────対象の重要性  ↓
             所有の感覚
             発動力

 「要するに、意識ある心の深みに沈降する中で、私はそれが各種イメージの複合物だということを発見したのだ。そうしたイメージの一群は、意識の中の《物体》をあらわす。別のイメージ群は自分をあらわし、その自分に含まれるのは以下の通りだ。
(1) 物体がマッピングされるときの《視点》(私の心が見たり触ったり聞いたりなどする際の立ち位置を持っているという事実と、その立ち位置というのが自分の身体だという事実)
(2) その物体が表象されているのは、自分に所属する心の中でのものであって、その心は他の誰にも属さないという感情《所有感》
(3) その物体に対して自分が《発動力》(agency)を持っており、自分の身体が実施する行動は心に命じられたものだという感情
(4) 物体がどう関わってくるかとはまったく関係なしに、自分の生きた身体の存在をあらわす《原初的感情》
 (1)から(4)までの要素の集合が、単純版の自己を構成する。自己集積体のイメージが非自己物体のイメージとあわせて折りたたまれると、その結果が意識ある心となる。
 こうした知識はすべて、そこにあるものだ。それは理性的な推論や解釈で得られる知識ではない。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第3部 意識を持つ、第8章 意識ある心を作る、p.223、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))
(索引:)

自己が心にやってくる


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

アントニオ・ダマシオ(1944-)
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2020年6月18日木曜日

35.身体と身体状態の表象が,中核自己を生む.身体状態が記憶,想起され,自己の身体状態のシミュレーションが可能となる.やがて,他者の身体状態のシミュレーションによって,他者の意図や情動が理解可能となる.(アントニオ・ダマシオ(1944-))

身体状態のシミュレーション

【身体と身体状態の表象が,中核自己を生む.身体状態が記憶,想起され,自己の身体状態のシミュレーションが可能となる.やがて,他者の身体状態のシミュレーションによって,他者の意図や情動が理解可能となる.(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

(1)中核自己の誕生
 (a)自分の身体と身体状態が、脳内に表象されるようになる。
 (b)中核自己の意識が生まれる。
 (c)自分の身体と身体状態が記憶され、想起できるようになることで、自分自身の身体状態シミュレーションへの準備が整ってゆく。
(2)あたかも身体ループシステムの獲得
 (a)過去の知識や認知によって、実際の状況に遭遇したときと同じ内部感覚の表象が出現する。
 (b)これは、自分自身の身体状態シミュレーションである。
(3)他人の身体状態のシミュレーション
 (3.1)他者の行動の意味の理解
  (a)他人の行動を目撃する。
  (b)同じ行動の体感的な表象が出現する。
  (c)このことで、他人の行動の意味が理解できる。
  (d)これは、他人の身体状態シミュレーションである。
  参考:対象物を見ると、それを操作する運動感覚の表象が伴う。これはカノニカルニューロンが実現している。また、他者の対象物への働きかけを見ると、その運動感覚の表象が伴う。これはミラーニューロンが実現している。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))
 (3.2)他者の情動の理解
  (a)他人の情動表出を目撃する。
  (b)同じ内部感覚の表象が出現する。
  (c)このことで、他人の情動が理解できる。
  (d)これは、他人の身体状態シミュレーションである。
  参考: 他者の情動の表出を見るとき、その情動の基盤となっている内臓運動の表象が現れ、他者の情動が直ちに感知される。これは潜在的な場合もあれば実行されることもあり、複雑な対人関係の基盤の必要条件となっている。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))

 「ミラーニューロンの存在理由についての説明は、そうしたニューロンがあると自分自身を相手と似た身体状態におけるので、相手の行動を理解しやすくなるのだという点を強調してきた。他人の行動を目撃すると、身体を感知する脳は、自分自身がその相手のように動いていた場合の身体状態を採用する。そしてそれをやるときには、ほぼまちがいなく、受動的な感覚パターンではなく、運動構造の事前起動を使う――行動の準備はできているがまだ行動しない――はずだし、ときには実際に運動を活性化させたりすることもあるだろう。
 こんな複雑な生理システムがどのように進化したのだろうか? おそらくは、このシステムはもっと初期の「あたかも身体ループシステム」から発達したものだと私はにらんでいる。その初期のシステムは、複雑な脳が昔から《自分自身の》身体状態シミュレーションのために使ってきたものだ。これは明らかに即座の利点を持っていただろう。関係した過去の知識や認知戦略と関連したある身体状態のマップを、すばやくエネルギーを使わずに起動できるのだから、やがて「あたかもシステム」は他のものにも適用されるようになり、他人の身体状態――これはその相手の心的状態の表現だ――を知ることで得られる明らかな社会的利点のおかげで広まった。要するに、それぞれの生命体における「あたかも身体ループ」というのは、ミラーニューロンの働きを先取りするものだと私は考えているのだ。
 第Ⅲ部で見るように、自己の創造には自分の身体が脳内で表象されることが不可欠だ。だが脳による身体の表象は、もう一つ大きな意味合いを持っている。自分の身体状態を描けるので、それに相当する他人の身体状態もシミュレーションしやすくなるということだ。結果として、自分自身の身体とそれが自分にとって獲得した重要性とのつながりは、他人の身体状態シミュレーションにも移転できる。そうなると、そのシミュレーションにも同じくらいの重要性を付与できるようになる。「共感」という言葉であらわされる幅広い現象が、この仕組みに多くを負っている。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第2部 脳の中にあって心になれるのはどんなもの?、第4章 心の中の身体、pp.128-129、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))
(索引:)

自己が心にやってくる


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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2018年6月15日金曜日

12.中核自己とは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)

中核自己

【中核自己とは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)】
(1)生命体が、ある対象に遭遇する。
(2)ある対象が、感覚的に処理される。
(3)対象からの関与が、原自己を変化させる。
(4)原初的感情が変化し、「その対象を知っているという感情」が発生する。
(5)知っているという感情が、対象に対する「重要性」を生み出し、原自己を変化させた対象へ関心/注意を向けるため、処理リソースを注ぎ込むようになる。
(6)「ある対象が、ある特定の視点から見られ、触られ、聞かれた。それは、身体に変化を引き起こし、その対象の存在が感じられた。その対象が重要とされた。」こうしたことが、起こり続けるとき、対象によって変化させられたもの、視点を持っているもの、対象を知っているもの、対象を重要だとし関心と注意を向けているもの、これらを担い所有する主人公が浮かび上がってくる。これが「中核自己」である。

 「私の見たところ、原自己の決定的な変化は知覚される各種の対象との瞬間ごとの関与から来るのだ。

その関与は、その対象の感覚的な処理と時間的にきわめて近い範囲で生じる。生命体が対象に遭遇すると、それがどんな対象であれ、原自己はその遭遇で変化を被る。

なぜなら物体をマッピングするためには、脳は身体を適切な形で調整しなくてはならないからで、さらにそうした調整の結果とマッピングされたイメージのコンテンツも原自己に信号として送られるからだ。


 原自己への変化は、瞬間的に中核自己の創出を開始させ、一連の出来事を引き起こす。

その一連の中で最初の出来事は、原初的感情の変化であり、それが「その対象を知っているという感情」をもたらす。これは、その対象をその瞬間の間は他の対象と区別する感情だ。

第二の出来事は、知っているという感情の結果となる。それは接触している対象に対する「重要性」を生み出す。この場合の関心/注意のためには、ある特定の対象に対して他の対象よりも処理リソースを注ぎ込まねばならない。

つまり中核自己は、変化した原自己を、その変化の原因となった対象と結びつけることで生み出される。その対象は、いまや感情によって重要なものとされ、関心/注意によって拡張されることになる。

 このサイクルの終わりで、心は単純でとてもありがちな出来事のシーケンスに関するイメージを含む。

その対象は、ある特定の視点から見られたり触られたり聞かれたりしたときに身体を関与させた。その関与は身体に変化を引き起こした。その対象の存在が感じられた。その対象が重要とされた。この一連のシーケンスだ。 

 こうしたいつまでも起こり続ける出来事の非言語的な物語は、心の中でそうした出来事が起こっている主人公がいるのだという事実を描き出す。

その主人公とは物質的な自分だ。

この非言語的な物語での描き方は、主人公を造って明らかにすると共に、その生命体により造り出された行動をその主人公に結びつけ、そしてその対象と関与することで生み出された感情とともに、所有の感覚を生み出すのだ。

 単純な心的プロセスに追加され、意識ある心を生み出しているのは、一連のイメージ、つまり生命体のイメージ(これは変更された原自己という代理物が提供している)、対象に関連した情動反応(つまりは感情)のイメージ、瞬間的に強調されたその原因たる対象のイメージだ。

《自己が心にやってくるのは、イメージという形を取ってのことだ。そのイメージは、絶え間なくこうした関与の物語を語り続けている》。

変化を受けた原自己と、知っているという感情は、ことさら強いものである必要さえない。どんな微妙な形であれ単に心の中にあって、ほのめかしより多少は強く、対象と生命体との間のつながりを提供すればいい。

結局のところ、プロセスが適応性を持つためには、最も重要なのはその対象なのだから。」

 「中核自己メカニズムの模式図。中核自己状態は複合体だ。主要コンポーネントは、知っているという感情と対象の重要度となる。他の重要なコンポーネントは、視点と所有の感覚と発動力(agency)だ。」

対象→原自己→変調された原初的感情
↑      変調されたマスター生命体
│       │    ↓
│       │   視点
│       ↓
│     知っているという感情
│       ↓     │
└─────対象の重要性  ↓
             所有の感覚
             発動力


(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第3部 意識を持つ、第8章 意識ある心を作る、pp.242-243,251、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))
(索引:中核自己)

自己が心にやってくる


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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11.外的に向けられた感覚ポータルマップとは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)

外的に向けられた感覚ポータルマップ

【外的に向けられた感覚ポータルマップとは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)】
外的に向けられた感覚ポータルマップ
《知覚の種類》視覚、聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚の〈特殊感覚〉と、マスター生命体マップの一部である目、耳、鼻、舌を収めている身体領域とその動きの知覚。
《例》視覚であれば、目を動かす眼筋、レンズや瞳孔の直径を調節する仕組み、目のまわりの筋肉、まばたきしたり、笑いを表現したりするための筋肉など。
《特徴》
(a)〈特殊感覚〉が、心の「質的」な側面を構築する。
(b)〈特殊感覚〉が、マスター生命体マップのどの身体領域から受け取っているのかを知り、身体領域を調節して視点を構築する。

 「感覚ポータルについては第4章で、感覚プローブ――ダイヤモンド――がはめこまれている補強枠の話をすることで間接的に触れた。ここではそれを自己に奉仕するものとして描こう。身体内の各種感覚ポータル――たとえば目、耳、舌、鼻を収めている身体領域――の表現は、マスター生命体マップの別個で特殊な事例だ。感覚ポータルマップがマスター生命体マップの枠組みにおさまるのは、マスター感情システムがそこにおさまるのと同じで、実際のマップの移転よりはむしろ時間的な調整によって起こるのだと思う。こうしたマップの一部がずばりどこにあるのか、というのが、いま検討したいことだ。
 感覚ポータルマップは二重の役目を果たす。まずは視点を構築すること(意識においては大きな側面となる)および心の質的な側面の構築だ。物体の認識について興味深い側面の一つは、その物体を記述する心的なコンテンツと、その知覚を行っている身体部分に対応する心的コンテンツとの間に構築される、見事な関係性だ。見るのは目で行うことは知っているが、《自分が自分の目で見ていることも感じられる》。」(中略)

「視覚の場合、感覚ポータルに含まれるのは目を動かす眼筋だけでなく、レンズの大きさを調整することでモノに焦点をあわせる仕組みのすべて、瞳孔の直径を増減することで、光量を変える装置(目のカメラシャッター)、そして目のまわりの筋肉、顔をしかめたりまばたきしたり、笑いを表現したりするための筋肉などもある。目の動きやまばたきは、自分の視覚イメージの操作に重要な役割を果たすし、驚異的なことだがフィルムイメージの有効で現実味ある編集にも一役買っている。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第3部 意識を持つ、第8章 意識ある心を作る、pp.234-236、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))
(索引:感覚ポータルマップ)

自己が心にやってくる


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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2018年6月14日木曜日

10マスター生命体マップとは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)

マスター生命体マップ

【マスター生命体マップとは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)】
マスター生命体マップ
《知覚の種類》身体の形、身体の動き。
《特徴》発達の途中で変わってゆく。
《マスター内知覚マップとマスター生命体マップの関係》
 マスター内知覚マップは、マスター生命体マップの中に収まる。ある特定の内部知覚は、マスター生命体マップの中の解剖学的図式に当てはまる領域の部分で知覚される。例として、吐き気が胃のあたりで体験される等。

 「マスター生命体マップは、全身の模式図を主要コンポーネントつき――頭、体幹、四肢――で、落ち着いた状態で記述する。身体の動きは、このマスターマップとの比較でマッピングされる。

内知覚マップとはちがって、マスター生命体マップは発達の途中で劇的に変わる。というのもこのマップは骨格筋システムとその動きを描くからだ。必然的に、こうしたマップは身体の大きさが増大したり、動きの幅や質が変わったりすれば、それに応じて変わる。赤ん坊、思春期の若者、成人の各段階でそれが同じなどということは考えられない。

もちろん、何らかの一時的な安定性にはやがて到達するのだが、結果としてマスター生命体マップは、原自己を構成するのに必要となる単一性の源としては理想的とは言えない。

 マスター内知覚システムは、マスター生命体模式図で作られた全般的な枠組みの中におさまらなければならない。ざっとした素描が、マスター生命体枠組みの外周部の中に、マスター内知覚システムを描き出す。

片方がもう片方におさまるからといって、実際にマップが移転されるわけではないが、両方のマップが動員できるような協調は可能になる。

たとえば、身体のある特定内部領域のマッピングは、マスター生命体枠組みの中で、全体的な解剖学的図式に最もあてはまる領域の部分に信号が送られる。

人が吐き気を感じるとき、それが身体のある部分との関連で体験される――たとえば胃、などだ。漠然としてはいても、内知覚マップは全体としての生命体マップにおさまるように作られる。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第3部 意識を持つ、第8章 意識ある心を作る、pp.233-234、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))
(索引:マスター生命体マップ)

自己が心にやってくる


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

アントニオ・ダマシオ(1944-)
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9.マスター内知覚マップとは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)

マスター内知覚マップ

【マスター内知覚マップとは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)】
マスター内知覚マップ
《知覚の種類》器官、組織、内臓、その他内部環境の状態に由来する知覚。
《情動》原初的な感情(最適、平常、問題あり)、痛覚、温冷、飢え、喉の渇き、快楽。
《特徴》内部状態は、ホメオスタシス機構により、変化は極めて狭い範囲でしか生じない。従って、この知覚は他の知覚と比較し、生涯を通じて安定しており、不変性の基礎を提供する。

(再掲)
(g)代謝のプロセス
《定義》
・内部の化学的作用のバランスを維持するための、化学的要素(内分泌、ホルモン分泌)と機械的要素(消化と関係する筋肉の収縮など)
《機能》
・体内に適正な血液を分配するための、心拍数や血圧の調整。
・血液中や細胞と細胞の間にある液の酸度とアルカリ度の調整。
・運動、化学酵素の生成、有機体組織の維持と再生に必要なエネルギーを供給するための、タンパク質、脂質、炭水化物の貯蔵と配備の調整。

 「これらは内部状態と内臓から出てくる内知覚信号からコンテンツを組み立てられるマップやイメージとなる。

内知覚信号は中枢神経系に、生命体の状態を継続的に伝える。その状態には最適状態から平常、問題あり、といったバリエーションがあり、器官や組織の総合性が損なわれて体内で損傷が起こった場合などを告げる(ここで言っているのは侵害受容信号であり、これは痛覚感情の基盤となる)。

内知覚信号は、生理的補正の必要性を報せる。これが心の中で具体化すると、飢えやのどの渇きといった感情となる。温度を伝えるあらゆる信号や、内部状態の働きについての無数のパラメータもこの分類に入る。最後に、内知覚信号は快楽状態とそれに対応する快感感情の構築に貢献する。」(中略)

 「原初的な感情は、その他のあらゆる感情に先立つものだ。それは、脳幹と相互接続されている、生きた身体だけを独自に参照している。

あらゆる情動の感情は進行中の原初的感情の変種だ。物体と生命体との相互作用により生じるあらゆる感情は、継続中の原初的感情の変種だ。原初的感情とその情動的な変種は、心の中で起こる他のあらゆるイメージに伴う忠実なコーラスを生み出す。」(中略)

「内知覚はいずれ自己を構成することになるもののための、一種の安定した足場を作るのに必要となる、相対的な《不変性》の源としておあつらえ向きなのだ。

 この相対的不変性の問題はきわめて重要だ。というのも自己は単一のプロセスであり、その単一性を基礎づける生物学的な可能性を突き止める必要があるからだ。」(中略)

「内部状態とそれに関連する多くの内臓パラメータは、生命体の中でどんな年齢でも生涯を通じて最も不変の部分を提供するが、それはこれらが変わらないからではなく、その働きのために、その変化がきわめて狭い範囲でしか起こってはならないせいだ。

骨は発達期を通じて成長するし、それを動かす筋肉も成長するが、生命が生じる化学溶液の本質――そのパラメータの平均的な範囲――は、その人が3歳だろうと、50だろうと80だろうとほぼ同じだ。また身長が60センチのときも180センチのときも、恐怖の状態や幸せの状態の生物学的な本質は、おそらくそうした状態が内部状態の化学としてどう構築されるか、そして内臓における平滑筋の収縮や延伸の度合いから見れば、ほぼまちがいなく同じままだろう。

恐怖や幸福といった状態の原因――そうした状態を引き起こす考え――は生涯でかなり変わるが、そうした原因に対するその人の情動的な反応は変わらないということは指摘しておこう。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第3部 意識を持つ、第8章 意識ある心を作る、pp.229-231、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))
(索引:マスター内知覚マップ)

自己が心にやってくる


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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8.原自己とは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)

原自己

【原自己とは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)】
 原自己:生命体の物理構造の最も安定した側面を、一瞬ごとにマッピングする別個の神経パターンを統合して集めたもの。以下の構造からなる。
(a)マスター内知覚マップ
(b)マスター生命体マップ
(c)外的に向けられた感覚ポータルのマップ


 「原自己は、中核自己の構築に必要な踏み石だ。それは《生命体の物理構造の最も安定した側面を、一瞬ごとにマッピングする別個の神経パターンを統合して集めたもの》だ。

原自己マップは、それが身体イメージだけでなく《感じられた》身体イメージも生み出すという点に特色がある。こうした身体の原初的感情は、通常の目を覚ました脳には自発的に存在している。

 原自己に貢献するものとしては、《マスター内知覚マップ》、《マスター生命体マップ》、《外的に向けられた感覚ポータルのマップ》がある。

解剖学的観点からすると、こうしたマップは脳幹と皮質領域の両方から生じる。

原自己の基本的状態は、その内知覚コンポーネントと感覚ポータルコンポーネントの平均だ。

こうした多様で空間的に分布したマップの統合は、同じ時間の窓の中での相互信号により実行される。多様なコンポーネントをマッピングしなおすための、単一の脳サイトは必要としない。

では原自己に貢献しているものをそれぞれ別個に検討しよう。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第3部 意識を持つ、第8章 意識ある心を作る、p.228、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))
(索引:原自己)

自己が心にやってくる


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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