普遍的な道徳律
非常に多くの国で、非常に長い期間にわたって非常に多くの人々が生きる基準にしてきた道徳律が存在する。これを認めると、それによって他の人々と一緒に生きることが可能になる。仮に、異なる文化、異なるものの見方、異なる直感を持った人々でも、理解することはできるだろう。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
「―――しかし、あなたは普遍的な道徳的価値を信じるのですか。
バーリン
そうです、ある意味では。私は、非常に多くの国で非常に長い期間にわたって非 常に多くの人々が生きる基準にしてきた道徳律を信じています。この道徳律を認めること、そ れによって他の人々と一緒に生きることが可能になります。
しかし、あなたが「絶対的な道徳 律」と言われるなら、私は「どうしてそれが絶対的になっているのか」、「それは何を根拠に してか」と問い返さねばなりません。そして先験的なものに再び帰っていくことになります。
普遍的というのが道徳律の直感的確実性という意味なら、私はある種の直感的確実性を感じて いると思います。しかし、誰か他の人はまったく違ったものの見方と直感の体系を持っている とあなたが言われるなら、私はそれが理解不可能なものでない限りは、その誰かがどのように してその価値を持つに至ったかを把握できるよう努めるでしょう。
その文化が私の文化に危険 をもたらすようなことがあるとすれば、その文化から我が身を守らねばならなくなるとして も、理解しようとするでしょう。
現実に人間と人間のものの見方はヘルダーの思っていたのよ りははるかによく似ており、文化は例えばシュペングラー、さらにはトインビーが主張してい たのよりもはるかに大きく互いに似かよっていると、私は信じています。
しかし文化はやはり 違っており、互いに和解できないものかもしれません。しかし私は、自分には絶対的な道徳律 を探知する能力はないことは、はっきり判っています。」
(アイザイア・バーリン(1909-1997),『ある思想史家の回想』,インタヴュア:R. ジャハ ンベグロー,第3の対話 政治思想――時の試練,道徳と宗教,pp.162-163,みすず書房(1993), 河合秀和(訳))