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2018年6月1日金曜日

政治においては、人々の愛情を頼みとするのでなく、人と社会の諸法則を基礎とすること。例えば不正や功績がはっきり見える仕組み、賞罰の仕組み、人々が自ら不正や邪悪を見つける仕組み等。(韓非(B.C.280頃-B.C.233))

社会の諸法則

【政治においては、人々の愛情を頼みとするのでなく、人と社会の諸法則を基礎とすること。例えば不正や功績がはっきり見える仕組み、賞罰の仕組み、人々が自ら不正や邪悪を見つける仕組み等。(韓非(B.C.280頃-B.C.233))】
 政治と社会の仕組みは、人と社会を動かしている法則と、その実際の動き方を基礎として作らなければならない。逆に、人々の愛情などの気持ちだけを頼みとしてはいけない。例えば、
(a)もともと人々が、国や他の人のために働かないではおられないような方法を用いる必要があるのであって、人々がその愛情に基づいて国や他の人のために働くようなことを、頼みとはしていない。人々が愛情を頼みとするのは、危険である。
(b)正しく正義にかなった行いをして身の安泰が得られるなら、臣下は力を尽くして主君に仕えるだろうが、それで身の安泰が得られないとなれば、私欲にまかせて不正に走るだろう。だからこそ、利益になる道(賞)と損害になる道(罰)とをはっきり立てる必要がある。
(c)多くの官吏に教え諭して、何かを徹底させることには限界がある。不正と功績が、はっきりと見えるような仕組みと、賞罰の仕組みがなければ、正しい政治を行うことはできない。
(d)自分の目や耳で、すべての事実を見抜こうと思っても、実際に見聞きできることは限られている。そうではなくて、世の中の人々がお互いに自分たちの目と耳で、観察し聞かないではおれないような仕組みを作れば、不正をおかす者や邪悪な者から国を守ることができるだろう。
 「こうしたことから考えてみると、聖人が国を治める場合には、もともと人々がこちらのために働かないではおられないような方法を用いるのであって、人々がその愛情にもとづいてこちらのために働くようなことを頼みとはしていない。人々が愛情にもとづいてこちらのために働くのを頼みとするのは、危険である。こちらのために働かずにおれない方法をこちらで備えてそれを頼みとするのが、安全である。そもそも君臣の間には肉親のような親しみがあるわけではない。正しくまっ直ぐな道を行って、それで身の安泰が得られるなら、臣下は力をつくして主君にお仕えするが、正しくまっ直ぐな道を行って、それで身の安泰が得られないとなれば、臣下は私欲にまかせて上の者にとりいるものだ。名君はそれがわかっている。だからこそ利益になる道(賞)と損害になる道(罰)とをはっきり立てて、それを世界じゅうに示すのである。
 そもそもこうしたわけで、君主は自分の口で多くの官吏に教えたり、自分の目で邪悪な者をさがしたりしなくとも、国はうまく治まるものである。君主は離婁(りろう)のようなよい目を持って、それによってよく見ぬくと言われるのではなく、師曠(しこう)のようなよい耳を持って、それによって耳がさといと言われるのでもない。目については必ずそのきまった法則にまかせず、自分の目で見たものだけでよく見ぬくと言おうとすれば、実際に見えるものはわずかであって、これでは悪い臣下に目をくらまされない方策にはならない。耳についても必ずそのきまった態勢に従わず、自分の耳で聞いたものだけで耳がさといと言おうとすれば、実際に聞こえるものはわずかであって、これでは悪い臣下にだまされない方法とはならない。名君は、世界じゅうの人がこちらの目に代わって観察しないではおれないようにさせ、世界じゅうの人がこちらの耳に代わって聞かないではおれないようにさせる。そこで、その身は奥深い宮殿の中におりながら、四海の内をくまなく見ぬくのであって、しかも世界じゅうがその目をくらますこともできなければ、あざむくこともできない。それはどうしてであろう。君主がくらまされ乱されるような道が除かれて、耳さとく目のよく見える聡明の態勢が作りあげられたからである。だから、うまく態勢にまかせてゆけば国は安泰であるが、その態勢に従うことを知らないでいると国は危険なのである。」
(韓非(B.C.280頃-B.C.233)『韓非子』姦劫しい臣 第十四、(第1冊)pp.264-266、岩波文庫(1994)、金谷治(訳))
(索引:社会の諸法則)
(原文:14.姦劫しい臣韓非子法家先秦兩漢中國哲學書電子化計劃

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)



(出典:twwiki
韓非(B.C.280頃-B.C.233)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「国を安泰にする方策として七つのことがあり、国を危険にするやり方として六つのことがある。
安泰にする方策。第一は、賞罰は必ず事の是非に従って行うこと、第二は、禍福は必ず事の善悪に従ってくだすこと、第三は、殺すも生かすも法のきまりどおりに行うこと、第四は、優秀か否かの判別はするが、愛憎による差別はしないこと、第五は、愚か者と知恵者との判別はするが、謗ったり誉めたりはしないこと、第六は、客観的な規準で事を考え、かってな推量はしないこと、第七は、信義が行われて、だましあいのないこと、以上である。
 危険にするやり方。第一は、規則があるのにそのなかでかってな裁量をすること、第二は、法規をはみ出してその外でかってな裁断をくだすこと、第三は、人が受けた損害を自分の利益とすること、第四は、人が受けた禍いを自分の楽しみとすること、第五は、人が安楽にしているのを怯かして危うくすること、第六は、愛すべき者に親しまず、憎むべき者を遠ざけないこと、以上である。こんなことをしていると、人々には人生の楽しさがわからなくなり、死ぬことがなぜいやなのかもわからなくなってしまう。人々が人生を楽しいと思わなくなれば、君主は尊重されないし、死ぬことをいやがらなくなれば、お上の命令は行われない。」
(韓非(B.C.280頃-B.C.233)『韓非子』安危 第二十五、(第2冊)pp.184-185、岩波文庫(1994)、金谷治(訳))
(原文:25.安危韓非子法家先秦兩漢中國哲學書電子化計劃

韓非(B.C.280頃-B.C.233)
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